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第四十七章――倉庫の銃

二発目の砲声が消えても、クルトは耳から手を離さなかった。


土手の向こうで、砲弾が跳ね上げた土が落ちていた。標的の板は支柱ごと倒れ、破片だけが斜面に残っている。


砲の後ろでは、次の弾を抱えた作業員が足を止めていた。


「次弾、待て」


試験担当の声に、砲手が装填口から手を引いた。


ハインは見学用の柵へ近づいた。


「何が起きた」


隣にいた工廠長が、砲身の下を見た。


「砲身の戻りが揃っておりません。筒が温まってから、二度とも同じ症状が出ています」


試験場は第七機械工廠の組立棟から丘を一つ越えた場所にあった。左右を土手で囲み、砲口の先には人を入れない。見学者の立つ柵も、砲の後方へ十分に離してあった。


発射のたびに砲全体を据え直す手間を減らすため、砲身の後退を受け止める駐退筒が取り付けられている。図面と加工中の部品でしかなかったものが、ようやく砲と組み合わされていた。


クルトは耳から手を下ろした。


「一発目のあとは、早かった」


「はい。ただ、この動作を繰り返せることを確かめなければ、砲手が一発ごとに確認する必要がございます」


試験担当が筒の継ぎ目へ白い布を当てた。布の端に、油が細く染みた。


ハインはその手元を見ていた。


「部隊へ渡せるのは、いつだ」


「現時点では、引渡し時期を確約できません」


工廠長は帽子を取り、額の汗を拭った。


「寸法の調整で済むのか、材を替える必要があるのか、まだ判別できておりません。温まった状態での反復試験が必要です」


「見込みの日付も出せないか」


クルトの問いに、工廠長は姿勢を正した。


「申し訳ありません。今の段階で日付を申し上げれば、部隊への引渡し予定を誤らせるおそれがあります。まず分解検査を終え、その結果と合わせて見通しをご報告いたします」


ハインは砲の周囲にいる作業員を見た。誰も次弾を運び込もうとはしていなかった。


「今日はここまでか」


「はい。分解して、内部の当たりを確認いたします」


「そうしろ」


クルトが手帳を開いた。


「軍の更新予定は、まだ組めませんね」


「今の砲を引き揚げるなということだ。新しい砲が揃ってから替える」


ハインは柵を離れた。


「試作の費用と、量産に必要な費用は分けて出せ。議会へ持っていく数字を混ぜるな」


「承知いたしました」


土手の陰で待っていたイレーネが、封を開けた書状を差し出した。


「リュサから返答が来ています。使節の受け入れに応じるとのことです」


ハインは紙を受け取った。


面会のために求められているのは、訪問者の人数と役割、滞在の予定、携行品の内訳だった。食料と武器については、種類と数量を事前に示すよう求めている。


購入を約束する言葉はなかった。


「現物も見たいそうです」


「持たせればよい」


クルトが、まだ煙の匂いの残る砲を振り返った。


「この砲は出せません」


「出す話はしていない」


ハインは書状をイレーネへ返した。


「倉庫へ行く」


工廠の西側には、完成品と補修を終えた装備を置く倉庫が並んでいた。


扉を開けると、外より冷たい空気に油と木の匂いが混じった。通路の両側に木箱が積まれ、箱の端には検査日と数量を書いた札が結ばれている。


倉庫係が一箱を台へ運ばせ、蓋を外した。


銃床が同じ向きに揃えられていた。金具を磨き直した銃には、木部に古い傷が残っている。隣の箱には、まだ部隊へ渡していない銃が収められていた。


ハインは一本を取り上げた。


現在、アルヴェルンの兵が使っているものと同じ型だった。


金属の指を添えて支え、銃床の傷を見たあとで箱へ戻す。


「これを売る」


クルトは倉庫係から在庫帳を受け取った。


「部隊への補充分を含めれば、余っているとは言えません」


「補充分は残せ。予備もだ。その残りを数えろ」


「全箱を引き直します。整備待ちの分は、数に入れません」


工廠長が開いた箱を指した。


「保管期間の長いものもございます。出荷前に再検査を行い、不適合のものは除外いたします」


「費用は」


「検査と補修、梱包を分けて算出いたします」


イレーネが帳面を覗いた。


「新品と補修品を一緒の値段にはできません。先方へ示す明細も分けます」


「そうしろ。こちらの費用に利益を乗せろ。ただ倉庫を空けるために出すのではない」


工廠長が一歩進み出た。


「統監、補修部品についても、一点申し上げてよろしいでしょうか」


「何だ」


「銃だけを渡しても、その後の維持ができなければ使えなくなります。部品をどこまで初回に付け、以後どの程度供給するか、お決めいただく必要がございます」


「弾薬と一緒に見積もれ。継続して売れる形にする」


クルトは在庫帳の数字を指で追った。


「三百挺を上限として、検査後に減らす形なら組めると思います。ただし、同時に三百人の兵ができるわけではありません」


「扱い方か」


「扱い方も、整備もです。工場で作れる者が、そのまま兵を教えられるとは限りません」


イレーネが書状を畳んだ。


「軍人を送り込む話にはできません。先方の受け入れ条件にも関わります。まず使節が確認し、必要なら、整備を説明する技術者の短期滞在を別に協議します」


「指揮はさせん。滞在も向こうの同意を取れ」


工廠長は、箱の中の銃へ視線を戻した。


「手の大きさや指の形によっては、操作に支障が出る可能性もございます。見本を実際に扱っていただき、確認してから数量を決めるのがよろしいかと存じます」


ハインは銃の引き金を囲む金具を見た。


「見本は二挺。整備の道具も持たせろ」


イレーネが書き留めた。


「食料は、穀粉と乾燥豆、塩を。それぞれ別の明細にします」


「銃を買うことを条件にはするな。食料だけでも売れるなら売れ」


「砲については」


「今回は出さん」


ハインはすぐに答えた。


「こちらにも数が要る。弾も運搬も、銃とは違う。引き受けられる分だけを出す」


倉庫係が別の箱を開けた。金具の一部に変色があり、工廠長が検査用の札を置いた。


イレーネは、その箱が脇へよけられるのを待った。


「セレネアは、関与を疑うでしょう。リュサの占領には関わっていないと答えた直後です」


「占領には関わっていない」


「ええ。ただ、銃が届けば、これから先の戦いには関わることになります。日付を分けて説明しても、その責任までは消せません」


ハインは開いた箱の縁へ右手を置いた。


「工場にいた頃、納期を決める者と、その納期に間に合わせる者は別だった。上からは数字が来る。下では誰かが夜まで残る。機械を止めれば遅れが出るから、少しの無理なら通す。その少しを、毎日だ」


ハインは、木箱に置いた右手を見た。金属の指先が縁に掛かっていた。


「今は私が数字を決めている。銃を何挺作るか。兵を何人置くか。どこへ金を回し、どこを待たせるか。全部を満たすことはできん。だから、何を失うかも選ぶ。それを選ばずに済むと思っている者には、この仕事は任せられん」


「リュサに、その損失を負わせるのですか」


「セレネアの兵を引き受けてもらう」


イレーネの問いに、ハインは間を置かなかった。


「リュサが持ちこたえれば、セレネアは西へ兵を残す。補充も物資も要る。こちらへ向けられる分が減る。我々はその間に工廠を増やし、次の装備を揃えられる。今ここにある銃で、その時間が買える」


「向こうでは人が死にます」


「死ぬだろう。銃を売れば、戦いが長引くこともある」


ハインはイレーネから目を逸らさなかった。


「だが、売らずにリュサが潰れれば、それで終わるのか。西で役目を終えたセレネアの兵が、次にどこへ置かれるかまで考えろ。我々の国境へ来てから、こちらの若者を集めるのでは遅い。私は、向こうの戦いが早く終わることより、こちらの備えが間に合うことを選ぶ」


「そのために、国として支えると」


「そうだ。認めただけで潰れる国では、役に立たん。食料を売る。銃を売る。守りを固めさせる。セレネアが奪い返すには高くつくと思う程度には、強くなってもらう」


工廠の方から、鉄を打つ音が続いていた。


「向こうも銃が要る。我々には売れる銃がある。値は取る。弾薬も部品も、次の注文につなげる。その利益で、我々は新しい装備へ進む。リュサに渡した銃がまだ使えるうちに、こちらはその先へ行く」


「都合よく動き続ける相手とは限りません」


「だから、こちらの部隊も予備も削らん。売る量を限る。新しい技術まで渡しはせん。向こうが我々に好意を持つかどうかで、国の守りを決めるつもりはない」


ハインは木箱の蓋を戻した。


「検査は省くな。納期も守れ。使えぬ銃を送れば、セレネアの兵を一人も留められん。約束を違えれば、次は別の国から買う。売った銃が働き、次の注文が来るところまで計算しろ」


イレーネはすぐには答えなかった。


「……リュサには、長く戦える国になってもらうわけですね」


「セレネアには、短く勝てると思わせるな。それだけで、こちらへ向ける兵を数え直させられる」


クルトは在庫帳を閉じた。


「では、三百挺を上限に再検査へ回します。弾薬と部品は、保有分を確認して別に数量を出します」


イレーネも書類を揃えた。


「売却案として整えます。先方の返事を待って、契約へ進めます」


倉庫の外へ出ると、試験場から運ばれてきた砲が組立棟へ入るところだった。車輪の下に板が敷かれ、作業員が左右から押していた。


工廠長がハインの傍らへ来た。


「統監、輸出準備と試作の人員について、ご相談がございます。現在の配置では、どちらにも同じ熟練工を充てることになります」


「足りない人数を出せ」


「承知いたしました。ただ、通常の整備に回せる者と、試作品の調整を任せられる者は分けて見積もる必要がございます。試験班の増員には、時間をいただくことになるかと存じます」


ハインは、組立棟へ消えていく砲を見た。


「試験班は削るな。輸出のために次の装備が遅れては意味がない」


「出荷の準備期間が延びる可能性がございます」


「その日付で見積もれ」


工廠長は頭を下げた。


「承知いたしました。その条件で工程を組み、ご報告いたします」


使節が出発するまでに、見積書は二度書き直された。


再検査の必要な銃が外され、初回に付ける部品が増えた。食料の出荷と銃の出荷は、同じ日にはならなかった。


三百挺という数字の脇には、検査と契約によって確定する旨が添えられた。一度に全数を引き渡す約束も置かなかった。


出発の日、庁舎の車寄せには使節の馬車と、荷を積んだ車が並んでいた。


銃は見本の二挺だけだった。技術者が箱の固定を確かめ、整備道具の袋をその横へ押し込んだ。


イレーネは、使節を務める外交官に封書を渡した。


「先方が受け入れたのは、訪問と協議です。売買が決まったものとして話を進めないでください」


「承知しております」


「購入する側の権限も確認を。誰が数量を決め、誰が契約し、どこが代金を支払うのか。受取人だけ分かっていても足りません」


外交官は封書を鞄へ収めた。


「軍の装備ですから、バルガ殿の意向が中心になるかと――」

「それはこちらの推測だ」


ハインが遮った。


「指揮を執る者が、国の金も自由に使えるとは限らん。確かめろ」


「はい」


イレーネが続けた。


「説明を求めることと、政府の形をこちらで決めることを混ぜないでください。先方が定めた手続きを確認し、その相手と協議してください」


外交官は頷き、手帳へ書き込んだ。


ハインは、その手が止まるのを待った。


「支払いが足りなければ、まず数量を調整しろ。分割払いを求められたら、条件を持ち帰れ。その場でこちらの負担を増やすな」


「食料についても同じ扱いでよろしいでしょうか」


「明細ごとに交渉しろ。まとめなければ売らんとは言っていない」


クルトが、荷車に積まれた箱へ目を向けた。


「銃を見せる場所と、試しに使わせる場所は先方と決めてください。保管の仕方も確認を。技術者が勝手に施設へ入らぬように」


「転売については」


「第三国への転売を認めない条件を提示します。ただ、紙に書けば済むとは考えないでください。引渡し先と管理の実態も、分かる範囲で報告を」


御者が馬の手綱を整えた。玄関を出てきた書記が、最後の書類袋を外交官へ渡した。


「先方から、援助の申し出かと尋ねられた場合は」


「売却だ」


ハインは答えた。


「国交を結び、取引を始める。代金を取り、合意した品を渡す。その条件を話してこい」


外交官は一礼して馬車へ乗った。


兵の列は付かなかった。車輪が石畳の継ぎ目を越え、二挺の銃を積んだ荷車があとに続いた。


イレーネは馬車が門を出るまで見送った。


「買わないかもしれません」


「返事を待つ」


「買っても、次の外交交渉でこちらに付くとは限りません」


「そのときは、そのときの条件を出す」


ハインは庁舎へ戻る階段に足を掛けた。


クルトは車寄せに残っていた。工廠へ戻るための馬車が、門の脇で待っている。


「駐退筒の検査は」


「分解は終えたと聞いています。修正案はまだです」


「結果と一緒に持ってこい」


「承知しました」


その日の工廠では、取り外した駐退筒を囲んで寸法が測り直されていた。削った面に残る跡を確かめ、図面へ数値を書き込む。再び砲へ取り付ける日付は、まだ決まっていなかった。


隣の整備棟では、保管されていた銃が箱から出されていた。


一本ずつ機構を確かめ、補修の必要なものを脇へよける。検査を終えた銃には札が付き、弾薬と部品の見積もりが別の机でまとめられていった。


倉庫係は出荷帳の仕向先へ、リュサ国と書いた。


その隣の受注欄は、使節の返事が来るまで空けておいた。

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