Despair 22 小川から
戦場となった場所から歩いてほんの少し、レアンの村へと続く小川がある。リーフレットはレアンを中心に活動をしていたため詳しかった。
砂利と小石の岸辺を渡り、川の前で跪く。
顔を直接川につけて、水分を補給する。三回ほど喉を鳴らして顔を上げた。
「ぷはっ、あー生き返る-」
「リフ、はい」
ミノアがハンカチを差し出してくれた。その後ろでハンカチを取り出そうとしていたファリシアは、ハンカチを再びスカートに戻す。それをあえて見なかったことにして、リーフレットはミノアのハンカチを受け取った。
「ありがとう」
顔を拭いていると、ファリシアも川の方に近づきそっと水に手をつけた。
「まだ、冷たいですね」
「山の雪解け水だからね。染め物にはいいけど、泳ぐにはちょっと早いかな」
「泳げるんですね。てっきり泳げないのだと思っていました」
何故、泳げないと思われていたんだ?
「リフはね、すごいんだよ。ベルフラインから砲撃を受けて海に落ちた時も、自力で泳いで帰ってきたもんね」
「思い出したくない記憶だよ。忘れてくれ」
「えー、リフの数少ない武勇伝なのに」
けんかを売られているのだろうか? 買わないけど。
ミノアはクスクスと笑うと、ファリシアの方に向いた。
「じゃ、一息ついたところで、私の用事を片付けよっか」
ミノアが何を言いたいのかを察して、ファリシアは立ち上がる。
「そのブレスレットは、あなたにとって不要なものでしたか?」
力ないファリシアの声に、ミノアは首を大きく横に振る。
「たくさん、本当にたくさん助けられたよ。これがあったから、私は今の自分になれた。ファリシアちゃんの笑顔があったから、私はリフと出会うことが出来た、リフと笑い合うことが出来るの」
ビクッとファリシアが身を固くする。痛みを堪えるかのようにファリシアは口を開いた。
「だったら……」
「でもね、私は仮初めの存在なんかになりたくない。笑顔を借りっぱなしじゃ、リフと本当の意味で通じ合えないもの」
思いの丈を真摯な笑みに変え、ミノアは続けた。
「私はもう、笑顔を貸してもらわなくても大丈夫。大丈夫なの」
挑みかかるようなミノアの笑顔に、ファリシアは息をのむ。
「だって、ファリシアちゃんが封じたのは、私がリフと出会うまでの感情だから。今の私にはリフと培った新しい感情がある。想いがある。だから、絶対に大丈夫っ。私はリフのことが好き。どうしようもなく好きっ。愛してるっ。その想いだけは、封じられていないものっ」
力強く宣言するミノアよりも、その叫びを後ろで聞いていたリーフレットの方が顔を真っ赤にしていた。リーフレットは自分への愛の告白を、告白者の後ろで聞く希有な経験をした。
そんなリーフレットなどお構いなしに、ミノアとファリシアは見つめ合う。
そして、ミノアはいたずらがバレたときにみせるような笑みを浮かべた。
「実はね、ブレスレットを外す機会があったの。リベルの診療所にファリシアちゃんがいるって聞いて宿を飛び出した時、もしかしたらこのブレスレットが原因で会えないのかなって思って外したんだよ。結局、会えなかったけどね」
リーフレットも初めて聞く話だった。オーストリッチ亭でミノアが姿を消し、レアンの村で再会した時にはブレスレットをしていたので全く気づかなかった。
「けどね、分かったこともあるの。大丈夫だったよ。私はちゃんと私のままでいられたから。ちゃんと、リフと再会できたから。私は感情を全て失った状態でも、ただリフだけを追い求めて、会いたくて、泣くことが出来た。ファリシアちゃん、信じて。私は大丈夫」
ファリシアの両手をぎゅっと握り、下から覗き込むようにミノアは見つめた。ファリシアの瞳が、かすかに揺らぐ。
何も答えられないファリシアを前に、ミノアは一度目を瞑ると優しく問いかけた。
「一つだけ、教えてほしいの。ファリシアちゃんの『願い』って何?」
「どうして、あなたがそれを……」
「私ね、ずっと知りたかったの。私はファリシアちゃんの何を奪ってしまったんだろうって。この笑顔は一体誰に向けられていたものだったんだろうとか、どれほどの想いが込められた表情だったんだろうとか。私は、自分が返さなきゃいけない笑顔の、本当の価値をまず知らなきゃいけないんじゃないのかなって」
そこまで言い切って、ミノアはふーっと息をつき、再び口を開いた。
「でね、預言書の滲んだ部分と、ファリシアちゃんの話を聞いて……答え、分かったよ。これは私が借りていちゃいけないものだって。私の直感って当たるんだよ。このプレスレット貰ってから、ずっと返さなきゃって感じてた。正解だったね」
ミノアが導き出した答え。リーフレットには分からない、ファリシアとミノアの間にだけある絆の話だ。
リーフレットは静かに見守った。ミノアが再び口を開く。
「そろそろ、答え合わせしよっか。ね、教えてよ。ファリシアちゃんの本当の気持ち」
柔らかな笑み浮かべながらも、切実なミノアの言葉に、ファリシアは無表情を装いきれなかった。
「私は……」
苦渋に顔を歪め、懺悔するかのように声を絞り出す。
「……ほんの少しだけでも構わない、彼の傍で微笑んでいたいと思っていました。『彼と微笑み合える一時』が、私の……本当の願いです」
預言書の中で唯一滲んで読めなかった部分が、ファリシアの言葉によって埋まる。
その答えを知り、ミノアは穏やかな声で言った。
「ほら、やっぱり。なら、この笑顔は返さなきゃ、ね」
晴れやかな笑みに涙をたたえながら、ミノアはそっとブレスレットを外した。




