第五十三章――門の外に来た者
最初の旗が止まっても、街道の向こうから次の旗が現れた。
増援が来たと呼ばれ、西門の門楼へ上がったヴァドは、街道を見渡した。
門外には家畜市場の柵が並び、その向こうへ草原が広がっている。街道は市場の脇を通り、緩く曲がりながら遠くの起伏へ続いていた。
その道に、槍の列がある。
後ろには荷車。さらに家畜の群れが続き、低く舞った土埃の中から、また別の色の旗が出てくる。街道の曲がった先にも人影が動いていた。
「まだいるのか」
隣の見張りが頷く。
「先頭の者は、五氏族だと」
「兵は」
「七百ほど。向こうが言うには」
ヴァドは街道へ目を戻した。
七百。
数え間違いでなければ、門の見張りを数人ずつ増やす話では済まない。
リュサを囲む枝壁は、九本の古木から伸びた太枝が絡み合ってできている。西門では、門扉を抱く枝が左右へ開き、荷車を通す口を空けていた。
だが、先頭の車はその手前で止まっていた。
続く車が追いつき、市場の柵へ曲がろうとした家畜の列まで詰まっている。柵の内側から、誰かが腕を振っていた。
トーヴの引渡しを巡る交渉がオルディアで始まった頃、リュサには、都市攻略へ加わらなかった獣人たちが集まり始めていた。
門前で怒鳴り声が上がる。
荷車の幌の脇から鍋が落ち、道を転がった。家畜を引く者が車輪を避けたが、道端には槍を担いだ戦士が座り込んでいる。
ヴァドは階段へ向かった。
西門をくぐると、黄褐色の毛を持つ女が、荷車の御者へ腕を振っていた。
「後ろへ下がるな! 子供がいる!」
首の後ろに黒い鬣が立ち、むき出しの腕には濃い縞が走っている。縞鬣犬の獣人だった。
女は車の間へ入り、しゃがんでいた子供の襟を掴む。拾おうとしていた鍋ごと引き出し、傍らの大人へ押しつけた。
ヴァドが道端の戦士へ怒鳴る。
「そこを空けろ! 車を寄せる!」
戦士が槍を杖に腰を上げる。
御者が手綱を引き、荷車を道の脇へ動かした。市場の柵戸へ続く通り道が空き、待たされていた家畜が一頭ずつ入っていく。
女は息を吐き、欠けた右耳を掻いた。
「助かった」
「後ろを止めろ。このまま門まで押しかけられたら、何も通せん」
「ザムロ!」
女が呼ぶと、二台後ろの荷車から、大柄な男が顔を出した。
赤茶の毛に木屑が絡んでいる。赤熊の獣人だった。荷台から飛び降りると、胸当ての上へ垂れた首飾りが鳴った。
「聞こえてる。後ろへ伝えろ、いったん止まれ!」
近くの戦士が列に沿って走る。
ヴァドは女へ向き直った。
「誰だ」
「ラズハ。縞鬣犬の一団を連れてきた」
赤熊の男が並ぶ。
「俺はザムロ。氏族長だ。ようやく着いた」
門の内側を覗き、太い首を傾ける。
「家は、どこが空いてる」
ヴァドは男を見上げた。
「誰が家をやると言った」
「いや、使ってない家くらいあるだろう」
「使ってないかどうか、お前に分かるのか」
ザムロの笑いが薄くなる。
ラズハが口を挟んだ。
「家をもらう話なんか、してない」
「お前のところはな。俺は、まず訊いてるんだ」
「荷を下ろす場所も決まってないんだよ」
「だから訊いてる」
ヴァドは二人を見比べた。
「話も揃えずに来たのか」
「ここへ来る道は一緒だ。欲しいものまで一緒にしろと言われても困る」
ザムロはそう言い、門楼を見上げた。
「で、バルガはいるか」
「俺では足りんか」
「家の話を決められるなら、お前でいい」
ヴァドの牙が覗いた。
ラズハがザムロの胸当てを手の甲で叩く。
「やめな。着くなり何を揉めてる」
「お前が呼んだんだろう」
その横を、角の長い男が通り過ぎた。
片方の角が途中から短い。灰白色の顎髭を細く編み、先を革紐で結んでいる。石山羊の獣人で、荷車の轍を避けながら門前へ来た。
男は門の通路から市内を覗き、視線を枝壁へ移した。
「セレネアの軍は、どこまで退いた」
ヴァドが振り向く。
「お前は」
「ベシュク。石山羊の氏族長だ」
男は街道へ顔を戻した。
「まだ近くにいるのか」
「確かな場所は分からん」
「そうか」
ベシュクは門上の見張りを見た。やがて、後ろに立つ自分の戦士へ手を振る。
「荷は解くな。先に、水を飲ませろ」
ザムロが鼻を鳴らした。
「門まで来て、まだ迷ってるのか」
「門まで来たから見ている」
バルガが西門へ着くと、街道の片側だけがようやく通れるようになっていた。
左腕を吊った布が、歩くたびに胸へ擦れる。門へ近づくにつれ、人の声に別の音が混じり始めた。家畜の声。車軸の軋み。違う調子で交わされる呼び声。
門扉を抱く枝の下を抜けると、荷車の列が見えた。
市場の柵戸の前は空けられていたが、その先にも車が続いている。道から草地へ出た戦士たちが、背負っていた荷を足元へ置いていた。
ラズハたちは、門の出入りを避けて脇へ寄っていた。
ヴァドから短く聞き、バルガは三人を見る。
「五氏族が来たと聞いた」
「残る二つは、後ろの列を寄せてる」
ラズハが答えた。
「戦う者を合わせて、七百ほど。着いたところで、もう一度数える。家族や荷を運ぶ者は別だ」
「全員がここへ残ると決めているのか」
ザムロがベシュクを指した。
「こいつは、まだ壁を見てる」
「お前は家しか見ておらん」
「住むんだから見るさ」
バルガは街道へ目を向けた。
盾の縁には補修の跡がある。刃の欠けた槍もあれば、油を引いた新しい穂先もあった。同じ列に見えた戦士たちも、旗の下ごとに距離を空けている。
「銃はあるか」
「ない」
ラズハが答える。
「槍と弓。それで来た。穀物と塩肉も積んでる。車を直せる者もいる」
「食わせてもらうためだけに来たわけじゃない」
ザムロが続けた。
「こっちから売れる物もある。町が残るなら、運んでくる者も増えるぞ」
「残るなら、か」
ヴァドの声で、ザムロが口を閉じた。
「取るときには来なかったな」
ラズハは腰の斧へ手を置いた。歩く間にずれた柄を直し、そのまま握る。
「ああ」
「今なら入れてもらえると思ったのか」
「そう思って来た」
「都合のいい話だ」
柄を握った指が止まる。
「……じゃあ、いつ来ればよかった」
「俺たちが戦っていたときだ」
「子供を連れてか」
「戦える者だけ来ればいい」
ラズハは何か言いかけた。
背後で、荷車から下ろされた子供が泣き始める。抱き上げようとした大人の肩を押し、幌の中へ戻りたがっていた。
「戦える者を抜いたら、残った家族はどうする」
「こっちにも家族はいる」
「分かってる!」
近くの戦士たちが顔を上げる。
ラズハは口を閉じた。鬣の間へ手を入れ、首の後ろを強く擦る。
「……来なかった。それは何を言っても変わらない。今なら残れると思ったから来た。卑怯だと言いたければ言えばいい」
ヴァドを見た。
「でも、連れてきた者まで邪魔にするな。歩けなくなった子を代わる代わる担いで、ここまで来たんだ。戦士も食料もいる。何もかも、お前たちに出せと言ってるんじゃない」
「住む場所は出せと言うんだろう」
「それは要るよ!」
ラズハの声が裏返った。
ザムロが、二人の間へ腕を出す。
「おい。俺は謝りに来たんじゃないぞ」
ヴァドがその腕を払った。
「お前は黙ってろ」
「黙ってたら、こっちまで物乞いになる」
ザムロはバルガへ顔を向けた。
「俺は町が欲しい。奪うんじゃない。ここへ来れば売れる、買える、怪我をすれば寝かせる場所がある。そういう町が欲しくて来たんだ。だから守る。これじゃ駄目か」
バルガが答える前に、ベシュクが言った。
「守れるかどうかを訊いている」
ザムロの肩を押し、門上へ顎を向ける。
「さっきから、あの兵が一度も座らん」
見張りは槍へ体重を預けていた。目は街道を向いているが、呼び声が上がるたび、顔を動かすのが遅れる。
「座れば眠るんだろう」
ヴァドが振り返った。
「交代が来る」
「いつだ」
返事までに、間があった。
ベシュクは、その間を待った。
「ここにいる者を責めてるんじゃない。俺の兵も、同じように立たせて潰すのか。それを知りたい」
ヴァドは門へ歩きかけた。
バルガが呼び止める。
「ヴァド。ケルドに交代を頼んでくれ」
「今、別の持ち場を回してる」
「俺がここに残る」
ヴァドはバルガの左腕へ目を落とした。何か言いたそうに鼻を鳴らし、門内へ入っていった。
待つ間にも、街道から人が来た。
最後尾がどこまで延びているかを伝える者。家畜へ水を飲ませたいという者。足を傷めた戦士を荷車から下ろしてよいかと尋ねる者。
ラズハは一人ずつ返事をしていたが、やがて苛立って腕を振った。
「怪我人は先に下ろしな。そこで立って待たせてどうする」
市場の柵のそばで、到着した家畜を繋ごうとした者が呼び止められていた。柵の内側にいた男が、すでに繋がれている獣を指す。
ラズハが声を張る。
「勝手に入れるな! 綱を持って待ってな!」
バルガは門務の兵を呼び、オルネへの伝言を頼んだ。
西門外で使える滞在場所と、水を確かめたい。家畜市場はすでに使われている。来た者たちを、そのまま柵の中へ入れるつもりはない。
ザムロがそれを聞いていた。
「市内は駄目か」
「空いているように見えても、持ち主が戻る家がある」
「戻らない家は」
「それを、今ここで俺が決めることはできない」
ザムロは頬の毛を掻いた。
「なら、今日は外でいい。いつまで外かは、あとで聞く」
ベシュクは門を支える幹のそばへ寄り、背負っていた荷を下ろした。
バルガが見ると、男は肩を回していた。
「帰るのか」
「帰るなら、下ろさん」
折れた角の根元を指で押し、それから街道を振り返る。
「だが、全員を今夜から見張りへ出すな。道を知らん。暗くなれば、戻ってきた者と近づいてきた者の区別もつかん」
「ここの兵と回ってもらう」
「それならいい」
ザムロが笑った。
「ようやく決まったか」
「お前の分まで決めてはおらん」
「俺の分は、俺が決めるさ」
三人の後ろで、家畜が道端の草を食み始めていた。戦士が手綱を引いたが、首を上げない。結局、自分も腰を下ろして水筒を開けた。
バルガはその姿を見て、ようやく右手を腰から離した。
戦士だけで、およそ七百。その家族も来ていた。
氏族が違えば、従う相手も違う。それでも、門楼へ続く階段を見ている戦士がいる。傷んだ荷車を直す者がいる。荷台から子供を抱き下ろす者もいた。
ヴァドが戻ってきた。後ろにはケルドと、交代の兵が続いている。
「まず、今夜の場所だ」
ヴァドは言った。
ラズハが頷く。
ザムロは荷車を指し、「車ごと寄せられる所がいい」と口を挟んだ。
ヴァドは無視して、ベシュクを見た。
「壁を見たいんだろう」
「ああ」
「来い。寝床の話は、ほかの連中に任せろ」
ベシュクは下ろした荷を戦士へ預けた。
ザムロも後ろへつこうとしたが、ヴァドが指を突きつける。
「お前は先に、あの車を動かせ。また市場の入口を塞いでる」
「分かった、分かった」
大柄な氏族長が街道へ戻っていく。荷台の角へ肩を入れ、御者へ怒鳴った。車輪が回り、その後ろに隠れていた人の列が現れる。
まだ着き切っていない。
バルガは門の脇へ退き、通る者の顔を見た。
足を引きずる戦士。空いた手で子供を引く者。鍛冶道具を包んだ革袋を、他人に触らせず抱えている者。
門内から、交代した若い兵が出てきた。
ヴァドたちとすれ違うときには背を伸ばしたが、街道脇へ出るころには、肩が落ちていた。
ラズハが荷車から水袋を受け取り、その兵へ差し出す。
兵は一度、バルガを見た。それから受け取り、喉を鳴らして飲んだ。
「飯は」
ラズハが聞く。
「まだです」
女は荷車の向こうへ振り返った。
「鍋を出して。こっちにも食べる者がいる」
門上から、ヴァドがベシュクを呼ぶ声がした。
「門は見たな。次はこっちだ」
バルガは顔を上げた。
二人の姿が枝壁を支える幹の陰へ入り、見えなくなった。




