救済6:二兎を追うもの二兎をも喰らう!処刑!闇の始末人と悪女!
エルフは生まれつき、莫大な魔力を有している。
ゆえに、支配階級の頂点に君臨している。
……それは、表層をなぞっただけの単なる常識に過ぎない。
真実はもっと残酷な偶然の産物に満ちていた。
エルフという種族は、生涯において、排卵を五回前後しか行わない。意図的な魔導調整によって前後させることは可能であっても、生物学的な希少性の極みにいることに違いはない。エルフたちは、その圧倒的な美しさと個体の希少性ゆえに、保護対象として扱われていたのだ。
そして。
かつて世界を動かしていたのは、純粋な「物理の力」、すなわち、筋力こそが知性の具現化であった。
かつて、貴族階級とは、例外なく強靭な肉体を持つ「獣人」のみを指していた。
しかし。
一世紀前の「魔導産業革命」が、すべてをひっくり返した。
魔力という「技術」が開発されると、体内で魔力を無尽蔵に生産できるエルフたちは、一躍「保護対象」から「尊敬・崇拝の象徴」へと祭り上げられた。
その結果、王国の覇権を握っていた獣人たちは、一夜にして「不可触民」へと墜落した。
現在でこそ法の下では人間や魔物と対等の権利を持つとされているが、差別と暴力の傷痕は、新暦を迎えた今なお、王都の闇の澱として深く沈み込んでいる。
ラプラス公爵邸、執務室。
窓の外の重苦しい熱気を遮る遮光カーテンの隙間から、冷ややかな青い光が差し込んでいた。
ルミナリアは、手元の書面から顔を上げ、目の前で青ざめている専属メイドの獣人の少女を見据えた。
「……もう一度言いなさい!今、何と?」
「っ、申し訳ありません、ルミナリア様……ですが……」
獣人のメイドは恐怖に震えながらも、必死に言葉を絞り出した。
「最近、下層の獣人街で……『エルフの女性だけを狙った、猟奇事件』が起きているのです。犯人は、同じ……獣人の……ウサギの亜人です。エルフの名誉も、そして私たち獣人の名誉も、完全に、踏みにじられています。どうか、お上の力で、あの者たちを捕まえてくださいまし……!」
メイドの口ぶりには、言葉にできないほどの、何か……悍ましい嫌悪感と、尊厳を根底から汚されたことに対する震えがあった。
ちょうどその時、サロンの扉が軽やかにノックされ、エルフの少女、アリシア・ヴェリタスが顔を出した。
「お邪魔するわ、ルミナリア。……あら、何かお話?」
ルミナリアはメイドに退出の合図を送り、アリシアを真っ直ぐに見据えた。
「アリシア。ちょうどいいところに来ましたわ。……『エルフの女性を狙った事件』について、何か、ご存知ではありませんこと?」
その瞬間!
アリシアの表情から、血の気が引いた!
彼女の瞳は激しい動揺に揺れていた!
知らなかったと言い張るその顔は、嘘を隠す者のそれではなく、恐怖と怒りに満ちた「知っている者の顔」だった。
「……知らないわ。そんな話。私は。何も。聞いて。いないもの」
震える声でそう言い残すと、アリシアは逃げるようにサロンを飛び出していった。
ルミナリアは深いため息をつき、こめかみを押さえた。
(……アリシアがあれほど口を閉ざすということは、これは王都の……『タブーの核心』ですわ)
エルフであるアリシアが魔力を使えない障害者(準エルフ)として生きていること、そしてエルフの生態的秘密。それらが複雑に絡み合った、底なしの闇が裏で蠢いている。
ルミナリアが頭を悩ませていたその時、執事が恭しく告げた。
「ルミナリア様、本日はご予約の画商が参っております」
通された応接室に現れたのは、お抱えの専属絵師でもなければ、名のある画廊の主人でもなかった。
派手な露出の多い、まるで、田舎のバス停の待合室にでも座って少年を誘惑していそうな、しかし、異様なほどに引き締まった褐色肉体と筋肉美を誇る、金髪ポニーテールの狼獣人の女性、リウ・ヴァンクロフトだった。
「ごきげんよう、ラプラス公爵令嬢!いやぁ、今日も王都の日差しは強くて、私のエんロいお肌がさンらにジューシーに焼けてしまいますわねッー!」
200センチぐらいはある長身をくねらせ、極太の金色の尻尾をパタパタと揺らしながら、リウは軽口を叩いた。
彼女は、かつて100年前の魔導産業革命で完全に没落した旧大貴族「ヴァンクラフト家」の末裔である。一族の栄光は失われ、現在は地方の小金持ちレベルに落ちぶれているが、このリウという女は、武力や政治的権力ではなく、その驚異的な「芸術の才」一代で家名を再興させた傾奇者だった。
ルミナリアは初対面のリウに対し、先ほどの疑念をあえてストレートにぶつけてみた。
「……リウさん。最近の、『エルフの女性が獣人に襲われている事件』について、何かご存知かしら?」
リウの赤目が、ふっと細められた。
そのお道化た雰囲気が一瞬で消え去り、底知れない冷徹な光が宿る。
「あら、ご存知でしたの?いやはや、世間の耳目には一切触れていませんけれど、なかなかに香ばしかったですわ!」
「は?……香ばしい?」
リウは椅子に深く腰掛け、専門家の正確さと冷酷さを併せ持つ口調で語り始めた。
「犯人は、ガリアスとガリオスという二匹の兎獣人です。奴らの父親は、『我が家はかつて王族だった』という誇大妄想を息子たちに吹き込んで、ぽっくり死んだ。脳みそまで馬鹿だった二人は、それを真に受けてしまいましたのよ。『エルフどもを皆殺しにすれば、獣人はこの国の頂点に立てる』という……まあ、どこかの酒場で聞いたようなデマを盲信して、ね」
ルミナリアは息を呑んだ。
「……二人は……殺人をしたのですか?」
「もっと下劣な話ですわ」
リウは吐き捨てるように言った。
「奴らはエルフの女性を襲い、その下腹部に『黒魔術』を直接ブチ込んだのです。……ご存知でしょう?エルフの排卵は生涯でわずか数回。しかも、エルフの卵子は卵子ではない。その一つひとつが、魔力の源泉である『魂の断片』そのもの。奴らはそれを強制的に引き剥がし、喰らうことで、自分たちの魔力と肉体を強化しようとしたのですわ」
「ッ……!」
エルフの女性にとって、卵子を奪われることは単なる暴行ではない。魂の根幹を蹂躙され、生きたまま食われるに等しい、精神の処刑だった。
そして、なぜこの事件が表に出ないのか。
被害に遭ったエルフたちは、あまりの屈辱とプライドの高さゆえに、「獣人に魂を食われた」などと口が裂けても公言できず、ただ、一人で闇に飲まれ絶望していたのだ。警察も、告発者すらいないため、一切の動きようがなかった。
「……なんて胸糞の悪い……」
ルミナリアの拳がテーブルを叩いた。
「救いようのない外道どもですわ!今すぐあいつらを捕まえて、公開処刑に……」
だが、リウはふわりと優雅に微笑み、こう遮った。
「おやおや、お嬢様。そんな血走った目をしては、お肌に毒ですわよ?」
「何で!何故平然としていられるの!あなたは……!」
「ご安心なさい。その事件は解決済みですわ」
リウはニヤリと、無邪気な笑みを浮かべた。
「うさぎなんてね、狼の格好のオモチャですのよ」
ルミナリアは言葉を失った。
リウは、巨大なキャンバスを指差した。
「ルミナリア様。私、最近新しい絵の具の調合に凝っていましてね。今ちょうど、新作を描いているところなの。見ていってくださいまし」
ルミナリアは引き寄せられるように、そのキャンバスの前に歩み寄った。
一見すると、鮮やかな油絵に見える。
しかし……近づくにつれて……ルミナリアの脳裏に異様な違和感が突き刺さった。
絵の具の質感が、あまりにも「生々しい」。
赤黒い絵の具の盛り上がり、光の角度によって虹色にきらめく微細な粒子、そして何より、キャンバスの隅から漂う、微かな魔力の残渣。
「……まさか!」
リウは背後からルミナリアの肩に手を置き、耳元で甘く囁いた。
「ご想像の通りですわ、お嬢様」
リウの金髪ポニーテールが揺れる。
「あの二匹のうさぎをね、私は……お持ち帰りしたのです。暴れるから、まずは、両手足の骨を優しく、ゆっくりと折って差し上げましたの。泣き叫ぶ目と口には、特製の唐辛子ペーストをたっぷり詰めてあげて、声が出ないようにしてね」
「っ……!」
「生きたまま魔導ミキサーにかけ、体液と肉汁、そして奴らがエルフから奪い取った『魂の断片』を抽出し、濾過したのです。奪われたエルフのお姉様方の魂だけを、一粒残らず綺麗に洗い出し、それぞれの被害者のもとへ匿名で無事に返却して差し上げましたわ。優しいでしょう?」
狂気!
「残ったうさぎさんの抜け殻……つまり、骨と皮とドロドロになった肉の残骸はね、そのままパイにして焼き上げて食べて、さらに余った残骸は、私の絵の具の溶剤に混ぜ合わせて、絵の具として再利用してあげましたの。こうしてキャンバスに塗ってみると、なかなかに……発色の良い赤が出るんですのよ。ねえ、この絵の中の、二匹のうさぎの毛並み。すごくリアルで可愛くありませんこと?」
ルミナリアは、背筋が凍るのを通り越して、心の底から感嘆のため息をついていた。
悪行が、今、この変質狼のキャンバスの上で、完全に、美しく、誰にも迷惑をかけずに「リサイクル」されていたのだ!
被害者であるエルフたちはプライドを守られ、奪われたものは戻り、加害者どもは誰に知られることもなく画材に早変わりを果たしたのだ。
社会の法では裁けず、警察も介入できず、誰も救えなかった地獄の闇が、一人の狂人の手によって、あまりにも手際よく、完璧に、美しく掃除されていた。
ルミナリアは小さく息を吐き、ついに口元を緩めて、くすりと笑った。
「……本当に、あなたという人は……」
リウは満面の笑みを浮かべ、尻尾をブンブンと振った。
「世の中ね、法律だけが正義じゃありませんのよ。時には、こうした、ちょっとした『芸術』が、世界を一番綺麗にするのですわ。街の隅っこには、こうして、悪をぐちゃぐちゃにかき混ぜてあげる始末人がちゃんと隠れているんですの。安心なさいな、ルミナリア様」
数日後。
王都の片隅にひっそりと佇むエルフたちの集会所に、差出人不明の小さな小包がいくつも届けられた。
中身を開けたエルフの女性たちは、言葉を失い、そしてその場に崩れ落ちるようにして泣きじゃくった。
失われたはずの「魂の欠片」が、無傷のまま戻ってきたのだ。誰がそれを取り戻してくれたのかは、永遠に分からない。しかし、彼女たちの心に巣食っていた冷たい恐怖と絶望は、跡形もなく洗い流されていた。
その頃、ラプラス邸の地下アトリエでは。
リウ・ヴァンクロフトが、満足げな表情で自作の絵画に最後の一筆を加えていた。
ルミナリアは紅茶のカップを片手に、その絵を眺めながら静かに呟いた。
「……悪とは、なんと滑稽で、そしてなんと儚いものかしら」
陰謀、差別、悪意。
だが、その暗闇の深淵では、正義や悪の枠組みすら超越した完全なる狂気が、今日もこっそりと、鮮やかな絵の具を混ぜ合わせているのだ!




