孤児院のカムイ
着地したカムイは立ち上がると、膝についた埃を払ってから門扉をくぐった。小さな庭を横切って両開きのドアの前に立ち、建物を見上げる。やや古風な趣きのある、3階建ての大きな建物だ。ドアの上には宗教的なレリーフが刻まれている。ノッカーを叩いた。
「はい、どちらさまでしょうか?」
顔を出したのは修道女だった。彼女はカムイの顔を見るとハッと驚く。
「ただいま、シスター・メイ」
「まぁ、カムイじゃないの! 大きくなって……心配したのよ!」
メイはそこまで言って、彼の手足が機械になっていることに気がつく。カムイはうなずく。
「サイボーグになったんだ」
「そんな……あなた……」
「ねー、お客様?」
いきなり、小さな男の子がメイの後ろから顔を出した。少年もカムイを見ると、アッと大きな声をあげる。
「あー! カムイおねぇちゃんだ!」
するとその言葉を聞きつけて、建物の奥からまた別の子供たちが顔を出す。
「カムイお姉ちゃん!?」
「帰ってきたの!?」
「やったぁ! アネキが帰ってきた!」
「久しぶり、みんな!」カムイは微笑む。
玄関先にはあっという間に子供たちが集まって騒々しくなった。シスター・メイは彼らを落ち着かせようとしたが、すぐに諦め、カムイを建物内に招き入れる。カムイは子供たちの相手をしながら、少しだけ困った表情をした。
「貴女がこの孤児院を去ってから何年になりますか?」
シスター・メイは紅茶のカップを置いた。院長室は静かで、遊び回る子供たちの声もかすかに聞こえる程度。穏やかな午前の日差しが窓から差し込み、室内を明るく照らしていた。
「5年です。シスター・メイ」カムイはテーブルの向こうの彼女に言った。
「まさか貴女がサイボーグ、しかもランナーになるとは」
シスター・メイは目を伏せる。
「嘆かわしい」
「シスター、お言葉ですが」
カムイは両手でカップを持ち上げ、微笑む。
「僕はたしかにカソリックの孤児院で育ちましたが、カソリックじゃありません。だからサイボーグ化だってします」
「神はいつでも貴女を見ていますよ」
「だからこそ、僕のサイボーグ化は咎められないはずです」
紅茶をひと口啜り、カップを置く。カムイはまっすぐにメイの優しげな瞳を見つめた。
「僕は二ヶ月後の『トライアンフ』で優勝して、この孤児院の仲間たちみんなを大学にいかせます。そのときはどうか拒否せずに受け取ってください。あなたは他の小さなレースの賞金も受け取ろうとしない」
「できない相談です」
シスター・メイはきっぱりと言い放つ。
「『トライアンフ』が、サイボーグ・レースがどのようなものかは知っています。お互いに殺し合い、血を流し、その果てに得られるものになんの価値がありましょうか? あんな残酷なものはこの世から無くなるべきです。血に染まったお金で育ったことを知ったら、子供たちがどんな思いをするか……」
「この紅茶、アッサムですよね」
不意にカムイが言った。シスターは困惑しつつも肯定する。
「インドのアッサム州で採れた茶葉を用いた紅茶……その栽培や収穫は、未だに人の手で行われていることはご存知ですか?」
「なんの話ですか」
「彼らの一日の平均労働賃金は1.25ドル。住まいはあれど、水道も電気も共同トイレすらない。労働者の3分の1は読み書きも、計算もできない。彼らはそこで生まれたら、年老いて死ぬまで重い麻袋を背負って生きることになる。労働者への虐待も珍しくない。でも私たちはそんなことを考えもせず、ただこの紅茶の素晴らしい香りと味を楽しむことができる。そして断言してもいいが、僕たちは三日もしたらこんな話をしたことはすっかり忘れている。これっぽっちも後ろめたさはない」
「それとこれとは事情が違います」
「たしかにそうですね。参加者が全員納得して人生を賭けるサイボーグ・レースと、そのように生きるしかない紅茶畑の人たちとはそっちのほうが規模や歴史の面でひどい」
「そういう問題ではありません! 他人の苦難でお金を得ること自体が問題なのです!」
「それが資本主義です、シスター。多かれ少なかれ、誰かをむりやりにでも不幸にしなきゃお金は手に入りません。広告で人々の不安を煽り、不必要だったものを欲しがらせ、幸せだった人を満たされなくして、企業はお金を吸い上げる。でもシスターはそれを否定する気はないでしょう?」
「それは……そうです」
「だったら僕のお金を受け取っても、シスターを非難する人なんかいません。イエス様だって、もしこのシステムが不要ならば滅ぼしているでしょう」
「わかった、わかりました」
シスター・メイは片手をあげてカムイの言葉を遮ると、長いため息をつく。
「どうしてこんな娘に育ってしまったのでしょうね……」
「すいません、シスター。でも、どうしても受け取って欲しかったんです。『トライアンフ』のことも……」
うつむくカムイに、シスターは微笑む。
「取らぬ狸の皮算用ですよ。まずは優勝してから悩みなさい」
「優勝は確定事項です」
カムイは顔を上げ、力強く言い切る。シスターは「なぜ?」と問い返す。
「僕が勝つからです」
真面目な顔で言い放つカムイに、シスターはややあっけにとられた顔をして、それから小さく噴き出す。頭を振って、さもおかしそうに肩をすくめる。
「昔から変わっていませんね、あなたは」
「シスターも」
カムイはにこりと笑った。そして彼女は何気なく窓の外へと視線をやる。直後、小さく声をあげた。
「どうかしました?」
シスターが訝しむ。カムイは席をたつ。
「すいません、ちょっと急用が」彼女は窓を開けた。
「あらそう? じゃあ玄関まで――」
「――いえ、ここで。ではまた!」
そう言い残し、カムイはいとも平然と窓枠を乗り越えた。シスターの顔からさぁと血の気が引く。
「ここ3階――!」
慌てて駆け寄り、窓から下を眺めたシスターが見たのは、孤児院の外壁を蹴って加速し、隣の建物の外壁をさらに蹴って空中へと跳び上がるカムイの姿だった。彼女の姿はあっという間に見えなくなって、残されたシスターは静かに指を組む。目を閉じた。
「……天にまします我らが父よ。どうか彼女をお守りください。私の愛する娘を、どうか無事にお帰しください」




