第二区 後半
『ウェスト・ポール』をまわったハヤブサを含む集団が墜落都市中央部に入ったのは、『天帝』のリタイアがアナウンスされたのとほぼ同時だった。
(強敵のひとりが消えた!)
幸運に感謝しながら、ハヤブサは高層ビル群の中に突っ込んでいく。だがハヤブサは、自分にはカムイのような壁を蹴り続けるテクニックも、『天帝』のような特別な機能もないことを知っていた。
(俺の武器は――)
ハヤブサは建物の外壁を蹴って100メートルほどまで跳び上がる。目の前には、高層ビル特有の大きな窓があった。
(――度胸だけ!)
ハヤブサは強化ガラスをぶち砕き、ビルのフロアの中に転がりこんだ。強化ガラスの粒子状の破片が床にぶちまけられる。ビルの中をまっすぐに走りぬけることができたら、ビルを飛び越えたり迂回するよりも断然速い。必要なのは窓を踏み砕く蹴りの強さと、上下フロアの床に激突することを恐れない勇気だった。
(ここで先頭に追いつく!)
ハヤブサは素早くビルの構造をスキャンしながら走る。デスクとパーテーションが並ぶ広いフロアを走り抜け、壁の薄い部分を蹴破り、トイレの小さな窓を高速ですり抜ける。外壁を蹴って目の前のビルの非常階段から扉を破って中になだれ込み、長い廊下をF1カー以上の速度で通り抜ける。
「あぁっと! ここで勝負に出たのは現在266――210――180――だいたいそのくらいの順位、ゼッケン42番の『ハヤブサ』選手! 高層ビルの中をまっすぐに抜けるという危険な戦法にでた! あとに続こうとしたランナーたちが次々と壁や床の染みになってるぞ! 『レッドドラゴン』の大量殺戮や、ランナー同士の潰し合いに加えて、ランナーの減少スピードはさらに加速! 1000人を切るのもまもなくです! リタイアするなら今のうちだぜ負け犬ども!
それはそれとして、たった今後方集団の『レッドドラゴン』も墜落都市の中央部に入りました! 先頭との差は3キロメートルにまで縮まっています!」
『レッドドラゴン』は、自分の前方を走る数百人のランナーたちの背中を見、通信機で連絡を入れた。自社ビルでブランデー片手に葉巻をふかしていたカイザンは、ニヤリと笑ってゴーサインを出す。『レッドドラゴン』は息を吐いた。
「決めるか」
『レッドドラゴン』が腕を振った。すると彼の進路を塞いでいた高層ビルのひとつが、まるでアニメーションの剣の達人に切られたように半ばから『ずれた』。
「……えっ!?」
実況の声すら困惑した。まっぷたつになった鉄筋コンクリート造りの高層ビルは自重を支えられなくなり、土台もろとも砕けながら倒れはじめる。内臓に打撃を叩き込まれるような轟音の津波と、数センチ先すら見えなくなるほど濃い埃がまき起こり、飲まれたランナーたちが次々とほかのビルの壁にぶつかって潰れていく。『レッドドラゴン』はスピードを上げ、さらに同じことを繰り返していく。
「なんじゃこりゃあッ!? こんな武器は今まで見たことないぜ! 目の前のビルを次々と両断していく様はまるでゴエモン・イシカワだッ! だが実況席からは彼が何をやってるかまるで不明! 不明! 不明! そのあいだにもビルが倒壊! 倒壊! 倒壊! このカタストロフは観なきゃ損だぜ! ビルがドミノ倒しになる場面なんて9月11日以来だ! 最高だ!」
「最高なもんかよクソがっ!!」
毒づいたのはハヤブサだった。今もビルの中を進んでいる彼にとって『レッドドラゴン』のやっていることは最悪だった。ハヤブサは、自分の走法を変えねばならないことに舌打ちした。
(せめてこのビルだけはまっすぐ抜ける!)
廊下を走っていたハヤブサはスピードを上げるが、出口の壁はまだ遠い。なぜならば、今いる建物は墜落都市最大の『セントラル・バベル』だったからだ。
(さすがに『セントラル・バベル』までは手を出さないだろう――)直後だった、ハヤブサのヘルメットを何かがかすめ、頭上が崩壊し始めたのは。
「どへっ!?」
目の前の廊下の天井が落ちたのを見たハヤブサは、反射的に道を塞いだ瓦礫を蹴って飛び上がった。瞬間、彼は(天井にぶつかる!)と思ったが、天井が無くなっていることに気がついて戦慄した。ハヤブサは、『セントラル・バベル』が砕けて倒壊しはじめる起点にいた。
「ウッソだろ!?」
体をひねって後方を見ると、『レッドドラゴン』が小さく見える。『セントラル・バベル』が倒れはじめている。ハヤブサは気づいた。
(『セントラル・バベル』は『イースト・ポール』に向かってまっすぐ倒れてる……そういうことか!)
ハヤブサは崩壊する建物の瓦礫を空中で蹴り、倒れる半ばの『セントラル・バベル』の壁に着地した。そのときの壁の角度は地面に対して70度ほどだったが、ランニング・ジカタビのおかげで、壁をしっかり掴むことができた。
「『道』を作ってくれてありがとよ!」
ハヤブサは、倒壊する『バベル』の先端に向かって走り出した。『バベル』の巨大な体は進路上のビル群を次々と押しつぶし、一本の巨大な道となる。重い瓦礫だらけの凹凸道こそ、サイボーグ・ランナーが最高の速度を出せる状況だった。ハヤブサはスパートをかけた。瓦礫を次々と蹴り、どんどん加速していく。
それを見た『レッドドラゴン』は、激高した。
「俺の『道』だッ!」
彼はビルを破壊するのをいったんやめて、慎重に遠ざかっていくハヤブサの背中に狙いを定める。彼の網膜に、ロックオン完了の表示がでた。
「……死ね!」
同時に、彼の延髄に強烈な蹴りが叩き込まれ、頭があさっての方向を向いた。即死した『レッドドラゴン』は瓦礫の道に墜落し、地面から飛び出していた鉄骨に、いとも簡単に突き刺さった。
「なっ――!?」モニター越しにそれを見たカイザンが驚愕して言葉を失い、ブランデーのグラスが取り落とされて割れる。
「俺のエモノだ!」
『クイックシルバー』だった。彼も瓦礫の道に着地すると、加速する。彼の両眼はハヤブサの背中に吸いついていた。
「いやはや、残念でしたね」
受話器から聞こえる栄の声に、カイザンは大笑する。
「なぁに、我が社の単分子ワイヤーソードのプロモーションは充分できた。私は満足ですよ」
「あの大惨事はその武器によるものですか」
「ええ。この秋、ミリタリー向けに発売です。すでにいくつかの大手テロ組織からも打診されてますよ。よろしければ、いくつか部品の製造をお任せしましょうか?」
「それはありがたい」
「我々にとって、レースの勝敗はさしたる問題ではないのです。我々は勝者であるのですから」
「そんなこと言っていると、いつか敗者たちに足元をすくわれますよ?」
「そのときは、足をすくった者たちを皆殺しにすればよいだけです」
「その強気な姿勢、見習いたいものです。ところでご存知ですか? そちらの『レッドドラゴン』が殺したランナーたちの中に、最近勢力を伸ばしている過激な新興宗教団体がいたことを」
「……いや?」
「宗教は恐ろしいですよ。やつらに倫理や損得は通用しません。仲間をたくさん殺されて、彼らは怒り狂っているでしょうね。それとこれはまったくの偶然なのですが、彼らの教祖はもと弊社の社員で、今も弊社は様々な面で彼らを援助させてもらってるんですよ」
「……後悔するぞ」
声を低くして、カイザンが言った。
「すべては偶然です。そうでしょう?」
栄は不敵に笑い、電話をきった。




