妨害
「今回の推薦だが、君の過去について最近、ある噂を耳にするようになった。こちらでも詳しく調査するが、もしかしたら清水さんのサポートは別の方に…」
部長の通達を善子は後半聞いていなかった。社内に流れる彼女の噂。
【田中光は大学生の頃に詐欺を働いていた】
という根も葉もないものであり、古典的だが十分に効果のある方法であった。
だが善子も誰かがアクションを起こしてくるのは想定済みである。
先の事を考えて今、相対する事を選択したのだ。
目には目を、歯には歯を、噂には噂を。
光の噂から二日経った頃、別の噂が流れ始める。
【早乙女愛子は好きな人がいるらしい】
噂とはマイナスな事を流さずとも大きなうねりを生む事があるのだ。
この噂に女子は誰の事だと妄想を膨らまし、男達は色めき立つ。
人気者であるが故の枷、この噂で彼女の存在自体が仕事に支障をきたすような事態に発展していき、田中光の事など既に皆が気にしない過去となっていた。
その夜、善子の後ろから敢えて大きな足音を出して付いてくる男がいる。
嫌な気配を感じ善子は早足で歩いた、すると目の前には罠だと分かるようにあからさまなワゴン車を停めて男が待ち構えている。
それは目の前を通るのを躊躇われる状況であった。
そのワゴン車を避ける為、手前にある曲がり角へ入った時、その路地に隠れていた男から善子の顔に向かって拳が飛んでくるのだった。
ーー都内某所ーー
メールを確認した愛子は優雅な一時を過ごしていた。
(田中光、恐らく何処かのスパイである彼女、総務部の生き残りで優秀な方ではあったんでしょうけど)
「まぁ、相手が悪かったわね」
愛子は勝ち誇ったようにワイングラスを掲げながら呟いた。
(そういえば、わざわざ外部の人間を使って噂を流したのに何で私だってバレたのかしら?)
少しの疑問を残しつつ、愛子は気にせず眠りについた。
次の日、愛子が出勤しようと扉を開けると何かに遮られ半分しか扉は開かない。
不思議な顔で外を覗くとそこには光を襲った三人の男達が縛り上げられ、横たわっている。
状況を即座に把握し、警戒しながら愛子は仲間へ連絡するのだった。
朝ギリギリに出勤をした愛子は当然のように出勤している光を見て、今朝のゴタゴタを思い出す。
この時彼女のプライドを傷つけたのは組織から言われた「大丈夫か?」という一言であった。
(なんとしても田中光を会社から追い出してみせる)
そんな決意を新たに愛子は次の作戦を実行する。
この日またしても善子は部長から呼び出しを受けた。
噂に関しては恐らくデマであると分かったのだが、今度は人事部長から直接「総務部から新人をプロジェクトに参加させるのは認められない」と苦言を呈されたそうだ。
流石に識は仕事が早い、光に関する噂対策は既に解消済みであった。
だが相手も仕事が早く、今度は善子が流した噂を逆手にとり、上司すら手玉に取っている愛子が妨害をしてきたのは明白である。
この問題をどう解決しようかと善子が思考を巡らしていた時、意外な助っ人が現れたのだ。
「田中さんがアシスタントに付かないなら私も参加しません」
この清水の発言に反応したのは白石部長だけでは無い、このプロジェクトに必要不可欠な人物、営業部エースでプロジェクトリーダーでもある【佐藤正】だ。
彼はある人物に直接訴えかけたらしい。
「清水がいなければプロジェクトは上手くいきません」と。
正の訴えが営業部長まで届き味方につける事が出来た。
人事部長の言う「総務部の新人は認めない」という発言は却下される事になった。
「清水さん、ありがとうございます」
結果はどうであれ彼女のお陰で善子は妨害を回避出来たのだ、素直に頭を下げてお礼を言う。
「なんでかは分からないけど、このプロジェクトやってみたいんでしょ? 少しでも力になれたのなら良かったわ」
重要な人物でないと思っていた清水の発言に善子は自分の価値を分かった上で部長に参加しないとわざわざ言いに行ってくれたのだと察し、抜け目のない人なんだと清水に対する認識を改めた。
「さて」と善子は小さく声を漏らし、やられっぱなしは性に合わないと、今度はこちらから愛子に対して行動を起こす番であった。
ーーー
その晩、帰宅途中の愛子を一人の男が待ち構える。
「何か用?」
訪ねる愛子に男は言った。
「作戦変更だ」
「私はまだやれるわ、いま会社を離れる意味は無いと思うけど…」
「はぁ…、分かってないな」
「この世界では一度のミスが許されないんだよ、君の気持ちなど関係ない」
愛子は反論できず、不満はあったが組織の人間であるいじょう従う他ない。
「だから女はダメなんだよ」
最後の一言に心が傷ついた。
彼女の今までを否定された気分になったが、失敗した事実があるいじょう拳をただ握り締めて黙る他ない。
「作戦変更? じゃあ次の作戦は何にするのかしら?」
これは愛子の声では無い。
道の奥、闇に紛れて出てきたのは「田中光」愛子は驚きのあまり声を漏らしていた。
「お前つけられていたのか」
男がキッと愛子を睨んだ。
「そんなはずは…」と言いかけたが自信を失くした今の愛子にそれを言う資格は無い。
「つけられていた? 面白い事を聞くのね、確かにつけていたわ、あなたをね」
そう言って善子が指差したのは男。
愛子の上司である人物の方だった。
「バカな、ありえない」
「そもそも、お前はこいつと同じ時間まで会社にいた筈だ、それを私をつけていただと馬鹿も休み休み言え」
「私がその子と同じ時間まで会社にいた? 本当に?」
男は黙った。彼女がそこにいるという事実があり、自分の考えが間違っていると思わざるおえない状況だからである。
それと同時に男は気付いた、田中光、彼女を甘く見ていたという事を。
瞬間、男は間合いを詰めて彼女を直接排除しようと殴りかかる。
すると善子はいち速く男の又の下を蹴り上げる。前屈みになり苦しみ悶える男の頭に今度は踵落としをくらわした。
「男だ、女だってこだわるなら暴力に頼るなっての」
自分の上司の頭を踏みつける彼女の姿に愛子は見惚れた。
だがそれもつかの間、善子と目が合った瞬間に(次は私だ)と緊張が走り身体が強張る、震え逃げようとする足を抑えながらも立ち止まり。
「何であなたはそんなに強いの?」
恐怖はあった。
だがそれよりも聞かずにはいられなかった。同じ女スパイであり、初めて出会った自分より凄いと思える人であったからだ。
「…」
「私は…私だって努力してきた」
「子供の頃から訓練して選ばれた存在なの!」「大人になっても毎回、毎回、毎回、毎回! 顔を変えて身体を変えて潜入してきた!」
「一体、私の何が悪いの…何があなたより劣るのよ!」
応えない相手に愛子は自分をアピールし始め、最終的にはだんだんと文句になっていく。
「あっそう、でやるのやらないの?」
愛子は自分の主張を一蹴した善子にこの人は私に関心などないんだと我にかえった。
「努力してきたって? 今回あんたは何したの? 全て他人頼りじゃない、さっき馬鹿にされた時も今ですら戦おうとしないあんたじゃスパイなんて無理よ、向いてないから辞めなさい」
またしても今までの自分を否定された。
しかも今度は自分をよく知りもしない人物から、馬鹿にしたような笑みを浮かべて言われたのである。
「あんたに…、あんたなんかに私の何が分かるんだ!」
愛子は飛びかかる。
勝ち負けなどはどうでも良い彼女を動かしたのはプライド、自分の仕事に対する熱意であった。
「ガッ」
勝負は一瞬でついた。
愛子は自らの勢いのまま、顔面に大きな一撃をもらい、倒れたのだ。
「やる気ならいつでも掛かってきなさい、相手になるわ」
その声が聞こえたのかどうかは定かではないが善子は愛子に言わずにはいられなかった。
ーーー
それから三日間、愛子は出勤して来なかった。
突然の連休、いい子であった彼女が怪我を理由に職場へ来ない、勿論無断で休んでいるわけではないが噂をされる。
「行きたくないから嘘をついているのでは無いか」
「もう来ないのではないか」
他人などそんなもので、どんなにいい子でも最近の若者というレッテルを貼られて一括りにされてしまう。
何か事件にあったのではと心配されるほど、関係を築いている時間はなく、所詮は上部だけの付き合いであったのだ。
そんな噂が広まってきた頃、彼女は左目に眼帯と鼻用スプリントを付けて出勤してきた。
その姿は以前の様な、いい子など想像できない。
彼女はこれが私だと云わんばかりに正々堂々とした佇まいであった。
そんな彼女を見て善子は少し微笑むのだった。




