巫女の行方⑦鈍狼
【魔狼】或いはその重そうな足取りから【鈍狼】と呼ばれる事もある。
檻から解き放たれた三匹の魔狼、大きく一見鈍そうな足取りで歩くが、それだけの魔獣では無い、他の狼と違いハイスピードで獲物に襲い掛かる必要が無いのだ。
魔狼の邪眼は見た者の精神をかき乱す、襲いかかるのは獲物の隙を作ってからで良い。
術を発動させる為の集中力を阻害し、その咆哮は相対する者に恐怖を抱かせ動きを鈍らせる。
正式名称【邪眼の魔狼】と呼ばれるアシハラに生息する大型の魔獣の中では、相当に厄介な存在で各ギルドの上級冒険者クラスでなければ討伐依頼も受けられない。
「おのれぃ!魔狼かぁっ!精々大猪くらいかと高を括っておったが、黄金丸の力が尽きた所で此奴らが相手とは、刀一本で分厚い毛皮を切り裂かねばならぬとは、どこまで対処出来るか…」
大猪も大きくなれば、厄介な魔獣では有るが、大きさもまちまちで、小鬼達が飼っている個体は、食料も兼ねている、大きい巨猪などは肉も硬く不味い為か飼育する子鬼は少ない、術にも弱い為、対処は容易い。
魔狼は精神防御系の術が無ければ対処も難しく、動こうと思えば素早くも動ける為、例え精神防御が出来てもかなり手強い。
涼夏のドルイドの【写像】の術はあくまで木々が存在する場所から空間を把握し、術者の脳内で映像として変換する術…木々が検知出来ない室内や檻の中の様子は見えない。
弥之助は足を止め振り返り後方の正人達に警告する。
「小僧共!魔狼の目を見るな!咆哮に気を…………」
のっそりとこちらに向かっていた三匹の魔狼達が隙を見逃さず意外なスピートで弥之助に殺到する……!
「うおっ!…ぬかったわ!くっ…」
魔狼の一匹に押し倒され、瞬時に刀を大きく開いた口に挟み込み防ぐ…が、どれだけ耐えられるか、若い頃は当時の日本人としては大柄で身長は160以上…170近い、更には高い身体能力で怪童と呼ばれた弥之助ではあるが、既に年は七十近い。
巨獣に対して術が使えぬ状況でどれ程持ちこたえられるのか?
◆ ◆ ◆
「なんだありゃ?!やばそうなデカい狼が出てきたぞ!」
小鬼の角を掴み地面に叩き付けながら、戦況を観察していた正人が叫ぶ、今の状況で有れば身軽な美咲に弥之助を助けに行って貰うのが良いだろう…
赤い鬼と美咲はお互いに警戒し、攻めあぐねている。
美咲の打撃はあまり効いている様に見えず、赤鬼の攻撃も美咲に当たらない。
弥之助には次の雷撃が来る前に雷術使いに対処して貰わねばならない。
「美咲ちゃん!爺さんが危ない!加勢してやってくれ!でないと次の雷撃に対処出来ない!赤鬼は俺が引き受けるから!」
美咲も責あぐねていた為か、素直に指示に従う。
「OK!分かったわ!ちょっと悔しいけど仕方ない、正人君!気を付けてね!コイツ相当硬いからっ!」
「チィッ!クソメスガァァ!ニゲルノカ!」
ドンが吠え、美咲に追いすがろうとするが、身軽さとスピードが違う。
「戦略的撤退って言ってよ!アンタみたいな硬いヤツとやってらんないわ!」
美咲の攻撃が効果が薄いのには理由が有る。
勿論ドンの異常な耐久力も有りはするが、無意識に使っている自己強化の邪言の効果も有るのだろう。
今の所ドンが使える邪言は溜めが必要な外部に干渉する術では無い、単純な自己強化で有れば精神力も消費せず、即効性が有り、しかも永続的に使用可能で有る。
源は怒り…嫉妬…怨みなど低波動の負の感情を司る悪魔の世界、異次元の力を受け取る事で一切の代償の消費無しに使える。
同時に、悪魔と呼ばれる別次元の精神生命体の異質な想念に魂が侵食され続ける事でもある。
更に言えば美咲の攻撃がイマイチ効果が薄いのは、襲撃前に英二から掛けて貰った強化の付与が、赤鬼と同じく炎の属性である為に無効化されていた事が大きいだろう。
それに霊術のそれ程強くは無い美咲の肉体強化では、スピード上昇は兎も角、火力面でドンの耐久力を上回る事は出来なかったのも有るかも知れない。
完全進化前なら効き目もあったろう。
だが今や完全な【色付き】に進化し存在自体が小鬼とは別物になっている。
何か切っ掛けが有れば火炎すら操る様になるだろう。
バックステップで残像を残しつつ、素早く距離を取り、そのまま弥之助の方に駆けて行く。
美咲が赤鬼の前から撤退すると、正人はすぐにすぐ近くで暴れているジョーイを確認する。
手に持つショートソードは小鬼の血糊で切れ味も悪くなり、既に壊れかけている。
正人は足元に転がる小鬼が得物にしていた錆びた鉄パイプを手に取り言霊を呟く。
「地霊よ♪この錆びた鉄塊を鋭き槍に変えておくれ♪」
瞬時に錆が剥がれ落ち、飾り気は無いが銀色に鈍く光る短槍に、いや先が尖った持ち手の有る火掻き棒の様な形状に変化する。
細長い鉄パイプだけに槍状の物はイメージしやすいのだ、少々おかしな形状では有るが片手で振るうには良いかも知れない。
瞬間的な創造では無く、形質変化で有るので術が解ける心配も無い。
このスピードで行えるのは【地霊の加護】があってこそで、通常の建築術師などは石材の加工なども数十分かけてこれを行う。
丁度ジョーイが斬れぬ刃に業を煮やし小鬼を蹴り飛ばした時…
「ジョーイ!これを使ってくれ!それで英二と鈴本さんの所に行って小鬼や狼が柵を越えない様に守ってやってくれ!」
ジョーイも少し冷静になり、遠くを見れば美咲が魔狼に飛び蹴りを叩き込んでいるのが見える。
弥之助が起き上がり美咲に声を掛け、岩山を登って行くのが確認できた。
正人から短槍を受け取りながら、使えないショートソードを向かってくる小鬼に投げつけ言葉を返す。
「ああ!ありがと……うっ!…あれは…魔狼か、有刺鉄線を越えられたら不味いな、分かった!後衛の守りは任せてくれ!」
英二達の方に掛けて行く。
「地霊の槍!」
ジョーイを追い掛けようとしていた数匹の子鬼の目の前に鋭い岩塊が突き出て、子鬼達を吹き飛ばす。
咄嗟の事で声法を使う暇も無かった。
少し立ち眩みはしたが、これくらいなら問題無い。
「ギャイッ!」
「残りは…魔狼と親玉、雷術使いを入れて十五、六…くらいか?赤い奴は……」
大振りな棍棒を振り上げ、美咲の方に走る赤い肌の鬼を確認する。
「クソッ…そっちか!地霊よ♪赤き小鬼を岩の槍で足止めしておくれ♪」
美咲に向かって走るドンの前に岩塊の槍が突き出し足止めする。
小鬼のボスは岩塊に派手にぶつかり転がる。
距離が有る為なのか、岩の槍は瞬時に消える。
だがそれで充分だった。
頭を振りながら起き上がり、ドンが正人を火の付いた様な視線で睨みつける。
「グゥゥ……イマノハ…テメェカァ!デカイノ!」
◆ ◆ ◆
(ぐぅ…最早これまでか…小僧の挑発に乗ってしまったのが運の尽き…か、いや!戦場で死ぬるなら本望よ、半農半士の郎党とは言え、高木の家は武家に連なる家系よ、最後に己の本分に帰るのも悪く……いや!…死にとうない!)
高木弥之助、永禄元年の山間東部、山川家の郎党で有る武士の家にに生まれ、幼少期はその高い身体能力で怪童などと呼ばれる事もあった。
織田の侵攻…と言うよりかは織田の旗下の将が、北上に際して尾形の所領をついでに踏み潰して奪ってやろうと画策したのが切っ掛けで、何やかんや有り異世界に転移…
異世界で生き残る為に必死で故郷に帰る事も叶わず…
冒険者仲間と腐れ縁で夫婦となり…
二人の息子と何人かの孫に恵まれ…それなりに名を上げ蓄財も叶い…
近年は獲得した特権をフル活用して楽隠居しながら…数年前に妻が鬼籍に入ったのを良い事に欲望に塗れた生活を送っていたのだが…
それも最早…走馬灯が巡り己の人生を振り返る。
「ギャウンッ!!!」
と…突然若干の衝撃と共に獣の匂いと重圧が消える。
「おじいちゃん大丈夫?!…こっちは攻撃が通じる…さっきの赤鬼はやっぱり…でもこの狼…何なの?…不気味…」
美咲が魔狼を蹴り飛ばし弥之助を後ろに庇いながら、周囲を警戒する。
他の二匹は仲間がやられても緩慢な動きで遠巻きにこちらの様子を見ている。
妙に冷静で唸りもせず、普通の獣と違う反応が何とも気味が悪い。
「おお!足癖の悪い娘!助かった!ふぅ…慰霊の森に向かった筈の女房が手を振っている光景が見えたぞ…」
美咲は弥之助の方を見ずに文句を言う。
「何よ!足癖悪いって!助けてあげたのに!…それよりも雷術使いを何とかして!…あんな電撃あたし達じゃ防御の仕様も無いからっ!早く行って!」
弥之助は美咲に忠告をしながら岩山に向かう。
「応!勿論じゃ!娘よ!魔狼の目と咆哮に気を付けよ!特に目は見るな!!!ワシの様に押し倒されたら終わりぞ!」
「分かった!目と咆哮だよね…」
美咲に蹴りを入れられた魔狼が頭を振りながら立ち上がり咆哮する。
「アオーーーーーーン!!!」
「何…?!……足が……」
急に心の中から恐怖心が湧き上がり…膝が震える。
◆ ◆ ◆
空中に電気がバチバチと爆ぜ始め、それが次第に大きくなる
「アト…モウスコシ…ドントタタカッテル…アノデカイオス二…トクダイノヤツヲ…」
正人は落雷対策で全ての金属器を外していたのだが、どうやらあまり意味は無かった様である。
…だが…
突然飛来した金色の甲虫が電気が爆ぜる空中に滞空し、全ての力を吸い取り…食らって行く。
「ムシ!?ア!?サッキノキンイロノヒカリ!アアッ!クソッ!セッカクタメタチカラヲ!コイツナンナンダヨ!!!」
背後から老人の声が聞こえる。
「良かったのぉ!黄金丸!たんと食ったか?」
イダは声のする方向を振り返る。
「サッ…サッキノジジイ………サム…ライ?」
何故か…抜き身の刀を構えた老人の佇まいを見ると……覚えて居ない筈の記憶が刺激され…その言葉が飛び出す。
弥之助が目を見開き驚いた顔でイダに語り掛ける。
「おヌシ…その言葉は、小鬼の声は聞き取り辛いが…確かに言ったな…【侍】と…」
そう…このアシハラは下の世界…日本とリンクしており、似たような物や名称は存在するが、その名称に関しては存在しない、正確には弥之助は武士ではあるが郎党、侍と呼ばれても良いのは主家の山川家ではあるが、その辺の細かな位階は子鬼も知らないのであろう。
それに、侍と呼ばれ、少し気分が良くなった。
八つの島に別れ、それぞれ別の歴史を歩んで来た時間も相当に長い、刀士、衛士、守護士、武士とも呼ばれるが【侍】と言う呼び方は存在しないのだ。
「ハッハッハッ♪ワシが侍か♪面白い…小鬼共が元々人であった、との話は学者共のタワ言と信じておらんかったが、まさかのぉ…こんなところでその事実を目撃するとは、いやはや長生きはするモンよのぉ!おい!小鬼よ!何をやって地獄に落ちた!聞いてやるから言ってみい♪首を跳ねるのはそれからでええわい♪」
絶対絶命…
(オレが人間?現人?何を言っているこのジジイ…オレのナイフ…は下…そうだ!一応これで…弾丸は二発…この前食った冒険者が持ってた…)
老人に向かってリボルバー式の銃を構える。
「ほう…冒険者から奪った鉄砲か、おぬしらにその精巧な弾丸など作れまいに、刻んで有るルーンの使い方も知らぬだろう。意味を理解しておらず霊力の注ぎ方も知らんのではな、この距離なら刀は届かぬと?浅はかな、弾丸を躱すのを見せてやっても良いが、足場も悪い…自ら雷撃を食らってみるのも良かろう…黄金丸!刀じゃ!」
光る昆虫が電気の塊に変わりバチバチと老人の刀に吸い込まれて行く、老人は刀を鞘に収め居合の形に構える。
「さて早撃ち対決と行こうか…ん?撃たんのか?なら…」
「ア?…ナンダ…コワレ…」
さっきから引き金は引いている。
なのに引き金は動かず、弾丸も出ない、威力が大きいのも知っている。
だが弾丸など作れないし滅多に手に入らない。
試し撃ちすらした事が無い、安全装置を外さねば撃てない事すら知らないのだ。
「行くぞ!【飛雷閃】じゃ!」
老人が刀を抜き放つと同時に、弧状の雷撃が凄まじい速さでイダの肉体を貫く!
腹から胸に掛けて、皮膚がパックリと切り裂かれ、同時に電撃が身体を駆け巡る!
「アギィィィィィィィィ!!」
初めて自らの身体で電撃を受けた。
ショックを受けて意識が薄れる。
イダはフラフラと足がもつれ、岩山から下に落下していった。
薄れゆく意識の中でイダ、の脳裏には取り留めの無い混濁した思考が駆け巡る。
以前は人間の街を奪ってドンを大名にして自らは侍になる。
そう言った…侍…偉い戦士になりたい…と
だが、黒き魂の記憶は…それは違うと告げる。
(あ、あ、あ…侍…になりたかったんじゃ無い……オレ……アタイは………盗賊として…侍に……殺され…)
運の良い事に落下した先は奴隷小屋の藁葺きの屋根、身体を打ち付け、クッションを挟んで地面に落下していく、イダの意識は途絶えた。
「しまった!格好を付けて早撃ち勝負など!…首を取れんかったわい……しかし…何故鉄砲を撃たんかった?早撃ち勝負に乗ったのか怯えとったのか……どれ…」
弥之助は小鬼が落とした拳銃を拾う。
「………ぷっ…ワハハハ♪なんじゃ!安全装置が外れとらんじゃ無いか!なるほどのう矢張り小鬼は小鬼よ!どれ…弾丸のルーンは何が…?…破壊か力か…ん?動きだと?珍しい…」
銃士が使う弾丸にはルーンの刻印が有る物が多い、有れば元々の持ち主はルーン使い、或いは魔法使い、無ければ属性付与術を使う術師が持ち主で有る可能性も有る。
弾丸には…【エワズ】、動き、を意味するルーン。
珍しいが持ち主は射撃の腕には自信が無かった物と見受けられる。
補助的に使っていたのかも知れない。
「なるほどのぅ〜、確か動き…だったか?女房は使って無かったが、ふむこれならワシでも使えるかも知れん。そうじゃ!黄金丸!この弾丸じゃ!」
有る意味、この突発的な発想が弥之助を二つ名持ちの冒険者に押し上げたのかも知れない。
黄金丸が今度は弾丸に憑依する。
下を見れば、いつの間にかジョーイと英二、涼夏が魔狼の近くに走って行く所であった。
そして正人は赤鬼と、何故か素手で殴り合っている。
「ふむ…何で小僧が鎧を解除しとるんじゃ?まぁ…あっちはほっといても良いか、しかしさっきの娘、動きに精彩が無い、魔狼の咆哮を浴びたな…待っとれよ、今一匹減らしてやる、ワシの霊力も残り少ない…全てルーンに…力を込めて…」
美咲は三匹の魔狼に囲まれ防戦一方、咆哮の効果は魔狼が意識を集中した対象者に限られる。
三匹の魔狼に咆哮を浴びせられ、そのうち一匹が美咲の後ろから飛びかかろうと…
弥之助が拳銃の引き金を引く、対象は今まさに美咲に踊りかからんと飛び上がる魔狼の眉間…
発射した銃弾は不思議な軌道で魔獣の眉間に向かう。
黄金丸が憑依した事で音速を超え光の速さで魔獣を貫いた!
まさにそれは、必中のレールガンに等しいかも知れない。
突然…美咲の後ろで魔獣が爆ぜる。
…辺りに血肉が派手に飛び散り………
血肉をモロに浴びた美咲と涼夏のけたたましい悲鳴が聞こえる。
「……流石に消耗が激しいわい気力が尽きたわ…後は任せたぞ…小僧共…」
フッと笑うと弥之助は岩山の上でへたり込む。
意識は失っていない、だが回復には暫くかかるだろう。
岩山の下での戦闘はまだ終わらない。
高評価ブクマ宜しくお願いしますm(_ _)m
人は死後、生前の姿のまま最初の霊界へはいっていく。ここには長くいられないが、先に別れた肉親と再会し、しばらく一緒に暮らす事も出来る。やがて魂の段階に応じて別れ、本来の自分の世界へ帰って行く
地獄暗黒へ向かう者もいるが、それぞれの人々にとっては歓喜である……らしいよ?




