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世界が終わるその前に  作者: 深井陽介
第一章 春・夏編
21/32

#20 タンポポ


 夏の暑い時期に入ったとはいえ、雨の降る日が全くないわけでもない。昨日まで二日ほどかけて降り続いた雨は、明け方にようやく止んで、久しぶりに気持ちのいい朝が迎えられた。

 大雨や台風の直後だと、まるで反動のように日差しがきつくなることがあるが、梅雨にみられる弱い雨の後では、太陽もそんなに頑張らない。上空に少し雲が残っているせいかもしれない。半袖で日中を過ごすことが多くなったこの時期には、嬉しい話である。

 この日もいつものように、夕飯の買い出しのために自転車で隣町まで出向き、四人しかいないのに五人分の食料をカゴに入れ、わたしは自宅までの帰路を走っていた。

 外気はじっとりと湿り気を帯びていても、ペダルをこいでいる間は風が少し涼しい。アスファルトの表面にしみ込んだ雨水も、正午までにほとんど消えてしまい、昼下がりの今はわずかに水たまりが残っている程度だ。蒸気という名残はあるけれど、風を受けていれば気にならない。

 気温はそれほど高くないし、セミの声も聞こえないし、こんな過ごしやすい昼下がりは久しぶりだ。全身に風をまといながら、わたしはゆるい下り坂を進んでいる。

 とはいえ、あまりぼうっとしてもいられない。

(菜月のやつ、たぶんアイスが十分に冷えるのを待てないだろうからなぁ……)

 ドライアイスも入れてはいるが、隣町のスーパーから自宅まで、結構な距離がある。少しでも溶けていたら絶対に文句を言ってくるからな。花の女子高生がまるで子供のようだ。

「ぜーんぜん当たってねぇーっての!」

 子供の声が聞こえてきた。もちろん菜月じゃない。

 赤信号の交差点で止まると、そばの公園で、小学生くらいの男の子四人が、何かをもって逃げ惑うようにはしゃいでいた。よく見ると、彼らが手に持っているのは水鉄砲だった。

 雨が上がったから公園での遊びを再開して、夏だから水鉄砲としゃれこんだか。わたしは子供時代に、水遊びをした記憶が全くない。ただ、ここに来てから川に入って遊ぶ子供を何度か見ているので、水鉄砲遊びに、今さら心惹かれるものはなかった。

 怪我をしないよう、そして熱中症にならないよう気をつけて、と言いたいところだけど、見ず知らずの女子高生にそんなことを言われたところで、どうなるというのだろう。わたしは声掛けをあきらめ、信号が青になったのを見て取ると、ペダルを踏む足に力を込めた。

 まあ、その直後に後ろから、「怪我しないようにね、あと熱中症にも気をつけるんだよ」と、おばあちゃんらしき人の声が聞こえて、何か複雑な気分になったけど。わたしはまだ、田舎の雰囲気に染まっていないようだ。

 しばらく走り続けていると、自宅につながる上り坂の入り口にたどり着いた。ここからは純粋に体力勝負になりそうである。

「…………あれ?」

 ふと、道端に見慣れないものを見つけた。何か、黄色くふわふわしたものが……。

「ああ、タンポポだ。珍しいなぁ」

 わたしは自転車を降りてスタンドを立てた。しゃがみこんでタンポポを見る。

 公園の子供はスルーしておいてタンポポには大げさ、と思うかもしれないが、本当にこの地域でタンポポはあまり見ないのである。山に囲まれていて、タンポポの種がなかなか飛んでこないせいかもしれない。少なくとも、群生しているところを見たことはない。

 夏の時期に咲いているということは、外来種のセイヨウタンポポだろう。よく見ると花びらの黄色が少し濃いような気がする。周りに雑草が多く生えているが、ほかのタンポポは見当たらなかった。

「ひとりぼっちでこんなところに来たのか……」

 花びらをそっとなでながら、わたしは呟いた。わたしも、一人で過ごす時間の長い時期があったから、ちょっとだけ、思うところがある。

「大丈夫だよね。タンポポは強い花だし、たくさん種を作れるし。いずれきっと、ひとりぼっちじゃなくなるね」

 わたしだって、今はもうひとりぼっちじゃないから。

 ……さみしいと思うことはないのだろうか。一人だった頃、わたしは確かに寂しかった。何かを求めたくて、たまらない時分があった。おまえ(タンポポ)はどうなんだ?

「……こういう時、ファンタグラスがあったらなぁ」

 ドラえもんは都合のいい時にいない。ふわふわとした理想は、夢の中でしか本物にならない。あの、空を飛ぶ夢のように……。

「ああ、もう」わたしは立ち上がった。「変なことを考えるのはやめにしよ」

 サドルにまたがり、スタンドを解除し、ペダルを強く踏む。自転車を走らせたら、もうわたしは、タンポポに視線を向けなかった。


 帰宅して最初にやるのは、庭に出している洗濯物を取り込むこと。やっぱり部屋干しと比べたら、乾くスピードが段違いに速いので、取り込めるものは日が暮れる前に取り込んでしまうのだ。

 そのあとに夕飯の準備。きょうはロールキャベツを作るつもりなので、作業工程が多い。だから遊んでいる時間はない。

 キャベツを茹でている合間にタネの準備をしていると、ようやく菜月が帰ってきた。どこをほっつき歩いていたのやら……。

「ただいまーっ」

「うん、おかえり」

 相変わらずハイテンションの菜月を無視して、わたしは作業を続ける。が、向こうが無視してくれるわけもなく、菜月は後ろから抱きついてきた。

「んもぅ、つれないんだからぁ」

「包丁握ってるからあまり揺らすな」

「おおっ、きょうはロールキャベツですかぁ。文香のロールキャベツは母のより美味いからなぁ」

「いくら褒められたところで、付け合わせのブロッコリーは変更しません」

「ちっ、のってくれなかったか」

 高校生にして未だに好き嫌いの多い菜月である。

「そういや、帰り道でタンポポを見かけたよ」

 菜月がわたしに抱きつきながら言った。なんだか唐突だなぁ。

「タンポポ?」

「ここらへんじゃあんまり見ないでしょ。というかわたし、パパに連れていってもらったタンポポ畑で見て以来、まともに見た記憶がないんだよね」

 まあ、意識して見ようと思わなけりゃ、ただの雑草と変わらないからなぁ。

「あれがあるなら、いつかあの道もタンポポでいっぱいになる日が来るかも、って思ったらちょっと嬉しくなって」

 同じことを考えてる……なんだか、嬉しいような悔しいような。複雑な気分だ。

 とりあえず、同じものを見たってことは内緒にしておこう。そんなふうに決め込んでいると、今度は夕貴が帰ってきた。

「ただいま。文香、お湯が溢れそう」

 おっといけない。わたしは慌ててコンロの火を止めた。瞬時に鍋の様子を察知して知らせるとは、さすがだ。

「おっす、ミスター朴念仁! 相変わらず静物デッサンのモデルみたいななりをしてるな!」

「菜月、最近夕貴への暴言がグレードアップしてない……?」

 もっとも、当の夕貴は露ほども気に留めていないようだが。歩み寄ってくる夕貴。

「この匂いはロールキャベツか?」

「当たり。てか、まだキャベツを茹でている段階で、スープも作ってないんだけど……」

「挽き肉とタマネギのタネが見えたから。ああ、タネっていえば、さっき帰り道でタンポポを見かけたんだよ。セイヨウタンポポが一本だけ」

「えっ」

 さすがの菜月も笑顔が固まった。お前もかい……しかもロールキャベツのタネからその話に飛ぶとは思わなかったよ。

「このへんじゃ珍しいし、一本しかないんで寂しそうだったけど、まあ、何年かすれば今よりずっと増えているだろうし」

「寂しそうってなんだよ」苦笑いする菜月。「花の気持ちとか考えてんの?」

「ドラえもんのファンタグラスでもあったら、タンポポの気持ちとか分かるだろうけど」

 ……………………。

 穴があったら入りたい。あの場で考えていたことが、他人の口から語られると、改めて恥ずかしいと思える事ばかりだと気づかされる。さっきのわたしはどんだけファンタジーな脳味噌だったのだ。

「というか」夕貴が口を開く。「帰り道同じだし、もしかして二人も見た?」

「まあねぇ……てか、えっ!? まさか文香も?」

 調理台に手をついて項垂れているわたしに、容赦ない天然攻撃をかましてくる二人。ああ、もう。こうなったらぜんぶぶちまけてしまえ。

「見たよ。でもって、それを見て二人と同じことを考えていました」

「なんと! それはまた運命的な!」

「こんなこともあるんだなぁ……」

 二人とも、あまり恥ずかしそうではないな……わたしが一人で悩んでいただけか。

 少しずつ気分が晴れていく。あのタンポポみたいに、一人ぼっちだったわたしはもういない。同じものを見て、同じことを思う、そんな人がちゃんといる。わたしはもう、一人ぼっちじゃない。

 だから、そう……あのタンポポも、いつか一人ぼっちじゃなくなる。

「……なんか、いいね、こういうの」

「何が?」

 キョトンとする菜月。わたしは、調理台に背を向けて寄りかかり、二人を見る。

「なんか、きょうだいっぽくて」

 すると、菜月も夕貴も、微笑みを返してくれた。

 そんな話をしている所に、最後の一人が返ってきた。きょうは野球部の練習に行っていたから、行きはジャージ姿だったけど、今はなぜか予備のTシャツになっていた。

「あれ、丈太郎? ジャージはどうした?」

「……(よご)された」

 丈太郎は意気消沈した様子で言った。よく分からない。

「……練習で汚した、ではなくて?」

「学校でバスを降りて、そこから帰る途中だったんだけど」

「まさか丈太郎もタンポポ絡みか?」菜月がニヤニヤしながら尋ねる。

「……まあ、ある意味で間違っちゃいないけど」丈太郎はカバンからジャージを取り出す。「帰り道の公園で、子供が水鉄砲で遊んでいたんだよ。なんかあいつら、公園内の水たまりの水を入れて遊んでいたらしくて……」

 そういえば、昨日まで雨が降っていたから、あちこちに水たまりがあったな。道路の水たまりは昼間にほとんど消えていたけど、日陰の多い公園には、まだ残っていたのだろう。

「子供が遊んでいる所も珍しいから、立ち止まって見ていたら、流れ弾ならぬ流れ泥水が襲ってきて、着ていたジャージにかかったんだよ。結果がこれだ」

 丈太郎はジャージを広げて見せた。思わず「あっ」と言ってしまうわたし達三人。

 胸のあたりにかかった泥水は衝撃で放射状に飛び散り、続けてかかった泥水は重力によって勢いを落としながら服にかかったのか、ジャージの裾に向かって一直線に泥の跡をつけていた。その形はあたかも、道端に咲くタンポポの花のようであった。そう、これは、一言でいうなら……。

「ど根性タンポポ!」菜月が思わず叫んだ。

「それって本来、アスファルトとかに生えているタンポポのことだよな」

 夕貴が突っ込んだけれど、わたしも内心、同じ言葉が浮かんでしまった。高校生でど根性ガ○ルを知っている人はそういないと思うけど……。

 しかし、見事に四人とも、帰り道でタンポポに関わったことになる。丈太郎だけはまた変な形で関わっているけれど、珍しいものに立ち止まった結果という共通点も、ないわけではない。やっぱりこれもきょうだいたる所以なのかな……血は繋がってないけど。

 わたしは、笑いたくなる気持ちを何とかこらえながら、丈太郎の手からジャージを取った。

「とりあえずこれ、洗濯にかけるね」

「えー、せめて丈太郎に着せて写メ撮ろうよー」

「断る!」

 大声を上げる丈太郎。いやいや、それをやったら、今度こそ笑いを抑えられなくなりそうだ。

 夕飯の支度の最中だけど、わたしは洗濯機にジャージを入れて稼働させた。最近は夜も暑いし、今から干せば明日には乾くだろう。

「……ぷっ、くふふっ」

 まさか、タンポポで笑うことになるなんて、思いもしなかった。でも、こんな姿は誰にも見せないって、わたしは決めているのだ。だから一人で笑っておく。

 ……気のせいかもしれないけど、夕貴は今のわたしをこっそり見ていそうな気がする。

 まあ、気にしないでおくか。

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