第五十五章――七百人の買い値
増えた戦士を見て、商人は穀袋を荷車へ戻させた。
袋の口を解いていた荷役の男が、結び紐を持ったまま振り返る。
「見せないんですか」
「見本は出せ。売り物は下ろすな」
セナは門前の人波を避け、荷車へ近づいた。
アルヴェルンの穀物商ベルナー・クラウゼは、袋ではなく、その向こうを見ている。西門の外では、古くからの家畜市場に沿って、新しく来た氏族の荷車が並んでいた。囲いへ家畜を入れる者と、水を汲みに行く者が街道脇で行き交う。炊事の煙の下には、朝の食事を待つ列が残っていた。
「庁舎の裏へ運ぶよう、伝えてあったはずだけど」
セナが言うと、ベルナーは帽子を脱いだ。額に貼りついた髪を指で掻き上げる。
「見積もりに来たんです。納めに来たんじゃない」
「それは分かっています」
「なら、荷は積んだままで。帰りにも積むことになると、人手を二度使いますから」
二人のそばへ、アルヴェルンの使節ローデリヒ・フェルデンが歩いてきた。十二挺の銃の注文を受けた男だった。裾についた草の実を一つ摘み、門外の幌へ目を移す。
「昨日、到着した方々ですか」
「ええ。五氏族。戦士は、およそ七百と聞いています」
ベルナーがセナを見る。
「家族も?」
「その数には入っていません」
商人は口を閉じた。指で帽子の縁を押し、形を直す。
背後で荷役の男が穀袋を持ち上げた。袋の縫い目から細かな粉が落ち、荷台の縁へ白く残る。
ラズハが炊事場から来たのは、そのときだった。
「穀物?」
見本の袋へ手を入れ、ひと掴みを掌へ広げる。粒を親指で転がし、ベルナーへ差し出した。
「この荷車の分なら、いくらになる」
ベルナーが値を答えると、ラズハの指が止まった。
「運ぶ金も入ってる?」
「入っています」
「毛皮と布もある。見てから値を出してもらえるか」
「見ます。ただ、穀物とそのまま交換できるとは限りません。私が売れる品でないと」
「売れるかどうかも、見てから言ってよ」
ラズハは穀粒を袋へ戻し、自分たちの荷車を指した。
ベルナーは荷役の男を一人呼び、同行させる。二人を見送ると、上着から短いパイプを取り出した。火皿を覗いたところで、フェルデンが庁舎へ向かう道を指す。
「そろそろ、参りましょうか」
「ええ」
ベルナーはパイプをしまった。
セナは荷台を見た。袋は一つも下りていない。
「人が増えたら、売る方も喜ぶと思ってた」
「売れればね」
ベルナーは帽子をかぶり直した。
「食べる人が増えたことは、見れば分かります。払う人が増えたかどうかは、これから聞かないと」
都市庁の小部屋には、椅子を一脚足さなければならなかった。
窓の下の机に、オルネが食料の見積書を広げている。バルガは戸口に近い席へ座り、吊った左腕が机の角へ当たらないよう、身体を斜めにしていた。
セナは二人の間へ入り、銃の注文控えを机の端に置いた。向かいにはフェルデン、その隣にベルナーが腰を下ろす。商人は帽子を膝に載せ、まだ帳面を開かなかった。
「前の十二挺は、どうなっている」
バルガが尋ねる。
「出荷日の返答を待っています。今日の御相談で、先の契約を変えるつもりはありません」
フェルデンの答えを聞き、バルガは頷いた。
「追加を頼みたい。だが、先に食料だ。昨日来た者を、連れてきた荷だけで食わせ続けるわけにはいかん」
オルネが見積書の品目を指でたどる。
「市へ届いている分を増やしたいのです。一度だけでなく、次も、その次も。どれだけ運べるか、まず伺いたい」
「支払いは、納めるたびに?」
ベルナーの問いに、オルネは指を止めた。
「全額を毎回そろえるのは難しいと思います」
「どれほど待てばよろしいですか」
オルネはバルガを見た。バルガがセナへ視線を移す前に、セナは首を横に振る。
ラズハたちが持ち込んだ品は、まだ値がついていない。氏族の荷を全部売ると決まったわけでもなかった。
「今は、日を約束できません」
オルネが答えた。
ベルナーは膝の帽子を椅子の背へ掛けた。
「でしたら、払える分を先に決めてください。その額に合わせて荷を組みます」
「それでは足りんから、聞いている」
バルガの声に、商人は顔を上げた。
「足りない分を私が持つなら、いつ戻るかは聞きますよ」
廊下で何か重い物を引く音がした。ベルナーは音のやむのを待ち、机へ両手を置く。
「私も、穀倉へ金を払います。御者にも払う。ここで代金を待っている間、あちらにも待てとは言えません」
フェルデンが椅子へ背を預けた。
「供給を続けられれば、取引は大きくなるでしょう」
「大きくなる前に、金が尽きます」
返事は早かった。
ベルナーは使節へ向き直る。
「リュサが残れば、我が国のためになる。そこまでは、私にも分かります。ですが、穀倉でそう言っても袋は出てきません。向こうは次の仕入れをするんです。御者には、帰った日に渡す金が要る」
机に置いた指が、見積書の輸送費を叩く。
「私に待てと言うなら、私が払う分はどこから出るんです。国家統監がこの商売を大事だと思っておられるなら、国にも払っていただきたい。商人を連れてこいと言われて来ましたが、国の代わりに損を引き受ける約束まではしていません」
フェルデンはしばらく黙っていた。
セナは、使節が商人を叱るのかと思った。だが、彼が手を伸ばしたのは、食料の見積書だった。
「政府が、納入した分の支払いを保証するなら?」
ベルナーの指が紙から離れる。
「誰が、いつ払う保証ですか」
「リュサから期日までに入金がなければ、政府があなたへ支払う。その条件を、本国へ提案する」
「その期日で、次の穀物を仕入れられるなら」
ベルナーはようやく帳面を開いた。
オルネが、フェルデンの手元へ見積書を寄せる。
「その場合、私たちの未払い分は?」
「消えません。政府が支払った分を、貴国にどう返していただくか。そこは別に条件を決める必要があります」
バルガは椅子に深く座り直した。
「お前が決められる話か」
「いいえ。私から勧めることはできます」
「前にも、金が足りないとは話したぞ」
フェルデンは窓へ顔を向けた。
隣の建物の屋根越しに、西門へ続く枝壁が見える。見張りの影が、幹の向こうへ消えた。
「前に伺ったときは、銃を習う者を出すだけでも、門の交代が苦しくなると聞きました。今朝は、来たばかりの戦士が見張りに立っている」
「まだ、元からいる兵がついて教えている」
「それでも、交代できたのでしょう」
バルガは答えず、机の端の注文控えを見た。
そこには十二と書いてある。まだ届かない銃の数は、変わっていなかった。
フェルデンが続ける。
「本国から、リュサの状況も報告するよう求められています。人が来て、守備を引き受けた。それなら、食料を送る意味も変わります」
「セレネアが、兵を戻せなくなる」
バルガが言った。
「そう期待するでしょうね」
使節は否定しなかった。
ベルナーの筆が止まる。
バルガは、使節から商人へ目を移した。
「なら、穀物は一度きりにするな。次の荷が来るつもりで人を残して、一度で終われば、今より困る」
フェルデンが見積書の余白へ筆を置く。
「何回分を求めますか」
「まず、続けて運べる量を聞かせてくれ。食わせられる人数も分からず、兵を残せとは言えん」
ベルナーは帳面を自分の側へ引き寄せた。頁を二枚戻し、指で数字を追う。
「荷車の手配があります。毎回同じ量にはできません。ですが、先に何度かの注文が決まるなら、空いた車を探すだけの運び方にはしなくて済みます」
オルネが椅子を寄せる。
「市の今の入荷と重ならないようにしたい。予定を見せてください」
二人の間へ、帳面が回された。
セナは銃の注文控えを取り上げ、フェルデンの前へ置く。
「追加の銃も、同じ提案に入れてください」
「食料だけでも、認められるとは限りませんよ」
「分かっています。でも、銃を先に決めて、弾と部品は後からでは困る。練習に使う分も含めて、続けて買うならいくらになるか。そこまで一緒に出してほしい」
フェルデンは十二挺の控えへ目を落とした。
「数が要ります」
「使える者を確かめて出します。三百全部とは書かないで」
使節の筆先が止まり、セナへ向く。
「承知しました」
窓の外で荷車が止まった。御者が裏庭の誰かを呼んでいる。
ベルナーは声に顔を上げたが、席を立たなかった。
商人の荷車が出る頃、セナは西門まで見送りに来た。
売り物の穀袋は、まだ荷台に積まれている。政府が払うかもしれないという話だけで、置いていく品ではなかった。
ベルナーは荷車から離れ、街道脇でパイプを吸っていた。頬をくぼませて煙を吸い、ゆっくり吐く。セナに気づくと、吸い口を口から外した。
「返事が来るまで、今日の条件で買う分は待ってもらえますか」
ベルナーは首を振った。
「値をいつまでも置いてはおけません。先に買い手がつけば、売ります」
「分かりました」
「返事が来たら、すぐ知らせてください。荷を集め直す時間は欲しい」
ラズハが布の端を手に近づいてくる。値をつけるために預ける見本だった。
「売れる?」
ベルナーはパイプを持つ手を脇へ避け、空いた手で布を受け取った。指の腹で織り目を擦る。
「この織りなら、買い手は探せます。毛皮の方は、傷のある分を分けてください」
「分けたら、もう一度見てもらうよ」
商人は頷き、布をセナへ預けた。パイプの灰を街道脇の土へ落とし、靴底で火を消す。それから布を受け取り直し、包んで御者台の下へ収めた。
フェルデンは、荷車とは別に出す書状の封を確かめている。セナの手元にも、提案の控えがあった。食料の継続供給。追加の銃と弾薬。商人への政府保証。どの品にも、まだ承認を示す印はない。
御者が手綱を揃える。
セナは道を空けた。
荷車は家畜市場の入口を過ぎ、草地を横切る街道へ出ていく。幌が揺れるたび、その下に積まれた穀袋が見えた。
門外の炊事場では、ラズハが鍋の蓋を取っている。戦士の一人が空の椀を持って近づき、鍋を覗いてから列の後ろへ回った。
フェルデンが封じた書状を使いの者へ渡す。
セナは控えを畳み、街道へ目を戻した。荷車はもう曲がり角へ差しかかっている。膨らんだ穀袋が、幌の下で揺れていた。
背後から、ラズハの声がした。
「次の鍋、掛けるよ。水を持ってきて」
セナは控えを懐へしまい、空の桶を取りに戻った。




