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レーススタート!/第一区 前半

 『ノース・ポール』は墜落都市の北の果てにそびえる、全長100メートルの柱だ。もともとは墜落都市が宇宙船だったときに用いられたバリア発生装置の一部だったが、今ではそのふもとは大きな公園になっている。2平方キロメートル程度の広さを持つこの公園は、スタートを待ちきれない無数のランナーたちとその関係者たちで埋め尽くされていた。45000人もの人間の熱気で、赤道に近いせいでもともと暑い都市の大気は凶暴な雰囲気すらはらんでいた。

 ハヤブサは、その中にいた。

 レースのスタートは数分後に迫っている。スターティング・エリアは公園を横切る広い道路を利用して区切られ、選手がぎゅうぎゅうに押し込められていた。エリア内はかなり騒がしかったが、それでも徐々に静かになってきている。選手たちの高まる緊張と集中は、火のついた爆弾のような空気をかもしだしている。

 頭上には雲ひとつ無い蒼天があり、強い太陽光が降り注いでいる。けたたましい音をたてて飛び交っているのは無数の飛行船やヘリコプターとドローンだ。その中の一機、側面に『トライアンフ』のエンブレムがペイントされたひときわ大きい飛行船から巨大なスピーカーが飛び出して、人々に呼びかけはじめる。

「スタートまであと5分です」

 途端に、ざわざわと騒がしかった公園内が水をうったように静まった。選手だけでなく、関係者も、観客たちすら押し黙った。風が鳴り止み、絶え間なく打ち寄せる太平洋のさざなみすらも止まった。時間が止まったかのような錯覚をハヤブサは覚えた。

「スタート1分前!」

 カムイがヘルメットをかぶり直す。

「30秒前!」

 クイックシルバーが息を吐く。

「20秒!」

 マジロウが今更な恐怖に震えている。

「10!」

 レッドドラゴンが不敵に笑う。審判のひとりが号砲をかまえる。

「3! 2! 1!」

 ハヤブサが身を沈めた。

「……スタートッ! 『第8回 トライアンフ』スタートですッ!!」

 号砲とともに都市が震えた。地面が震え、大気が震え、一斉にあがった歓声の音圧に、凪いでいた海に大きな波がたった。ランナーたちは一斉に走り出し、跳び上がる。見上げる観客たちの瞳はギラギラと危険に輝き、彼らの望むものが与えられるのを熱望していた。そしてそれは、すぐにやってきた。

 いきなりスターティング・エリアの一部から噴水がおこって、道路わきの観客たちに降り注ぐ。数秒後、その水が赤く生暖かいことに気づいた観客たちがやっと悲鳴をあげた。そして何倍もの大きさの歓声が、その悲鳴をかき消した。

 スターティング・エリアの一角にいた選手たちが、みな腰のところで真っ二つにされていた。地面に溢れた血溜まりの真ん中に立っているのは、返り血で全身を赤く染めた、龍のペイントがされたスーツを着た大柄な男だった。

「まずは1000人というところかな」

 男はそうつぶやいて走り出す。同時に、上空を飛ぶ飛行船のスピーカーから馴染み深い声が響いた。チャッターボックスだ。

「とうとうはじまりました『トライアンフ』レース! 45009人のランナーたちが今一斉にスタート、と、言いたいところですが! スタート地点の『ノース・ポール』ではさっそく死者が多数出た模様です! 1160名の選手が一瞬にして真っ二つッ! 会場にブラッド・シャワーが降り注いだ! そして走り出したのはACTインダストリアルの『"レッドドラゴン"ブラッド』だぁ! お得意の殺戮走法がさっそく炸裂! だが彼はなにをしたのでしょう? 解説のスピードマスターさん?」

「さぁ、ちょっとわかりませんね」

「なるほど! しかしレースははじまったばかり! これからじっくり見極めていきましょう!」

 レッドドラゴンは実況を聞きながら、ヘルメットの下、フンと鼻で笑った。

 



 ハヤブサがレッドドラゴンの初撃を逃れたのはまったくの偶然で、それは彼がたまたまスタート待ちの集団の前方にいたのに対し、レッドドラゴンはたまたま後方にいたからだった。

 無事スタートすることができた43849人のランナーは、幹線道路を利用して南西へまっすぐに走っている。無数の人間が宙を舞い、空を駆ける姿は、フラミンゴの群れがいっせいに飛び立とうとする様にも似ていた。群れははやくも5キロメートルもの長さまで伸びている。そしてその群れの中でも、早くも蹴落としあいが始まっていた。

 ハヤブサは集団の真ん中あたりを走っていた。序盤は先頭集団からつかず離れずの距離を保ち、後半で追い上げようという作戦だった。失敗だった。

 集団の真ん中は一番ランナーが集中する部分であるために、『妨害型』のランナーも大量に混ざっていたのだ。

「死ね死ね死ねェッ!」

 ハヤブサの前方1キロメートルほど先を走っているのは『"疾走要塞"アーセナル』だった。彼は前回のレースからさらにゴツく大きくなったボディのいたるところから機関銃を飛び出させて、さながらハリネズミのようになっている。全身から放たれた無数の弾丸は周囲の人間をまるごと穴開きチーズにし、ぶちまけられた体液は赤い霧に、空中で絶命したランナーたちはそのまま後方を走るランナーたちへのつぶてとなって襲いかかった。

 時速370キロで、ハヤブサは赤い霧の中に突っ込む。前方から遅いくる死体を地面スレスレでくぐり、上を跳び越え、空中を舞う彼らを足場にして加速する。あまりの素早さに、ヘルメットのバイザーについた赤い水滴もあっという間に後方へと流れていく。

 後方から迫るハヤブサに、疾走要塞が気づいた。

「またテメェか!?」

 疾走要塞は腕を突き出し、変形させる。彼の太い腕がめくれ上がり、内側と外側が反転する。

「死ねぇ!」

 剥き出しになった重機関銃がハヤブサを狙う――はずだった。

 何かに側頭部を殴られて、彼は転倒した。

「おぉおっ!?」

 疾走要塞が転がりながら体勢を立て直そうとする。ハヤブサは彼の頭を蹴って加速した。

(なんだアイツ……?)

 疾走要塞を殴り倒したのは、銀色のスーツを着た大柄なランナーだった。体つきから見るに宇宙人だろう。彼をとらえたハヤブサの網膜に登録名が出た。『クイックシルバー』だ。

(クイックシルバー……あっ)忘れてた記憶が蘇り、ハヤブサは少し血の気が引いた。

「どけどけどけぇッ!」

 『クイックシルバー』はパワフルな走りをしていた。腕を大きく振りつつも体の芯はブレない走法だ。彼は自分のコースはいっさい曲げず、前を走るランナーをいちいち押しのけて走っている。だがスピード自体は、余力を温存しているのかあまり早くなく、簡単に追い越せそうにハヤブサは感じた。

(前に出るか? 追いつかれさえしなければ……)

 クイックシルバーによって転倒させられたランナーをかいくぐりながら、ハヤブサは思う。そのとき、実況の声が耳に入った。

「『"レッドドラゴン"ブラッド』が最下位から徐々に追い上げてきているぅ! どうやっているのかはわかりませんが、まわりのランナーを血祭りに上げながら確実に順位をあげてきているぞ! すでに犠牲者は8565人に達した!」

 ハヤブサが肩越しに後方を見ると、3キロメートルの距離をおいて、『死』が追いかけてきている。

 『"レッドドラゴン"ブラッド』の周囲のランナーたちは時速300キロ以上で走行しつつ、まるでおもちゃのロボットみたいにバラバラにされていっていた。断面は鋭利な刃物で切断されたようになめらかだが、レッドドラゴンがそれらしい武器を振りかざす様子は見えない。彼はいたって平然と、血と死体の雨の中を走っている。

 ハヤブサはまた前を見た。前方には荒っぽい走りのランナー、後方にはジリジリと迫りくる殺人狂。考えるまでもなかった。

 ハヤブサは加速した。『クイックシルバー』の手の届かない側面を大きく回り込むように走り、彼に並ぶ。ヘルメットのバイザー越しに、ふたりの視線がぶつかった。

(マズい!)

 クイックシルバーの瞳の奥に強い敵意の光が見えて、ハヤブサは戦慄した。

(コイツは感づいているに違いない! 俺がファミリーを潰したこと!)

 ハヤブサはさらに加速しようと身を沈める。クイックシルバーが地面を蹴り、ハヤブサに手を伸ばす。逃れられない――!

 ――クイックシルバーが、後方からふたりのあいだに割って入ったものを裏拳で弾いた。それはシャークティースの描かれた小型ミサイルで、側面をへこまされてあさっての方向に飛んでいく。運の悪いランナーに直撃して爆発を起こした。

 クイックシルバーが舌打ちし、後ろを見る。ハヤブサも見る。

「まだ終わってねぇぞコラァ!」 

 怒鳴り散らす疾走要塞がいた。

「またかよ、ワンパターンだな!」

 毒づいたハヤブサを見たクイックシルバーが手を引っ込め、先の方をあごでしゃくった。ハヤブサは訝しむ。

「見逃してくれるのか?」

「おまえはあとでブン殴る。あいつは今ブン殴る!」

 クイックシルバーはそう言って急に足を止めた。疾走要塞を含むランナーたちは時速360キロ前後で走行していたので、疾走要塞の主観的には同じ速度で突っ込んでくることになる。クイックシルバーの拳が、真正面から疾走要塞のヘルメットを砕いた。疾走要塞は後ろまわりに縦回転しながら数百メートル転がり、自らの装甲が変型して体を切り刻んだらしく、止まったときには、ハンバーグの種にそっくりになっていた。

 足を止めたクイックシルバーを無数のランナーが追い越して、彼らを追い立てる赤い災厄が迫る。レッドドラゴンがすぐそこまでやってきている。クイックシルバーがニヤリと笑って身構えた。

「来いッ!」

 レッドドラゴンが不敵に笑ってクイックシルバーと衝突!すると思いきや、レッドドラゴンはクイックシルバーのすぐそばをすり抜けた。クイックシルバーは素早く振り返るが、レッドドラゴンの背中はあっという間に小さくなってしまっている。

 すれ違う瞬間、クイックシルバーはレッドドラゴンの声を聞いていた。彼は言った。

「殺す価値もない」

 奥歯を鳴らすクイックシルバー。再び走り出した彼の耳に通信が入る。

「クイックシルバー! 聞こえるか!」

「なんだ、ガンビット!」

「ヤツだ! エグゼビアのオヤジを殺したのはヤツだぜ!」

「なんだと!? 『レッドドラゴン』か!」

「違う! その前の『ハヤブサ』ってやつだ! あのとき、アイツの同じ言葉を俺は聞いた! それでわかったんだ! ヤツがエグゼビア・ファミリーを壊滅させたんだ!」

「んだと……!」

 クイックシルバーが顔を歪め、アスファルトを強く蹴る。さらに彼は加速する。

「よくやった、ガンビット! ブッ殺してくる!」

 彼がそう叫んだ直後、頭上から実況の声が響いた。

「さぁはやくも先頭集団が第一区間の半分の170キロメートル地点を通過! 現在1位はぶっちぎりの『"韋駄天"カムイ』! 2位は『"天帝"ファン』! その他の有象無象はそれ以下! 現在参加選手の数は45009人から27886人にまで減少! 果たして何人が生きてゴールできるのか! 地獄はまだまだはじまったばかりだぜ!」


 ……集団の尻についたクイックシルバーの遥か後方、死体で埋め尽くされた道路の真ん中を、ひとりの小さなサイボーグが、涙目になりながらとてとてと走っている。彼の走りはとてもランナーのものとは思えず、せいぜいが時速10キロ程度しか出ていない。

「ひっぐ、ひっぐ、うえぇ、怖いよう、おかあちゃん……! おっかないよぅ……」

 マジロウはそれでも足を止めず、血溜まりの中を走り続けた。

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