#22 番外編・夜明け前の約束
2018年の最後に、三か月ぶりの新エピソードです。
季節感を合わせるため、過去の出来事を書いてみました。文香と夕貴が、きょうだいになったばかりの頃のお話です。
たいていはどんな職場でも、年末年始の約一週間くらいは休みになる。それはわたしの両親だって例外じゃない。だけどその年末年始が、遠方への長期出張とかぶってしまったら話は別だ。
今年、わたしには、同い年の弟ができた。母が再婚したのだ。再婚相手は、男手ひとつで息子を育ててきた父親だった。ずっと一人っ子だったわたしの元に、突然同い年の男の子がやってきて、ひとつ屋根の下で暮らすことになったのだ。
そんなイレギュラーがあったこの年も、もうすぐ終わろうというのに、再婚したばかりの母と義理の父親は、揃って遠くに出張中で、この日も帰ってこない。
「……うん、分かった。大丈夫、カップそばでも十分だよ。今年はひとりじゃないし」
電話の向こうの母に向かって、わたしは言った。
「そう? 無理しなくてもいいのよ。女の子なんだから、きつくなったら男の子に頼ったっていいんだからね」
「はいはい。じゃあ、無事に年を越せたら、メールするから」
「うふふ、楽しみにしてるわね」
そうして、今年最後の、母との会話が終わった。
きょうは十二月三十一日。新しい弟と過ごす、初めての大みそか。
……ひとりじゃない。だけど、気分はどこかひとりぼっちだ。
「あ、電話終わった?」
夕貴はこたつに入ってみかんを頬張っていた。
「うん……年始の挨拶にも出られそうにないって」
「また何日も文香と二人きりか……みかん食べる?」
「ん、食べる」
こたつに脚を入れたわたしに、夕貴がみかんを手渡してくる。ぶっきらぼうに見えて、実は他人をよく観察してしっかり気遣いをしてくる、わたしと同い年とは思えない落ちついた子ども。それが初対面の時から、わたしが夕貴に抱いている印象だ。
夕飯はとうに食べ終えている。一週間も前から出張をしている両親だが、おせち料理だけはお店にバッチリ予約していて、それも今日届いた。でも我が家では昔から、おせちは年明けに食べるものと決まっているので、夕飯には使わず、未だに冷蔵庫の中……今夜は、あり合わせの食材で適当に作った普通のごはんをいただいた。ちなみに作ったのはわたしだよ。えっへん。
とはいえ、どこもかしこも家族みんなでにぎやかに過ごす中、特に仲が深まったわけでもない姉と弟だけで、変哲のない夕飯を黙々と食べるだけの大みそか……。
「わびしいねぇ」
「どこで覚えたんだよ、そんなお年寄りみたいな言い方」
お年寄りみたいって失礼だな、こいつ。
「とりあえず、年明けと同時にお母さんにメールするつもりだから、十二時過ぎまでは起きていないと。あーでも、こたつに入っていたら、それまでに寝落ちしそう」
そんなわたしは、すでに頭がこたつの上に載っている。寝落ちの準備完了、ってね。
「ただでさえ文香、普段から十時までには寝てるもんな」
「そうだよー。夕飯も終わったし、年越しそばも年をまたいでからじゃないと食べる気しないし、手元にあるのはみかんだけ……やれることなーんもない」
すると、夕貴は仏頂面の瞳をキランと輝かせた。
「宿題をするという手もある」
「ごめんね、最初の一週間でぜんぶ終わらせた」
「(シュン……)」
急に落ち込んだような表情になる夕貴。残念だったな、仲間がいなくて。
「いつも思うけど、文香って宿題を終わらせるの速いよな。どこにそんな時間があるんだ?」
「夕貴が友達と遊ぶのに使ってる時間だけで、十分に宿題できるからね」
「あ、そっか……ごめん」
……おい、やめてよ、憐れむような感じで謝るのは。
そんなに察しがいい方だとは思ってないけど、夕貴がいま何を考えたか、おおよそ分かる。宿題をするのに使える時間がたっぷりあるほど、わたしには遊ぶ友達が少ない、そう考えたのだ。
夕貴はマイペースな性格をしてるけど、その性格が逆に周囲からはウケているらしく、意外と遊びに付き合ってくれる友達は多いらしい。かくいうわたしは、幼稚園の時から仕事で家にいない親の代わりに、ひと通りの家事をしてきた事もあって、家のことで忙しいからと付き合いを断るのがほとんどだった。くっそぉ。
……しんと静まる部屋の中。会話が続いてくれない。
実をいうと、夕貴と家族になってからというもの、こうやって会話が途切れることなんてしょっちゅうある。お互い、勝手の分からない人がきょうだいになって、どうやって関係を築いたらいいのか、途方に暮れているんだと思う。
閉め切った窓の向こうからは、大みそかの喧騒がかすかに聞こえてくる。
時刻は九時を過ぎている。
「……そういえば、紅白とか見ないのか?」
ようやく夕貴から口を開いてくれた。ただ、話題としては弱い。
「……知ってる歌手がいない」
「ふうん」
「見たければ夕貴だけで見てもいいけど」
「僕はそんなに興味ないけど……石川さゆりが出るなら見るかな」
「ちょっ! 石川さゆりって、なんで小学生の口から演歌歌手の名前が出るの。ていうか誰が出るかなんて事前に分かってるじゃん」
「……やっぱりいるじゃないか、知ってる歌手」
はっ……!
やられた。わたしがマジメなのを逆手に取られて、ボロを出してしまった。
「はあ〜」夕貴はため息のあとに言った。「気分が乗らないだけなら、そう言えばいいのに。どうせいつもお母さんと一緒に見てるから、お母さんがいない今年は見る気にならないんだろ」
なんで分かるんだ……夕貴の観察眼、あなどりがたし。
そう、図星です。いつも仕事で忙しい母も、年末年始だけはずっと一緒にいて、一緒に年越しそばやおせちを作って、一緒に紅白を見て盛り上がっている。たぶん、物心つく前に父が亡くなったこともあって、なるべくわたしと一緒の時間を作ろうとしたんだね。今年だって家族がひとりもいないわけじゃないけど……。
まだわたしは、夕貴のことを家族だと思えていない。少なくとも、心のどこかでは。
「なんでそういうこと言うかな……夕貴、案外意地が悪いよ」
「そんな事ないよ。僕は優しいよ」
「えー?」
「こんなことできるのは文香だけだから」
…………はい?
「な、なんでわたしを特別扱いするわけ?」
「そりゃあ特別だろ。家族だし、義理だけど姉と弟だし」
ああ、そうか……その言葉を聞いて、また一段と肩身が狭くなるわたし。
夕貴にとっては、とっくにわたしは家族の一員だったのだ。もう気を許しているし、だからこそ意地の悪いことも普通にできる。わたしにはそんなこと、まだできそうにないのに……。
いきなり違いを見せつけられた気分だ。育ちの差のせいなのかな。
「……それ、よく受け入れたね」
「何を?」
「わたしが姉になるってこと。夕貴も突然の事で戸惑っているかと思えば、すんなりわたしときょうだいになってるし、違和感もってないし」
「そりゃあまあ、最初のうちは戸惑ったよ。でも、めんどくさがりの僕と違って、文香はまじめで頑張り屋さんだから、文香が姉になるならいいかなーって感じで」
その割にわたしのことを“お姉ちゃん”などとは呼んでこない。たかが数か月離れているだけの女の子に、それは使いにくいかもしれないけど。
「褒めてくれるのは嬉しいけどさ、そんなんで夕貴の相手をする事ってなくない? 実際、夕貴が遊ぶのに付き合った事なんて一度もないじゃない」
「学校の友達で十分だし、それに僕だって、父さんがサイコンする前は、ひとりでいることの方が多かったよ」
「そうなの?」
育った環境が大きく違っているわけじゃなかったんだ。だったら単純に、わたしがひとの懐に踏み込めない、臆病者なだけなのか……。
「一緒に遊ばなくてもさ、家に帰った時にひとりぼっちじゃないからいいんだよ。いつも文香が、同じ場所にいるって分かっているから、ああ僕はひとりなんかじゃないって、思えるんだ」
「…………」
「文香がどう思っているかは知らないけど」
思っていなかった……血の繋がりはなくても、夕貴という家族が、同じ場所にいると分かっているのに、いつもひとりぼっちの気分でいた。
分かってる。これは性格の問題だ。夕貴はささいなことでも受け入れられる。わたしはささいなことでコドクを感じる。夕貴はそんな違いを気にしない。わたしはすごく気にする。血の繋がらないきょうだい……似ることなんてないけれど、似ていないだけで、きょうだいらしいと思うことができないなんて。
それはいやだ。わたしだって夕貴みたいに、夕貴を弟だと思いたい。
突き動かされるように、わたしは口を開いた。
「夕貴!」
こっちを見る夕貴。
「わたし……っ!」
わたしも、あんたがいればひとりぼっちじゃないと、思えるようになりたい。そう言おうとした。言うつもりでいた。
でも…………言葉が出なかった。
エサを求める金魚みたいに、半端にあけた口が、次の言葉を待つようにぱくぱくと動く。
夕貴がわたしをじっと見ている。わたしが放つ思いを、真っすぐに受け止めようとしている。……ということだよね。わたしはその目を、真っすぐ見返せない。
どうやらそう簡単に、わたしの臆病は治らないみたいだ。
「…………っは」
「は?」
「は、はつもうで……明日も、お父さんとお母さん、いないから……ふたりで、初詣で、行こうよ」
わたしはそう言いながら、心の中で詫びた。誰に向かってということもないけど。
……ごめん、まだ、こんな事しか言えないや。
「それはいいけど、近所の神社やお寺は絶対こむよな。子どもだけは危なくないか?」
「そう思うんなら……」
でも、臆病者だって、できる事はあるよね。
「夕貴がわたしのこと、守ってよ。男の子なら、姉を守ってくれるでしょ」
今度はわたしが、ちょっと意地の悪いことを言ってみた。
「……なんてね」
ニカッ、と笑ってみる。本気にしてくれたら嬉しい、くらいの気持ちだからね。
夕貴は顔色ひとつ変えてくれない。面白味のないやつだ、と思いそうになったとき、思いがけない答えが返ってきた。
「分かった。守るよ、文香のこと」
…………え?
固まったわたしの前に、小指だけ立てた右手を差し出す夕貴。
「約束」
あっ……これ、わたしが言い出すまでもなく、本気なんだ。
うん、確かに、嬉しい。
わたしはそっと、夕貴の小指を、自分の小指でつかまえた。
何も言えない。こんな調子じゃ、わたしはいつまでも夕貴にかなわないのだろう。少なくともそう……あの赤い記憶から解放されるまでは。わたしが臆病なのは、一歩踏み出せないでいるのは、きっとあれのせいだから。
ゴーン……
「あ、除夜の鐘……」
「もうそんな時間か」
ふたりで揃って窓を見る。わたしはこたつから出て窓に歩み寄っていく。
ちょっと足元が寒いなぁ。
「もうすぐ新年だね。お母さんにメール、しな、くちゃ」
|||||
ふっと、意識が途切れる。
突然目の前で、文香がガクッと膝をついたと思うと、ばたりと倒れた。
「文香っ!?」
僕は慌ててこたつから飛び出し、文香のもとに駆け寄った。
……安らかな顔で両目を閉じている文香は、すぅすぅと呼吸している。
「あ……寝落ちしただけか」
とりあえずホッとした。きのうからなんだか忙しそうだったから、疲れたのだろう。ここまでよほど無理をさせていたに違いない。
「新年を迎える前に、ゆっくり休もうか……」
とはいえ、ここで寝たら風邪をひいてしまう。こたつで寝たら風邪をひく、とは聞いたことがあるけれど、だからってこたつの外ならひかないなんて事はない。
僕はまず、文香が使っている部屋のドアを開けっ放しにし、エアコンの暖房をつけ、いつもながら綺麗に整えられている布団をめくった。まだお風呂に入っていないけど、寝てしまったのならどうしようもない。せめてベッドで寝てもらわないと。
道筋を確保すると、僕は文香のからだを両手で持ち上げた。
……うん、それだけなんだけど、結構きつい。普段から運動とかあんまりしてない上に、文香が割と重いのだ。そんなこと、絶対本人には言わないけど。
「くぅっ……う、腕がぁ……」
ふらふらになりながら、僕は文香を部屋に運び入れた。ベッドの上に横たえると、めくっていた布団をかぶせた。ここまでされても、文香は起きなかった。いったいどれだけ疲れがたまっていたのだろう。
……もしかしたら、ちょっと安心したせいかもしれない。
寝返りを打つ文香。軽くクセのある文香の髪を、僕はさらっとなでる。ふと……彼女が少し、笑ったように見えた。
ひとりぼっちでなくなるかもしれない、そう思ったのかな。
「……約束だから、何があっても文香のこと、絶対に守る。ずっとそばにいる」
語りかけるように、なだめるように、僕はこう付け加えた。
「……弟だからね」
たぶんこの先ずっと忘れる事のない、姉との約束。子どものたわむれと言えばそれまでだけど、僕は、いつまでも守り続けていける気がしている。何があっても、そばにいて、姉の心の支えになりたい。……ならなくちゃ、いけない。
ゴーン……
最後の鐘の音が聞こえてきた。
「あっ……そういえば新年のメール、お母さんに送れなかったな」
年をまたぐ寸前で寝落ちしてしまうとは、文香もなんと運のない……いや、この状況なら、割といいメールが送れるかもしれない。
僕は文香のスマホを見つけると、すやすやと気持ちよさそうに寝ている文香を、撮影した。
カシャッ
寝顔の写真をメールに添付して、『寝ちゃいました』の一文とともに送信する。
少したってから、母親からの返信が来た。
『そうなると思ったよ……夕貴、あとはよろしく』
言われるまでもないですよ。ちょっと可笑しくなって、僕はくすっと笑った。
数年後、僕は再び母親から、「あとはよろしく」と言われることになるのだが、それもやっぱり、言われるまでもないことだった。あの日……僕と文香が心からきょうだいになる前に、交わした約束を、まだ僕は忘れていなかったから。
そしてさらに数年後、文香の支えになってくれる家族がもっと増えるのだが、それはまた別のお話だったりする。




