第五章――アルフレッドの葬列
アルフレッドの葬列に、彼を若者として知る者はいなかった。
先の大戦を知る者もいない。
アルフレッドが五百歳で六つの主権印を結んでから、千年。
エルフの平均寿命は八百年ほどで、自然のまま千年を生きる者はいない。アルフレッドだけが本来の寿命をおよそ七百年越え、千五百歳まで生かされた。
もっとも高齢の金瞳の長老でさえ、初めて王へ拝謁したときには、すでに延命装置の中のアルフレッドしか知らない。
彼らが知っているのは、盟約王となったあとの男だけだった。
古戦の勝者。
六つの主権印を結んだ者。
千年の平和を築いた王。
そして、その平和を終わらせないために、死ぬことを許されなかった老人。
葬列は王宮の最上層から始まった。
セレネアの王都は、一本の巨樹と、その周囲で幹を寄せ合う無数の樹木からできている。
エルフは家を建てない。
若い幹へ時間をかけて空洞を作り、枝を曲げ、根を絡ませ、百年単位で住居へ育てる。家族が増えれば新しい部屋を芽吹かせ、枝が太れば扉の位置を変える。
一度作った家へ住み続けるのではない。
住む者と家が、同じ時間をかけて形を変えていく。
子供のために育てた部屋が、使われないまま一世紀を過ぎることも珍しくない。エルフの子は少なく、一人の子供が百年近く一族の末子であり続ける。
死者が出れば、その逆。
生者が枝の上へ暮らしを伸ばす一方、死者は幹を下り、最後には根元へ戻される。
王宮から根元まで、巨樹の幹を取り巻く大路が長い螺旋を描く。
アルフレッドの遺体は棺へ納められず、白木の寝台に横たわっている。死者が最後まで空を見られるよう、布も胸元までしか掛けられていない。
寝台を載せるのは、四つの木輪を備えた低い葬送車。
下り坂で速度がつかないよう、白衣の葬送役が車の前後から綱を取り、歩調を合わせる。新王と評議員たちは葬送車の左右を歩き、王族と近衛兵が後ろへ続く。
儀典官ネイセル・ヴァレシオンは、列の先頭と葬送車の間を何度も往復する。
木輪の軋みが、螺旋路をゆっくり下っていく。
沿道の住居は、窓も扉も開け放たれている。
黒い布を垂らす家はない。
エルフの弔いでは、死者が最後に見る景色を遮ってはならないとされている。
枝道に並ぶ市民。
葬送車に最も近い場所には金色の瞳を持つ者。その後ろに紫。さらに外側に青と緑。
死を前にしても、瞳の色が立つ場所を決めていた。
王の死から十九日。
人族なら、葬儀まで十九日も待たされたと言うだろう。
エルフにとっては、あまりに急な葬送だった。
通常であれば、死者と親しかった者が一人ずつ夜を共にし、語り終えてから根元へ送る。数百年を生きた者の葬儀には、一年を費やすこともある。
だがアルフレッドに、それだけの時間は与えられない。
国境には兵が集まり、盟約王令によって止められていた工場や鉱山が動き始めている。それでも王の遺体が王宮にあるかぎり、生者はまだ先王の時代にいるふりができる。
新王が始めなければならないのは、自らの治世だった。
だが王宮の外では、それより先に、次の戦争が始まりかけていた。
葬送車の脇を歩くネイセルからも、アルフレッドの落ち窪んだ頬と、閉じた瞼の下の青黒い影が見える。胸と腕には、延命装置から外した銀の導子の穴が並んでいた。
儀典局は、その傷を金糸の布で覆う予定だった。
新王が許さなかった。
「傷を隠せば、安らかに亡くなったように見えます」
ネイセルが確認すると、新王は白木の寝台に横たわる父を見た。
「安らかだったのか」
ネイセルは答えられなかった。
「延命は先王陛下ご自身の御意志で始められたものです」
首席評議員が横から言った。
「世界の平和を守るため、王は自らの寿命を捧げられた」
自ら。
その一語で済むなら、胸の穴は勲章になる。父が何を望んでいたのかも、息子が何をできなかったのかも、考えずに済む。
「始めたときは、そうだったのだろう」
新王は言った。
「言葉を失ったあとも、父はそれを望んでいたのか」
首席評議員は黙った。
アルフレッドが最後に自ら食事をした日を知る者はいない。
自分の足で歩いた日も。
延命装置を外してほしいと訴えられた最後の日も。
公式記録には、治療の継続へ同意した王命だけが残っている。
日付は、延命が始まった頃。
およそ七百年前だった。
「覆うな」
新王は命じた。
「父が平和のために支払ったものだと言うなら、民にも見せるべきだ」
葬列は、その傷を隠さず王都を下る。
道の途中で、葬送官が王の名と称号を読み上げた。
「セレネア樹冠統治国、第二十七代国王」
鐘が一度鳴る。
「統一交易法の制定者。世界街道と共同備蓄の守護者」
また、鐘が鳴る。
「先の大戦の勝者にして、六つの主権印を束ねし盟約王――アルフレッド」
その名が枝々の間を降りていく。
世界中が、彼を別の名で呼んでいた。
平定王。
征服者。
法の父。
六国の牢番。
だが新王にとっては、父だった。
セレネアには、かつて五人の継嗣王子がいた。
エルフは百歳を成人と定める。五人はその年を迎えるたび、王宮の根に設けられた眠り殻へ入れられた。
樹眠。
生きた樹に身体を包ませ、鼓動も呼吸も老いも、目覚めの日まで限りなく遅くする古い術。
表向きには、延命される王より先に後継者が老いることを防ぐため。
必要なときに成人したばかりの王子を目覚めさせ、樹冠評議会に依存する王として即位させる。王が代わっても、その背後に立つ評議会は残る。王権だけを若い身体へ移し替え、評議会は眠らない。
新王は、五番目の継嗣だった。
彼が生まれたとき、アルフレッドは七百歳だった。まだ自ら歩き、息子を抱き上げ、言葉を交わすことができた。
それから百年後、新王は成人の日を迎えた。
同じ年、八百歳となったアルフレッドは、自然の寿命を越えるため延命装置へつながれた。
父は寿命を延ばすために。
息子は年齢を止めるために。
二人は同じ年に、それぞれ異なる眠りへ入れられた。
アルフレッドの延命装置に終わりの兆候が現れたのは、死の二十年前。
評議会は五人の継嗣を、樹眠に入った順に目覚めさせようとした。
最初の四人は戻らなかった。
長すぎる樹眠に身体が耐えられず、息を取り戻したのは最後に眠った末の王子だけだった。
生まれてから数えれば、八百年。
だが六百八十年の樹眠を除けば、彼自身が生きた時間は、まだ百二十年にすぎなかった。
目覚めた王子は、その日のうちに唯一の王太子と定められた。
それから二十年間、彼は何度も父の寝台を訪れた。
アルフレッドが息子の呼びかけに答えたことは、一度もなかった。
葬列が王都の中層へ差しかかったとき、第三の報告書が届く。
オルディアとネフティアの主権印が刻まれた写し。
前方に、中層の送別壇が見える。
枝上の暮らしと、死者を還す根の領域。その境目に設けられた広場で、葬列は一度足を止める。葬送官が「枝別れの祈り」を唱え、死者へ生者の住む場所との別れを告げるためだった。
ネイセルの足が、葬列と伝令の間で止まる。
伝令は首席評議員へ近づき、耳元で内容を伝える。長老の金色の瞳が細くなった。
「進めよ」
首席評議員は言った。
「報告は根元へ着いてから扱う」
「国境で、新たな発砲があったとの報告は?」
新王が尋ねた。
「その報告は入っておりません」
「ならば、次の発砲が起きる前に読む」
新王はネイセルへ顔を向けた。
「送別壇で列を止めよ。祈りは、合図があるまで続けさせる」
葬送車が送別壇の中央で止まり、葬送官たちが車を囲む。低い祈りは、もともと予定されていた儀式の続きだった。沿道の市民には、いつもより別れを惜しんでいるようにしか見えない。
白衣の葬送役を車輪のそばへ残し、新王と評議員たちは葬送車の後方へ回る。太い幹と車体に遮られ、沿道からは見えない場所。
父を送る祈りが、市民から報告書を隠すために続いている。
新王は葬送官へ一度だけ目を向け、ネイセルが開いた紙へ視線を戻す。
発生順序が読み上げられる。
アルヴェルン工兵の越境。
門鎖への操作。
境界術式の無指令放出。
アルヴェルン兵の小銃。
セレネア兵の魔法矢。
「やはり、人族が先に撃った」
軍務卿が言った。
「その前に我が国の術式が作動しています」
紫瞳の若い評議員が、報告書の該当箇所へ指を置く。
「攻撃命令はなく、死傷者も出ていない」
「侵入者を排除するための軍事術式だ。人族が攻撃と判断しても不自然ではありません」
「我が国の関門へ入っただけだと、彼らは主張するでしょう」
「あれは盟約軍の関門だ」
軍務卿は言い切った。
法印卿が静かに答えた。
「盟約軍は、もう存在しません」
誰も次の言葉を継がなかった。
首席評議員は報告書を閉じた。
「本日の弔辞へ、旧トーレン関門の件を加えます」
「何と加える」
新王が尋ねた。
「アルフレッド陛下の平和が、人族の銃撃によって破られたと」
人族の銃撃。
その言葉なら、弔辞は短くなる。父の平和を壊した者も、これから憎む相手も、一つで済む。
一瞬、それでよい気がした。
だが新王の目には、その前に記された「境界術式の無指令放出」が残っていた。
「事実ではない」
「最初の投射武器を発射したのはアルヴェルン兵です」
「父が死んだ時点で、平和は破れていた」
首席評議員の顔から表情が消えた。
沿道では、何が起きているのか分からない市民が、祈りに囲まれた葬送車を黙って見守っている。
「フィレンの名は読み上げます」
新王は言った。
「王の死後、国外で死亡した最初のセレネア兵として」
「殉職者として、でございますな」
「兵士としてだ」
「同じことです」
「違う」
新王は報告書へ視線を落とす。
「ニル・バルトの名も読み上げる」
軍務卿が一歩前へ出た。
「敵兵の名を、盟約王の葬儀で?」
「父の平和が守れなかった最初の死者は、二人だ」
「人族の死者は、我が軍の攻撃によるものです」
「だから読み上げる」
首席評議員の声が低くなる。
「陛下。民が必要としているのは、迷いではありません」
迷い。
その言葉だけは、報告書のどこにも書かれていなかった。
「ならば、私に王であることを求めるな。都合のよい標語を書けと命じればよい」
新王は報告書をネイセルへ渡す。
「全文を伝達樹へ掲げろ。先に出した告示も消すな。二つとも読めるようにする」
「異なる内容が並びます」
「世界が異なって見えていることまで隠すな」
命令を受けたネイセルは一礼し、七枚の報告書を抱え直す。
それが正しいのかは分からなかった。
ただ、儀典官である彼には、一つだけ確かなことがあった。
同じ場所に二つの文章を掲げると、多くの者は短い方しか読まない。
先に出された告示は、三行だった。
共同調査団の報告書は、七枚あった。
葬列が根元へ着くまでに、新王はアルヴェルンの国家統監へ停戦案を送る。
期間は三十日。
セレネアとアルヴェルンの全境界において、現在の陣地を越えない。先に武器を使用しない。違反が疑われる場合は、ネフティアとオルディアの共同調査を受け入れる。
撤兵も、武装解除も、国境の帰属も定めていない。
争っていることを一つも解決せず、三十日間だけ動かないための文書だった。
西へ向かう帰国列車から国家統監の返答が打電され、王の遺体が根元へ下ろされる直前に届く。
国家統監は停戦を受け入れた。
ただし、両国が自国領内で行う動員、物資輸送、陣地後方の整備を妨げないこと。
セレネアが国外駐屯軍へ補給する権利と、アルヴェルンが国内軍を移動させる権利を、互いに認めること。
「三十日あれば、人族は兵器工場を動かせます」
軍務卿が言った。
「我々も国外部隊の補給線を整理できる」
新王は答えた。
「停戦ではありません。戦争の準備期間です」
「準備をせずに戦争になるよりはよい」
新王はセレネアの主権印を取り上げた。
父なら、王冠で六国へ命じることができた。自分の手にあるのは、一国だけを縛る印。
小さい。
父のように世界を縛れない。
違う。縛らずに済む。
そう言い換えると、手の中の印が少し軽くなった。安堵したのだと認めれば、父を責める資格まで失う気がした。
新王は停戦文書へ主権印を押す。
淡い紫色の光が、文面の下へ広がる。
そこに刻まれたのは、セレネア一国の主権印だけ。
盟約王冠を介して六国すべてを縛る力は、もう存在しない。
セレネアが自らの主権だけで列国との協定を結ぶのは、千年ぶりだった。
国境の帰属を決める力はない。
アルヴェルンへ撤兵を命じる力もない。
それでも、セレネアの軍と役所と法廷には、この停戦を守らせることができる。
かつて世界そのものを縛っていた王権に比べれば、小さな力だった。
王都の根元には、代々の王を還した広い土床がある。
アルヴェルンから返された停戦文書が傍らへ置かれ、アルフレッドの遺体は土の上へ横たえられる。
葬送官が最後の問いを口にする。
「この者の名を、根へ返してよろしいか」
本来なら、血族の最年長者が答える問いだった。
アルフレッドより年長の血族は、世界に一人もいない。
新王が父のそばへ膝をついた。
延命装置の穴が残る手を取り、土の上へ置く。
「返せ」
根がゆっくりと土から伸びた。
細い根がアルフレッドの指へ触れ、手首を包み、やがて胸と顔を覆っていく。
誰も声を上げなかった。
エルフの弔いは静かに行う。
死者が土の中で、最後まで生者の声を聞いてしまうと信じられているからだ。
根が閉じる直前、新王は父の顔を見た。
そこに盟約王の威厳はなかった。
ようやく死ぬことを許された、一人の老人がいるだけだった。
アルフレッドの平和は、千年続いた。
その息子が最初に手に入れた平和は、三十日だった。




