第六話
朝のオフィス街は、足早に会社に向かうスーツ姿の人間ばかりだ。
大希はガードレールに腰掛けて、見るともなしにその人の流れを見遣る。
こうしていると、自身が世の中の流れからはみ出している存在なのだと見せつけられている心地になる。
スーツを着て、会社員として働く。
そんなことは生まれた時から有り得ない話だったけれど、もしもそんな人生を送ることが選べる身だったら、今頃この人波に紛れることができただろうか。
そういう人生を、選びたかっただろうか。
チチッ。
肩に乗ったフウが、気配を捉えたらしい。
大希は気持ちを切り替えて、人の流れの中に対象──伊藤武則の姿を探した。
昨夜、陽向と別れた後、大希は彼女に借りた伊藤の名刺を元に、すぐに分家に調査依頼をかけた。
伊藤が『そういう家系』の生まれかどうかを確認するためだ。
妖憑きの家系というものはいくつか存在する。
本家に身を置く当主や宿主ならば多少の繋がりはあるけれど、枝葉の者まで把握していない。
妖憑きでなくとも、神社や寺、祓いを生業とする家系の者ならば、陽向の周囲の小物たちが一掃されたことにも説明がつく。
そう考えてのことだったけれど、伊藤はそんな血筋に連なる者ではなかった。
疲れた顔で歩く伊藤に目をこらした大希は、微かに眉を寄せた。
彼の周りに、小物たちの姿がある。ただ、濁りはあっても、大物に巣くわれているというほどにも見えない。
──養分のひとつでしかない、か?
チッ。
チチチッ。
喰っていいかとイヅナたちが身を乗り出した。
「ダメだよ。あれはまだ喰っちゃダメ」
鵜飼いのように、何人もの人間から養分を吸い上げるタイプの妖かもしれない。
その手の妖は、繋いだ先の人間を行き来して、一番よく育った、同調しやすいと判断した人間を宿主に選ぶ。
そんなことができるのは、小さく見積もっても中級以上だ。
中級以上、それが大物の妖となればそうたびたび現れるものではない。
おそらくは、陽向を妖の領域へと誘い込んだのは、その本体の仕業に違いない。
伊藤はまだ吟味段階なのだろうか。本体の気配がない。
ここで伊藤に憑く小物たちを喰わせても、トカゲの尻尾切りのように、妖に逃げられて終わる。
九重家は人助けを生業としているわけではない。あくまでもイヅナを養うこと、それこそが命題だ。
歴代の宿主の中には、敢えて何人か取り込ませ、妖が大物に育つのを待ってから狩る者もいたらしい。そのほうが、イヅナの腹が膨れるからだ。
大希は、そういうやり方はしたくなかった。取りこぼす命は少ない方がいいし、それが人としての一線だと思っている。
だから、伊藤を見捨てていいとは思っていない。
ただ、今自分が責任を持つべき優先順位が高いのは、陽向だろうとも考えていた。
念のため、伊藤の勤務する会社の建物内にイヅナを走らせる。
やはり大学の構内と同じく、小物の姿がほとんどなく、ディギたちは不服そうに鼻を鳴らして帰ってきた。
分家筋の寄越した報告書に、もう一度目を通す。
リストにある怪異の確認されている箇所の中には、今回の妖に連なる場所も含まれているに違いない。
ここからの移動時間。そこに、陽向の行動圏内までの距離を加味して、今日この後の予定を頭の中で組み立てていく。
道路に降りて、獲物はいないかとキョロキョロとしているイヅナたちに何か喰わせる必要がある。
大希は、報告書のなかで餌場になりそうな場所に目星を付けて歩き出した。
◇ ◇ ◇
彼女を初めて見たのは、大学の中庭だった。
図書館を出た途端、派手に転んだ女の子が視界に入った。それが、陽向だ。
容姿は中の上くらい。素直でおとなしそうな子だと思ったのが、最初の印象だった。
あまりに派手に転ぶから、仲間内でも話題に上り、彼女がひとつ下の新入生だということもすぐにわかった。
声を掛けようか迷っている内に季節がひとつ進み、彼女が上級生と話す姿をたびたび目にするようになった。
「あの先輩、特定の彼女は作らないらしいぜ?」
「それ俺も聞いた。セフレを日替わりでまわしてるんだろ? 選び放題なんて羨ましい」
伊藤は同級生たちの噂話を話半分で聞きながらも、彼女も清純そうな見た目に反して、軽いつまらない女なのだろうと気に掛けるのをやめたのだ。
それが覆ったのが、大学四年の夏のことだ。
本命企業にはフラれたものの、いくつか取れた内定から一社を選び、残りの学生生活を満喫しよう。
そう考えて参加した合コンだった。
彼女が、居た。
大して飲んでいるようにも見えなかったのに、一次会が終わる頃には少しふわふわとして見えた。
二次会に行くか迷っていた彼女の友達から、送っていくと陽向を引き取った。
送っていく、つもりだった。
酔い覚ましに、そう言って連れて行ったのは何度か訪れたことがあるバーだ。
女の子ウケがよく、ソフトドリンクもある。
「もう少しくらいなら呑めそう?」
彼女が頷いたので、軽めのカクテルを勧めた。
ふんわりと笑う顔が可愛いと思った。
そんな彼女が哀しそうに目を伏せたのは、彼氏がいるか訊いた時だ。
その頃には、彼女は二杯目のカクテルを傾けていた。
「……処女って、面倒ですよね」
思い詰めたようにそう言う彼女に、つい魔が差した。
「ならさ、捨てちゃえばよくない?」
言われたこともよくわかっていないような顔の彼女に、もう一杯だけ甘い酒を勧めて、そのままホテルに連れ込んだ。
処女が面倒だなんて言う男に比べれば、自分のほうがよほどマシだ。
体から始める。そういう恋愛だってある。そう思った。
翌朝、目を覚ますと彼女の姿はなかった。
大学で見かけて声を掛けようとしても、気づくと逃げられてしまう。
どうにかチャンスを窺って話しかけた時、困ったように俯く姿に、脈はないな、と諦めた。
社会人になれば、学生とは比べものにならないほど世界が広がる。
出会いも多かったし、学生時代のそんな出来事を思い出すこともなくなっていた。
あの日。カフェで、あの男といる彼女を見るまでは。
そもそも、その日はツイていなかった。
社内コンペでは中途採用の後から入ってきた相手に負けるし、取引先からのリスケで月間の予定も大きく狂った。
お気楽な学生とは違う生活。
それなのに、彼女は未だ学生で、しかも男と楽しそうに過ごしている。
話しかけたのは、ほんの悪戯心だった。
もちろん、後から反省した。
だから、後輩から、彼女がいまだに内定ひとつ取れていないという話を聞いて、元気付けてやろうと思った。
学生だと気軽にいけないような店を予約して、社会人の余裕を見せて。
それなのに──選ばれなかった。
オマエノ親切心ガワカラナイナンテ。
その通りだ。こっちは親切で声をかけてやったのに。
ワカッテイナイノハ、アノ女ノホウダ。
そうだ。俺のほうがよほど彼女を想っている。大切にできる。
ソウダ。正シイノハ、オマエダ。
そう、正しいのハ。俺ノほうダ──。




