第五話
ちぐはぐしている。
大希はそう考えながら、陽向の利用する駅の改札口を見下ろしていた。
駅の二階のカフェ。ガラス越しに改札を見下ろせる座席から、一昨日────陽向が妖の領域へと引き込まれた日も、ここで人波を見ていた。
駅の周辺でイヅナを走らせたついでに、休憩がてら陽向の様子を見届けてから帰ろう。その程度のつもりだった。
様子のおかしかった彼女の姿に、急いで店内から駆け出して事なきを得たものの、以来いつ陽向が自分の目の届かないところでそんな事態に陥るかと気が気ではない。
陽向に、近づくべきではない。わかっている。
けれど、陽向が小物を以前よりも寄せやすくなった要因のひとつが恐らくは大希の責任である以上、放っておくべきはない。そのくらいの責任はとるべきだ。
冷めた珈琲に口をつけて、時刻を確認する。20時をまわった。
陽向がまだ自宅に帰っていないことはスイに見てこさせたけれど、大丈夫だろうかと心配になる。
その気になればイヅナたちを放って彼女の所在を確認させることも出来ないことではないけれど、宿主である大希から遠く離れて動けば動くほど、イヅナの消耗は激しく、力も弱まる。
まだ、その時ではない。
大希は自身に言い聞かせるようして、苦みの増した珈琲を飲み込んだ。
首都圏内で大物の妖が確認されれば九重本家に連絡がいくし、そうなれば必ず大希に報せがくる。
人を位相の妖領域に引き込めるなど、どう考えても中級以上、大物の妖に限りなく近い。
陽向は本当にギリギリ危うかったのだ。
それなのに、と思う。
陽向に憑く小物たちは、数こそ多いが不穏な気配がないままだった。
普通なら、小物たちが大物の意志を受けて黒い淀みとなり、彼女を絡め取ろうとしていてもおかしくない段階のはずだ。
彼女の周囲で起きていた怪異にしても、かなり大きく見積もっても中級に毛の生えた程度の障りに過ぎない。
──陽向がターゲットではない?
妖自身が欲しがっているのでなく、妖がターゲットにしている人間が彼女を狙っている。
それなら辻褄が合いそうだが、陽向が危険なことにかわりはない。
チチッ
大希よりも先に、イヅナが気配で彼女を捉えたらしい。
遠目に様子を見て、家までイヅナたちに送らせよう。
そう考えていたはずの大希は、改札を出てきた陽向の姿に目を見張り、すぐに店を飛び出した。
「渋沢さんっ」
「あ、九重先輩。こんばんは」
駅を出ようとする陽向を呼び止めると、少し疲れた顔の彼女が丁寧に頭を下げた。
大希は確認するように、陽向の周囲に目をこらす。
やはり、いない。小物が一掃されている。
「もしかして、心配して見に来てくれてましたか?」
「まあ、……うん」
「そうだったんですね。お待たせしちゃってすみません」
待ち合わせていたわけでもないのに、陽向は申し訳なさそうに再び大希に頭を下げた。
「いや……それはいいんだけど」
「ちゃんと持ってますよ、これ。効果バッチリです!」
小瓶を取り出して微笑む陽向に、虚勢の気配はない。
──どういうことだ?
陽向に渡した妖除けの塩は、実は小物には大した効力を発揮しない。小物にまで反応していては、すぐに使い物にならなくなるからだ。
先日のような事態、陽向自身を直接害せるほどの妖が仕掛けてきた時に、弱いものなら弾くし、大物相手なら時間稼ぎくらいできる。そのために渡したものだ。
だから、今、陽向の周りに小物ひとついないことの意味がわからない。
「渋沢さん、お祓いに行ったとか、そういう人に会ったとか、何か変わったことはあった?」
「お祓い、ですか?……あ、行ったほうがいいですか?」
「いや、そうじゃなくて。行ったり、会ったりしてない?」
困惑する大希を不思議そうに見つめた陽向は、はい、と頷いた。
──取り込まれたか?
小物たちが、何か他の大きな妖に喰われたか、吸い寄せられたか。
しかも、無作為ではない。
中級以上の妖が養分を無作為に集めれば、力の弱い小物はすぐに吸い寄せられる。
けれど、依代に根を張った小物なら話は別だ。
今、陽向の周りの小物がひとつ残らず一掃されているということは、彼女の周りに狙いを定めて直接喰った、つまりは陽向に接触した可能性が限りなく高い。
偶然だろうか。
そんなはずはない。
むしろ、その場で陽向自身に害がなかったのが、僥倖だっただけだろう。
「こんなこと訊いて申し訳ないんだけど、一昨日、あの後から今まで、どこに行って誰と会ったか、差し支えない範囲でいいから教えてもらえる?」
ぱちりと瞬きした陽向は、はい、と口を開く。
一昨日帰ったあとはそのまま家にいたこと、昨日と今日は大学に行ったことを順に話し出す。
もう内定式が始まっている時期だから、募集自体少なくて面接にも行けていないんです、と眉を下げた陽向は「あとは今日、卒業した大学の先輩に会いました」と続けた。
「先輩?」
「はい、伊藤先輩……一個上で……」
なぜか言い淀んだ陽向は、気まずそうに言葉を続けた。
「こないだ、……その、カフェで、九重先輩といた時に会った先輩です」
あの男か、と苛ついた気持と共に思い返す。
陽向の肩の横に浮いたディギが、ヂッ!と声をあげて毛を逆立てるのを目にした大希は、ゆっくりと息を吸って、自身を宥めるように細く吐き出した。
「今日遅かったのは、それ?」
あの時の陽向の様子を考えれば、その男と会っていたのが意外だった。
陽向には、おそらく今、特別な関係の相手はいない。
見聞きした言動の範囲で、大希はそう判断していた。
付き合っている人はいるの? なんて訊けるはずがない。訊く必要もなかった。
強いて言うなら、もしもそういう相手がいるならば、大希がこうして陽向を待ち伏せるようにして話しかけるのは、不快に感じるだろうと心配する。それだけだ。
「はい。一昨日の夜、メールがきて。私がまだ内定取れてないって知って、心配してくれたみたいで」
「それで、今日会ってきたの?」
「……はい。ご飯を食べながら話そうって。伊藤先輩が勤めている会社に、紹介できるかもって」
「それで?」
先を促す声が、知らず低くなる。
陽向のひとつ上ということは、まだ会社の中でも新人にすぎない。
そんな新人が、未だに内定ひとつ取れていない後輩を勤め先に紹介するなんて本気で考えているとしたら、よほど空気が読めないか、馬鹿としか言い様がない。
「それで、ご飯を食べたんですけど……もっと静かなところでじっくり話そうって言われて、お断りしちゃいました」
殊更に明るい声音で言われるが、大希は胃に鉛を落とされたような心地がした。
「あ、ご飯食べたの、ちょっと高そうなお店でした。コースのデザートがおいしかったです」
そう付け足した陽向は一瞬目を伏せたあと、以上です、と微笑んだ。
高めの店でコース料理を振る舞う。
食事の後に、静かなところでじっくりと、などと誘う。
男が陽向をどう扱おうとしたかなど、考えるまでもない。
カフェでの物言いと合わせて考えれば、彼女に執着を向けているのは間違いなさそうだ。
「その先輩とは、卒業後もよく会ってたの?」
「いえ、九重先輩と同じですよ。あのカフェで会ったのが卒業以来で」
「……そうなんだ」
再会が引き金になったのか。
「大丈夫そうですか?」
「ああ、うん。大丈夫。わかった。……引き留めてごめん。遅いし、マンションの前まで送ってくよ」
「ありがとうございます」
陽向を促してゆっくりと歩き出した大希は、道すがら、『伊藤先輩』について少しずつ聞き出し、その名刺を借り受けた。
本当は、名刺をスマホで撮らせてもらうだけでもよかった。
でも──彼女の家に、それを持ち帰らせるのは、なんとなく避けたかった。
受け取った名刺を握ってしまわないように、大希はすぐにクリアケースに挟み込んだ。




