Despair 16 公爵邸の書斎から
ツンツン、ツンツン。誰かが頬を突いている。
刺激を受けてリーフレットの意識が覚醒する。目を開けて飛び込んできたミノアのどアップにリーフレットは眉を潜めた。
「僕がミノアに起こされるって、何事?」
目が覚めたと確認しているのに顔を離そうとしないミノア。軽くそのおでこを押し返し、リーフレットはソファから身を起こす。
「よく眠ってたからね。私は強制起床だったよ。起きると同時に牢屋を叩き出されて、兄様にお小言いただいて、今ここに至るって感じかな」
ソファに座り直すとパサッと、毛布が滑り落ちた。それを見て、ソイチルかメイドの誰かに迷惑を掛けてしまったと、リーフレットは漠然と思う。
「朝食、一緒にどうかって。サンワーナ兄様が」
「ああ、すぐに行くよ」
ミノアに連れられて、リーフレットは食堂に向かった。
長い廊下を抜け、両開きの扉を開き食堂に入る。三十人は座れそうな長いテーブルの奥にサンワーナは一人座っていた。
「おはようございます」
声を掛けると、サンワーナは小さく頷いた。
「おはよう。まあ座りたまえ。妻と息子ももうすぐ来るだろう」
促されて、用意されていたカトラリーの前に座る。ミノアは当たり前のようにリーフレットの隣に座った。
「書斎で寝ていたようだな。私が通りかかった時、起こせば良かったな」
「いえ、すみません。まさか、朝まで寝てしまうとは思っていませんでした」
朝の特訓が想像以上に精神と体力を削っていたのだろう。恥ずかしさのあまり目を落とすと、サンワーナはふわりと笑った。
「毛布を掛けたのが徒となったかな。ああ、毛布はそのままソファに置いておいてくれればいい、私もよくあのソファで寝てしまうのだ」
毛布を掛けてくれたのはサンワーナだった。
どうしてだろう、ちょっと損した気分になった。
「それで、預言書は読んだか? 絵本だからな、それほどページ数はなかったはずだが」
「それが、まだ見つけ出せていないのです。かなり探したんですが」
リーフレットの言葉に、サンワーナが眉を潜める。
「ん? それはおかしいな。ソファー横のサイドテーブルは見たか? すぐ目につく場所に置いてあったはずだが?」
リーフレットが寝入ってしまったソファー。その横にサイドテーブルはあった。しかし、テーブルの上に本は置いていなかった。
ミノアの方に顔を向けると、ミノアも首を横に振る。
「見てないよ。私は朝にしか行ってないけど、あったら気づいてたと思う」
「ふむ、書斎の担当は誰だったか。すぐに呼んで聞いてやろう」
そう言って呼び鈴に手を掛けるサンワーナ。
しかし、それよりも早く、期せずして預言書の在処は判明した。
「あっ、絵本に出てきたピンク頭のおにーちゃんだっ」
元気なボーイソプラノが食堂に響く。
「あらあら、先にご挨拶でしょ? できるかしら?」
「あ、はいっ。初めまして、イルワナ・メルティアスですっ」
精一杯背筋を伸ばして挨拶してくる少年に、リーフレットは一度席を立つと片膝をつく。
「初めまして。リーフレット・ウェル・ジンズと申します。ソイチルさんも、おはようございます」
「おはようございます。昨夜は大したもてなしも出来ず、失礼いたしましたわ」
「いえ、あんな所で寝てしまった僕に責任があります。申し訳ありませんでした」
「その分、朝いっぱい食べましょうね。満足してもらえると思うわ。うちのシェフは腕利きだから」
「ありがとうございます」
ソイチルの厚意を素直に受け取り、リーフレットは再びイルワナ少年に向き合った。
「ソイチル君は、僕を知っているの?」
「うんっ、昨日ね、絵本で読んだのっ。ミノアお姉ちゃんとぶぁあああっって、剣が光っててね、お馬に乗ったお髭のおじちゃんと戦うんだよっ」
内容は支離滅裂だが、察することは出来た。預言書はイルワナが持っている。サンワーナの方に目を向けると、サンワーナは小さく頷いた。
「イルワナ。書斎には入るなと言っておいたはずだが?」
サンワーナの低い声に、イルワナのみがビクッと硬直する。
「ご、ごめんなさいっ。僕、絵本持って行っちゃった。ダメだった?」
恐る恐る聞いてくるイルワナに、リーフレットは優しく声を掛ける。
「大丈夫だよ。後で、お兄ちゃんにも読ませてくれるかな?」
「うんっ、いいよっ」
「あと、あの絵本は私が預けてあったものだから、ちゃんと返してね?」
ミノアが付け足すと、イルワナは「ぶーっ」と頬を膨らましながらも「はーい」と返事をした。
流れから自然と、リーフレット達は預言書を返して貰えることになった。
地味にグッジョブなミノアだった。
朝食の後「私が取ってくるよ」と言ってくれたミノアと別れ、先に書斎に戻ってきたリーフレット。
ソファに座るとまた寝てしまうかも知れない。そんな強迫観念に駆られ、読書用の小さなテーブルの椅子に座った。
しばらく待っていると、勢いよく扉を開いてミノアが書斎に入ってくる。
「手に入れたよっ、預言書っ」
「二冊?」
ミノアが抱えている複数の本を見て、リーフレットは首をかしげる。
「あれ? 言ってなかったっけ? 予言絵師コールネリー・ニブルテットの描いた預言書は二冊あるって」
首をかしげ返し、ミノアは向かいの席に座った。
「あー、そう言えば聞いてたかも」
ファリシアからも二冊の預言書を手に入れろと言われていた。いま思い出した。
「じゃあ、どっちが前編?」
リーフレットの問いに、ミノアは曖昧な笑みを浮かべる。
「そっか、そう考えるのが普通だよね。私はこの預言書を渡された時に説明を受けたから違和感なく受け入れられたけど、未来の歴史が二つあるなんておかしいもんね」
「どういうこと?」
「あのね、リフ。ここにある二冊の預言書は結末が違うの。一つは今私たちが辿っている歴史。神剣の暴走を止められて、将軍に襲われるけど誰も死なずにハッピーエンド」
言いながら、一冊目の預言書をテーブルの上に開く。神剣の暴走を止めるシーンが描かれているようだった。
「でも、もう一つの預言書では失敗する。そもそも、私とリフも出会わないの。それぞれ別々に動いて、神剣の暴走を止められずに数万もの犠牲が生まれる。私は無茶して死んじゃうし、リフも最後は林道の真ん中で倒れて終わる。そんなエンド」
「あっ、なるほど。だから出会った時にこのままだと失敗するって言ってたのか」
同時にサンワーナから感謝されていた理由も分かった。
ミノアと二人揃ってメルティアスを訪ねた時点で、どちらの預言書が正史となったのか、サンワーナは気づいたのだろう。
「こっちの予言はね、なかなかに悲惨だよ。私なんてねぇ……」
二冊目の預言書を開こうとして、ミノアの手がふいに止まる。
「……あれ? 真っ白?」
向かいから覗くと確かに真っ白だ。
そのページだけではなく、めくるページの全てが真っ白だった。
表紙が一冊目と同じだから、全く違う本と取り間違えた可能性は低い。
「どこかで中身だけすり替えられたとか……」
可能性の一つをあげてみるが、ミノアは小さく首を横に振る。
「ここ、ドッグイヤーがあるの。私がつけたから覚えてる。これ間違いなくもう一つの預言書だよ。……内容が、消えた?」
絵本を折っちゃダメだろと思ったが、追求はしなかった。それよりも考えなければならないことがある。
不思議な現象だが理解は出来る。すでに過去の歴史となった預言書。一方は史実として残り、歩まなかった歴史は存在しなかったものとして消えてしまう。
そんな推測をするリーフレットを前に、ミノアは再び口を開く。
「元々ね、このドッグイヤーの付いた部分から先が白紙だったの。こっちの預言書は最後のページまで描かれているのに、変だなーと思いながら何となく折ったんだよ。その時は二冊の白紙本が先にあって、そこに描き込んだから余ったのかなって勝手に判断していたんだけど……違ったみたいだね」
同じ結論に至ったのか、ミノアは不思議なものを見る目で少しだけ笑う。
「でも、そうだとするとこの白紙本が預言書だったって証明出来ないんじゃ? 二冊の預言書を持って来いって言われてるんだけど、信じてもらえるかな?」
「一方の絵は残ってるし、表紙が同じだから大丈夫だと思うよ」
不安を口にするリーフレットに軽く答え、ミノアは白紙の本を閉じた。
「まっ、消えた方はこの際横に置いておくとして、問題はまだ予言の残っているこっちだね。読んでみる?」
もちろんと頷く。内容が残っている方の預言書を受け取り、ゆっくりと目を通していく。
一通り読み終わってリーフレットは小さく息をついた。
「これは、確かに凄まじく不親切な預言書だね」
「でっっしょぉ? 絵本の形式だから仕方ないんだけどさぁ。私の説明不足じゃないって、分かってくれた?」
私のミスではないと胸を張るミノア。
例えばハーヴェルの神剣が暴走しかけるシーン。「リーフレットとミノアは、神剣の光を導きの光に変えて『望み』の世界に解き放った」とだけ書かれている。
前段でベルフライン神公国のマルベリック卿に襲われたことや、その場にタックス・ラナートがいたことも描かれていない。
「あ、でも次のページはちょっと長文かな」
ふと、一巡目では読めなかった部分を見つけ、預言書の一部を指さす。
「ここ、滲んでるね」
「うん。私が読んだ時からこうなってたから、ニブルテットの書き損じ……か、もしかしたら……」
考えながら喋っているのか、ミノアの声が途中で切れる。
絵のページはファリシアに神剣を手渡した時のシーンだ。
リーフレットが調子に乗り、ファリシアの不興を買った後、地の文で「私の願いは」の後が途切れ「……なのだから」と、ファリシアの心情が語られている。
どうにか読めそうな部分を探すと、最後の方が「一時」と書かれているようにも見える。
続きに「ほんの少しだけでも構わない。と、私はそう願っているのだから」と書かれているので、一時を強調する文なら合っているかと思う。
「ほんの少しだけでも構わない……か。なんかやだな……」
向かいから預言書を覗き込んでいたミノアがポツリと呟く。チラリと目をやると、ミノアは愁いに満ちた笑みを浮かべている。
「ファリシアちゃんってね、いつも自分のことは二の次で、子供の頃からどこか諦めてる感じがしてたんだよ。でね、私はそんなファリシアちゃんを何とかしたくて、どうにかならないかって足掻いた結果、まあ、盛大に自爆しちゃったわけだけど……思えば、アレが私の初恋だったんだよねぇ」
「……え?」
「ふふっ、焼いちゃった?」
「いや、焼いたっていうか、彼女は女性だよね?」
「変?」
「いや、まあ、自由だと思うけど」
「あ、でも安心して。今はリフ一筋だからっ」
「はいはい、ありがとう。僕もミノア一筋だよ」
軽口にかこつけてリーフレットが自分の意思を表明すると、ミノアの反応は劇的だった。目を見開き喜び全開の笑みを見せると、椅子を踏み台にテーブルを越えて飛び込んでくる。
預言書の検証は一時中断となった。
この後の流れはお約束で、押し倒したミノアがリーフレットにキスしようとして、
その直前でイルワナ君が飛び込んでくる。なんて展開だったんですが、
あまりにもベタかと思い、本文ではカットしました。




