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第三十八章――倉庫を開ける

朝の配給袋が、列の半ばで空になった。


根路六区の配給所だった。旧浴場の石床には、夜明け前から濡れた靴跡が重なっている。穀粉を量っていた係員が袋を逆さに振ると、白い粉がひと筋だけ桶へ落ちた。


列の後ろで、誰かが舌打ちした。


「次の袋は」


「来る。市穀倉を出た」


係員は答えたが、荷車を見た者はいなかった。


窓口の机では、根路六区の住民台帳と、昨夜の避難所名簿が開かれていた。エルフの女と連れている子供の名が、自宅の住所と避難所の両方に載っている。


根路区の記録係が、二冊を見比べた。


「同じ名が二つある」


「家にいたときの台帳と、避難所へ移ったあとの名簿だ」


「今日、ほかの配給所で受け取ったか」


女の顔が強張った。


「受け取ってない。昨日、避難所で一度もらっただけだ」


列が揺れた。空の桶が窓口から押し出され、石床へぶつかる。


配給係は、今朝の受領簿をめくった。女の名はない。だが、ほかの配給所の記録まではまだ届いていなかった。


「列を止めるな」


根路区の記録係が言った。


「粉がない」


「なら名簿だけ見ろ」


「見た名簿を食わせる気か」


係員の声が荒れた。


浴場の外で三度の鐘が鳴った。


陥落後、三度目の朝だった。


現行停戦が終わるまで、半日あまり。日没からは、前日に成立した十日間の停戦が始まる。


東門の八百歩先では、セレネア救援軍が陣地を動かさずにいた。市内では、矢の代わりに配給記録の食い違いが人を止めていた。


根路区の記録係は、二冊の該当欄を消さなかった。女の名、自宅の住所、避難所名を一枚の紙へ写し、市穀倉へ走る伝令に渡す。


「記録が二つある。今日の配給まで重なっているか、調べてもらう」


女が、開かれた名簿へ手を伸ばした。


「名前まで消さないでくれ。今日の分をもらえなくなる」


伝令の手が止まる。


記録係は女を見た。自宅の記録を消せば、そこに住んでいた事実が消える。避難所名簿から消せば、昨夜までいた場所も分からなくなる。


「消さない。受け取った記録だけ照合する」


「食べ物は」


答える前に、通りの向こうから荷車の軋みが聞こえた。


荷車に載っていたのは一袋だけで、列は静まらなかった。




市穀倉では、配給所から届いた照合紙と、四種類の記録が同じ机へ載せられていた。


攻撃前の住民台帳。避難所の宿泊簿。施療院の患者札。陥落後に根路区が作った暫定配給簿。


一つの名前が二冊にある者もいれば、家族名だけで人数が書かれた欄もある。氏族兵の野営地から来た食数は、住民台帳の外に置かれていた。武装解除された旧衛戍兵のうち、市内の停戦実務へ戻った者は、営舎の食数と門務の食数へ重なっている。


セナは一枚目の紙へ線を引き、二枚目で同じ名を見つけたところで筆を止めた。


昨夜は寝台へ送られた。眠ろうとしても、頭の中では名簿の数字を追っていた。灯りの下では読めた字が、朝の白い光に滲んで見えた。


旧市の住居台帳係が、紙の端を指で押さえる。


「この家族は三人です。避難所では四人になっている」


「一人増えた?」


「父親が西側から戻ったのかもしれません」


「“かもしれない”では、四人分は出せない」


セナは言ってから、紙を見直した。


「違う。出すなとは言ってない。誰が増えたか確かめる」


穀倉会計係が鼻を鳴らした。


「確かめる間も食うぞ」


「知ってる」


「なら先に減らすか」


セナの筆先が止まった。


「何を」


「一人当たりの量だ。全員少しずつ減らせば、在庫は延びる」


「それは後。まず、何人に配ったか確かめる」


声が冷えたため、会計係は続きを飲み込んだ。


入口では、ガドが肉屋の前掛けを丸めて腕へ掛けていた。配給所へ回す干し肉の数を合わせに来たが、机を埋める帳面と患者札を見て動かなかった。


「人が二人いるんじゃない」


ガドは、別々の帳面にある同じ名を顎で示した。


「同じ腹に、寝た場所が二つあるだけだ」


住居台帳係が眉を寄せる。


「では、どちらを消します」


「消す話しかできないのか」


「二重のままでは配給できません」


「受け取った場所と刻を書け。家の記録まで腹へ入れるな」


セナが顔を上げる。


ガドは目を逸らした。


「肉屋だって、客の名前と売った肉の数は別に書く」


「最初に言って」


「最初から俺を呼んでない」


セナは反論せず、新しい紙を引き寄せた。


住んでいた場所と、いまいる場所の記録は残す。食糧を受け取った配給所、時刻、人数だけを、一つの受領簿へ集める。


「全配給所で、この受領簿へ揃えられる?」


セナは書き終えた紙を、穀倉会計係へ向けた。


会計係は受け取らない。


「誰の命令で」


「命令じゃない。重複を数える書式。使えないなら、別の書き方を出して」


「書式で列が動くか」


会計係は紙を取り、配給所への回付欄へ自分の名を書いた。


元の記録を残したまま、配給上の二重計上を外す作業は、昼まで終わらない。それでも、照合の済んだ分から、確実に受け取った人数と、まだ受け取っていない人数を分けられるようになった。


問題は、名簿だけではなかった。


穀倉会計係が、鍵の束を机へ置いた。市が管理する倉の鍵だった。


「今朝出した分を引けば、確認できた在庫は十日分に届かない」


氏族の野営地から市の配給へ回る者も、青札で市内実務へ戻る旧衛戍兵もいる。配給対象そのものがまだ動いており、不足が何日分になるかは算出できなかった。


「商会倉は」


セナが聞いた。


会計係の視線が、机の端に積んだ攻撃前の荷受け記録へ移る。


攻撃前、商会倉には市穀倉を上回る穀粉、乾燥豆、塩漬け肉が記録されていた。だが帳面の数字は、攻城前の荷受け量でしかない。避難前に運び出された分、別の商人から預かった分、売約済みの分、湿気や鼠で失われた分は、扉を開けなければ分からなかった。


「鍵は商会が持っている」


会計係が言った。


「市の倉じゃない」


「分かってる」


「分かっていて聞く顔じゃない」


セナは返さなかった。


ガドが荷受け記録の束を持ち上げる。


「紙は重い。中身まで同じだけ重いといいな」


「中身は確かめる」


「誰の権限で倉を開ける」


セナは扉の外を見た。


武装した氏族兵に倉を開けさせれば、数える前に略奪と呼ばれる。旧市職員だけで入れば、何を数え、何を持ち出したのかを疑われる。セナが行っても、起草係に倉庫を開く権限はない。


「臨時会議へ出す」


「腹が減るたび、六十一人を集めるのか」


「一人で決めたら、もっと早く揉める」


ガドは荷受け記録を机へ戻した。


「それはそうだ」


褒めた声ではなかった。




上層区の商会倉は、三枚の板扉を鉄帯で締めていた。


壁も屋根も、攻城では損なわれていない。戦災で開いた倉ではなく、まだ鍵の掛かった私有倉だった。


商会の会計役が二人、鍵持ちが一人。旧市の穀倉会計係、根路区の住民記録役、ガド。少し離れた街路には、商会倉に食糧があると聞きつけた氏族兵が十数人いた。


騒ぎを聞いた氏族代表に呼ばれ、バルガは兵と倉のあいだに立っていた。


左肩の包帯は朝より厚く巻き直されている。歩いてきたせいで、その下に鈍い熱が戻っていた。


商会の会計役が、兵の数を見た。


「棚卸しにしては、ずいぶん刃が多い」


「俺が呼んだんじゃない」


バルガは答えた。


「では、帰してください」


「俺の命令で来たんじゃない」


「都市を取った方々は、都合が悪いと別々になるのですね」


バルガの右耳がわずかに動いた。


「最初から別だ。都合よく一つに見たのは、そっちだ」


商会の会計役は笑わなかった。


「倉は開けません」


旧市の穀倉会計係が、持参した荷受け記録を示す。


「中の量を見せてください。市穀倉だけでは停戦期間を越せない」


「市の物ではありません」


「それも分かっています」


「分かっている者は、兵を連れて鍵を求めに来ない」


鍵持ちの手が、腰の鍵束を覆った。


街路の氏族兵の一人が鼻を鳴らす。


「隠したまま腐らせる気か」


「あなた方へ渡すために仕入れた物ではない」


「食うのは、町の連中だ」


「あなた方もでしょう」


兵が一歩出た。


バルガは振り返らず、右手だけを上げた。


「下がれ」


兵の足が止まる。


「もう、お前の命令を聞く理由はない」


「そうだ。だから頼んでいるうちに下がれ」


低い声だった。


兵は歯を見せたが、隣の氏族代表が腕を掴んだ。二人とも倉から離れる。


商会の会計役は、その動きを最後まで見ていた。


「扉を開けたら、同じように止められますか」


「三十四氏族全部は止められない」


「正直ですね」


「嘘を聞きに来たなら、ほかを当たれ」


バルガは倉の鉄帯へ目を向けた。


「だから俺の名で開けるな。会議へ持っていけ」


商会の会計役が、手元の仕入れ帳と預かり荷台帳を押さえる。


「この倉にあるのは、うちの穀物だけではありません。東へ逃れた商人の預かり荷も、農園から運ばれた種籾もある。所有者のいないところで開ければ、返す相手すら分からなくなる」


「分かる分だけでいい。誰の物か書いて」


セナの声が、後ろからした。


商会の会計役が振り向く。


セナは旧市書記とともに坂を上がってきた。片手には配給所から集めた不足の報告、もう片方には会議へ出す論点を書いた紙を抱えている。


「書けば、取ってよいことになるのですか」


「ならない。書かなければ、取られたあと返せない」


「取られることは決まっているらしい」


「決まってない」


セナは倉の前に集まった兵を見た。


「だから、ここで開けろとは言えない。会議へ来て」


「商会に票はありません」


「票はない。でも、言い分を聞いてもらうよう会議へ出す」


同行していた旧市書記も頷いた。


「便利な会議ですね」


「便利なら、六十一人も集めてない」


セナは踵を返した。


商会の会計役は動かなかった。


バルガが顎で都市庁の方角を示す。


「行け。ここで開けば、あんたは略奪されたと言い、あいつらは戦利品だと言う」


「会議なら違うと?」


「違わないかもしれん」


バルガは肩を壁へ預けた。


「だが、誰が取ったかは残る」


会計役は鍵持ちを見た。


鍵束は、まだ腰にあった。




臨時会議が始まったのは、正午の鐘の直前だった。


都市庁の会議室には、最初の臨時会議で集めた四十八脚の椅子が、そのまま並んでいた。残る十三人が立つ場所も壁際に空けてあるが、今日はすべてが埋まったわけではない。東門ではディルハが旧衛戍兵の名簿を照合し、中央施療院では監察隊六人の拘束期限と継続理由を確認するため、医師と旧市書記が記録を揃えている。西門から戻らない氏族代表の席には、副代表が座った。


卓上には、食糧袋ではなく紙が積まれた。


セナは議決席へ座らなかった。旧市書記の隣で、朝から確認できた事実だけを読み上げる。


現在集まっている配給名簿には、一万八千を超える人数が記されている。だが、重複の照合は終わっていない。氏族の野営地、旧衛戍の営舎、施療院の食数も別帳で動いており、合計はまだ締まらない。


市が管理する在庫だけでは、現行停戦と、その後の十日間を通して現在量の配給を続けられない。何日分不足するかは、商会倉と工房の備蓄を確認しなければ出せない。


セナはそこで紙を伏せた。


「ここまでが確認できたこと」


岩猪の代表が机を指で叩く。


「だから倉を開ける。長く話すことか」


商会の会計役が、椅子の背から手を離した。


「あなたの倉ではありません」


「都市の中にある」


「では、都市にある店も家も、すべてあなた方の物ですか」


岩猪の鼻孔が広がった。


バルガが右手で机を叩く。強くはなかったが、二人の声を切るには足りた。


「倉で済むと思うな。次は店も開けろと言い出す」


「飢えさせろと言うのか」


「数えろと言っている」


岩猪の代表が睨む。


「また数か」


「先に決めるな。白鹿のときも、俺は結論を先に決めた」


バルガは机から右手を離した。一拍遅れて、岩猪も口を閉じた。


オルネ・レヴィアが、旧市側の荷受け記録を開く。


「旧市評議会にも、私有倉を無条件で接収する権限はありません」


「では、何ができる」


灰狼の代表が問う。


「市穀倉の配給は続けられます。商会へ買い入れを求めることもできる。しかし、代金を支払う市庫を誰が管理するかさえ、今は決まっていない」


「今度は、店に残った金でも使えって言うのか」


ガドが言った。


「店主が東へ逃げていたら、誰に断る。勝手に持ち出せば、穀物の次に貨幣の持ち主を探す会議が始まる」


旧評議員の一人が顔をしかめる。


「では配給量を落とすしかない」


施療院の事務係が、患者食の札を机へ置いた。


「施療院分は落とせません。熱傷と失血の患者から先に弱ります」


「子供と負傷者を除けばいい」


「その分、誰の配給を減らすんです」


商会の会計役が訊いた。


旧評議員は答えず、口元を固くした。


セナは新しい紙を三枚並べた。


「いま検討できる案は三つ」


商会の会計役が薄く笑う。


「もう案ができている」


「決めたとは言ってない」


セナは一枚目を示した。


「市の在庫だけで持たせる」


岩猪の代表が鼻を鳴らした。


「足りないと言ったばかりだろ」


「だから量を減らすか、受け取る人を減らす」


施療院の事務係が患者札を押さえた。


「患者は外せません」


「分かってる。だから二つ目」


セナは次の紙を押し出した。


「外から入れる方法を探す」


灰狼の代表が、紙を指先で押し戻した。


「東門を通せるのか」


「そもそも通せるかも分からない。誰から買うかも、何で払うかも決まってない」


「今夜の配給には間に合わん」


灰狼の代表が切り捨てた。


セナは三枚目へ指を移した。


「商会倉を開けて、まず数量を確認する。必要なら配給へ回す。でも、所有者は変えない」


「“必要なら”」


バルガが低く言った。


セナの指が止まる。


「……市の在庫だけでは足りない分を、確認したうえで配給へ回す」


言い直した。


バルガはそれ以上言わなかった。


商会の会計役が三枚目を引き寄せる。


「所有者を変えないまま、所有者の同意なく出す。きれいな書き方ですね」


「きれいじゃない」


セナは紙を取り返さなかった。


「所有者の同意なしで搬出すると書く」


商会の会計役の指が、仕入れ帳の角へ食い込んだ。


オルネがセナを見る。


「誰の権限で」


「それを決めるのは私じゃない」


セナは三つの議決欄を指した。


「共同規則へ食糧管理の手続きを足すなら、三群のうち二群以上の同意が要る。でも、それで商会の倉が私たちの物になるわけじゃない」


「二群で私の倉を開けられるのですか」


「開ける権利が生まれるとは言わない。開けずに済ませるなら、代わりの食糧をどこから出すか示して」


「代金を払ってください」


「誰の名で」


セナが返すと、会計役は言葉を詰まらせた。


国家としての正式な政府も、市庫の最終責任者もまだない。払うと約束した者が、停戦の終わる頃にも同じ椅子にいる保証はなかった。


ガドが前掛けの端を握る。


「払えると言うな。払わないとも言うな。取った袋と持ち主と値段を残せ」


「値段は誰が決める」


「攻撃前の仕入れ帳がある。扉の修理と同じだ。後で揉めたときに使う数字を、今消すな」


商会の会計役がガドを見た。


「肉屋が穀物商の勘定を決めるのですか」


「決めない。市場で値段が違うことを知ってるだけだ」


「票もないのに、よく喋る」


「票がないから、口まで閉じたら本当にいなくなる」


ガドは引かなかった。


窓の外で午後の鐘が一つ鳴った。誰も窓を見なかった。


バルガが商会の会計役へ顔を向ける。


「俺は、氏族兵を倉へ入れるのには反対だ」


岩猪の代表が身を起こす。


「荷を運ぶ者は要る」


「武器を置いた荷役なら反対しない。鍵のそばに剣は要らん」


「商会の兵ならいいのか」


「商会に兵はいません」


会計役が刺すように返した。


バルガは続ける。


「氏族の野営地へ回す分も、住民配給とは別に書いた方がいい。自分たちの荷が残っている氏族まで、市の配給へ先に並ぶのは違う」


「お前が決めるのか」


岩猪が言う。


「決めない。そうしない氏族の名を、配給簿へ残せと言っている」


氏族代表の席で、低い声が重なった。


オルネは騒ぎが収まるのを待たず、条文案の空白へ指を置いた。


「条文案には期限を入れます。本日から、十日停戦が満了する日没まで。それより先は、もう一度決める」


「対象も」


セナが言う。


「攻撃前の荷受け記録で、食糧の商業保管に使われていた倉だけ。住居や小さな工房まで同じ扱いで開けない」


救護や消火のための緊急立入りだけは、この制限から外した。


商会の会計役が、条文案へ爪を立てた。


所有者が立ち会えない倉をどうするかで、議論はまた止まった。商会側は、本人のいないところで錠を壊せば略奪と変わらないと譲らない。根路区代表は、来ない鍵持ち一人に配給を止めさせるのかと机を叩いた。


セナは筆を置いた。すぐに答えられる問題ではなかった。


オルネが条文案を引き寄せた。商会へ開扉時刻を知らせ、所有者が来られなければ商会から立会人を一人出す。鍵持ちが来なければ、その立会人と臨時会議の記録役、配給係で開ける案だった。


会計役の爪が紙から離れない。


「拒否したことまで、同意に書き替えないでください」


「異議として残します。商会が立会人まで出さない倉は、この条文では開けず、三群へ戻します」


開扉が遅れる可能性を承知で、その条件は条文案に残された。


壊した鍵と錠の状態も、記録へ加えた。


「記録は鍵にならないぞ」


「知っています」


オルネの声に疲れが滲んだ。


「しかし、壊した者を分からなくするよりはましです」


条文は何度も削られた。所有権は移さない。所有者、預け主、品目、重量、状態を三冊に写し、住民配給、施療院、都市機能を維持する作業員の分だけ搬出する。武装隊は別帳とした。仕入れ帳と市場価格表も写すが、補償の支払主体と時期は空欄のまま残った。扉には三者の封を置く。


一度目の市中番は、夜の鐘で試行を終えていた。条文案には、倉を開けて荷を運ぶ間だけ、同じ三人一組を再設置する措置も加えた。倉へは入らず、街路で武装した者を止め、立入りと搬出を記録する。所有権や処分は決めない。


「それで盗まれないと?」


商会の会計役が問う。


ガドが肩をすくめた。


「剣を持った盗人を中へ置くよりはましだ」


岩猪の代表が椅子を鳴らしたが、言い返さなかった。


採決は一度で終わらなかった。


旧市評議員は、所有権を残す文言へ修正を求めた。十二根路区代表は、上層区の倉だけでなく、どの配給所へ何袋出したかを区ごとに公示するよう求めた。氏族代表の中には、戦った者を後回しにするのかと反発する者もいた。


セナは反論せず、修正箇所へ線を引いた。二度、同じ行へ別の文言を書きかけ、旧市書記に袖を引かれるたび、誤りを消さず一本線で残した。


「寝てないのか」


バルガが聞く。


「寝た」


「それで二度も書き損じたのか」


「余計なところだけ見てる」


バルガは鼻を鳴らした。


採決の前に、旧市書記は異議欄をガドと四施設の実務代表へ回した。同じ箇所へ異なる二者の異議は出ず、施療院が求めた患者食の搬出先と、穀倉が求めた重量の単位だけを案へ加えた。


最後の案には、三群すべてで過半の印が置かれた。倉を開けて荷を運ぶ間だけ市中番を再設置する措置も、この採決で承認された。賛成の理由は同じではない。配給を止めたくない者、氏族兵の勝手な持ち出しを防ぎたい者、私有財産の記録だけは残したい者が、それぞれ別の欄へ名を書いた。


商会は議決へ署名しなかった。


代わりに、立ち会って異議を述べたことと、管理記録の一部を受け取ることへ、会計役が名を置いた。


「同意ではありません」


会計役が念を押す。


セナはその言葉を異議欄へ書いた。


「同意に直さない」


「ずいぶん親切ですね」


「あとで、そう言ってないと争う紙を増やしたくないだけ」


「もう十分増えています」




午後、最初の商会倉へ三冊の台帳が運ばれた。


商会の会計役が仕入れ帳と預かり荷台帳を抱え、鍵持ちが鉄帯を外す。臨時会議に出席していた根路区の住民記録役が、扉と錠の状態を記す。配給係は台秤の分銅を並べ、空の荷車を壁際へ止めた。


市中番の三人は、街路の反対側に立った。


氏族兵、元市民兵、根路側の住民記録役。一人ずつ。左腕には白布を巻き、腰にあるのは棍棒と笛だけだった。


扉が開くと、古い穀粉と麻袋の匂いが外へ流れた。


帳面どおり、袋はあった。


ただし、すべてが配れる状態ではない。床に近い列は湿気を吸い、二袋には鼠が開けた穴がある。奥の棚には別の商会印が押され、預かり荷であることを示していた。


穀倉会計係が一袋へ手を掛ける。


商会の鍵持ちが、その手首を掴んだ。


「まだです」


「量るだけだ」


「三冊を開いてから」


住民記録役が、台帳を木箱の上へ並べた。


三冊は、商会、臨時会議、配給所のものだった。


同じ倉の名、同じ扉の状態、同じ開扉時刻を書く。三人が読み合わせ、最初の袋へ番号を付けた。


台秤の針が揺れる。


「これで十日持つか」


街路から、氏族兵の一人が聞いた。


セナは倉の外で、朝の受領簿を膝へ載せていた。


「まだ一袋」


「見れば、たくさんある」


「見た目を配給簿へ書く気?」


兵は黙った。


鼠穴から、湿った粉が床へこぼれた。戸口にいたガドが鼻を鳴らす。


「下の列、湿ってるな」


「臭いで分かるのか」


穀倉会計係が言う。


「肉屋でも、傷んだ餌の臭いくらいは知ってる」


鍵持ちが初めて、わずかに口元を緩めた。


量った袋は、すぐには荷車へ載せなかった。


住民配給へ回す量、施療院へ優先する量、種籾として残す量。分けるには、奥まで数える必要がある。補償を支払う者も、その貨幣も決まっていない。


手前の十袋は、商会自身の一般販売分だと帳面で確認できた。預かり荷でも種籾でもなく、袋に湿りもない。その十袋だけが、夕方の配給所へ回す対象とされ、袋ごとに番号を振られた。


商会の会計役が、一冊目の立会い確認欄へ署名する。


住民記録役が、同じ番号を二冊目へ写す。


扉の外では、市中番が、街路に残る武装した氏族兵を荷車へ近づけなかった。倉の開扉や記録に氏族兵は加わらず、氏族側の一人は市中番として街路に立つだけだった。バルガの姿もなかった。


最初の袋が荷車へ載る。


配給係が、三冊目へ受領時刻を入れた。


倉庫は開いた。


所有者が変わったわけではない。補償を誰が負うのかも、この措置を十日停戦のあとどう扱うのかも決まっていない。


それでも穀物は、三つの記録が揃った分だけ、夕方の配給所へ向かって動き始めた。

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