第三話
陽向と再会してから一週間が過ぎた。
夏に留まりたがる季節はようやく少し進み、風がだいぶ涼やかになった。
陽向からは一度も連絡がない。
おかしな事が起きていないのならば何よりだが、遠慮や気まずさが先立ってはいないかと心配にもなる。
大希はあの日会えなかった依頼人と待ち合わせるべく、カフェを訪れていた。
奇しくも先週と同じ席へと案内されて、少し複雑な気持ちになったのは一時間ほど前のこと。
不安げな顔でやって来た依頼人の女性は、確かに僅かばかりの小物に纏わり付かれてはいたものの、陽向に比べれば可愛いものだった。
呪詛がらみと聞いてはいたが、依頼したという呪詛が成立した形跡はなく、わかったのは、彼女がどうやら霊感詐欺に大枚をはたいたらしいことだけだった。怪異の痕跡すらない。
少しはイヅナたちに食べごたえのあるものを喰わせることができると期待していた大希にとって、とんだ肩すかしだった。
店を出て、依頼人を見送った大希は、着歴ひとつないスマホを見つめて少しだけ迷う。
念のため大学に足を運び、イヅナたちを走らせてみるか。
チチッ!
「九重先輩?」
イヅナの声と陽向の声が聞こえたのは、同時のことだった。
顔をあげると、リクルートスーツ姿の陽向が目を丸くしてこちらを見ていた。
紺色のタイトスカートからのぞく膝の白い大きなガーゼが痛々しい。軽い擦り傷というレベルではなさそうだ。
「最近よく会いますね」
陽向の周りには、先日よりもやや多く小物たちが漂っている。
ふいに目の前に置かれたおやつに、呼んでもいないのに具現化したイヅナたちが、大希の顔の近くに浮いていた。
早く喰わせろと言わんばかりにちらちらと視線を送って寄越し、大希のサインを待っている。
「……いいよ」
嬉々として食事を始めたイヅナたちを尻目に、「はい?」と陽向が小首を傾げた。
「いや……そのケガ、どうしたの?」
「あー……これはですね、昨日ちょっと階段で転んじゃいまして」
眉を下げた陽向は、前髪をさわりながら、恥ずかしそうに笑った。
「この程度で済んでラッキーでした」
「ラッキーって……」
「ただ、それで面接どころじゃなくなっちゃって。就職支援の方に紹介してもらった先だったので、お詫びしてきたところです」
9月もいよいよ最終週だ。この段階で内定がないとなれば崖っぷちもいいところで、就職支援も気が気でないのは確かだろう。
それにしても。
「……なにかあれば連絡してって言ったのに」
膝に視線をやって言うと、陽向も自身の膝に視線を落とし、再び大希を見て小首を傾げた。
「転んでケガをしましたって、報告するんです? それは……変じゃないですか?」
「それは、そうなんだけど」
ぐうの音も出ない。
これだけの小物に纏わり付かれていれば、見える側の人間なら真っ先に障りを疑う。
しかし、見えない人間からすれば、ツイてなかった、で片付けられてしまう。
「護りがいるか……」
独りごちた大希の言葉に、陽向が小さく息を呑んだ。
そうして、さも申し訳なさそうに口を開く。
「先輩、私、壷やお守りを買うほどお金なくて。お役に立てなくてすみません」
「そういうんじゃないからっ」
すかさず否定はしてみても、陽向の中で『怪異清掃』は宗教カテゴリーに分類されており、霊感商法を連想するのももっともではあった。
そのうえ、陽向は先週友達にお守りを売りつけられそうになったばかりだ。
大希は言葉を選びながら口を開いた。
「後輩からお金をとろうなんて思ってないから。とりあえず、そこは安心して」
「ボランティア……的な?」
「……まあ、そんな感じ」
依頼なら、金を貰う。先ほどの依頼人からもだ。
怪異清掃は、イヅナを養う為の稼業であると同時に大希の収入源のひとつだし、相応の危険を冒すのだから当然の報酬だとも思っている。
それでも、少なくともこちらからそれを持ちかけるようなことはしないし、ましてや陽向から金を取れるはずがない。
「帰るところ?」
「はい。このあと面接のはずだったんですけど、担当の方の都合がつかなくなっちゃったそうで」
仮にも企業の、しかも新卒の面接で、担当の都合がつかなくなる。そんなこと、あるだろうか。
もしも、それが障りだとしたら。
陽向自身への関与を超えて、面接先の人間に作用するほどとなれば、それなりの妖の可能性もある。
ただ、それにしては、彼女の周りの小物たちは不穏な気配が薄すぎる。
──どういうことだ?
「僕も帰るところなんだ。よかったら送ってく」
「あ、……はい。じゃあ、途中まで一緒に帰りましょう」
陽向は、捻挫はしていないと言うが、ひょこひょこと痛そうに歩く。見かねてバッグを持ってやるとやたら重かった。
訊けば、面接予定の会社の資料や手帳が入っているという。スマホにデータを送ればいいのに、と言えば、就職関連のデータに限って、なぜかうまく送れないのだ眉を下げた。
道すがら、訊けばそんな話が次々と出てきた。
状況と合わせて鑑みれば、やはり妖の影響の可能性が高いのではと思えてくる。
──よくこれまで無事だったな
もっとも、内定が取れていないのだから無事ではないのだ。
大希は内心重いため息をつきながら、ゆっくりと陽向のペースに合わせて歩いた。
「降りてもらっちゃってすみません」
「それはいいけど、家まで送らなくて大丈夫そう?」
本屋に寄るから。
そんな理由をつけて陽向と一緒に改札を出た大希が陽向に尋ねると、大丈夫です、と笑みが返る。
ふと視線を感じて振り返る。
せわしく行き交う人々がいるばかりで、イヅナたちも異変を知らせてはこない。
「先輩?」
「いや、……気をつけて。何かあったら、連絡して」
「転んだくらいじゃ連絡しないです」
くすくすと笑う陽向のつむじを見下ろしながら、危機感がないな、と思う。
怯えて暮らすよりいいに決まってはいるものの、大丈夫だろうか。
けれど、今の彼女に妖の話をしたところで、いよいよあやしい商法かと警戒心を煽る結果にしかならないだろう。
「ホントに、気をつけて」
「はい。送ってくださってありがとうございました。失礼します」
ぺこりと頭を下げた陽向が、ひょこひょこと歩き出す。
その背を見送っていると、ディギが大希の耳朶を甘噛みした。
イヅナに送らせようと思った大希の思考をいち早く読み、先だけ朱色の尾をゆらゆらと揺らして、自分が行くのだとのアピールしてくる。
「……お前はダメ。スイ、狩りながら家まで送ってきて」
チッ
短く鳴いたスイが、ゆっくりと陽向の後を追う。護りはスイの得意とするところだ。
道すがら、それから自宅にも、異変がないなら急を要する話でもない。
それを確かめさせるにも、スイをつけるのが最適解だろう。
ほんの一瞬、大希も距離をあけて付いていくか迷った。
──それじゃストーカーだろ
自身の思考を苦笑と共に打ち消しながら、スイを待つ間、駅前を散策する。
ディギが不服を訴えるように大希の頬に鼻先を押しつけてくるのを軽くいなす。
ふと視線をめぐらせると、小さなケーキ屋が目に入った。
ウィンドウには、昔ながらのコッペパンや小振りのケーキが並んでいる。
『モンブランがびっくりするくらいおいしいんです!』
いつか図書館で、陽向が話していたケーキ屋だろうか。
駅前だから、疲れているとつい吸い寄せられて買ってしまうんです、と苦笑していた姿が思い出される。
大希は感傷を振り払うように、視線を剥がして、駅の周辺を注意深く見る。
やはり、小物が少ない。特別清浄な空気に包まれている場所でないにも関わらず、だ。
十五分も経たずに戻ってきたスイに確認すれば、やはり同様の状況だったらしい。
就職活動などしていれば、互いを蹴落とし合う念や、焦燥、落胆など負の感情にまみれた場所に身を置くことも自然と多くなるだろう。
そういう場所で、陽向が小物たちを多く寄せてしまうことは、充分に考えられる。
でも、それは、大学や陽向の通学経路に漂う小物が少なくなる理由にはならない。
──調査、してみるか
大希は、九重家の調査を担う分家に依頼をすべく、スマートフォンを取り出した。




