Despair 5 療養所の裏庭から
国立セレノミア研究所ベルフライン第三支部所属、リベル療養所。
セレノミア研究所はルアリースが四つに分かたれるよりも古くからある研究所だ。国立となってはいるが、いずれかの国に属しているわけではなく、大陸中に医療関係のネットワークを持っている独立機関だった。
今回、リーレット達がこの療養所を拠点として使えるのは、北隣のルアリス王国だけでなくこのセレノミア研究所からの依頼でもあったからだ。
「ちょっと早かったかな……」
リベル療養所のベットを借り一夜を過ごしたリーフレットは、診療所の前でミノアと待ち合わせ、門番Gの到着を待つ予定だった。
診療所の中、受付と待合室には朝早くから診察を受けに来た人たちがいるので待つのに適していなかったのだ。外にも、溢れた待ち人用のベンチがあるため、長時間待つにも今の季節なら困らない。
しかし、リーフレットはベンチに座って待つことはなく、ふらりと診療所の裏手に回った。昨日、施設の職員に案内されたとき、裏庭が菜園だったのを見かけていたのだ。
ちょっとした見学、暇つぶしのつもりで訪れたリーフレットだったが、朝早くにも関わらず先客がいた。
藍髪の女性だ。歳は二十代半ばだろうか、貴族の装いではないが、菜園に立つには似つかわしくない気品のある出で立ち。
大店の令嬢か、高官の令嬢。気軽に接してはいけない雰囲気がある。療養所の職員だろうか?
リーフレットの足音に気づいたのか、令嬢が振り向く。無表情。なのに、何故か怒られているような気になった。
「……あ、あの」
呼び掛けようとしたリーフレットの声を遮り、無表情な令嬢は唐突に口を開いた。
「私はまだ十代です。そして、料理が得意です」
「……は? 何の話?」
確かに今、二十代半ばを想像しかけたけど……心を読まれてないよね?
「いえ、何でもありません。宣言しておかないといけないような気がしただけです」
「そ、そう。料理が得意っていいね」
社交辞令のつもりで軽く応えたリーフレットに、無表情な令嬢は小さく頷いた。
「ではいつか、あなたに私の料理をごちそうしましょう。あまりの美味しさに噎び泣くことを保証します」
凄まじい自信だった。って、何で初対面の女性に料理をご馳走してもらう約束してるんだ?
「いや、それは遠慮しておくよ」
「私の料理など食べるに値しないと?」
「いや、いやいやいや。そうじゃないけど、今初めて会った人に料理をご馳走してもらうっておかしくない?」
「私は気にしません。それとも、私が元カノですとでも名乗れば、料理を食べてもらえるのでしょうか?」
なぜに元カノ?
そこまでして食べさせたい料理って何っ? いけない、完全に彼女のペースに呑まれてる気がする。
「えっと、料理はおいといて、人を待ってるんだけど、ここに……」
無言の圧力。
「何か、気に障ることでもしたかな?」
「いいえ」
「そ、そう? なんか、最初から怒っているような気がしたからさ。ずっと無表情だったからかな」
その言葉が余計だったのか、彼女は初めて目を眇めて、感情の一部を垣間見せた。
「私に表情がない? 本当にそう思うのですか? 貴方に笑顔を見せないだけで、表情がないと? 感情がないと? ならこの怒りは、この憤りはどこからきているのですか?」
ああ、やっぱり怒っているじゃないか。
相まみえた時に感じた怒気は当たっていたらしい。ただ、あまりにも淡々と告げるので、直接聞いた今でさえ、彼女が怒っていると確信が持てない。
「もっとよく、私の顔をしっかりと見て下さい。私はこう見えて感情豊かな人間なのです」
眉一つ動かさずに感情豊かだと言われても、返答に困ってしまう。その様子が気に入らなかったのか、彼女はさらに続けた。
「分かりました。ではこう言い換えましょう。一目見て、あなたを愛おしく感じてしまいまいました。一目惚れです。これは立派な感情ですね」
真顔のまま、じっとリーフレットを見つめてくる自称感情豊かな十代料理好き令嬢。なんとも言えない気まずい空気が、彼女とリーフレットの間に流れる。その流れを断ち切ったのは彼女の方だった。
「冗談です」
冗談はそんな真剣な顔で言うものじゃないと思うリーフレット。
なんとなく、きっぱりと言い切っておいた方がいいような気がして、リーフレットは意を決した。
「ごめん、僕には好きな人がいる」
そんな僕の言葉に、彼女は一時の間を置いて静かに答える。
「そうですか。では、振られた私は今まさしく元カノとなったわけですね」
斜め上の答えが返ってきた。
どうしよう話が全く噛み合わない。
「と、とにかく、僕はミノアのことを愛し……って、なんで本人にも告げてないようなことをここで告白してるんだ」
ふと我に返ったリーフレットは、自らに突っ込む。
「気の迷いでなく?」
「失礼な。僕は彼女の笑顔に惚れたんだ」
その言葉に、彼女はほんの一瞬顔を強ばらせると、すっと後ろを向いた。
「そうですか。ならばその子の元に早く戻るべきでは? あなたはここにいていい人ではありません」
感情を押し殺すように俯いたまま言い放つ令嬢。固い声に促されて、リーフレットはミノアがいる場所に向かって歩き始めた。
その後ろ姿を横目に確認し、無表情な令嬢はふと思い出したかのように小さく口を開く。
「そう言えば、……しいと思う感情まではあげていませんでしたね」
ぽつりと呟いた彼女の言葉は、リーフレットには届かなかった。
「あ、リフーっ、こっちこっち」
療養所の正面玄関前で大きく手を振るミノア。朝一から元気いっぱいの笑顔で手を振るミノアを見て、リーフレットも思わず笑みをこぼす。
「おはよう、ミノア。今日はちゃんと起きられたんだな」
彼女の寝起きはすこぶる悪い。いつまで経っても部屋から出てこないときに訪ねると、微睡んだ笑みを浮かべたまま、フラフラと朝食を食べ終わるまで体が揺れているのだ。
「ふふふっ、私は朝早く起きるコツを掴んだんだよ。夜早く寝ることと、カーテンを開けて寝ることっ」
リーフレットはガクッと肩を落とした。
「あのね、ミノア。夜早く寝ればいいのは当たり前だし、カーテン開けて眠るのは不用心だからやめなさい」
「じゃあ私が寝過ごしたら起こしてくれる?」
あざといぐらい小首をかしげて顔をほころばせるミノア。
「わかったよ。起こしてあげるから、カーテンは閉めておこうか」
「ん、わかった。リフが起こしてくれるなら、閉めておくよ」
顔をクシャッと丸めるように笑う。
その笑顔を、自然と見つめることが多くなったリーフレットは、ミノアが発した次の台詞に表情が固まった。
「ところでリフ。中からじゃなく、建物の裏手から出てきたのはどうして?」
別にやましいことをしていたわけではない。単なる散策、散歩と自分に言い聞かせる。
しかし、ほんの少しの合間とはいえ女性と二人きりだった事実が、リーフレットの口を重くしてしまう。
「ああ、裏の菜園を散歩がてら見に行ったんだけど、ちょっと、その時に職員の人と会ってね。軽く話をしていただけ」
「なに話してたの?」
責められているわけではない、ミノアはただ話の流れで聞いているだけ。それは分かっていても「告白されたので断ると元カノ宣言されました」とは、説明しにくい。
「……えーっと、その、うん、君の笑顔が素敵だって話」
なんとなく誤魔化すと、ミノアはずいっっとリーフレットの顔を覗き込んできた。
「ふーん、私の笑顔が素敵だって? ふふ、ありがと」
照れるように顔を伏せたまま、ミノアは小さな声で続けた。
「……でもね、これ借りものだから」
そう言って見せる酷薄な笑み。普段とは異なる歪みを含んだ笑みに、リーフレットは息をのむ。
「そういえば言ってなかったっけ。私の大失敗談。人を助けようとして墓穴掘って、その助けようとした人に命を救われるって、間抜けな話なんだけど、聞きたい?」
言いながら、ミノアは診療所前のベンチに座った。促されてリーフレットも隣に座る。
「ちょっと前に話したでしょ? 封呪能力者の幼なじみがいるって。私はね、彼女を助けようとして手を出してはいけないモノに触れてしまったの。リフは〈愛される呪い〉って知ってる?」
「知っているも何も、いま回収しようとしているハーヴェルの神剣は、それによって生み出された歪んだ奇跡だろ」
「そう、人に愛された者には幸せが訪れる。神に愛された者には奇跡が訪れるってやつね。その奇跡こそが悪夢のような奇跡だったわけだけど、じゃあ最後の絶望に愛された者には何が訪れるか、リフは知ってる?」
首を横に振るリーフレットに、ミノアは透明な笑顔を見せて言った。
「答えはね、真実、だよ」
「真実?」
「そう、真実。絶望に愛された者には真実が訪れる。私はその答えを知って、思いついてしまった。私が絶望に愛されれば、彼女を救えるんじゃないかって。子供の浅知恵だね」
「救うってどういうこと?」
「ファリシアちゃんはね、生まれながらにして一つの使命を持っていたの。姉のディリシア・エリクシュエルが世界にばらまいた仮初めの神約を封じてまわる。そんな使命を果たすために、彼女はこの世界を幾度も転生を繰り返しながら彷徨っていたの」
そこまで語って、ミノアはベンチに座ったままぐっと背伸びした。
「仮初めの神約ってね、封じるよりも見つけ出す方が大変なんだよ。秘された理って言われているぐらいだしね。だから私は考えた。絶望に愛される呪いを使えば、全ての仮初めの神約を暴き出せるんじゃなかって。彼女を、ファリシアちゃんを解放できるんじゃないかって……でね、半分だけ成功した」
愁いを帯びた笑み。その横顔をリーフレットはじっと見つめた。
「この世に隠された仮初めの神約は、私が想像していたよりもずっと膨大な数で凶悪だったの。絶望に愛される呪いすら仮初めの神約だったんだから、もう笑い話だよね。さすがは女神の娘ディリシア・エリクシュエルって感じだったよ」
とほほ、弱った笑みを見せるミノア。なるほど、仮初めの神約を用いた「奥義」を、どうしてあれほど熟知していたのか、これが答えだった。
「でね、私はその真実に耐えられなかった。知りたいと思うだけで、全ての真実が私の前に引きずり出される状況に陥って、精神崩壊の寸前までいって、ファリシアちゃんに助けてもらったの。一度私の知的好奇心を感情ごと封じた上で、このブレスレットを使ってね」
カラカラと鈴を鳴らすかのように左腕を振るミノア。以前、ミノアが話してくれた封呪能力者が能力をコントロールするのに必要不可欠な翡翠のブレスレットだ。
「彼女は自分の笑顔をこの封緘孔のブレスレットに封じて、それを私にくれたの。その笑顔を起点に、私が人の心だけを呼び戻せるようにね。でも、私はそれに納得していない」
それが「この笑顔は借りもの」に繋がるのだろう。
「だから返したいんだよ。私は」
でも、それを返したらミノアは……その言葉を、リーフレットは飲み込んだ。
そんなことは百も承知の上で、ミノアはブレスレットを返したがっているのだ。
「あ、でも、その前に少しファリシアちゃんには聞きたいこともあるかなぁ。まっ、素直に話してくれるかどうかは分かんないけど」
独り言のように呟くと、ミノアは大きく両手を上げて首をコキコキとならす。
「さ、つまんない話は終わり終わり、今は神剣の奪取に集中しなきゃね」
そう言って立ち上がり、振り返ったミノアはいつもと変わらない笑顔をたたえていた。
唐突に話を打ち切った理由は簡単だった。待ち人が来たのだ。
サブタイが嘘にならないよう「元カノ」のフレーズを強引にでも入れてみた。
……後悔はしていない。




