Despair 11 将軍邸の応接室から
「どうぞ」
出された紅茶を一啜りし、リーフレットは小さく目を見開いた。
美味しい……いや、ただ美味しいのではなく、とても好みの味だ。最近の流行はとにかく濃く出して、それを牛乳で割るのが主流だが、この紅茶は薄めのストレートにほんの少し蜂蜜が混ざっている。思わずおかわりが欲しくなる味だ。
「美味しい。ありがとう」
双将軍の邸宅に着いた後、通された応接室でリーフレットは紅茶を頂いていた。
メイドがいるにも関わらず、手ずからティーセットを用意し、紅茶を入れてくれたファリシアに感謝する。
「私も頂きますね」
言いながら自分の紅茶を入れて、ファリシアはリーフレットの隣に座った。
……どうして隣なんですか?
「えーと、ファリシア様は」
言いかけた言葉を遮るように、ファリシアはカップを置く。
「ファリシアとお呼び下さい」
「え、でも、双将軍のお嬢様を呼び捨てには出来ませんよ?」
「では、私は元彼と呼んでもいいですか?」
いや、それは非常に困る。付き合った覚えもないので。
父親の双将軍に聞かれて誤解されたら最後、首が物理的に飛ぶと思う。
今、後ろに控えているメイドさんの殺気だけでも、ちょっと首筋がヒンヤリしてるんだけど?
とにかく否定しないと。
「君と会うのは今日で二度目なのに、元彼も何もないと思うよ」
「私を振ったではありませんか。世間一般ではそれが元彼なのでは?」
間に付き合った事実がなければ元彼とは呼ばないと思います。
そう答えたかったのに、首の後ろに冷たい何か尖ったモノが触れている気がする。物理的に。ファリシアの位置から見えない感じで。
「あは、ははっ、ファリシアさんは冗談がうまいなぁ。僕があなたのような素敵な女性を振る? あり得ないですよ? 僕のような一般庶民には高嶺の花なのです。恐れ多くて振る振らない以前に、声を掛けるのすら躊躇われますよ」
これでどうだ。と、後ろの気配を読むと、背後からしていた殺気が小さくなる。消えていないので、油断出来ない。
「ファリシアと」
そこにこだわりますか。
「わかった。あくまで、あくまでも友人として、ミノアと仲の良い幼馴染みの友人として、僕も、ファリシアと呼ばせてもらう。それでいい?」
どちらかといえば後ろに向けての確認に、ファリシアは無表情のまま頷き、後ろからの殺気もなくなった。
よし、乗り越えた。
「じゃ、早速神剣を」
ローテーブルの上に神剣の入った木箱を置いた時だった。
遠くの方から凄まじい足音を響かせ、近づいてくる物体。人とは断定しづらいほどの轟音が止まった次の瞬間、両開きの扉がはじけ飛びそうな勢いで開く。
「ファリシア---ー--ーっ、無事だったかっっっ」
現れた壮年の男性。ガッチリとした体格に、質実剛健を体現したハーフプレートの鎧。顔の半分は髭で覆われているが、きっちりと整えられている。肩から翻るマントの図柄は見えないが、将軍邸の中でファリシアを前におもねらなくてもいい人物は限られている。
身から溢れ出る威圧感と年齢から考えて、おそらくルアリス双将軍の一人、バルドゥ・シェード・フロイラインだ。
リーフレットがそう推測していると、その将軍らしき人はリーフレットをジロリと睨んできた。
「貴様かっ、ファリシアが連れ帰った男はっ」
え? ちょっと、それは誤解ですよ? と、否定するよりも早く、威圧に威圧を重ねて一歩一歩近づいてくる将軍。
思わず仰け反ると、リーフレットと将軍に間にいたファリシアが立ち上がる。
「お父様。彼は神剣を届けてくれただけです。一緒の馬車に乗っていたのは、偶然橋の手前で見かけたからに過ぎません」
「……話には聞いている。光耐性を持つ連絡員だったか。コールネリーの伝手らしいな。まったく、このような若造を頼らなければならぬとは」
吐き捨てるように言い放つバルドゥ将軍。その瞬間、周囲の温度がすっと冷えるのをリーフレットは感じた。バルドゥ将軍の顔が引きつる。
「そもそも事の発端は、私をベルフラインに行かせたくなかったお父様の発言がきっかけだったはず」
後ろ姿しか見えないが、バルドゥ将軍の狼狽えようを見ると、ファリシアは相当怖い顔をしているのではないかと思う。
「し、しかしだな。結局お前は行ってしまったではないか」
「身分は隠しましたし、封呪能力者としての行動は起こしていません。政治力学上、必要な手順だったのは理解しています。ですが、彼を貶めるのはやめて下さい」
「う、うむ。わかった」
「私は彼とお話があります。どうぞ、お引き取りを」
親子の会話とは思えないほど、冷淡なファリシアの声。
「いや、だがな。神剣のこととなれば、国の一大事。ワシもだな、話に加わらなければ」
「必要ありません。私の身を案じてるのであれば、メイドのカロネが側にいます。お父様はお下がりを」
有無を言わさないファリシアの口調に、バルドゥ将軍の意気が縮んでいく。
「し、しかしだな。彼も男だ。何かあってからでは……」
「ご心配なく。彼には他に想い合う女性がいるのです。私のことなど、眼中にもないでしょう。お父様がお考えのようなことにはなりません」
いや、眼中にもない、とは思っていませんよ? リーフレットは頭の中で否定する。
落ち着くために、カップのお茶を一口すすった。
想い合う女性と言われて面映ゆくはあるが、ファリシアに女性の魅力が全くないとは思っていない。もちろん、話がややこしくなるので声には出さないけれども。
そんなリーフレットの気遣いを、ファリシアの次の一言が台無しにした。
「私が、一方的に懸想しているだけなのですから」
ぶふぉっほぉっ。うまくいきかけていた話が全て藻屑と化していく。
激しく咳き込みながらも、お茶を吹き出すのはなんとか堪えた。
「やはり貴様がっ」
「ちゃんと聞いていましたかっ? 一方的に、ですよっ。一方的っ。僕から迫ったことはありませんし、今日を含めて二回しか会ったことのない人に言い寄ったりしませんっ」
「何だとっ。貴様、我が娘には言い寄る価値もないだとっ」
「違いますっ。彼女が僕にってのが、誤解ですっ」
きっぱりと言い切るリーフレットの言葉に、将軍ではなくファリシアが不思議そうに首を傾げる。
「一目惚れだったと、ちゃんと告白したはずですが?」
よ、余計なことをっ。その後、冗談だと言っていたじゃないか。
「き、貴様っ、表に出ろっ。鞘を無用にしてくれるっ」
つまり、剣がグニャグニャになるまで切りつけてやると、宣言されているのである。
収拾がつかなくなる応接室に、ノックと共に一人の執事が入ってきた。顔を見ると見覚えがある。先ほどまで御者をしていた男だ。着替えてきたのだろう、今はタキシードを着ているのですぐに執事だと分かった。
「旦那様、王邸宗主のウラシェル・レアーゼ様が、至急ご来臨いただきたいと」
「オムコット、今はそれどころではないっ。この若造を叩き切らねばならぬのだっ」
ああ、怒髪天を衝くとはこういう状態を言うんだな。と、現実逃避を始めるリーフレット。命の灯火が今まさに消えようとした次の瞬間、ファリシアが小さく口を開く。
「仕事を蔑ろにするお父様は、嫌いです」
その一言が、バルドゥ将軍から表情を奪い、次に血色も奪ってゆく。パクパクと声にならない呟きを口にした後、動きを完全に止める将軍。白く干からび、風が吹けば粉々に散ってしまうかのような姿。その脇を執事とメイドが挟み、持ち上げる。
置物のようになった将軍を、二人は慣れた手つきで運び出した。
パタン、と閉じられる扉。
期せずして、ファリシアと二人きりになってしまった。もちろん手を出すつもりなどなかったが、後になってこの状況を将軍が知ったらと思うと、リーフレットは気が気ではなかった。
「紅茶、冷めてしまいましたね。入れ直します」
ファリシアの気遣いを素直に受けて、二杯目の紅茶に口をつける。
その様子を見つめながら、ファリシアは呟くように言った。
「失礼しました。父も普段はもう少し落ち着いているのですが……」
それにしては執事とメイドさんがね、やけに手慣れていたように見えたのは気のせい?
「とりあえず、神剣を受け取ってくれるかな。僕の仕事はこの将軍邸まで神剣を届けることなんだ。本当は将軍に渡すのが筋なんだろうけど、あの状態じゃ無理だよね。家族の君なら問題ない。受け取って欲しい」
ローテーブルの上に置かれていた木箱から、神剣を取り出しファリシアの方へと差し出す。
「確かに受け取りました。受領書はこちらです。どうぞ」
最初から用意されていたのか、将軍家の印が押された証書を受け取る。
これで仕事は片づいた。後はミノアの件だけだ。
「ミノアは、君にブレスレットを返したがってたよ」
出来れば会ってあげて欲しい。そんな思いを込めて言ってみる。しかし、返事は淡泊なものだった。
「そうですか」
「僕は、正直迷ってる。彼女から笑顔がなくなっても、僕の気持ちは揺るがないって言いきりたいんだけどね」
全力で再会を応援したいが、それが正しいのか分からない。そんなリーフレットの言葉に、ファリシアは少しだけ眉をひそめた。
「あなたは何か勘違いをしていませんか? 全ての感情が封じられてしまう。その言葉の意味を、表情を失うだとか、喜怒哀楽がなくなるとでも考えてはいませんか?」
「……違うの?」
「彼女はあのブレスレットを外しても笑えますよ。あなたに対してどういうときに笑顔を作り、どう返答すればいいかを、あの子はもう知っていますから。思考や記憶を失うわけではないのです。今まで通り、ずっと彼女は彼女のまま、変わらぬ態度をあなたに見せてくれるでしょう。ただそれが彼女の感情からではなく、過去の記憶、経験から導き出された結果として、ですが」
淡々と語るファリシア。リーフレットの表情が強ばる。過去の経験から笑ったり泣いたりするのは当たり前のはずなのに、ファリシアの声色に恐ろしいものを感じる。
「少しずつ、違和感を覚えるようになります。感情を持ち常に変わっていく自分と、変わらず同じ笑みしか返してこない彼女の間に、成立しない何かがあることに気づく。そして、一度でもその違和感の正体に気づいたら、あなたの方が耐えられない。最後には離れるしか答えが出せなくなる。……私が、そうでしたから」
「違和感の正体?」
「彼女が、自分の方を向いてくれていないこと」
ファリシアはそこでいったん口を閉じると、じっとリーフレットを見つめた。
「比べるのは常に過去の自分。今のあなたを見ていないことに、気づいてしまうんです。近ければ近いほど、痛みを伴って」
簡単に考えていた。ミノアがファリシアのように無表情になっても、時が経てば今の状態に回復すると、どこかでそんな風に思っていた。
ミノアがファリシアにブレスレットを返す。それは、想像以上に深刻な事態だった。
「ですから、私は彼女からブレスレットを受け取るわけにはいかないのです」
「君は、それいいの? 笑顔をあげる。それは、つまり今のファリシアは笑えない。って意味なんじゃないの?」
ずっと無表情の令嬢。そう思って最初は見ていたが、少し接しただけでも分かる。彼女は本当に感情豊かだった。ただ、笑顔だけは一切見られない。ほんの少し口元を緩める、そんな瞬間すらないのだ。
「問題ありません。私は……望んで、彼女にブレスレットを渡したのです。あなたもどうか、あの子のことを想うなら返さないように説得を」
「それでも、僕が会って欲しいと頼んだら?」
しつこいと思われても構わない。それだけの意思を持ってリーフレットは尋ねた。
話を聞いた上で、それでもミノアが追い、ファリシアが逃げ回る。そんな状態が正しいとは思えなかったから。ブレスレット返却の件は別にして、ミノアとファリシアは一度会って話すべきだと、リーフレットは思った。
ファリシアはしばらくの間、無言でリーフレットを見つめた後、そっと目を伏せて小さく息をつく。
「交換条件が二つ。ニブルテットが描いた二冊の預言書、それを手に入れて下さい」
それならば話は簡単だ。ミノアはその預言書を読んでいたのだから、彼女が所在を知っているはず。
「もう一つは?」
「私があの子と会った後で構いません。神剣の完全封印に力を貸して欲しいのです」
無表情ではなく、感情を押し込めた結果、無感情な物言いになってしまった。そんなファリシアの心情を、リーフレットは敏感に察した。
生半可な覚悟で答えてはいけない。この交換条件が、ファリシアにとってどれほど重要なのか、具体的な内容は分からなくても伝わってくる。それでも、リーフレットに引き下がる選択肢はなかった。
「いいよ。協力する。一度乗りかかった船なんだ。神剣が完全に封印されるまで手伝う。約束するよ。それがファリシアの願いなら、僕はそれを全力で叶えようと思う」
ちょっと格好つけて言い過ぎたかかな、なんて思っていたリーフレットは、ファリシアの反応を見て絶句した。
泣いてはいない、笑顔も当然ない。そこにあったのは苦渋、悔恨、歓喜、怯え、諦念。それらの感情が入り乱れたファリシアの顔。
「それは、私の願いではありません。交換条件です」
絞り出すように、間違いを正そうとするファリシア。
触れてはいけないものに触れてしまった。その理由は分からなくても、ファリシアの痛々しい表情に、リーフレットは自分の浅はかな言葉を後悔した。
「ごめん。うん、交換条件だ。僕は預言書を手に入れて、神剣の完全封印を手伝う。君は、ミノアと会って話し合う、だね」
「はい。ブレスレットを返して貰うつもりはありませんが、あの子と会う覚悟はしておきます」
言質は取ったが、空気が非常に重たくなってしまった。
少し怒られてでも、場を和ますべきだろうか。そんなことを考えながら、リーフレットは口を開いた。
「んー、でもさ。交換条件がファリシアは一つなのに、僕が二つってずるくない? もう一つ、僕からもつけさせて貰おうかな」
追加で条件が課されると思ってなかったのか、ファリシアの表情が悲痛なものからキョトンとしたものに変わる。
「全てが終わったら、料理をご馳走してよ。実は気になってたんだ。君が推している料理の腕、見せて欲しいかな」
将軍の娘さんに何を言ってんだと、自分でも思いつつ、このまま重い雰囲気なままよりましと、リーフレットは交換条件を追加してみた。
その言葉を聞き、ファリシアは一度目をつぶると、決意を新たに力強い返事をくれた。
「はい。思わず噎び泣くような、美味しい料理を作ってお待ちしています」
きっと、彼女がミノアに笑顔あげていなければ、少しは微笑んでくれていたと、確信できる返事だった。




