救済1:処刑を加速させる悪女!
王都警察本部、特捜第一会議室。
そこには、泥水のように苦く煮詰まったコーヒーの匂いと、若手刑事たちの熱気、そして血気盛んな怒号が充満していた。
「出ました!『死神』です!」
ホワイトボードをバンッと叩きながら、新米刑事が声を張り上げる。
「高利貸し、カジノの元締め、そして昨夜は悪徳医師!いずれも突然、罪を告白する証拠をばら撒いて自首してきました!」
「被害者……いや、加害者たちの証言はすべて一致しています!姿は見えず、声は加工され、ただ『選択』を迫られた、と!」
若手刑事たちが唾を飛ばして議論を白熱させる中、部屋の最後尾でパイプ椅子に深く腰掛け、トレンチコートを羽織った初老の男が長いため息をついた。
王都警察が誇る叩き上げのベテラン、カレル・オータム警部である。
「……で?その死神サマは、誰か一人でも直接手を下したのか?」
カレルが渋い声で問うと、若手たちは黙り込んだ。
「……それがこの事件の不可解な点です。死神はただ、『選択』を提示しただけ。男たちは自らの意志で自爆の道を選んでおり、法的に……死神を、脅迫罪や殺人未遂で立件するのは不可能です!通信法違反には、問えますが……」
「つまりだ?死神サマのおかげで、我々警察が掴めなかった巨悪どもが、綺麗に掃除されていってるってわけだ」
カレルがコーヒーカップを傾けながら言うと、若手たちは悔しそうに唇を噛んだ。
「だからといって!だからといって……法を無視したリンチを野放しにはできません!我々のメンツが……!」
カレルは「メンツなんか、もともとあってないようなものだろうに……」と心の中でぼやきながら顎を撫でた。
王都警察は、死神の正体を突き止めるべく血眼になっている。彼らは「魔導技術を持った過激派組織」か、「王都の新興マフィア」だと推理し、見当違いの捜査を続けていた。
だが。
カレル・オータムは、知っていた。
彼だけが、この『見えない死神』の正体を、完璧に、疑いようもなく察知していたのだ。
見えない死神の正体。
それは、過激派組織でもマフィアでもない。
王都の一等地、薔薇の咲き誇る豪奢な屋敷の温室で、毎日優雅に最高級の紅茶を啜っている、ひ弱な金髪の令嬢・ルミナリア・フォン・ラプラスであるということを。
「警部!何か手がかりは?ないんですか!?あなたの長年の勘なら、死神の潜伏先が分かるのでは!?」
若手刑事に詰め寄られ、カレルはフッと人の悪い笑みを浮かべた。
「んー。……さあなあ。死神ってのは、案外、日傘を差してる、箱入りのお嬢様かもしれないぜ?」
「警部、冗談は!そんな。お嬢様が、裏社会のドンを震え上がらせるわけがあ、ないでしょう!」
「……そうだろうなあ。俺の気のせいだろうよ」
カレルはコーヒーを飲み干し、立ち上がった。
彼がルミナリアを追及しない理由は、単なる怠慢ではない。
法とは、万能ではない。この王都には、貴族という特権や、巨大な資本という盾に守られ、警察がどう足掻いても手出しできない「法の抜け穴の悪党」が腐るほどいる。
ルミナリアという少女は、決して正義感を振りかざす英雄ではない。彼女はただ、友人のアリシアを悲しませる悪意や、自分の視界に入る不快な害虫を、その圧倒的な知能で、機械的に排除しているだけだ。
だが、彼女の行動がもたらす『結果としての善』は、間違いなくこの王都の平和を、警察以上に守っていた。
(あのプライドの高いお嬢様がゴミ掃除をしてくれている。……なら、大人の俺がすべき仕事は、邪魔をすることじゃあ、ねえ)
カレル警部はトレンチコートの襟を立てた。
今日も今日とて、死神を追いかける「フリ」をして、ルミナリアに悟られないように援護をする。それが、法と正義の狭間に立つベテラン刑事の、粋な流儀だった。
その日の午後。
王都の歓楽街の裏路地で、カレル警部は葉巻を吹かしていた。
今回のターゲットは、バロック男爵。合法的な孤児院の運営を隠れ蓑にして、裏で新種の魔薬を密売しているという外道だ。
警察も内偵を進めていたが、男爵は王宮に太いパイプを持っており、証拠隠滅も徹底しているため、令状が下りない。
「……頃合いだよなあ」
カレルが呟いた通りだった。
バロック男爵の魔薬によって廃人になった若者の中には、アリシア・ヴェリタスが主宰する慈善団体の手伝いをしていた少年が含まれていた。
アリシアが悲しんでいる。ならば、あの「死神」が黙っているはずがない。
一方その頃。ラプラス邸の地下執務室。
「……害虫ですわね。魔薬を売り捌き、アリシアの心を痛めさせるとは」
ルミナリアは、車椅子の上で青い瞳を氷点下まで冷え込ませていた。
「ノア。バロック男爵の今夜のスケジュールは?」
「今夜零時、孤児院地下の製造ラインにて、マフィアとの取引が行われるようです」
「シャルロッテ。通信回線をジャックし、私の映像と音声を」
「かしこまりましたわぁっ!ルミナリア様のためなら、電波の一本一本にまで愛を込めてハッキングしてみせますの!」
ルミナリアは扇を優雅に開いた。
「今夜、あの男爵に『選択』を与えますわ。……ですが、厄介なのは王都警察です。彼らもバロック男爵を嗅ぎ回っています。私が仕掛けるタイミングで、無能な警察の巡回がうろついていれば、シャルロッテの魔力波長を探知されかねません」
ルミナリアの明晰な頭脳は、常にリスクを計算している。
「ノア。警察の無線を傍受し、彼らの動きを完全に読み切りなさい。我々は警察の裏をかき、死角を突いて『見えない死神』の処刑を完遂しますわよ」
「御意」
ルミナリアは唇の端を吊り上げた。
(ふふっ……王都警察など、チェスの駒に過ぎませんわ)
だが、彼女は知らなかった。
その盤面そのものを、カレル警部が「どうぞお使いください」と磨き上げて用意していることを。
深夜十一時。孤児院周辺の暗闇。
「警部!孤児院周辺に、魔力反応が!もしかすると『死神』かもしれません!」
若手刑事が息巻いて報告してくる。シャルロッテが回線をジャックするための準備魔力が、わずかに漏れ出たのだろう。
カレルは葉巻を噛み潰し、内心ニヤリとした。
ここで警察が真っ直ぐ孤児院に突入してしまえば、ルミナリアの『選択のゲーム』が台無しになり、男爵を完全に破滅させる証拠が引き出せなくなる。
カレルは、わざとらしく大仰な身振りで夜空を指差した。
「バカモン!あれは死神のダミーだ! 本命は、あっちの廃倉庫街だ!」
「えっ!?廃倉庫街ですか!?」
「ああ!死神は男爵の注意を孤児院に向けさせ、本命の取引は廃倉庫で行われているはずだ!全員続け!!廃倉庫に向かうぞ!!」
若手刑事たちは完全に感化され、ゾロゾロと孤児院から離れていく。
ラプラス邸の地下からその様子をモニターで監視していたルミナリアは、呆れたようにため息をついた。
「……フッ。カレル・オータム警部。呆れるほどの無能ぶりですわね。陽動に引っかかり、廃倉庫へ向かうとは。これで孤児院周辺は完全にクリア。さあ……始めますわよ」
ルミナリアは、自分が警察の裏を完全にかいたと確信し、満足げに微笑んだ。
一方、廃倉庫街に到着したカレル警部は、何もない空っぽの倉庫を見上げながら、部下たちに「よし、ここは俺が一人で張り込む! お前らは三ブロック先まで徹底的に探してこい!」と指示を出し、誰もいなくなったところで、こっそりと通信用の小型魔導具を取り出した。
「さあて。……ショータイムの始まりだ。観戦させてもらうとしようか」
深夜零時。孤児院の地下。
バロック男爵がマフィアのボスとトランクいっぱいの違法魔薬を前に、笑い声をあげていた。
「この薬さえあれば裏社会は俺のモノだ!警察など……」
その時、地下室の魔導灯が明滅し、空間そのものが異様なピンク色の魔力に包まれた。
『警察など、所詮は、愚かな駒に過ぎません』
通信水晶が強制的に起動し、幾重にも加工された不気味な声が響き渡った。画面には、認識を狂わせる黒いモヤが映し出される。
「な、なんだ貴様?『見えない死神』か!?」
男爵が腰の銃を抜く。
『ええ。ゲームを挑みに来ましたの。貴方の前にあるトランク。その底には、私が密かに仕掛けた強力な魔力爆弾がセットされていますわ』
「なんだと!?」
ルミナリアのハッタリである。爆弾など存在しない。
『時間ですわ、男爵』
死神の声が、冷徹に響く。
『選択肢A。その魔薬を全て燃やし、顧客リストと裏帳簿を持って自首しなさい。そうすれば爆弾は解除して差し上げますわ』
『選択肢B。そのトランクを持って逃げなさい。三秒後に、貴方とマフィアごと、この地下室を吹き飛ばしますわ』
男爵は震え上がった。
「ま、待て!燃やす!薬は燃やすし、自首もする! だから起爆だけは待ってくれぇぇっ!」
男爵はパニックに陥り、狂ったように魔薬の山に火を放ち、裏帳簿を抱えて地下室から転がり出ていった。マフィアのボスも逃げ出した。
モニター越しにそれを見ていたルミナリアは、冷たく言い放った。
「ゲームオーバー、ですわ」
孤児院の前の広場。
バロック男爵が、涙を流しながら、裏帳簿を振り回して叫んでいた。
「私がやりましたぁぁ!誰か、誰か警察を呼んでくれぇぇっ!死神に殺されるぅぅ!!」
「おろろ?ずいぶんと景気のいい自白じゃないの、男爵サマ」
闇の中から、葉巻の煙をくゆらせながらカレル警部が現れた。
彼は「偶然、廃倉庫街から戻ってきたフリ」をしながら、最高のタイミングで登場したのだ。
「助けてくれ!俺を逮捕して牢屋に入れてくれぇっ!」
「ったく、最近の悪党は手がかからなくて助かるぜ」
カレルはニヤリと笑い、後ろから走ってきた若手刑事たちに指示を飛ばす。
「完全な現行犯だ。連行しろ!」
「警部!凄いです!なぜ男爵がここで自首すると分かったんですか!?」
「刑事の勘、ってやつさ」
こうして、ルミナリアが用意した「完全な破滅の状況」を、カレル警部が一番おいしいところで回収し、王都警察の手柄として事件は幕を閉じた。
ルミナリアの地下執務室。
「……あの警部、無能な割には運だけはいいようですわね。美味しいところだけ持っていきましたわ」
ルミナリアは不満げに鼻を鳴らす。自分が警察の裏をかいたはずが、結果的に警察の仕事を手伝ったような形になってしまったことが、少しだけ気に入らなかった。
だが、アリシアを悲しませる害虫は排除できた。それで、十分だ。
翌日。
ラプラス邸の庭園。
ルミナリアが優雅にパラソルの下で紅茶を飲んでいると、聞き慣れた野暮ったい足音が近づいてきた。
「やあ、お嬢様。良い天気ですな」
くたびれたトレンチコート姿のカレル警部だった。
「……何の用ですの、カレル警部」
「いやなに、昨夜の『見えない死神』の事件について、近隣の住民に聞き込みをしてましてね。お嬢様のところには、何か変わったことはありませんでした、かな、と」
「ええ、何も。私は眠っておりましたわ。……それにしても、警部は随分と運が良いのですね。私が聞いた噂では、死神が現れる直前、見当違いの廃倉庫に向かって走っていく『間抜けな警察官の集団』がいたとか」
ルミナリアは、カレルを挑発するように薄く笑った。
カレルは「痛いところを突かれた」という風に、大げさに頭を掻いた。
「いやあいやあ。長年の勘も、最近はポンコツになりましてね。おかげで、死神サマには随分と『働きやすい環境』を作ってしまったかもしれません」
「……」
ルミナリアの青い瞳が微かに揺らぐ。
カレルの、その、言い回し。
まるで「わざと道を開けた」と言わんばかりのニュアンス。
(まさか……私が陽動を仕掛ける前から、すべて分かっていて……?)
ルミナリアの脳内で計算が回り始める。
だが、カレルはそれ以上は追及せず、クルリと背を向けた。
「まあ、何はともあれ。王都はまた一つ、平和になりました。アリシアお嬢様も喜んでいらっしゃった。……あの『見えない死神』ってのは……案外、心優しい奴、なのかもしれませんな」
カレルは肩越しに振り返り、片目をつぶってウインクした。
「気をつけてくださいよ、お嬢様。……これ以上、『無理』をして風邪など引かれぬように」
「っ……!」
ルミナリアは、持っていたティーカップをソーサーにカチャリと音を立てて置いた。
「……ご忠告感謝いたしますわ。ですが、警察の心配など不要です」
精一杯の強がりを放つルミナリアに、カレルは手をひらひらと振りながら去っていった。
ノアが静かにルミナリアの背後に立つ。
「……あの警部、どこまで気づいているのでしょうか」
「……分かりませんわ。偶然か、それとも……」
ルミナリアは、カレルが歩いていった門の方向を見つめ、フッと小さく、しかし楽しげに微笑んだ。
「カレル・オータム。この盤面で、どこまで私についてこられるか、試してさしあげますわ」
一方、ラプラス邸の門を出たカレル警部は、新しい葉巻に火をつけながら、秋の空を見上げていた。
「お嬢様の手のひらの上で転がされる……ってのも、骨が折れるんじゃあ、ないの」




