Despair 7 神剣のある神殿から
人通りのない森の小道を抜け、リーフレット達は神殿の姿をその視界に捉えた。
明らかに切り開かれたと思われる広場に、ただ白い神殿のみがポツンと建っている。
先日見学した大神殿のような規模ではないが、本殿に左右の棟が繋がる三連式の建物で、ベルフライン神公国の首都にあってもおかしくはない神殿だった。
そして、その中央から放たれる神気とも感じ取れる荘厳な気配。観光地だった大神殿とは明らかに違う、自然と身が引き締まる感覚。
リーフレットが固唾を呑む隣で、ミノアは重圧をまるで感じていないのか、のほほんとした笑みを浮かべ、辺りを見回す。
「警備の人、誰もいないんだね」
確かに警備どころか人っ子一人いない。神剣が納められている神殿にも関わらず、神官の姿すらないのだ。これがタックスの言っていた「厳重じゃない」の答えなのだろう。
「警備してねぇんじゃねぇ、出来ねぇんだよ」
「惹かれるから?」
「そういうこった。心の闇なんざ、どんな高潔な奴だって多少は持ってる。ハーヴェルの神剣はそんな闇すらも引きずり込んじまう。効果範囲も千差万別、人によって変わる。遠巻きにすら常駐できねぇのさ」
自分に耐性があるからだろうか、リーフレットは未だ惹かれる感じを受けていなかった。しかし、タックスの顔に余裕の色はない。
「神殿に近づくことすら出来ねぇんだからな。もう限界だって上層部でも賢い連中はとっくに気づいてる。けどよ、それでも表だっては動けねぇ。ルアリスの封呪能力者様を頼るってことは、自分らが主神と崇めるハーヴェルよりも、神約を司るクライシアが上位だって認めるようなもんだからな」
「大丈夫ですか? もしかして、もう惹かれてたりします?」
小さな声で聞くリーフレットに、タックスは苦虫を噛み潰したような顔を見せる。
「やめたタバコに火をつけたくてたまらねぇぐらいには惹かれてるな。これ以上は、正直付き合える気がしねぇ……ってか、嬢ちゃんは何で平気なんだ?」
「私? 私はだって、これ持ってるし」
そう言って、ミノアは空の鞘をポンポンと叩いた。
「なるほど、鞘があれば耐性がなくても惹かれなくなるのか」
「あ、それならこの鞘はおっちゃんが持ってなよ。貸したげる」
「おいおい、それ渡しちまったら、今度は嬢ちゃんが惹かれるだろうがよ」
「んー、多分大丈夫かな。似たようなの持ってるし。それに、私は……」
言いかけて一度言葉を切ると、ミノアは不敵に笑う。
「心に闇を持たない女だからっ」
絶対に嘘だ。リーフレットには分かった。ミノアが神剣に惹かれないと考える真相は、今朝ミノアが話してくれた感情の封印と封緘孔のブレスレットにあるのだろう。心の闇どころか、心そのものが封印された状態で、封緘孔の笑顔でのみ心を引き出せている状況だ。コントロールする術があるとみた。
タックスは何か言いかけたが、それよりも先にミノアが鞘を投げ渡す。
「うん、やっぱり大丈夫。おっちゃんはどう? まだ惹かれてる?」
「いや、ずいぶんマシになった。完全じゃねぇが、これなら耐えられる」
「じゃ、みんなで行きましょうぜぃ。ベルフラインと話がついてるなら、ちゃちゃっと回収して終了じゃん」
男性陣二人の緊張を感じ取ったのか、わざと言葉を崩してミノアは歩き出した。
本殿の作りは大神殿の本殿とそっくりだった。おそらくこちらが正式なもので、大神殿の方がここを模して造られたのだろう。
となると上に……と、思いつつリーフレットは天井を見上げた。
想像通り、大神殿と同じ様式でぶら下げられていた一本の剣。大神殿の偽神剣が派手だったのはこの剣があまりもシンプルな作りだったからだろうか。しかし、そのシンプルさからは想像できないほどの圧力を感じる。その神剣からは一筋の光が床に向かって放たれている。
「……あぁ、これは、マズい」
ちょっと侮っていたかもしれない。耐性があるから大丈夫だと、神剣の力を軽く見ていた。実物を見た瞬間、片時も目が離せなくなる。欲しい、あの剣を手に取り、思う存分闇を切り裂く。もっと近くに、あの剣が呼んでいる。自分こそがあの剣を振るうにふさわしい。誰よりも早く奪わなければならない。これは神剣に惹かれているのだと、頭では分かっていても抗えない。
一歩、一歩、おぼつかない足取りで神剣の下へと近づくリーフレット。その後ろから手を回し、ミノアがぎゅっと抱きついてきた。
「ダメだよ、リフ。私以外に目を奪われるなんて許さないんだから」
どこまでも優しく語りかけてくるミノアの声。後ろからリーフレットを抱きしめたミノアは、自分の腕にあるブレスレットをリーフレットの心臓に押しつけた。
その瞬間、全ての呪縛から解き放たれる。
「……ごめん、油断した。もう大丈夫だから」
「ううん、また惹かれるかもしれないから、しばらくこうしててあげる」
ニマニマ笑いながら、ぎゅっと両腕に力を込めるミノア。
「お熱いのは結構だが、その円陣には触れるなよ」
タックスの言葉に、リーフレットは床を見た。ぶら下がった神剣の真下に丸いす一つ分ぐらいの円陣が描かれている。そこに向かって神剣から放たれている光。
「ハーヴェルの神像をあえて光の届かない地下に設置して、神剣が生み出した強烈な光を全て吸い込む呪詛として使ってやがるんだ。一応、神剣が無尽蔵に光を膨張させるのを防ぐ機構ってことらしいが、神剣に引き寄せられた人間がその間に立ったらどうなるか、想像ぐらいはつくだろ?」
「天然のトラップだね」
興味津々のミノアに、リーフレットは首をかしげて答えた。
「……天然かな? 思いっきり人工だと思うけど」
「はっ、どっちにしろすこぶる質の悪い罠ってこった。ハーヴェン教だとか偉そうなこと言ってやがるが、自分らが崇める神像を呪いの媒介にしてる時点で底が知れるってもんよ」
よっぽど鬱憤が溜まっていたのだろうか、タックスの言葉は辛辣だった。
「で、どうします? 肩車しても届きそうにありませんけど」
蜘蛛の糸のような細い糸に幾重にも絡め取られ、高さは二階の天井近くにある神剣。糸自体は天井の近くからや、リーフレット達にも手が届くほど低い壁からも滑車の要領で神剣に向けて繋がっているが、よじ登れるほど太いものではない。
試しに引っ張ってみると、簡単にちぎれる。やはり強度はないようだ。
「今日は下見のつもりだ。後日、はしごを作って……」
「粘つかず切れるなら、これでいいんじゃない?」
ミノアはサイドポーチから切っ先の鋭いハサミを取り出した。
「じゃーん、こんなこともあろうかとティガロで買っておいたの。ものすっごくよく切れるハサミなんだよ。これで、こーチョキチョキと……」
言いながら、リーフレットを連れて本殿の壁沿いを歩いて回るミノア。
低位置にある糸ばかりを切っていくが、元々ギリギリ支えられていたのか、神剣は糸を切るたびに自重で少しずつ下がってくる。
「おいっ、嬢ちゃん、ちょっと待て。様子が変だ」
リーフレット達は知らなかった。何故、神剣が天井近くに括られていたのか。床に近づくとどうなるのか。地下に仕掛けられた呪詛の許容量をオーバーするとどうなるのか。その結果はすぐに判明する。
神剣の下降と共に強まる光。神剣から発せられる光が強まるほど床の円陣からはみ出した光が床を反射して辺りの壁や天井を照らす。その一つが収束した瞬間、糸の一本に引火した。ミノアがポツリと呟く。
「あっ、可燃性?」
突然の事態にリーフレットとタックスが唖然としていると、瞬く間に燃え広がった炎は神剣と本殿の天井をなめ尽くし、神剣が自重によってさらに落ちかける。
「おいおいっ。嬢ちゃん、どうすんだよっ」
「どうするって、決まってるでしょ? 鞘を用意しないと。そろそろ落ちてくるよ?」
動じることなく達観した笑顔で神剣を指さすミノア。
「ちっ、簡単に言ってくれるっ」
ぼやきながらも、タックスは落ちてきた神剣に触れることなく、器用に鞘の位置を調節して神剣を鞘のホールだけで受け止める。
「ミノア、もしかしてこうなるって知ってた?」
うまく受け止められるのを見ながら、リーフレットはミノアを窘めた。
「ハーヴェルの神殿が焼け落ちるのは知ってたけど、まさか、ハサミで切って燃えるとは思ってなかったよ? ホントだよ?」
燃えるのは知ってたのかよ。と、リーフレットが半眼になっていると、タックスが戻ってきた。
「お前ら、とっととここを出るぞっ。火の勢いが収まらねぇっ、屋根が燃え落ちるのも時間の問題だっ」
「あ、ホントだ。蜘蛛の糸って意外とよく燃えるんだね。じゃ、逃げようか」
食堂で席を立つかのような気軽さで言い放ち、ミノアはリーフレットをグイグイ引っ張って本殿を出た。
「で、おっちゃん、神剣の方は大丈夫? 持ってても平気そう?」
「ああ、問題ねぇよ。収められる前より圧迫感が無くなった」
「さっすがファリシアちゃん。いい仕事するね」
「で、ミノア、君はいつまでくっついているつもり?」
「んー、もうちょっと。ここで手を離すと、なんか負ける気がするの」
君は一体何と戦っているんだ?
溜息をつきつつも、抱きつかれて悪い気はしないリーフレットは、そのままミノアの気が済むまで抱きつかれていた。
火の勢いが収まるのを待ち、タックスが神殿をぐるりと一周してくる。
「延焼はなさそうだが、神殿はこんがりだぞ。これがバレたら俺らは放火犯としてお尋ね者だ」
「神剣を盗み出してる時点で重罪犯だから今更だよね?」
「そりゃまあそうだが、協力してくれている一派には話を通さなきゃならねぇ。口裏を合わせとくぞ。あの炎はトラップの一つだった。神剣を解き放つと自動で燃え上がる仕様だった。いいな?」
「了解っ」
元気よく一言で済ませるミノアと対照的に、リーフレットは首をかしげた。
「ほぼ事実そのままなんじゃ? 過失かトラップかの違いで」
「それが大事なんだろうが。俺らには防ぎようのない罠だったんだ。いいか、そういうことだからな。すぐにここを離れるぞ。煙が隣村の連中に見られているかもしれねぇ。一気に拠点まで戻る、行けるか?」
神剣を背中に背負いながら尋ねるタックスに、ミノアが自信に満ちた笑みで答えた。
「余裕っすよ?」
「ミノアはそうだろうけど、僕は全力疾走なんだけど?」
「日が暮れるまでには着きそうだね」
「確定っすか」
リーフレットの呟きを、ミノアはニコニコ顔で黙殺した。




