救済4:職業差別!偏見を破壊する悪女!
差別というものは、いつの時代もひどく滑稽で、不可解な理屈から生まれる。
かつて、ツルハシ職人や人参農家が理由もなく見下されたように、この時代の王都において最も最下層として蔑まれていた職業、それは……『陶芸家』であった。
現代王都の倫理観では、食事とは「生き物の命を喰らう野蛮な行為」である。
そして。その屍を盛り付ける食器は「手のひらサイズの屠殺場」という扱いであった。ゆえに、屠殺場を量産する陶芸家は、不可触民であり、犬以下の存在として扱われていたのである。
だが、人間の業とは恐ろしい!
昼間は陶芸家を「穢らわしい」と唾棄する貴族たちが、夜になれば、もぞもぞ、もぞもぞと、こっそりと、彼らの工房を訪れ、信じられないような大枚を叩いて皿や壺を買い漁っていたのだ!
この時代、王都の貴族たちは、陶器の曲線に、ある種の……「性的興奮」を見出していた!
禁忌とされる穢れた器を、こっそり自らの指でやさしく撫で回し、秘めやかに独占する!
それは、こちらの世界におけるキャバ嬢やホストに対する、歪んだ優越感と依存性に酷似していた!
彼らは陶芸家を見下すことで自らの高潔さを保ちながら、その実、彼らの生み出す器の魔力に溺れ、貢ぎ続けていたのである!
ある日のこと。
ラプラス公爵家令嬢ルミナリアは、自身の知見を広めるための「社会見学」として、王都で最も高名な……すなわち、現代で言えば「ナンバーワン指名のカリスマホスト」に等しい、年老いた天才陶芸家の工房を訪れていた。
背後にはもちろん、狂犬メイドのシャルロッテが付き従っている。
薄暗い工房の中、泥に塗れた老陶芸家は、身分の高いルミナリアに対しても卑屈になることなく、ただ、黙々と、ろくろを回していた。その手から生み出される器は、神々しいまでの曲線を描いていた。
ルミナリアはその作業を、冷徹な観察者の眼差しで見つめていた。
ひとしきり見学を終えた後、ルミナリアは老陶芸家に向かって、こう言った。
「今日はとても良い勉強になりました。私は差別などという非合理な感情は持ち合わせておりません。ですから、【人生経験として】、あなたたち【のような】方々と関わって【おいておこう】と、思ったのですわ」
それは、悪気のない言葉だった!
ルミナリアにとっては、ただの、純粋な感想に過ぎなかった!
しかし!
パァァァァァァァァァァァァンッッ!!!
乾いた、強烈な破裂音が工房に響き渡った。
「……え?」
ルミナリアの身体が、独楽のように回転し、泥にまみれた床へと無様に崩れ落ちた。
ドグチャァァアアアアッ!!!!!!
日傘が折れ、完璧にセットされた金髪の縦ロールが乱れ、純白のドレスが泥水に沈む。
左の頬が、火を噴いたように熱い。口の中が切れ、鉄の味がした。
ルミナリアは、何が起きたのか理解できなかった。
ゆっくりと顔を上げると、そこには、右手の拳を振り抜いた姿勢のまま、氷のように冷酷な瞳で自分を見下ろすシャルロッテの姿があった。
「シャ、ル……ロッテ……?あなた、今……私を……殴り、ましたの……?」
メイドが、主である公爵令嬢を殴打する。それは即座に死刑を宣告されてもおかしくない大罪であった。
しかし、シャルロッテの顔に恐れはない。あるのは、深い失望と、激しい怒りだけだった。
「……経験として、だと?」
シャルロッテの声は、地を這うように低かった。
「……あなたは、『経験』、しに来た、と、言う、のですか?」
「な、何を?一体何を怒っていますの……私はただ、偏見を持たずに彼らの生態を知ろうと【してあげて】……」
「してあげて?……それが、『見下している』、と、いうのです!」
シャルロッテの怒号が、工房を震わせた。
スラムという真の底辺で生き抜いてきたシャルロッテにとって、一番許せないもの。それは、悪意ある暴力よりも、善意の皮を被った傲慢であった!
相手の人生を、自分の教養を深めるためのアクセサリー程度にしか思っていない。無意識の侮蔑。
「……私の愛したルミナリア様は、弱者の痛みを理解し、悪を裁く気高き死神でした。ですが、今のあなたは……ただの、やはり……貴族様、です」
シャルロッテは、冷たく言い放った。
「もう。お仕えする気は、私にはありません」
その日。シャルロッテは、ルミナリアの権限により「1ヶ月間の謹慎」を言い渡された。
退職手当の支給を待たずに蒸発するだろうと見越した、事実上の解雇である。
ラプラス邸を追い出されたシャルロッテは、王都の片隅にある大衆ドーナツ屋『ミスター・マジック』の2階にある物置部屋に居候することになった。
スラム時代からの腐れ縁である店主が、行き場を失った彼女を拾ってくれたのだ。
それからのシャルロッテは、怠惰だった。
毎日、砂糖がたっぷりとかかった甘いドーナツをかじりながら、ベッドに寝転がり、ぼんやりと天井の木目を数えて過ごした。
(これから、どうしようか……)
彼女の心は空虚だった。
ルミナリアという太陽を失った狂犬は、ただの野良犬に成り下がっていた。
あんな風に主を殴ってしまった以上、もう二度とラプラス邸には戻れない。
いや、戻るつもりもなかった。1ヶ月の謹慎期間が終われば、正式に辞表を突きつけ、元のドブ泥のようなスラムへ帰ろう。
やはり、自分には、あの暗くて臭い路地裏がお似合いなのだ。高潔で美しいお嬢様の隣など、最初から分不相応だったのだから。
一方その頃。
ラプラス邸の主寝室では、ルミナリアが一人、暗闇の中でベッドにうずくまっていた。
彼女の左頬の腫れは、とっくに引いていた。だが、胸の奥底に刺さった棘は、日を追うごとに深く、激しく彼女の魂を抉っていた。
『それが、見下しているというのです!』
シャルロッテの悲痛な叫びが、脳内で何度もリフレインする。
ルミナリアは、天才的な頭脳で「自分の何が間違っていたのか」を徹底的に解析し続けていた。そして、時間が経てば経つほど、自分の放った『経験として関わろうと思った』という言葉の持つ、圧倒的な残酷さと醜悪さに気づかされていった。
(私は……なんて傲慢だったのかしら……)
ルミナリアの目から、大粒の涙が溢れ出した。
命を削って土をこねる陶芸家の人生を、自分は……「見世物」として消費したのだ!
風俗嬢やホストを馬鹿にするおじさんやおばさんが、「社会勉強のために一度だけ、まあ、お店に行ってやった!」とふんぞり返るのと同じ!
相手の人格を否定し、底辺だと決めつけ、自分の高潔さを確認するための道具にしただけ!
「偏見はない」と言いながら、誰よりも深い偏見と特権意識に溺れていたのは、他ならぬ……自分自身だったのだ!
ルミナリアは、声を上げて泣いた!
天才であるがゆえに、過ちに気づいた時の自己嫌悪は、それは凄まじかった。彼女は恥じた。己の未熟さを、傲慢さを、そして、一番大切なシャルロッテを傷つけてしまったことを……。
「……泣いている暇など、私には……!」
ルミナリアは、涙を拭い、決意に満ちた目で立ち上がった。
「ごめんなさい」という音を口から出すだけでは、シャルロッテは納得しない。彼女の信頼を取り戻すには、痛みを伴う『行動』で、自分の魂が生まれ変わったことを証明しなければならない。
そして、1ヶ月後。
約束の再雇用の日。シャルロッテは、重い足取りでラプラス邸の正門をくぐった。
手には、ドーナツの紙袋と、辞表が握られている。
(もう、お別れだ。手紙だけ置いて、スラムへ帰ろう)
そう思いながら、庭園を通って屋敷へ向かおうとしたシャルロッテはその光景を見て、全身の動きを止めた。
「……え?」
手から、ドーナツの紙袋がポトリと落ちた。
豪奢な薔薇が咲き誇っていたはずの美しい中庭。
そこは今や、大量の土と粘土が積み上げられ、簡易的な『窯』まで設置された、泥だらけの【陶芸工房】へと変貌していたのだ。
そして、その中央。
フリルのドレスなどではなく、薄汚れた麻の作業着に身を包んだ小柄な少女が、真剣な眼差しでろくろに向かっていた。
「……ルミナリア、様……?」
シャルロッテは、自分の目を疑った。
極度の病弱体質で、泥水の一滴さえも忌み嫌うはずの彼女が、顔も髪も泥だらけにして、必死に土をこねているのだ。
その白く細い指は、慣れない土仕事のせいで何度も切れ、あちこちから血が滲み、絆創膏だらけになっていた。
さらに驚くべきことに、ルミナリアの周囲には、1ヶ月前に工房で会ったあの老陶芸家をはじめ、王都で迫害されているはずの年老いた陶芸家が何人も集まり、笑顔でルミナリアを囲んでいたのである。
「ほっほっほ、お嬢様。少し力を抜いて。土を視るのですじゃ」
「分かっていますわ、親方!……くっ、この土、思いのほか反発力が強いですわね!理論上は最適な圧力をかけているはずなのに……!」
「理屈じゃあないんだよ、お嬢様。感じるんだ」
「なるほど……?分かりましたわ!」
蔑んでいた人間が、自らの言動を深く恥じ、実際に自らその世界に飛び込んで働き、実体験を通して反省し、彼らの苦労と尊厳を心の底から理解しようとしている!
「……ルミナリア様」
シャルロッテの声に、ルミナリアがビクッと肩を震わせ、ろくろの回転を止めた。
泥だらけの顔を上げたルミナリアは、シャルロッテの姿を認めると、血の滲む手で自分の頬をパチンと叩き、姿勢を正した。
「……お帰りなさい、シャルロッテ。1ヶ月間、どうでしたか?」
ルミナリアは、いつもの高貴な口調を取り繕おうとしたが、その声は微かに震えていた。
「ルミナリア様……あなた、その手……それに、この庭は一体……」
「分かるでしょう。見れば。陶芸の修行をしておりますの。……いえ、修行などという生易しいものではありませんわね?」
ルミナリアは、自分が作りかけの、少し歪だが力強い曲線を持った土の器をそっと撫でた。
「シャルロッテ、あなたの言う通りでしたわ。私は、傲慢な女でした。けんさくして、データを追いかけるだけで、世界を理解した気になっていた。血の通った人間の人生を、ただの『経験』という言葉で……消費しようとした」
ルミナリアの目から、泥と混じった涙がこぼれ落ちた。
「だから……自分でやってみなければ、分からないと思ったのです。彼らがどれほどの重みを持って、この土と向き合っているのかを。……実際にやってみて、思い知りましたわ。こんなに指が痛くて、腰が砕けそうで、それでも、土から美しいものが生まれた時の感動……。これを『底辺』だと見下していた貴族こそ、人間のクズですわ」
ルミナリアは、泥まみれの両手をシャルロッテに向かって差し出した。
「殴ってくれて、ありがとう、シャルロッテ。あなたが怒ってくれなければ、私は一生、人を人とも思わない化け物になっていたわ」
その言葉を聞いた瞬間。
シャルロッテの中で張り詰めていた糸が、プツリと切れた。
「ああ……あああ……っ!」
シャルロッテは、その場に崩れ落ち、ボロボロと大粒の涙を流して泣き崩れた。
スラムで育った彼女は知っている。
貴族という生き物が、決して己の非を認めないことを!
ましてや、自らの手を泥で汚し、最下層の人間たちを屋敷に招き入れてまで、己の差別心を恥じ、学ぶことなど絶対にあり得ないということを!
だが、目の前にいるこの少女は違った!
ルミナリア・フォン・ラプラスは、間違えることはあっても、過ちに気づけば、己の身を削ってでもそれを正すことができる、どこまでも誠実で、どこまでも気高く、どこまでも不器用な、最高の主人なのだ!
「私……っ、私は……!」
シャルロッテは、泥だらけの地面を這うようにして進み、ルミナリアの足元にすがりついた。そして、握りしめていた辞表をビリビリに破り捨てた。
「ルミナリア様……っ!生意気を言って、申し訳ありませんでした! 私を……私をもう一度、あなたのメイドにしてください!」
「……ええ。あなたには、一生私の尻拭いをしてもらいますわ。時給は少し上げてあげますから、覚悟なさい」
ルミナリアは、泥だらけの手で、シャルロッテの頭を優しく撫でた。
シャルロッテは、ルミナリアの服についた泥の匂いと、微かに混じる彼女本来の甘い香りに包まれながら、子供のように泣きじゃくった。
泥にまみれたルミナリアの器は、その日の夕日を浴びて、王都のどんな高級な陶器よりも美しく、力強い輝きを放っていた。




