救済2:核爆弾の忘れ物!困惑する悪女!
ラプラス公爵邸の庭園では、優雅なティータイムが開かれていた。
「ダージリンの香りが素晴らしいですわね。シャルロッテ、いつもありがとう」
「ルミナリア様のためならば!」
豪奢なフリルドレスに身を包んだルミナリア。
そして、彼女の背後にピタリと張り付くメイド、シャルロッテ。
向かいの席には純白のエルフ、アリシア・ヴェリタスが座り、天使のような微笑みを浮かべていた。
その時である!
王都の空を、予定にない強烈な轟音が引き裂いた。
「何事ですの!?革命!?それともテロですの!?」
「ルミナリア、見て!」
アリシアが指さす空には、無数の伝書鳥が舞い、広場に集まる市民たちに号外をばら撒いていた。
そこには、歴史を覆す、巨大な見出しが躍っていた。
『国連可決!我が国、次元破断爆弾の所持を公式に認定さる!』
その文字を見た瞬間、ルミナリアとアリシアの反応は、見事なまでに対極に分かれた。
「素晴らしいですわ……っ!」
ルミナリアは立ち上がった。
「ようやく我が国も、地政学的な『死の均衡』に参加できますのね!次元破断爆弾の所持は、侵略に対する抑止力となりますわ!平和のための偉大なる一歩ですわ!」
ルミナリアの主張は、冷徹な理論に基づく「右派」のロジックであった。
しかし、アリシアは悲痛な面持ちで首を横に振った。
「ルミナリア?兵器は、持つ者の精神を歪め、やがて『自衛』という名目で、王都の方から他国へ侵略を開始する引き金になるわ!暴力では、平和は買えないのよ!」
アリシアの主張は、人間の善性と倫理を重んじる「左派」のロジックであった。
ルミナリアの『抑止力論』と、アリシアの『軍拡論』。
彼女たちの議論は白熱していく。
どちらの理論も、学術的・論理的には正しかった。
そう。この世は単純な二択ではない。
条件が揃えば等しく「正解」になり得るのだ。
だが、白熱する二人の天才を前に、シャルロッテは突然、腹を抱えて悲しげに嘲笑い始めたのである。
「……ふふっ、あははははっ!その二択こそが、罪ですわ!」
「シ、シャルロッテ?」
「申し訳ありません、ルミナリア様。ですが、お二人の議論があまりにも空論でしたので、つい」
シャルロッテは、スラムの泥水を啜り、裏社会の修羅場を生き抜いてきた冷酷な瞳で、二人のインテリ令嬢を見下ろした。
「いいですか。あなた方が語っているのは、あくまで『100%理想通りの運用ができた場合』の、机上の空論ですわ」
「なんですって……?」
「ええ。例えば。私のようなスラムの子供が『たった1年間努力して王立ソフィア大学へ入学する』ことは……『理論上』は、数字の上では可能です。しかし、現実はどうですか?基礎学力のない子供が合格レベルに達するには、一般的な高校生でも5年はかかります。その5年間の生活費は?教材費は?生き延びられる保証は?結局のところ、夢に縋って無謀な受験をするのは馬鹿のやることです。つまり……現実を見て、そもそも受験を諦めるか、働きながら行ける三流大学を目指すのが『正解』なんですよ」
シャルロッテは、冷めた紅茶を一口飲み、王都の歪んだ実態を容赦なく暴き立てた。
「その、次元破断爆弾も同じです。100%テロリストの手に渡らず、100%誤作動せず、完璧な管理体制が敷けるなら、それなら、抑止力にも、または攻撃の武器にもなるでしょう。……でも、ここは『あの』王都ですよ?」
シャルロッテの指摘に、ルミナリアの顔色が変わる。
「この国の現状を見てください。右翼が左翼の裏金の鉄砲玉にされ、左翼が右翼に土下座して票をもらい、国民の税金で開発した新技術は、ひたすらに外資企業に売り飛ばされる。左翼が『人権』と叫んで外国人労働者を大量に移民させれば、右翼がその移民を排斥していじめ抜く。一体、なんですか、これは?……そして最終的に、国から見捨てられた恵まれない弱者を助けて炊き出しをしているのは、そもそも全てに反対しているテロリストか、もしくは、地元のヤクザたちです」
シャルロッテの言葉は、インテリであるルミナリアの急所を的確にえぐった。
「この国は……経済の数字と法律の文章さえ辻褄が合っていれば、裏で何をしても許されるという、腐敗の極致です。そんな国に、人類を滅ぼす爆弾の『理論通りの運用』など、絶対に不可能です。当たり前でしょう?……それこそ、100%ですわ」
シャルロッテは、隣国との決定的な違いを挙げた。
「王都の民は、帝国やゼランティアや新共和国が爆弾を持っているのを見て、『持っていない我が国は遅れている』だの『持っていない我が国こそ道徳的だ』だの騒いでいますが、的外れもいいところです。帝国もゼランティアも、売国行為を働けば即座に国籍を剥奪し、追放します。新共和国は、国民のすべての思想と行動を24時間監視しています。彼らは、その徹底した管理体制によって『100%の運用』ができるからこそ、爆弾を持っているにすぎないんです。王都のようなふざけた国家に、爆弾の管理などできません」
圧倒的なスラムの現実主義。
ルミナリアもアリシアも、シャルロッテの反論の前に、ぐうの音も出なかった。
それから数週間後。
シャルロッテの予言は、やはり、100%の的中を見せることとなる。
王都政府は、実際に帝国から次元破断爆弾を購入する前のデモンストレーションとして、各省庁の連携を試す『ダミー爆弾を用いた運用訓練』を実施した。
爆弾の起動キーを収めたジュラルミンケースを移送するという、簡単な訓練のはずだった。
しかし。
「予算削減」と「責任逃れ」、そして「どうせダミーだし」という腐敗した空気が、致命的な連鎖を引き起こした。
最終的にそのジュラルミンケースを運ばされたのは、任務内容など知らされていない、時給900クレストで雇われたバイトの青年だったのである。
その夜。
王都の裏路地にある、安酒とモツ煮込みが売りの薄汚れた大衆居酒屋『璃月』。
そこには、奇妙な面々が偶然にも相席に近い形で集い、管を巻いていた。
「王都のボケが。次元破断爆弾だと?我ら『愛国団』をコケにしおって。腰抜け政府に爆弾が扱えるものか」
スキンヘッドの右翼構成員が、ビールジョッキを叩きつける。
「王都の軍拡など児戯よ。だが、万が一の誤射があれば面倒だ。早急に破壊工作を仕掛ける必要があるな」
トレンチコートを着た帝国の工作員が、メモ帳に暗号を書き込みながら冷たく笑う。
「自然を破壊する核など許せません!『緑の怒り』が、必ずやその爆弾を奪取してみせましょう!」
バンダナを巻いた過激派が、枝豆を齧りながら気炎を上げる。
思想も、手段も、目的も違う裏社会のプロフェッショナルたち。
だが、彼らの根本にある願いは一つだった。
「王都政府のような馬鹿どもの手から爆弾を取り上げ、自分たちの手で世界を平和にしたい」。
そんな、彼らの頭上にある、壁掛けの魔道テレビ。
そこに突然、緊急放送のテロップがけたたましい音と共に流れ始めた。
『緊急事態発生!本日行われた次元破断爆弾の運用訓練において、移送を任されていた職員が、起動キーの入ったジュラルミンケースを紛失したことが判明しました!』
「…………は?」
右翼も、左翼も、帝国のスパイも、全員の動きがピタリと止まった。
『現在、王都警察が全力で捜索中ですが、行方は知れません。なお職員の証言によれば、立ち寄ったのは……』
スパイとテロリストたちは、最初、顔を見合わせてニヤニヤと笑いそうになった。
(馬鹿め。やはり王都政府は無能の極みだ。人類を絶滅させる鍵を忘れるだと?)
(これなら、我々が爆弾を奪取するのも赤子の手をひねるようなものだ)
しかし。
その数秒後。
彼らの視界の端に、ある「物体」が映り込んだ。
自分たちが飲んでいるテーブルのすぐ横。
先ほどまで、疲れた顔をした冴えない若者が一人で酒を飲んでいた、空席の丸椅子。
そこに、政府の紋章が刻印されたジュラルミンケースが、ぽつんと、無造作に引っかけられていたのである。
「……………………」
居酒屋の中が、水を打ったように静まり返った。
右翼構成員が、震える指でそのケースを指差した。
左翼テロリストが、ひッ、と短い悲鳴を上げて後ずさった。
冷徹なはずの帝国の工作員でさえ、顔面を土気色にして歯の根を鳴らし始めた。
(……こ、ここかぁぁぁぁぁぁッ!?)
全員の心が一つになった瞬間だった。
彼らは理解したのだ。
この国は、スパイの情報戦でもなく、テロリストの特攻でもなく、「飲み会の帰りにたまたま鞄を置き忘れる」……という、あまりにもくだらない日常の延長線上で、国民まるごと全滅する可能性のある国なのだ、と。
恐怖!
圧倒的に理不尽な、純粋なる恐怖!
もし、酔っ払った客が蹴り飛ばしでもして、何かの拍子にスイッチが入っていたら?
自分たちは、酒を飲みながら、この世の終わりを迎えていたのだ!
右翼も左翼も関係ない!
愛国心も革命もスパイ活動も、すべてが「居酒屋の忘れ物」と共に、一瞬で蒸発していたのである!
「ひぃぃぃぃぃ……っ!」
屈強なテロリストの目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「嫌だ……こんな……こんなふざけた死に方、あんまりだ……っ!」
「……あの鞄に触るなよ!絶対に触るなよ!振動を与えるな!」
帝国のスパイが、裏返った声で叫んだ。
イデオロギーなど、もはやどうでもよかった。
彼らは皆、震えながら手を取り合い、決してジュラルミンケースに衝撃を与えないように、店の隅っこで肩を寄せ合ってガタガタと泣き震え始めた。
「神様!どうか助けてください……」
「俺、田舎の母ちゃんに会いたいよぉ……」
そこへ、店の引き戸がガラリと開き、王都警察警部、カレル・オータムが部下を引き連れて踏み込んできた。
「王都警察だ!そのケースに触るな……って、んん??」
カレルは、目を瞬かせた。
王都の裏社会を牛耳り、互いに血みどろの抗争を繰り広げていたはずの極右、極左、そしてスパイたちが。
全員で仲良く抱き合いながらカレルに向かってすがるように叫んでいたのだ。
「警部さぁぁぁん!!これ!早く!早くこの爆弾を持って行ってくれぇぇぇ!!」
カレルは、あまりのシュールな光景に深くため息をつき、トレンチコートのポケットから葉巻を取り出した。
(……まったく。見えない死神を追うつもりが、とんだ茶番を見せられたもんだ)
だが、結果として。
過激派たちは、この日の恐怖体験によってすっかり戦意を喪失した。
「この国を爆発させる前に、政府が爆発して世界が終わる」
というトラウマを抱え、大人しく田舎に帰るか、真面目に働き始めたのである。
後日。
この顛末の報告書を読んだルミナリアは、優雅なティーカップを取り落とし、震えながらこう呟いたという。
「……私の理論が破壊されましたわ……。ゲームオーバー、ですわ……」
隣でシャルロッテが甘く笑いながら、主人の肩を優しく揉みほぐしていたのは、言うまでもない。




