#23 扇風機ラプソディ(前編)
時系列が戻りました。夏ならではのエピソードです。
わたしは子どもの時から、広い庭のある家に住んでみたいと夢見ていた。高校二年生のいま、その夢は叶ってしまっている。
とある田舎町の、のっぺりとした山の中腹にある、宮原家の自宅。昔からこの町は住人が少ないため、誰もが比較的広く土地を得られたそうで、それは宮原家のある土地も例外じゃない。とはいえ、以前の家主が亡くなって、その子供たちが別の町に移り住んだ際、所有していた土地はほとんどが売却され、森林などの管理が面倒な部分は地元自治体の公有地となり、建物を含めた残りの土地はしばらく不動産会社が管理することとなった。わたし達の両親はこの土地に目をつけ、移住を決めた。その際、建物の基礎部分以外はそのままにしたのだ。
これによって、わたし達は労せずして、広い庭のある家に住むことになったのである。まあ、そんな夢を抱いていたのは小学生のころまでで、高校生になった今となっては、どうでもよくなっていたけど。
両親が長期出張で家を留守にしている間、庭を整えるのはわたしたち四人のきょうだいの役目だ。整えるといっても、ぼうぼうに生える雑草を定期的に抜いて、生け垣に水を与えるくらいで、それほど手間のかかる作業じゃない。結構な広さがなければ、の話だが……。
この日、縁側のそばにある水道から、シャワーノズルの付いたホースで水をまいているのは、暇であり、かつ単純作業なら面倒くさがらずやってくれる、下の弟の夕貴である。実はこっそり生け垣の剪定もしているらしいが、その場面をわたしは見たことがない。
わたしはどうしているかというと、その庭が見渡せる和室で、家計簿をつけていた。我が家の財布を預かっているのはわたしなので、わたし以外に記帳する人はいない。上の弟の丈太郎は野球部の練習に、そして末っ子の菜月は……同じ部屋で大の字に寝転がっている。人の目を気にする必要がないからか、シャツ一枚のはだけた格好で。
ちなみにこの和室には扇風機を置いて、今も首振りで稼働させているが、畳の床に寝転がっている菜月には、たぶん風が当たっていない。
「あ…………っつぅぅ……」
寝転がってから、彼女が暑いと言い出すまで、だいたい七分。まあもった方かな。
「文香お姉さまぁ……そろそろエアコンをつけてもいいのではぁ?」
「そもそもうちにエアコンないから」
築五十年の古い家がそのままなので、もちろんエアコンの類いはない。お風呂やキッチンは、前の家主が亡くなる数年前に新しくしたらしいので、IHとか追い炊き機能とかはないけれど、不自由なく使えている。しかし、それ以外の設備は半端なままだ。
「うん、だからさ……エアコンをつけようよ。この部屋の壁に」
「ああ……そういう意味? 悪いけど、そこまでの経済的余裕はありません。お父さまとお母さまが戻ってきてから相談しなさい」
「くっそぉ! 早く帰ってこいっ!」
勢いで起き上がりながら恨み言を叫ぶ菜月。エアコンの相談はともかく、早く帰ってきてほしいというのはわたしも同意だ。(わたしにとっての)育ての両親は、もう一年近く遠方に出張していて、なかなか帰ってこない。高校生四人だけの田舎暮らしにも慣れてきたとはいえ、親が不在であることによる不都合はいくらでもあるのだ。
起き上がった菜月の目の前には、首を振ってガンガン風を飛ばす扇風機。わたしは持続的に風を浴びなくても平気だから首振りにしていたけど、菜月は何を思ったのか、首振りを止めてファンの向きを固定した。もちろんこっちに風は来ない。
じわっ……少し肌ににじんだ汗がちょっと不快だ。
「菜月、何してんの」
「ああ~~~……わ~れ~わ~れ~は~」
「何してんの」
菜月は扇風機に顔を向けて、薄目で風を顔面全体に浴びながら、おかしなことを呟いている。あれか、子どもが扇風機でよくやる、宇宙人の声になるってやつだ。
「いやあ、やっぱ扇風機を前にすると、こうやりたくなるんだよ」
「どうでもいいけどさ……貴重な風をひとり占めするの、やめてくれない?」
「それはすまない」
菜月は素直に、扇風機を本体ごとわたしの方に向けた。あー涼しい。
「しっかし、毎日こうも暑いと、なんもやる気出ないよねぇ」
「現在進行形で黙々と家計簿をつけている人の前で言って、虚しい気持ちにならない?」
「文香は根っこが働き者だから、今さらどうとも」
「そんなに暑さでやる気がそがれるなら、水浴びでもしてきたら? ちょうど夕貴が生け垣に水をやっているところだから、そのついでに」
ものすごく適当な受け答え。わたしだって、この暑さで切れかかっている集中力を、レシートの整理や数値計算に費やすのに必死で、まともに菜月の相手をする余裕なんてないのだ。
「生け垣と一緒にすんな! ……でも、それいいね。ちょっと浴びてこようかな」
「えっ」
菜月も暑さで頭をやられたのか、わたしの冗談を真に受けたみたいだ。いや、一応ツッコミができるくらいの精神的余裕はあるのか。菜月は縁側へ歩いていき、サンダルを履いて庭に出た。
「おーい、夕貴ぃー、人間ポンプ車ぁー」
またいつものように無生物を用いた暴言で、菜月は夕貴に呼びかける。その声に、夕貴は生け垣に水をかけながら振り向く。
「わたしにも水かけてぇ! カモン!」
菜月は大手を広げて、水浴びのスタンバイを整えている。……という姿がわたしにも見える。見えるということは、その立ち位置で水を浴びると、縁側を越えて和室にも水がかかると思うのだが……。
夕貴はしばらくじっと菜月を見返して、そのままプイッと、無言で視線を生け垣に戻した。
「…………」
大手を広げたまま、固まる菜月。
ガシッと、夕貴の肩を強くつかむ。暑さのせいで若干増幅した怒りを込めて、菜月は夕貴に不服をいう。
「コラァ夕貴。かわいい義妹の頼みをスルーするとはどういうつもりよ」
「かわいい義妹の言い草じゃないなぁ……」
何やってんだ、あの二人。わたしも、記帳がひと通り終わったので、縁側に出て様子を窺う。
「菜月……いまシャツ一枚だよな」
「そうだよ。見て分かんない?」
「いや分かるけど……そんな恰好で水を浴びたら、下着が透けて見えるよ」
「あっ」
菜月は自分の服を見て気づいた。透けないタイプのキャミソールもあるらしいが、菜月はシャツの下にそんなものを着ない。生来の面倒くさがり屋なのだ。
「きょうだいとはいえ、目の前に異性がいるわけだから、念のためにと配慮したんだよ」
「……夕貴、意外と紳士的なんだね」
妙に引っかかる物言いに腹が立ったのか、至近距離にいた菜月の顔面に、さっとシャワーノズルを向けた。
「ぶわっ!」
いきなり顔に水をかけられて、菜月は反射的に飛びのいた。さすがに器用な夕貴のこと、水は顔にかかっただけで、シャツにはあまりかからなかった。……まあ、紳士的とは言いがたいけど。
「なにしやがる!」
「いや、なんかイラッときたから。暑さのせいかな」
「責任転嫁すんな! ……まあでも、涼しくて気持ちいいから、許す!」
手を腰に当ててふんぞり返る菜月。びちゃびちゃの状態で尊大にふるまってもなぁ。
「要はこの恰好がいけないんだよね。分かった、ちょっと待ってて!」
何を思いついたのか、菜月はダッシュで家の中に駆け戻る。わたしのいる和室を通り抜けて、階段をドタドタと上がっていく。さっきまで暑くてやる気でないとか言ってたのに、ずいぶん元気になったものだ。
一分ほど経ってから、再びドタドタという足音がとどろいて、菜月が和室に戻ってきた。そのまま立ち止まることなく、サンダルを履いて外に出る。
「さあ夕貴! これなら問題ないでしょ! 存分に水をかけるがいい!」
そう言い張る菜月は、去年買ってもらったフリフリの水着を着ていた。水着ならどんなに濡れても大丈夫、というわけだ。もちろんTPOを考えなければ、の話だが……。
「……菜月もずいぶん、田舎の空気感に染まったなぁ」
「ちょっと、どういう意味よぉ」
呆れた様子の夕貴の一言に、口を尖らせる菜月。言うまでもなく、女子高生が家の庭で水着になってはしゃぐという、都会の感覚ではありえない言動を指している。よその人に見られることがなかなかないと分かっているからって、よくそんな恰好を恥ずかしげもなく……。
「悪いけど、水やりはもう終わったから、続きは文香にでもしてもらってくれ」
「うぇっ!? なんでわたし?」
ちょっと気になって眺めていただけなのに、まさかわたしにとばっちりが来るなんて。
「他に預けられる人がいないから。菜月が自分で浴びるのも変だし、それに、僕は今から、レゴブロックでノートルダム大聖堂を作らなくちゃいけないから」
「わー、地味なくせに壮大すぎてなんも言えない……」
そういうわけで、反駁もツッコミも早々に諦めたわたしは、夕貴からホースの付いたシャワーノズルを受け取った。夕貴は涼しげな顔で家の中に戻っていく。……水をまいていたおかげで、熱気の少ないところにずっといられたせいかな。
菜月はわくわく顔で、水がかけられるのを心待ちにしている。
「……わたしが言い出しておいてアレだけど、水がもったいなくない?」
「うーん……そうだ! 髪を乾かすのにドライヤーじゃなく扇風機を使えば、つり合い取れるんじゃない?」
そうなのか? 水浴びをしなければ両方ともいらなくなるような……ああ、もうどうでもいい。
「菜月! 手をあげろ!」
自棄になったわたしは、銃のようにノズルを構え、そう叫んでから水を発射した。もちろん安全のためにシャワーにしているけど。
シャアアァァァ―――!
「きゃはははっ、文香、つめたーい!」
冷たい水を全身に浴びて、菜月は嬉しそうにはしゃいでいる。
「それそれー! 逃げられると思うなー!」
笑いながら逃げ回る菜月に向かって、わたしは水をかけまくる。なんだかわたしまで楽しくなってきた。
しばらくは菜月が逃げて、わたしが水をかけるだけだったが、調子に乗った菜月が、わたしに向かって突進してきた。もちろん水を浴びながら。
「もぉー、やったなー!」
「ちょっ、待って、わたしは普通の服で……わあっ!」
菜月が飛びかかってきて、わたしは後ろ向きに倒される。そのはずみで、シャワーノズルがわたしの手から離れ、水のしぶきがパーッと飛び散った。一瞬、小さな虹が見えた。
仰向けに倒れているわたしに跨って、菜月は透き通る空を見上げる。
「あははっ、気持ちよかったねぇ、文香」
「はしゃぎすぎだってば……」
ここの地面は人工芝とかじゃないから、濡れたところに倒れれば服は汚れる。とりあえず急いで洗濯して干すか……今日の天気と気温なら、夜までには乾くだろう。やれやれ。




