くすんだ庭園
エメラルド王国。
スピネル王国ほどの被害はない。以前来た時と、さほど変わらない景色が並んでいる。
しかし、どこか様子がおかしい。
瓦が一枚ずれている屋根、壁にわずかなひび、そして人々の表情。誰も大声を出さず、歩く音も静かで、笑っている人の口角がぎこちなく引きつっている。子どもたちも遊ぶ声はなく、静かに足早に通り過ぎる。
「…違う。ここ、こんなんじゃなかった。」
ノアは目を細め、小さく呟いた。それと同時に肩の力を少し強める。
「確かに普通じゃないな。まず人通りが少ない。これだけ栄えた街じゃ真昼間でこれだけ少ないなんてありえないだろ。それに見てみろ、住民の動き。明らかに挙動不審だろ。声が抑えられてるのもそのせい。ふん…」
「ヒュラド?」
ヒュラドは道端に落ちてる石を拾い、地面に落とした。
すると、あたりの人の視線が一気に音の方へ向く。
「なるほどな…そういや、ノアお前の地元はここだろ?」
「うん。そうだけど…」
「なら、お前の家にいかせてくれないか?」
「え?別にいいけど…急にどうしたの?」
「いや。少し気になっただけだ。」
ヒュラドの普段とは違う行動に皆が1歩引いていた。ヒュラドは普段こんなこと言わない。確かにお調子者で、ふざけるタイプだが、根は真面目だ。そのため急に人の家に行くなど、そんなこと言うはずないのだ。
それから彼らは翡翠の庭園に向かった。
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「何回見ても綺麗だな。」
「こんなすごいとこに住んでんのかよ…」
「ただいま帰りました。」
「お嬢…お坊ちゃまお帰りなさいませ。」
「ただいま。……アメリアは…?」
アメリアの姿がない。
アメリアはノアが帰ってきたら、いつも真っ先に出迎える。
急にここに来てしまったからという可能性もある。メイドは何か言いたげな顔していた。それでも、次の言葉がその口から紡がれることはなかった。
「とにかく、奥様も旦那様も坊ちゃんの帰りを待っていました。案内いたします。」
「ありがとう。何かあったの?」
「いえ。特に何もありませんよ。参りましょう。」
不自然だ。あまりにも。この人だけじゃない。周りで仕事をしている人、全てが人形のようだ。
「着きました。お客様は応接室にご案内いたします。」
「…俺もついていかせてくれないか?」
ヒュラドがそう言った。
「しかし…」
「この人たちは僕の仲間だ。だから大丈夫。」
「…承知いたしました。では…」
扉が開くと、そこに座っていたのはノアの両親だった。
「父様、母様。お久しぶりです。」
「ノア…帰ってきたのね。お帰りなさい。」
「元気にしとったか?」
「おかげさまで。2人とも元気がないようですが大丈夫ですか…?」
「えぇ。大丈夫よ。オブリビオンによる被害が各地で出ているみたいだし、それでね。」
2人はあからさまに元気がなかった。
「…お聞きしたいことがあるのですが…」
「なんだ?」
「アメリアは…アメリアはどこですか?ここに来る途中も見かけませんでしたし、僕が帰ってくる時は、いつもアメリアが出迎えてくれました。しかし今日は…」
「アメリアは…記憶奪われたんだ。」
「えっ…?」
その場に沈黙が流れる。ノアは、呆然として何も話すことができないようだ。
「アメリアは、街で買い物をしている時、オブリビオンに襲われて。今は暇を出している。」
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その後のノアはとにかく放心状態だった。話すにも話せる雰囲気ではなく、とりあえず4人は応接室へと案内された。
「少し、1人になってくる。」
ノアはそう言い、自分の部屋に行ってしまった。
「アメリアさんって誰?」
「ソフィアたちは知らないわね。アメリアさんはノアのメイド。専属メイドと言った方が正しいかしら?幼い頃からずっと彼女に面倒を見てもらっていたみたいなの。」
「だからあんなに落ち込んでるんだね。」
ここでも、誰かの大切な日常が奪われていく。思い出と言うものは、それほど人と親密な関係にあるものなのだ。
「回避行動…だとすれば……」
ヒュラドが先程から何かぶつぶつと言っている。
「ヒュラド、何言ってるの?」
「あぁ…ちょっとな。この国に来ていろいろ観察してたんだ。目に見えた被害がないのに、異様に暗い雰囲気。おかしいと思わないか?」
エメラルド王国はスピネル王国ほど被害がない。多少被害はあれど、目に見えて、ひどいと思えるものは1つもなかった。
「確かにそうだけど…」
「回避行動、感情の麻痺、過剰な警戒。それにメイドたちのあの行動…これらは全て恐怖による行動だ。」
「回避行動…?他の2つはまだわかるけど、回避行動って…」
「回避行動っていうのは恐怖を引き起こす状況を避けるための行動。心理学的なものね。」
「その通りだ。この街の住民は、無意識にそれをしてる。」
ここの住民は、確かに行動がおかしかった。何がおかしいのか答えるのは難しいが、ただならぬ雰囲気があった。
「まず人通りの少なさ。皆、オブリビオンと言う危険に出会わないために外に出ないんだろ。次にすれ違うやつ全員顔がひきつってた。無理に明るく振る舞おうとしてそうなってるんだ。で、最後は、あの実験だ。」
「実験?」
「俺、石落としただろ?あれだよ。あれはどれだけ警戒心を持ってるかを見るテストだよ。警戒心を持ってる奴は小さな異常や危険の兆候に敏感で常に周囲を監視する。そう考えてみろ。」
「確かに。ヒュラドが石を落としたとき、ほとんどの人が反応してた。ただ石の音がしただけなのに。」
「つまり、この街の人たちは、どんな小さなことにだって注意を払ってるってこと。過剰な警戒をしているってことね。」
「そう!さすがグレース。話が早い。つまり、エメラルド王国にも被害が出てるんだ。」
スピネル王国が物理的な被害だとすれば、エメラルド王国は精神的被害。
「ということは、急がなきゃだね。ここも被害が出た後みたいだし。」
「うん。でもノアは…?すごい落ち込んでたみたいだし。」
「…無理に連れて行くとは言わねぇけどよ。仲間がいないのはしんどいぜ。ノアは数少ないオブリビオンのボスと戦ったことがある人間なんだから。」
「でもあの心理状態で連れて行くっていうのもね。ノアに負担になってしまうわ。」
どうしようかと話し合っていた。
「フレディは?どう思うの?」
「俺は………一緒に行きたいと思う。」
「でも今ノアは…」
「わかってるよ。大切な人が記憶を失うなんて、辛いに決まってる。今まで過ごした大切な思い出がなくなるんだ。でも、ノアに来てほしいと思うんだ。」
(それになぜだか、ついて来てくれる気がする。確証はどこにもないけど。)
ノアが今の精神状態でついてきてくれるかどうかわからない。しかし、フレディは心のどこかできっと来てくれるだろうと思っている。
「大切な人が殺されたら、そりゃ復讐せずにはいられないと思うぞ。」
ソキウスの声。
ノアも悔しくて悔しくて仕方ないはずだ。だからこそ、自分の手で解決したいと思うはずなのだ。
「お待たせ、みんな。ごめんね。待たせちゃって。」
「ノア。」
「大丈夫なの?ノア。」
「うん。大丈夫だよ。今すぐ行こう。あいつらを倒しに。オブリビオンを倒せば、アメリアの記憶も戻るかもしれない。」
ノアは笑っていた。いつものように。けれど、その目は冷たく、今まで見たことがないほど鋭かった。
「無理しなくてもいいんだぜ?」
「無理なんてしてないよ。逆に動いてなくちゃおかしくなりそうなんだ。あいつらに対する憎悪で。」
「…なら行こう。次の目的地は…」
ファンシービビット王国だ。




