第三十九章――誰の法で裁く
商会倉から出た最初の十袋が、夕方の配給所へ向かっていた。
同じ道を、二人の大角牛が逆へ歩かされていた。
武器はなく、手首を前で結ばれている。左右を囲むのは、白布を巻いた市中番の三人だった。氏族兵、元市民兵、根路側の住民記録役が一人ずつ。腰にあるのは棍棒と笛だけである。
二人は市の牢に二日置かれていた。倉の荷役が終わるまで動く市中番の一組が、日没で期限を迎える二人を都市庁へ移す役だけを引き受けている。
上層区の酒屋から都市庁へ向かっていたエルフの老女が、路地の角で一行と鉢合わせた。壊れた扉に板を打った店は、まだ開けられない。老女の手には、樽と扉の補償記録の写しがあった。
「どこへ連れていくんだい」
住民記録役が答えた。
「都市庁です。二人の拘束期限が日没までなので、その先を決めます」
大角牛の一人が鼻を鳴らした。
「逃げてもいないのに、二日も牢へ入れた」
「だから今日、決めずに延ばさないために連れていく」
元市民兵が言った。
老女は二人の顔を順に見た。
「放すなら、もう店へ来させないでおくれ。扉を直しても、また壊されたら商売にならない」
住民記録役は、その言葉を手元の記録へ書いた。
日没前を知らせる鐘が鳴る。東門の八百歩先には一千八百人規模の救援軍が残り、陣幕の後ろで補給車が列を組み替えている。門楼の監視記録では、騎兵も魔法弓隊も前へ出ていない。
前進してはいない。だが、撤収する様子もなかった。
都市庁の会議室には、食糧管理の採決で使った紙がまだ積まれていた。
商会倉の開扉時刻。搬出した袋の番号。補償請求の根拠。その横へ、今度は拘束者名簿が置かれた。
二人の大角牛は扉の近くに立たされた。酒屋の老女と大角牛の代表もいる。オルネは旧市の法令集を開き、ガドは壁際で腕を組んでいた。
バルガは左肩を厚い包帯で固め、椅子の背へ右手を置いている。ディルハも包帯に固められた左肩を動かさない。セナは議決席ではなく、旧市書記の隣へ座った。
最初に、すでに確認できていることだけを揃えた。
二人は、店主が避難していた酒屋へ無断で入り、樽を一つ割って酒を飲んだ。拘束時には一人が抵抗し、黒豹兵を殴った。目撃記録には、そこまで残っている。二人とも、店への無断侵入と飲酒は否定していなかった。拘束時に抵抗した一人も、その行為は否定していなかった。二人は、所有者の許可なく家屋や店舗へ入らないという取り決めと、略奪禁止に違反していた。
樽と扉の被害額は、旧市場の価格表と木工職人の見積もりで出ていた。大角牛氏族が差し出した家畜二頭を配給会計が買い取り、その代金から店主へ支払う手続きにも、三群と店主の印がある。ただし、家畜の買い取りも店主への支払いも、まだ終わってはいなかった。
空いているのは、処分の欄だった。
老女は補償記録の写しを机へ置いた。
「払うと書いた分は、きちんと払ってもらう。それとは別だよ。二人を氏族へ戻して、また店へ来たらどうするんだい」
大角牛の代表が応じた。
「二人には、店へ入るなと命じる。処分も氏族で決める」
「あんたがいないときも、二人を止められるのかい」
代表はすぐには答えなかった。
二人のうち、一人が口を開く。
「店へ入ったことも、酒を飲んだことも否定しない。だが、王府の法で罪人にされるのは別だ」
隣の戦士も続けた。
「捕まるときに抵抗したことも否定しない。氏族の処分から逃げる気はない。セレネアの罪名は受けない」
オルネが法令集の頁を押さえた。
「被害額を出すために使ったのは、以前の価格表と取引記録です。セレネア法で二人を裁いたわけではありません」
大角牛の代表は法令集を見たが、手は伸ばさなかった。
「その本を開いたままなら、どこまでが帳面で、どこからが王府の法か分からん」
「だから分けます。使った記録と、まだ決めていない処分を同じ根拠にしない」
バルガが二人の戦士を見た。
「氏族の中で何をするかは、俺が決めることじゃない。だが、店主まで大角牛の決まりへ入れるな。町で起きたことを、氏族の中だけで終わらせるな」
大角牛の代表が机を指で叩く。
「戦士の行いを二つに裂くのか」
「もう分かれてる。氏族の中の話と、他人の店でやったことは別だ」
代表の指が止まった。
「氏族の中でどう扱うかはこちらで決める。店への立入りを拒まれていることは、町の記録へ残す。それなら譲る」
ディルハが短く息を継いだ。
「軍規で扱えるのは、軍務上の違反です。私が責任を持てるのも、停戦実務に残った旧衛戍兵の命令違反までです。この二人は私の部下ではありません」
「では、町の者が兵を殴ったら」
大角牛の代表が問う。
「殴った者が私の指揮下にいないなら、旧衛戍の軍規で裁く相手ではありません」
ガドが壁から背を離した。
「店への立入りの話と、氏族で罰する話は分けろ。弁償の手続きは別の紙にある。残ってるのは、日没のあと、誰が二人の処分を決められるかだ」
「お前は法を知っているのか」
大角牛の代表が言う。
「牢なら知ってる。牢番は鍵を持ってたが、法までは持ってなかった」
ガドは拘束者名簿を顎で示した。
「今も同じだろ」
セナは処分欄の上へ筆を置いた。旧市の書式には罪名とある。そこへ一度書きかけ、線で消した。
代わりに、欄を三つへ分ける。
確認された行為。
被害と損害。
所属組織で扱う事項。
処分欄だけは空けたままにした。
オルネは別に綴じてあった六枚の記録票を机へ出した。
「現行停戦が終わり、十日停戦へ移る日没を期限にした者が、ほかにも六人います」
都市庁で武器を向けて抵抗した樹冠監察隊員四人と、中央施療院で武装解除と停止命令を拒んだ二人である。王府直属という身分ではなく、それぞれの現場行為を理由に拘束されていた。
「セレネアの軍人なら、軍規で裁けばいい」
大角牛の代表がディルハを見る。
「私の指揮下ではありません。樹冠監察隊は王府直属です」
「では王府へ返すのか」
バルガの尾が一度、強く揺れた。
「ここでやったことへの処分も決めずにか」
ディルハは否定しなかった。
「ここへ置き続けても、私たちに裁く権限が生まれるわけではない」
「逃がすのと何が違う」
「拘束を、判決の代わりに使わないことです」
オルネは六人の記録票を、酒屋の紙から離した。
「住民生活の争いとして扱う案件でもありません。六人が王府側へ戻るなら、引き渡しを停戦実務として記録する。こちらが確認した行為は消しません」
六人には、拘束終了後にどこへ行くかを一人ずつ確認してあった。全員が王府軍側への帰還を希望している。
三群の代表は拘束を日没で終えることだけを確認し、東門へ白旗の使いを出した。文書は、六人の受け入れが可能かを救援軍へ問うものだった。
返答を待つあいだ、旧市書記が一冊の薄い事件簿を机へ置いた。
表紙に、ソルネとある。
徴税吏ソルネの遺体は、主根広場の北路で見つかった。頭部は舗装石で殴られており、血のついた手袋の燃え残りが共同避難所の炉から出ている。死亡時刻も、殺した者も分かっていない。
「セレネア法なら、殺人事件として調べます」
旧市書記が言った。
「氏族の者がやったなら、報復だと言う者が出る」
オルネの声が沈んだ。
「戦闘の最中に死んだのなら、住民同士の殺人だけでは片づけられんだろう」
大角牛の代表が言う。
ディルハは事件簿を開かなかった。
「遺体が見つかったのは戦闘停止後です。死んだ時刻が分からない以上、戦闘中の行為とも、停止後の事件とも決められません」
ガドがソルネの事件簿を見る。
「こっちは、どうする」
セナは事件簿を開いた。
遺体の場所も、凶器も、手袋の燃え残りも書ける。書けないのは、誰が、なぜ殺し、どの手続きで扱うかだった。
セナは事件簿に、未処理と書いた紙片を挟んだ。
日没前に三群へ回された案は、短かった。
市中番を出す場合、その任務は目前の暴力を止め、当事者を引き離し、理由と時刻を記録するところまでとする。所有権、罪名、刑罰は決めない。いま動いている三十組の任務は、倉の荷役とこの日の移送が終われば終了する。
軍務上の命令違反は、その者が属する武装組織が内部で扱う。ただし、その規律を所属外の者へ適用せず、リュサで暮らす者が受けた損害まで内部処分で終わらせない。
器物損壊、窃盗、生活上の暴行、損害賠償は軍務から分け、旧市書記と根路区の記録役が申立てと証拠を受け付ける。当事者が合意した補償は記録できるが、争いのある事実や刑罰を決める裁定者は、まだ置かない。重大な傷害と死亡事件も、この手続きでは最終処分をしない。
条項は十日停戦の満了までとされた。
セナは起草欄へ名を置き、採決欄を空けたまま旧市書記へ渡した。
旧市書記がその段落の見出しへ「市民間の争い」と書いたところで、ガドが口を挟んだ。
「『市民』って書くな。住民台帳に載ってない奴が、また外へ落ちる」
見出しは「リュサで暮らす者の争い」へ直され、その案を三群が承認した。
誰が罪を認定し、刑罰を決めるのかは、まだ決まらない。セレネア法から何を残すかも、各氏族の内部処分をどこまで市の記録へ載せるかも、次へ残った。
それでも、武装組織の規律を、その外にいる者へ持ち出さない線だけは引かれた。
酒屋の老女が立ち上がった。
「それで、二人はどうなる」
オルネは、補償の記録と新しい条項を見比べた。
「共同拘束は日没で終えます。店主が立入りを拒んでいることは二人へ通知し、記録にも残す。無断で入れば、新しい行為として記録します。補償とは別の件です」
大角牛の代表が二人を見る。
「氏族の処分は、私の名で記録する。店へ入るな。破れば、今度は町の話だ」
先に口を開いた戦士は老女を見なかった。
「聞いた」
もう一人も、短く頷いた。
老女は返事をせず、補償記録の写しを畳み直した。
日没の鐘が鳴ると、二人の縄は解かれた。共同拘束の終了時刻が名簿へ書かれ、大角牛の代表が引取欄へ印を置く。
拘束時に取り上げられていた武器は、二人ではなく大角牛の代表が受け取った。二人は代表とともに宿営地へ戻り、市中番のこの日の任務も、倉の荷役終了とともに終わった。
白旗の使いが持ち帰った返答には、救援軍が六人を日没後に受け入れると記されていた。
日没に六人の拘束は解かれ、市側の拘束名簿へ終了時刻が入った。帰還を希望した六人はそのあと、停戦交渉に使った東門の通路から、一人ずつ門外へ出た。
ラディルの右手にはまだ厚い包帯が巻かれ、ほかの五人も武器を持っていない。医師の確認票と、市側が記録した拘束理由の写しが一人ずつに渡されている。
門外では救援軍の受取役が待っていた。その後ろ、八百歩線の陣地は崩されていない。壕の土は新しく、魔法弓隊の射界杭も夕闇の中に残っている。
受取役は六人の名と健康状態を照合し、自軍の軍務簿へ受け入れた時刻を書いた。市側の引渡記録には、名、健康状態、受取時刻だけを確認して署名した。拘束理由の記載には同意を示さなかった。
受取役の署名が入った市側の引渡記録を、ディルハが門内で確認した。
「これで終わりですか」
門務兵が訊く。
「市側の拘束が終わっただけだ」
ディルハは引渡記録を、都市庁へ戻す書類に重ねた。
六人が救援軍へ渡った時刻は、拘束終了時刻とは別に記録された。
その引渡記録が都市庁へ戻るころ、セナの前には、まだソルネの事件簿が開かれていた。
旧市書記は翌朝から、遺体の推定死亡時刻、最後に目撃された場所、戦闘停止命令が各地区へ届いた時刻、最後に接触した人物について確認できる記録を照合すると書いた。
拘束者名簿には、八人分の日没時刻が増えた。
ソルネの事件簿は、未処理のまま机に残った。




