#21 キルタイム
お待たせいたしました。2か月ぶりの最新話です。
ちょっとだけ物語の核心に触れる、しかれども軽めのエピソードです。
前略、暑い日が続いていますが、皆さまはつつがなくお過ごしでしょうか。
わたし、宮原文香は……ものの見事にバテています。
ミーンミーンミーン……ジジジジジジジジジ……ツクツクボーシツクツクボーシ……
ありとあらゆるセミの鳴き声が響き渡る中、わたしは一階の和室のど真ん中に、大の字になって寝転がっていた。幸いにも、今は昼間で太陽の位置も高くなっているため、南向きの和室でも、いま寝転がっている所に日光は当たっていない。風の通りもいいし、セミがうるさいことを除けば快適な空間だ。それに、質のいい畳はほどよく湿気を吸ってくれるし。
ただ……自分でいうのもアレだが、普段のわたしは生粋の“働き者”で、こういうよく晴れた、夏休み中の今だからこそ、かいがいしく家事をするのが普通になっている。これでも花の女子高生なのに、である。
そんなわたしが、ぼうっと天井を眺めながら畳の上に寝転がっているのか……簡単である。仕事ひとすじのサラリーマンとかなら分かるはずだ。根っからの“働き者”が仕事を失ったら、どうなるか。空っぽの状態になって当然なのだ。
「あー、もう……洗濯終わっちゃったし、夕飯の仕込みもできちゃったし、掃除は昨日のうちにぜんぶ済ませちゃったし、それに……宿題も片づけちゃったし」
言い忘れていたが、きょうは7月31日。ばっちり夏休みの真っ最中だが、まだ8月に突入していないし、もちろん全体の半分も消化していない。田舎なので、都会と違って夏休みはお盆を少し過ぎた辺りで終わるのだけど、それでもまだ、半分以上残っていることになる。
……稀有に違いないとは自覚している。そうですよ、わたしは夏休みが半分すぎる前に、学校の課題をぜんぶ終わらせましたよ。わたしにとってはごく当たり前にできることですよ、それが何か。
「暇だ……なんもやることがない……」
普段、呼吸するみたいに働いているわたしにとって、この暇な時間は、アプリを大量に詰め込んだ高性能のコンピュータみたいなもので、使い方の幅は広いのに、不慣れなせいか使い方が分からない。……こんな人だから、わたしのスマホにはアプリが少ない。
せめて、義理のきょうだい達がいつものように、頼みもしないのに用事に巻き込んでくれたら……内心、そうやって振り回されても悪い気はしていないのだ。でも、丈太郎は野球部の練習、菜月は丈太郎をからかいつつ応援するべく同行していて、夕貴はクラスの友人たちと遊びに出かけている。つまり現在、この家にはわたししかいない。
そうそう、夏の野球部といえば甲子園大会を思い浮かべる人が多いだろう。うちの高校の野球部は残念ながら、県大会準決勝で敗退し、甲子園行きはならなかった。それでも大会ベスト4の好成績は近所でも称えられていて、丈太郎もスラッガーとしての活躍が目立ったという。もっとも、後になって菜月から聞いた話なので、色眼鏡を通している可能性は否定できないが。なんだかんだ言っても、菜月は丈太郎が野球で活躍するのが嬉しいのだ。
わたし自身は野球にそれほど興味がないので、この話はここまでとして……まあとりあえず、暇だ。
「そういえば、こんなに暇になるの、ずいぶん久しぶりかも……」
学校がある間は、日々の家事と学業を両立するのに必死で、それでも起きている間の休みなんてゼロに等しい(もちろん夜の睡眠はがっつりとっているが)。それが夏休みに入り、学校関連でやることをぜんぶ終わらせた今、わたしの、多忙の両輪のうちひとつが失われたことで、予定外に時間ができたわけだ。
女子高生にそこまで抱え込ませるってどうなんだ、と思う人もいるだろうが、これでも最近はだいぶ楽になってきているのだ。以前は任せっぱなしだった三人のきょうだい達が、積極的に手伝うようになったからだ。
夕貴は細かい単純作業を黙々とこなすのが得意なので、洗濯物の取り込みと畳む作業を任せている。実をいうと、夕貴の細部へのこだわりが活きているのか、服の畳み方がわたしよりきれいで丁寧なのだ。普段はやることなすこといい加減なのに、はまってしまうとこれなのである。
菜月は以前から、何かと壁を作りやすいわたしに対して、積極的に距離を縮めようとしている。必然的に、わたしと一緒に作業することが多くなったが、共同でできる家事って、実はそんなに多くない。結局、菜月は料理を手伝うようになった。以前はピーラーによる皮剥きさえ危うかったが、今では同時進行で下拵えを任せられるまでに上達している。
丈太郎の長所はなんといても、底なしの体力にある。だから、一番体力を使う家の掃除を任せている。以前にこの家全体の掃除をみんなでやった時も、お風呂と洗面所とトイレの三か所をまとめて掃除するという難業をやってのけたくらいだ。菜月と違って力任せじゃなく、しっかり念入りにやってくれるから助かっている。がっしりした図体をしているが、やることは細やかなのだ。まあ、いちばん体力を使うといえば買い物の行き来なんだけど、食欲旺盛の丈太郎に食料調達なんてさせたら、あっという間に破産してしまうからな……いや、菜月よりは経済観念がしっかりしている、はずだけど。
こうして思い返すと、わたしはずいぶん、あの三人に助けられているようだ。いつも忙しいから、ゆっくり振り返る機会がなくて気づかなかったけど。昔は本当に大変で、たびたび「やめたい」なんて思っていたけど、最近は三人が手伝ってくれるから苦にならない。そして今この時間、わたしはあの三人に期待してしまっている。誰かわたしを、この無聊な時間から連れ出してくれないか、と……。
ああ、やっぱりダメだな。独りだとどうやってもネガティブ思考に陥ってしまう。肘を床について支えにしながら、わたしは上体を起こした。腹筋に力が入らない。
「散歩にでも行くかぁ……」
気軽に歩いていける範囲に、暇つぶしに最適なものがない。それがこの町である。
自宅を出て、自転車にまたがって坂道を降りていく。こう、スーッと。散歩といいながら歩かないのは、行きと帰りで時間がかかりすぎるからだ。
二分ほどかけて坂道を下り終えると、広い田んぼが間近に見えてくる。夏の半ばを迎えて、緑色の稲のじゅうたんが、見渡す限りに広がっている。一本一本を近くで見ると、すでに稲穂が現れ始めている。収穫期までもうちょっとだ。
わたしは、辺りをきょろきょろと見回すが……知っている人はおろか、そもそも人間が見当たらない。見つけた人影も案山子だった。
「田代さん、いないなぁ……」
いつも田んぼで作業している知り合いのおばあちゃんもいない。最近はずいぶん暑い日が続いているから、早めの休憩に入ったのかもしれない。きょうも、立っているだけでジワリと汗がにじむほどの暑さ。こうなると思って、わたしはスポーツドリンク入りの水筒を持っている。何しろこの町では、自動販売機を探そうとしてもなかなか見つからないのだ。
ここで話し相手は見つからなかったので、再びペダルを漕ぎ始める。
暑さのなか、体を動かせば自然と汗もジワリと出てくるけど、風を切って走れば、ほどよく肌が冷やされて心地いい。こんなのはいつものことだけど、わたしは自転車で走っている時間が割と好きだ。買い物のために隣町まで自転車で行くのも、実をいえばまったく苦にならない。好きが高じて、暇があれば自転車に乗って遠出することが多く、おかげで脚力は四人きょうだいの中でいちばん鍛えられている。丈太郎とかはなまじ体が大きくて、長時間動き続ける事には慣れていないらしい。
とはいえ、一年以上もここに住んでいると、暇な時間をつぶすために行くような場所というものが、なかなか思いつけなくなる。そのくらいこの町にはものが少ないのだ。もしかしたら、家の中で何かしている方が、有意義な時間を過ごせるかもしれないくらいだ。もちろん今も、これからどこに、というかどの方面に行くか……選択肢がないために迷っている。
「あ、そうだ。あそこ行こう」
急に思い立って、わたしは、夏休みの間は立ち寄れていない“あの場所”へ向かった。
通いなれた道を進んでいく。この町では舗装されていない道の方が多いけど、このルートは中高生が頻繁に使っているので、ちゃんとコンクリートで固められている。舗装されていない道でも軽トラックなどが行き来しているので、轍の部分はならされているけど、自転車で通るにはまだ不安定だ。その点、舗装された道路でその心配はない。思い切りスピードを上げて走れる。
見慣れた木造の校舎が見えてくる。山のふもとにある、わたし達きょうだいが通う高校の校舎……耐用年数が迫っているということもあって、来年には建て替えられることが決まっている。
夏休みの最中ということもあって、生徒の数は少ない。陸上部やバスケ部など、一部の運動部が練習のために来ているくらいだ。野球部はうちにグラウンドがないため、練習は基本的に町外でやっている。だからたぶん、菜月と丈太郎はここに来ていない。
「いちにっ、ファイ、オー、いちにっ、ファイ、オー」
陸上部の人たちの掛け声が響くなか、わたしはサドルに跨ったまま、駐輪場へと入っていく。自転車を置いて鍵をかけ、恐らくほぼ無人の校舎へと向かっていく。しかし、目的地は校舎の中ではない。
校舎の裏手はすぐ茂みになっていて、水道の設備とか外掃除用の道具を入れる倉庫があるくらいで、たいていの生徒はここに来ない。だけどわたしは、割と頻繁にここへ来る。目的はこの茂みの向こう、藪の中に人の手で作られたような道の先にある。
学校がある日はなるべく来るようにしているけど、長期休業となるとなかなかここには来られない。校内でも、わたしのこの習慣を知っている人は少ない。クラス担任を含めた一部の先生が知っているくらいだ。秘密にしているつもりはないけど、外聞のいい話ともいえないし、このためだけに学校へ足を運ぶのも、どことなくためらいがある。だからしばらく来られないでいた。
とはいえ、暇つぶしで来るというのもどうなのだろう……いや、それを考えるのはやめよう。これができるのは、もうわたししかいないのだ。
「あら、宮原さん」
突然声をかけられて、心の準備をしていなかったわたしは、ビクッと肩をはねた。振り向くと、用務員のおばさんがこっちを見ていた。
「あ、用務員さん……こんにちは」
とりあえず会釈する、わたし。動揺を悟られてはいないと思うけど、おばさんはにっこり微笑んだ。
「こんにちは。宮原さん、きょうは部活か何かで?」
「あ、いえ、その……」
このおばさんは生徒全員の顔と名前を把握しているらしいが、一人一人の事情までは知らないようだ。念のために言うと、わたしは家の事情もあるので帰宅部だ。
さて、どういえばいいものか……暇つぶしにここへ来たけれど、事情を知らなければ、どう考えてもここは暇つぶしで来る場所じゃない。すでに言ったように、ここへ来ること自体があまり外聞のよくない事で、むやみに他人に知られたくない。
しかし、わたしが反射的に藪の奥をちらっと見たことに気づいたのか、おばさんはなぜか、腑に落ちたような表情を浮かべた。
「ああ、そう……そういうことだったのね」
「え?」
「大丈夫よ、いずれみんな分かってくれるわ。あなた達が正しかったってね」
優しく包み込むような微笑みで、わたしにそう言ったおばさん。
二の句が継げない。誰もかれも、分かってくれるどころか、もう忘れられているとばかり思っていた。でも、こんな身近に、知っている人がいたなんて……。
どんな返事をするべきか迷っているうちに、おばさんはこの場を離れてしまった。どうやら倉庫からホウキを取りに来たらしい。寂しげな校舎裏に、ひとり立ち尽くすわたしを、やけに涼しげな風が吹き抜けていく。
用事、済ませないと……単なる暇つぶしとはいえ、ここに来たくて来たのは違いない。
くるりと体の向きを変えて、藪の中の道に踏み込んでいく。想定外の遭遇があったとて、わたしの足取りはさっきと何も変わらない。速くもなく遅くもなく、重くもなく弾むこともなく。ただただ心のままに、わたしの足取りで藪の中を進んでいく。
十メートルほど進んだところに、石で造られた、高さ五十センチほどの小さな塔。わたしは塔の前にしゃがみ込んで、手を合わせ、目をつむり、ささやかな祈りを込めて、頭を塔に向けて傾ける。
差し向けたい祈りが尽きると、わたしはおもむろに瞼を開く。
「……今のままじゃダメだってことなの?」
わたしは、踏み出すのが少し怖い。その心地よさに身をゆだねていれば、どんなに退屈な日常だって、失うことを恐れてしまう。だったら、何もしない方がいいに決まっている。それなのに……。
夕貴、菜月、丈太郎の三人と、一緒に過ごす日々は、胸を張って楽しいとは言えないけど、いつも心地よさを感じている。何も抱え込まずとも、ずっと家族でいられればそれでいい。ただでさえ、わたし達は血縁関係を持っていないから、ちょっとしたことで、今の日常は終わってしまうのだ。
だから……もう、分かってもらえなくても構わない。誰にも踏み込ませない。自分よりも、外聞よりも、大切なものがあるのなら、それを失いたくないのなら、わたし一人で抱え込んで、たとえその重みでつぶれそうになってもいい。
ゆっくりと、立ち上がる。視線の先には、風に揺れてざわざわとわめく、クスの大木。
(―――文香には無理をしてほしくない。お前がつらそうにしていると見ていられなくなるんだよ)
風の音、揺れてこすれあう枝の音。それらに交じって耳をかすめたのは……。
「幻聴だよ、そう、きっと」
だって、今のわたしが聞きたいのは、そんな言葉じゃない。
そろそろ戻ろう。わたしは踵を返し……その前に一度だけ振り向いて、呟くように告げる。
「じゃあ、また来るね。お父さん」
そして、いつまでも見守っていてね。変わらず続いていく、いや、変わらず続いてほしい、わたし達の日常を。
さて、暇つぶしはここまでだ。わたしの大好きな日常を支えてくれる、あの三人のために、この暑さを吹き飛ばすような夕飯を作ってあげよう。




