対面
鉄拳が頬にめり込んで、少年はガレージの隅に転がった。彼は口端から垂れる血を手の甲で拭って、壁に手をつき立ち上がりつつ、ギッと相手を睨みつける。
「ケガ人になにしやがるジジイ!」
彼の視線の先で、全身を緑の鱗に覆われた初老の大男が葉巻の煙を吐く。ジジイと呼ばれた男は手についた血を拭った。
「周りに心配かけたケジメだ。それと口が悪いぞ。G.G.と呼べ」
「うるっせぇジジイ……いだっ!?」脳天にゲンコツが降ってきた。
「ギヤホッドカナルダナ・ギナヤハサタヤ。地球風に縮めてG.G.。先祖から受け継いだこの名前を馬鹿にするとハヤブサ、いくらテメェでもタダじゃおかねぇ」
「いってぇ〜……わ、わかったよ、G.G.……」
ハヤブサが涙目になりながら言う。G.G.は鼻を鳴らすと、近くにあった椅子を引き寄せてどっかと腰かける。
「ハヤブサてめぇ、また勝手にリミッター外しやがって。あのままゴールしてたら内臓のタンパク質が熱で固まって死んでたぞ。ラジエーターがイカれちまってた」
「そうかよ。修理にカネと時間、いくらかかる?」
ふてくされた様子を見せながら、ハヤブサが壁によりかかる。G.G.は舌打ちした。
「時間はともかく、カネがねぇ。ラジエーターだけじゃなくモーターもブッ飛んでるし、太ももとふくらはぎも全とっかえ。神経回路も焼き切れちまった。金属骨格も負荷の影響をテストで検証しなきゃなんねぇし。おまえの心肺機能のほうはメシ食えば治るからまあいいとして、血中ナノマシンの補充に、インパルスブースタも交換して起きたい。すると信頼できる外科医を雇うにはさらに――」
「ざっといくらだ?」
「5万ドル。純正パーツを増やすならもっと要る」
「うっげ……!」
ハヤブサが苦虫を噛み潰したような顔でガレージの中心を見る。そこにはハヤブサが前回のレースのときにつけていた手足が作業台の上に並べられている。手足の皮膚は焼け焦げて、内部フレームや人工筋肉が露出していた。隣にはヘルメットとランニング・スーツをはじめとする装備一式もある。
「5万かー……マジかー……」
気まずそうに頭をかくハヤブサの手足は、いかにも安っぽい、ビニル樹脂の皮膚だった。
「あのまま優勝してりゃ栄カンパニーがスポンサーについただろうから、なんとかなっていたんだろうけどな」
「まだ言うのかよ」
ハヤブサがG.G.を睨む。彼は肩をすくめた。
「そんなつもりじゃねぇよ。むしろおまえはよくやった。もしあのままスズメを見殺しにしてたら、仮に1位でも、俺はテメェをブチ殺してる」
「じゃあグダグダ言うなよ。栄カンパニー・カップで優勝してスポンサーゲットって手は失敗したけど、要は三ヶ月後の『トライアンフ』で優勝すればいいんだ。金策の方法を考えるよ」
「テメェの頭でポンと5万ドルひり出せたら俺は今頃億万長者だ。いいからテメェはさっさとケガを治してトレーニングを続けろ。練習用の手足ならまだ予備がある」
「待てよG.G.、それじゃカネはどうすんだ? この手足と俺の改造手術のために、あんたが命の次に大切にしてたバイクコレクションだって全部売っちまったんだぜ?」
「ハーレーの一台や二台、大したことねぇよ。なぁ知ってるか? 中国っていう地域では俺たち宇宙人の血や内臓が薬として高く売れるんだと。バカバカしい話だが、本当らしいぜ」
「おい、冗談だろ?」
「冗談に聞こえるか?」
「待てよ、もう少し待ってくれ。アンタの贅肉を売る前にまだやれることがあるはずだ」
「さっきも言ったが、テメェはさっさとケガを治せ。金策は俺に任せとけ」
「いいや聞けねぇな。金策は俺がやるから、G.G.は店とガキたちの世話しとけ」
「ガキたぁなんだガキたぁ。汚え言葉を使うなっつってんだろ」
「うるせぇなクソジジイ」
「今ジジイっつったなてめぇ!」
「アァ!? 何だコラやんのか殺すぞクソトカゲ!」
「上等だこのサルッ! 二度とナメた口きけなくしてやろうかッ!!」
「あ、あの!」
不意に転がりこんだ可愛らしい声に、一触即発だったハヤブサとG.G.はさっと拳を隠して顔をそむける。ガレージの開口部、シャッターの柱の影から、ひとりの少女がひょっこりと顔を覗かせている。
「お父さん、お兄ちゃん、いま、平気……?」
おずおずと話しかけてきた彼女に、G.G.はぎこちなく笑いかけた。
「おう。なんだスズメ?」
スズメと呼ばれた少女は柱の影から完全に姿を現す。利発そうな目つきでふたりを見上げた。
「お客さんが来てるよ」
「なんかの修理か? それともジャンクか?」
「あ、いや、お父さんにじゃなくて――」
スズメは慌てて手を振り、ハヤブサを見た。視線がぶつかって彼は片眉をあげる。
「――俺に? 誰だ? もう来てるのか?」
「ええっと、会ってみる? 多分お兄ちゃんのファンだと思うんだけど」
「俺のファン?」
「そう、僕はキミのファンだよ」
スズメの後ろから、見慣れない人物がヌッと現れる。その人物は背が低く、顔はパーカのフードとキャップの影になっていてよく見えない。
「誰だアンタ」
「失礼」
ハヤブサの問いかけに、その人物はフードを脱いでキャップをとる。白い短髪が現れて、鋭い瞳がハヤブサを捉える。顔つきは中性的でやや童顔だ。全体的な物腰は柔らかい印象だが、同時に一筋縄ではいかないであろう抜け目なさも感じられた。
「僕はカムイといいます。『"韋駄天"カムイ』。ここにハヤブサさんがいると聞いたんですが……」
「ハヤブサは俺だ」
「ああ、あなたが。どうもこんにちは」
カムイの視線がハヤブサの全身を走る。彼はハヤブサのマネキンのような手足を見、全身の筋肉を見、それから顔を見た。短く刈り込まれた黒髪に、炎のような瞳がカムイを睨み返した。いくつもの修羅場を潜ってきたであろう精悍な顔つきは彼を実年齢よりもずっと大人らしくみせている。だがなによりも印象的なのは、彼の左目の周りにある隈取のようなアザだった。
視線を受けたことに気づいて、ハヤブサは舌打ちをして顔をそむける。カムイは慌てて頭を下げた。
「すいません。無神経でした」
「慣れっこだ」
「目のまわりにある模様が似てるから『ハヤブサ』ってんだ」G.G.が紫煙を吐きながら言う。ハヤブサは彼を横目で睨んだ。
「教えんじゃねぇよ、クソ――」
「あん?」
「――G.G.、さん!」
服の裾をひっぱる感触にカムイが視線を下げると、大きな瞳と目が合う。スズメは片手を口もとに添え、ナイショ話のようにカムイに囁く。
「大丈夫だよ。お兄ちゃんもお父さんも優しいから」
「お父さん? キミたちは家族なの?」
カムイはG.G.、ハヤブサ、スズメを見比べる。ハヤブサとスズメはいかにも地球人らしい見た目だが、G.G.は明らかに宇宙人だ。探るような視線が気にくわなかったのか、ハヤブサがもう一度大きな舌打ちをしてカムイに向き直る。
「んで? 何の用だよ」
「ああ、そうですね。実はこれを差し上げたくて」
そう言うとカムイはポケットから一枚のウォレットカードを取り出して、ハヤブサに近づき差し出した。
「5万ドル入ってます。栄カンパニー・カップの賞金ですよ」




