表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
私を遠ざけた先輩は、妖を狩る人でした—IZUNA あの恋のつづきの話—  作者: 稀葉
第二部 ガラス一枚の向こう側

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/12

第二部ー2話

 ゴールデンウィークが明けても出勤しない人がいたのは気づいていたけれど、そのまま辞めてしまうとは思わなかった。

 五月病。

 心が弱いのだ、辞めるなんてどれだけ人に迷惑がかかるかわかっていない人間なのだと課長が話していたのは、一昨日の朝礼でのこと。


 ふざけんな。

 

 誰かの呟きは、辞めた人に向けられたものか、それとも課長に対してだったかは陽向にはわからない。ただ、周囲にはその呟きを咎める者は誰もおらず、柏もただため息をついていた。

 人が減っても仕事は減らない。しわ寄せは新入社員の陽向にまで及び、週の後半は残業はもちろんのこと、昼休みすらまともに取れない忙しさとなった。


 おかげで、土曜日の今日は、起きたら既に昼近くだった。

 今日のところはゆっくりしたいところだけれど、残念なことに冷蔵庫の中身が心許ない。

 のんびりするのは明日にまわして、スーパーに買い出しに行こう。

 ついでにちょっと高いプリンも買おうと自身を励まし、マイバッグを手に外に出た。

 

 スーパーまでは歩いて10分ほどの距離だ。

 舞うような霧雨の中、最後の春休みに買ったクラゲプリントの傘を差して歩くと少し気分も上向く気がした。


 チチッ!

 

 声のしたほうに首を巡らせると、ブロック塀の上で、白いフェレットのような生き物がこちらを見下ろしている。


「え……」

 

 野生には見えない。被毛は室内飼いとしか思えないほどに真っ白だ。

 なにより長い尾の先は朱色に染められており、いつか見たトリミングでカラーリングされたプードルを彷彿とさせた。

 

 驚かせないように、ゆっくりと歩み寄る。

 

 チチッ。チチチ。

 

 ブロック塀をひょいと飛び降りたフェレットは、陽向の足下まで来ると、こちらを見上げたまま周囲をくるりと一周する。


 迷子だろうか。

 

 寄ってくるくらいだから触れるかもしれないと手を伸ばすと、するりと距離を取ってこちらを見上げてくる。

 

 チチッ、チチチッ!

 

 こっちに来いとでも言いたげに鳴くフェレットは、固まったまま動かない陽向の足下に戻ってくると、再び陽向の足下をくるりと回る。

 

 霧雨とはいえ、この小さな生き物が雨に濡れてしまえば風邪をひきそうだ。

 なにより、車に轢かれる危険もある。

 逃げずにくり返し寄ってくるのだから、どうにか捕まえることくらいはできるかもしれない。そうしたら、交番に連れて行って、飼い主を探して貰おう。

 

「おいで」

 

 陽向がしゃがんで手を差し伸べると、フェレットはすぐ近くまでやってくる。

 けれど、触れようとするとするりと逃げてしまう。

 先ほどよりも少し離れたところで、焦れたようにヂヂッ!っと不機嫌な声をあげる小さな生き物へと足を向ける。

 

 チチッ。

 

 まるで、少しのんびりとした鬼ごっこのようだ、と思う。

 先導するように、誘うように、フェレットは時折陽向の足下へとやってきてはまた離れていく。

 前を歩くフェレットが十字路を横切る時には、車が通り過ぎてヒヤリとした。

 早足でそこまで行くと、けろりとした顔で黒い双眸がこちらを見ている。

 

 濡れて冷えないだろうか。

 いっそ餌になりそうなもので釣ってみようか。

 でも、残念ながらまだマイバッグの中身は空っぽだ。


 そんなことを思いながら、気づけばずいぶんと歩いていた。


 アパートの敷地にするりと入っていくフェレットを追って、陽向もそこに足を踏み入れる。

 二階建ての建物だった。

 ハイツバンビ。そんな可愛らしい名前のそこには、郵便受けが八個ほど並んでいる。


「よそのおうちに入っちゃダメですよ!」

 

 陽向はそう言いながら前を歩くフェレットを、歩調を早めて追っていく。

 

 チチッ!

 

 一階の手前から二番目の部屋──102号室の前で、行儀良く座ったその生き物は、先が朱色の尾をふわりと一振りする。

 そうして、陽向が追い付いてくるのを見計らってでもいたように、ドアをカリカリと引っ掻きだした。

 

「……もしかして、ここんちの子なんです?」

 

 チチッ!

 

 まるで返事をするように声をあげたフェレットは、相変わらずカリカリとドアを引っ掻く。

 インターフォンを押してみようか。

 違ったらどうしよう?──その時は謝ればいいか。

 

 陽向が思い切ってインターフォンを押すと、フェレットはドアをカリカリとかくのをやめて、行儀良くお座りする。

 ふわりふわりと尾を揺らし、ドアが開くのを待っていた。

 

「ディギっ! おまえマジふざけんなっ」

 

 荒い声と共にドアが開かれ、陽向は息をのんだ。

 

「えっ!?」

 

 足下の生き物に視線をやった大希の目がこちらに向けられる。

 予想外だったのだろう。軽く見開かれた目と目が合った後、ドアがぱたりと閉ざされる。

 そうしてすぐに、もう一度、そっとドアが開かれた。

 

「渋沢、さん?」

 

「こ、んにちは……」

 

 大希はTシャツに短パンといういかにも部屋着という姿だった。

 寝癖のついた髪は、たった今まで寝ていました、という様子だし、なにより真っ赤な顔をして声がガラガラにざらついていた。

 

 チチッ♪

 

 ドアの隙間から、するりとフェレットが入っていく。


「あっ……、えっと……あの子、先輩んちの子で、あってます、か?」

 

 尋ねた途端大きく見開かれた目は、すぐに室内に向けられた。

 

「ディギッ! おま……ゲホッ、ゴホッ……」

 

「先輩、風邪、ですかね。あ、スポーツドリンクとか、なんか買って来ます?」

 

 咳こむ大希は熱のせいか目が潤んで見える。随分とつらそうだ。


「えーと……突然すみません。フェレットが迷子になってて、それで掴まえようとしたんですけど……なんというか、先輩んちの子であってたならよかったです」

 

「……うん」

 

「で、えーと、私、先輩に……そう、ちょうど先輩に連絡しようと思ってたんです! なので、お話しの前に、よかったらスポーツドリンクとか買い出ししてきます!」

 

 連絡しようと思っていたのは嘘ではない。そう言い聞かせて、迷惑かもしれないという思考をどうにかぎゅうぎゅうと脇に追いやる。

 ひとり暮らしで風邪をひいてしまうのは、心細いということを陽向はよく知っていた。

 薬はあるだろうか。食べる物はあるだろうか。そもそもちゃんと食べられているだろうか。

 心配が先だって「ちょっとだけお邪魔してもいいですか?」といつもの陽向ならば言えないような言葉が口をついた。

 

「……どうぞ」

 

 入れて貰った部屋の中。

 冷蔵庫と台所の様子に、陽向は呆然とした。

 何も、ない。

 シンクの下に入っているのは、プロテインや固形栄養バー。それからインスタントラーメンが少々。

 ガス台には片手鍋がひとつだけ。棚には塩とマグカップや丼が置かれていた。

 辛うじて包丁とまな板はあるけれど、フライパンもフライ返しも見当たらない。もうこれだけで日頃の食生活がわかる気がした。

 許可を取って開けた冷蔵庫には、水と醤油。コンビニで買ったらしい生野菜サラダのパックが、ぎりぎり野菜は食べていますと主張している。

 

「先輩。私、ちょっと買い物に行ってきます。何か欲しいものありますか?」

 

「ネットスーパーもあるし、いいよ。大丈夫」

 

「いいえ。私買ってきます。それまで寝ててください」

 

「いや、本当に。そういうの、め……っ」

 

「……め?」


 口を開いた大希は、いや、うん、と何かを飲み込んだ後に、じゃあゼリー飲料お願いしていいかな、と掠れた声で発した。

 

「了解です! とりあえずあたたかくして寝ててください。すぐ戻ります!」

 

 却下されなかったことに安堵した陽向は、大希の気が変わらないうちにと急いで玄関へと向かった。


 ドアの外に出た陽向は、しゃがみこみそうになるほどに息を吐いた。

 大希のプライベートに踏み込んでしまっている。自覚はあった。

 大希が飲み込んだ、その言葉もわかっている。

 どうせ、今更これ以上嫌われようもないし、なにより、病人を放っておけるはずがない。

 陽向はスマホで現在地を確認すると、一番近いスーパーとドラッグストアを調べて歩き出した。


 その背後に、白い尾を揺らしたイヅナがついて来ていたことに、陽向が気づくはずもなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ