勝利の条件
「なんだって?」
ハヤブサとG.G.がいぶかしがった。カムイはハヤブサがカードを受け取るそぶりを見せないので、仕方なしといった様子で作業台のわきに寄る。カードを置いた。
「3日前のレース、ゴール直前残り1キロのストレート。キミが引き返さなかったら、あのとき勝っていたのはキミだ。だからこの賞金はキミのものだ」
カムイはそう言ってポケットに手をつっこみ、作業台の上の手足を一瞥する。
「修理にもお金が要るだろう、使ってくれ」
「アッホくせ」
言い放ったのはハヤブサだった。大きなため息をつく。
「くだらねえこと言ってんじゃねぇよ。もしアンタの言うとおりだったとしても、あのとき勝ったのはアンタで、俺は負けたんだ。それで終わりだろ」
「気持ちは嬉しいが、受け取れねぇな」G.G.も頷く。
「納得いかない気持ちはわかるよ」
カムイは改めてガレージ内を見渡す。
「だけど……キミたちが裕福だとはとても思えない。貧民街の真ん中にある、鉄とトタンのツギハギハウスとガレージだ。最初に見たときから気になっていたんだけど、このレース用手足、ジャンクパーツの寄せ集めでしょ? メーカー純正品を中心にカスタムしたなら、あんな命に関わる走り方になるはずない」
「テメェ喧嘩売ってんのか?」
ハヤブサがけわしい顔で言い放ち、肩をいからせながら進み出る。G.G.はため息をついて立ち上がるとスズメに目配せした。スズメはおずおず頷いてガレージの外に消える。
ハヤブサがカムイの目の前に立つ。カムイは動じない。ふたりは至近距離でお互いの瞳を覗きあう。
「負けたやつにツバを吐きかけるのが趣味か? 真剣に戦って負けた相手に勝ちを譲られて、喜ぶやつがいると本当に思ったのか? チンコついてんのかテメェッ!」
「もちろん無礼は承知のうえだ。だけど僕はあえて来た!」
「無駄足だったな!」
ハヤブサが拳を振り上げた。直後、バチンという強い音がする。ハヤブサの拳はカムイの片手に真正面から受け止められていた。
カムイはおよそ外見からは想像もつかないほど強靭な握力と腕力でハヤブサの拳を押しのける。カムイはハヤブサの目をまっすぐにとらえる。
「およそ時速32キロ、生身のプロボクサー並だ。だけど僕はやすやすと受け止めた。そんな手足じゃランナー仕様のサイボーグにどうやったって追いつけないことが、これでわかったでしょ?」
「ああ……よぅくわかったぜ」
「なら意地を張らずに――うぐっ!?」
カムイの腹に膝蹴りが食い込んで、彼は体を曲げてよろける。ハヤブサは鼻を鳴らした。
「テメェが喧嘩慣れしてねぇってのがよぅくわかった」
「ハヤブサ、そのへんにしとけ」
G.G.に咎められ、ハヤブサは舌打ちする。
「そのカードを持ってさっさと帰れ。テメーはスポンサーがついたんだろ? 高級なパーツをずらりと揃えて、何千万ドルもの体で『トライアンフ』に出場しやがれ。そのとき、あらためて叩き潰してやる」
カムイは腹をおさえ、作業台に片手をついてハヤブサを見る。表情には怒りの色が見えている。
「『トライアンフ』だって?」
カムイは嘲った。
「本当に勝てると思ってるのか? キミ程度のランナーが?」
「もう一発か?」
「時速400キロの壁」
カムイの言葉に、G.G.が動きをとめた。
「『トライアンフ』で成績を残せるランナーとできないランナーとの、決定的な溝だ。『トライアンフ』上位入賞者の直線でのトップスピードはみな時速400キロを超える。カーブですらだいたい時速100キロだ……キミはどうだ? 記憶ではたしか、390キロ程度で死にかけてなかったか?」
「黙れッ!」
再び殴りかかる。だがカムイは素早くハヤブサの腕を捉えると、足を払って一本背負いにとった。あまりに一瞬だったのでハヤブサはろくに受け身も取れず、ガレージの金属床に背中を打ちつける。大型バイクが倒れたときのようなやかましい音がガレージ内に反響し、彼の目の前で火花が弾け、数秒のあいだ体がしびれた。
「だから賞金を素直に受けとれっていうんだ。そうすれば少なくとも手足の修理はできるだろう? あのレースの結果を踏まえた改良も今ならできるはずだ。お願いだ、受け取ってほしい」
「ちょっといいか?」
G.G.が片手をあげる。カムイがふりかえる。
「俺もあのレースをテレビで見てたが、そのときの印象じゃあ、あんたも390キロ程度でいっぱいいっぱいに見えたぜ? あんたはたしか去年の『トライアンフ』の準優勝者だろ?」
「ああ、そのことか」
カムイはハヤブサから離れた。
「あのレースはいわば練習の一環だった、コーナリングとコース取り、妨害への対応のための。だから本番用の手足を使ってなかったんだ」
「んだと……!?」
ハヤブサがヨロヨロと立ち上がり、激しい怒りとともにカムイを睨みつける。
「じゃあテメェはあのとき、ひとりだけ手を抜いて走ってたってのか?」
カムイは首肯した。
「……どこまでヒトを馬鹿にすりゃ気がすむんだッ!!」
「やめろハヤブサ!」
G.G.が怒鳴りながら立ち上がり、ハヤブサの肩を掴んだ。少年は低く唸りながらまるで狼のように犬歯を剥き出しにしている。
「なぁカムイさんよ、ひとつきかせてくれ」
G.G.がハヤブサの前に立ち、カムイを静かに眺める。カムイも静かに向かい合う。
「あんた、なんでウチのハヤブサにそこまでこだわる? まるでどうしてもハヤブサに『トライアンフ』に出場してほしいみたいに見えるぜ?」
「そのとおりです。ええと――」
「G.G.」
「――G.G.さん。僕はハヤブサさんともう一度勝負がしたい」
「喧嘩なら今ここで買ってやるってんだよッ!」
ハヤブサがG.G.を押しのける。カムイが進み出る。ふたりは再び、額がぶつかりそうなほどの距離でガンつけ合う。
「喧嘩じゃない! レースだ! はっきり言う! 僕はキミに惚れたんだ!」
「テメェホモか!?」
「キミの走りに惚れたんだ! あのときキミと並走した数分間、僕の血は今までのどのレースよりも滾った! それがあんな結末に……お願いだから、もう一度僕と勝負してくれ! 『トライアンフ』の優勝をかけて!」
「優勝……!」
「キミも優勝を狙ってるんだろ」
カムイはにやりと笑い、ハヤブサから離れる。
「墜落都市を支配する三大企業が莫大なカネを出資して開催する、三年に一度のサイボーグ・レース。コース制限なし、妨害あり、殺害ありのエクストリーム・デス・レース。にも関わらず参加者は毎年4万人を越える……それもこれも優勝商品が豪華すぎるせいだ……」
カムイは真剣な表情で言い放つ。
「キミにも『どんな願いも叶えられる権利』を使ってやりたいことがあるんだろう、自分の命を投げ出してもかまわないほどに。だったら感傷的なプライドにこだわってチャンスを逃すのは、愚かなことだと思わないのか?」
その言葉にハヤブサが顔をしかめてそっぽを向いた。彼は静かに作業台に歩み寄り、ボロボロの手足のそばにある、5万ドルの入ったウォレット・カードをつまみあげる。
彼はしばらく神妙な顔で真新しいカードの表面に映る自分と向き合っていたが、やがて小さく首を振り、カードを指で弾く。カードはブーメランのようにくるくる回りながらカムイの胸元目指して飛び、彼は素早くそれをキャッチした。
「……すまねぇ。それでも、受け取るわけにはいかないんだ」
そう言ったハヤブサからは、ついさっきまで体に満ちていた激しい感情は感じられれない。だが今の彼は代わりに、研ぎ澄まされた刃のような緊張感のある雰囲気を放っていた。彼はゆっくりとハヤブサに顔を向けた。
「ここでカムイ、おまえからカネを受け取ったら、俺はおまえに『負い目』を感じることになる。そうなったらどうやったって、俺はおまえと心から競うことができなくなる。もしかしたらゴール前1キロメートルでこのことが頭をよぎり、足を止めてしまうかもしれない。それはカムイ、本当におまえのやりたい勝負なのか?」
「でも、その賞金はキミのものだ」
「俺はそうは思えない。それで終わりだ。すまねぇが、帰ってくれ」
ハヤブサはそう言ったきりカムイに完全に背中を向け、ガレージの外へとトボトボ歩いていった。カムイはどうしようもないことを理解しながらも、それでもカードを握りしめてその場に立ち尽くしている。タバコをふかしていたG.G.は、彼の様子を眺めていたが、やがて声をかけた。
「そんな顔すんなよ。あんたの気持ちは素直に嬉しいさ。前回『トライアンフ』準優勝なんていう実力者に認められて、アイツもホントは喜んでる」
「……そうでしょうか」
「そうさ。だがな、だからこそ、あんたの手だけは借りちゃなんねぇ。勝ちってやつは、自分の力で手に入れなきゃあ意味がないのさ」
G.G.の落ち着いた言葉をカムイは数秒かけて咀嚼した。それから非礼を詫び、カードを懐にしまうと、音を立てずにガレージを出ていった。残されたG.G.はくたびれた様子でタバコを床に落とし、ブーツのつま先で火を消した。
貧民街の建物の上を、キャップとフードで顔を隠した若者が走っている。彼は建物と建物のあいだをいともたやすく飛び越えて、まるで巨大な猫のようにしなかやかに疾走している。途中、彼はとある塔屋の上でふと足を止め、地上を見た。
狭く薄暗い路地のあいだを、ひとりのアルマジロに似た子供の宇宙人が歩いている。カムイは彼に見覚えがあった。あらためて眺めると、彼の衣服はボロボロで、スニーカーの先もカパカパと開いてしまっている。カムイは、彼に病気の母親がいることを思い出した。
カムイはペンを取り出してウォレット・カードに走らせ、狙いを定めて少年宇宙人の後頭部に向かって弾いた。カードは見事に命中し、彼はひどく驚きながらあたりを見渡している。
カムイは見つかる前に跳んだ。蒸し暑い気候に汗ばむ体に、太平洋からの強い潮風が吹き抜けてとても心地よい。カムイは軽やかな足取りで、墜落都市の中心部へと姿を消した。
マジロウが『for you!』と書かれたウォレット・カードに5万ドルもの大金が入っているのを見て腰を抜かすのは、それから数分後の話。




