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第二十章――王の下の王

カルドラン北鉱脈の封鎖坑道は、地図にないのに毎日食事を必要とした。


黒麦パンを六斤。


山羊肉を二塊。


根菜の煮込みを一桶。


水を四樽。


通常の坑夫なら、十人分に近い。


運搬台帳には、第三保守班と書かれていた。


第三保守班という班は存在しない。


それでも四十七年間、同じ量が一日も欠かさず地下へ運ばれていた。


十日間先行措置の五日目。


北鉱脈へ、セレネア、カルドラン、オルディアの共同記録班が入った。


新規採掘を止める。


第一昇降口より内側へ、武装者を入れない。


安全維持に必要な作業と、残留魔力、鉱滓の流れを三者で記録する。


円卓で同じ紙へ並べた条項を、岩の下で確かめる日だった。


カルドラン王は、記録班を自ら案内した。


背には儀礼斧ではなく、坑道用の短い槌を負っている。


赤褐色のひげを束ねる鉄輪には、灰角族との新しい契約が一つ増えていた。


王の左を歩くのは、セレネアの法印官。


右を歩くのは、オルディアの第三検証官リト。


リトの左膝は新しい。


白い外装には、旧トーレン関門で石壁へぶつけた傷だけが残る。


「第二分岐より先、新規の削岩音を確認しません」


リトが言った。


「止めたからな」


カルドラン王は答えた。


「停止命令以前の音響記録と比較します」


「好きにしろ。山は、昨日掘った穴まで隠さん」


言いながら、王は右の壁を見なかった。


その向こうに、地図から消した坑道がある。


共同記録班は、北鉱脈第三坑道の封印壁まで進んだ。


以前、灰角族のセヴァルたちが吸収した術式は消え、岩には王冠印の焦げた輪郭だけが残っている。


法印官が残留魔力を測る。


リトは床の削り跡と、天井の支柱を記録する。


カルドランの坑夫は、鉱滓の入った樽を一つずつ開けた。


隠した武器も、新しく掘った鉱石も見つからない。


「次は第四排水路です」


坑務長が言った。


王が頷くより先に、リトの頭部にある三つのレンズが同時に右を向く。


「空洞があります」


坑務長の足が止まった。


「この山は穴だらけだ」


王が答える。


「人工空洞です。奥行き、推定四十二歩。内部に周期振動を確認」


「古い落盤区だ」


「落盤区から、一定間隔の振動が発生しますか」


「岩が鳴くことはある」


リトは壁へ手を当てた。


指先の感覚器が、石の揺れを拾う。


三度。


間を置いて、一度。


また三度。


坑夫が坑道の向こうへ合図を送る打ち方に似ていた。


「言語性を検証します」


「必要ない」


王の声が坑道へ跳ね返る。


法印官が顔を上げ、坑務長は咳払いでその残響を埋めた。


「旧換気機です。歯車が外れかけております」


「魔力を使用していますか」


リトが尋ねる。


「使っておらん」


「では共同記録の対象外です」


王は言った。


「新規採掘、残留術式、鉱滓。今日見るのはその三つだ」


リトは三秒、壁へ手を置いたまま動かない。


人工市民にとって三秒は、相手へ考えていることを見せる長さである。


「記録範囲外として保留します」


三秒の終わりに、リトの手が壁から離れる。


壁の向こうでもう一度、一回だけ音がした。


返事を待つような間隔。


王は先へ歩く。


第四排水路の記録に、半日を使った。


新しい採掘はない。


鉱滓の流出量は、申告より一割多い。


セレネアの法印官は、地表管理区へ出る水路に濾過石を増やすよう求める。


交換用の石材が届くまで九日。坑務長の答えを、リトが流出量の隣へ残す。


地図にない空洞は保留のまま、誰の口にも戻らなかった。


第一昇降籠へ戻る前、カルドラン王は腹痛を理由に記録班を先へ行かせた。


ドワーフは腹痛を隠さない。酒と脂の多い肉を食べ、調子が悪ければ皆の前で原因まで言う。


王の腹痛も、その習慣の中へ収まる。


坑務長だけを残し、共同記録班の足音が聞こえなくなると、二人は第三坑道へ戻った。


壁際の支柱を外すと、岩へ見せかけた鉄扉が現れる。外側から掛けられた閂は三本。


内側に取っ手はない。


地図にない坑道の天井は、通常より高い。ドワーフの背丈に合わせた場所ではなく、幅も王が両腕を広げた倍ほどある。


壁の松明は油で燃えていた。


奥へ進むほど、食べ物と汗の臭いが濃くなる。


三つ目の扉の前に、老いた看守が二人。


どちらも王を見ると、片膝をつく。


「今日の食事は」


王が尋ねた。


「朝分を終えました。昼分は、検査が上を通るため遅らせております」


「騒いだのは」


看守たちは互いを見た。


「足音を聞いたようで」


「誰が来たと教えた」


「何も」


「なら、なぜ合図を打った」


扉の向こうから声がした。


「新しい膝の音がした」


低い声だった。


坑道の空気が震える。


「前にはなかった硬い音だ。三歩ごとに、少し違う。機械の者か」


リトの交換した左膝を聞き分けたのだ。


王は看守へ扉を開けさせた。


最後の部屋には、鉄格子がなかった。


格子では支えられないからである。


代わりに、厚さ一腕分の石壁と、船の錨に使う鎖があった。


鎖の先は、部屋の中央に座る者の足首へつながっている。


鎖の先に座る者も、ドワーフだった。


少なくとも、顔とひげと手の形までは。


座っていても、カルドラン王より頭二つ高い。


立てば三倍近くなる。


肩は坑道用の荷車ほど広く、腕一本が普通のドワーフの胴より太い。


灰褐色のひげは膝まで垂れ、鉄輪ではなく石の輪で束ねられている。


名をドルンという。八十六年前に生まれ、出生記録では産声を上げる前に死んだことになっている。


「客は帰ったか、小さい王」


ドルンが尋ねた。


看守の一人が顔を伏せた。


王を小さいと呼べば、地上では不敬になる。


この部屋では、身長を言っただけだった。


「帰る途中だ」


「機械の者は、壁の中を見られるのか」


「音を拾っただけだ」


「俺がもう一度叩けば、戻ってくるか」


王はドルンの足元を見た。


鎖に新しい傷がある。


何度も引かれ、輪の一部が細くなっている。


「叩くな」


「なぜ」


「共同記録の範囲ではない」


ドルンは笑った。山の中で岩が崩れるような声に、王は返せない。


「俺は範囲の外か」


「今日の検査は鉱山のものだ」


「ここは鉱山ではないのか」


「使っていない坑道だ」


「俺が使っている」


ドルンは部屋の隅へ手を伸ばした。


そこには、何百枚もの薄い石板が積まれている。


古い契約文。


鍛冶の教本。


地上の出来事を記した新聞。


看守たちが少しずつ持ち込んだものだった。


一番上に、始祖王の山冠律を写した板があった。


――山が、炉口を越えて育つ子を返したとき、その者を大身と呼ぶ。


――大身が成人し、基礎槌を一人で上げたなら、山はその背へ国を載せたものとする。


――在位する王は冠を外し、本人の出生にかかわらず大身へ渡す。


王家の血統より古い法だった。


カルドランの初代王は、落盤した山を肩で支え、百人を逃がした巨体の持ち主だったと伝わる。


その後、同じ身体を持つ者は生まれなかった。


伝説だけが法として残った。


ドルンが生まれるまでは。


「誰がそれを渡した」


王が尋ねた。


「死んだ看守だ」


「名は」


「覚えている。お前には教えない」


王が即位して最初に命じたのは、ドルンの出生記録を集めることだった。


八十六年前。


南下層の坑夫夫婦に、異常に大きな子が生まれた。


産婆は、山冠律の再来だと叫んだ。


当時の王――今の王の父は、夜のうちに産婆を別の坑道へ移した。


子供は死産として記録され、母親には小さな石の棺が渡された。中に入っていたのは、同じ重さの鉄屑。


父親は一年後、昇降籠の事故で死んだ。母親も地上へ出ないまま、十九年後に病で亡くなる。


その間、ドルンは地下で育てられていた。


出生板の死産欄には、当時王子だった今の王の印もある。


父王は、王家の継承争いを避けるための確認だと言った。


確認。


そう呼べば、赤子を見ず、母親が空の石棺へ泣きつく姿も見ないまま、一枚の板へ印を押しただけで済む。


父の命令が何を意味するのか知ったのは、二十七歳で秘密の坑道を初めて開けたときだった。


扉の向こうにいたドルンは、既に王子より大きい。


「外へ出して」とは言わない。


地上の言葉をまだ知らず、持ち込まれた匙を握っているだけだった。


話せるようになるまで。


話せるようになれば、山冠律を理解できるまで。


理解できる年齢になったあとは、国が安定するまで。


前の理由が使えなくなるたび、次の理由が見つかる。


閉じ込められた子を外へ出すべきだと思う。同じ一息で、自分の家から王冠が失われることも分かってしまう。


考えているうちに父が死んだ。


冠を受け取った日、彼はドルンの扉を開けなかった。


次の日も。


一年後も。


八十六年目の今日も。


「基礎槌は持ち上げられるか」


王が尋ねた。


「持ってきたことがない」


「持ち上げられないかもしれん」


ドルンは自分の鎖を掴んだ。


太い指に力が入る。


鉄輪が甲高い音を立て、形を変える。


看守が一歩退く。


ドルンは輪を引きちぎらない。できると見せただけで手を離した。


「お前の槌は、これより重いのか」


王は答えなかった。


王位継承の儀礼で使う基礎槌は、四人の王工が台座へ運ぶ。


カルドラン王も、持ち上げるふりをするだけだった。


ドルンなら、一人で上げる。


山冠律の条件を、誰の解釈も挟まず満たすだろう。


「なぜ逃げない」


王が尋ねた。


「扉を壊せるはずだ」


「壊せば、看守が死ぬ」


ドルンは老いた二人を見た。


「こいつらは食べ物を運ぶ。字を教えた。外の話もした。踏み潰して出れば、山冠律が正しかったと誰が言う」


「王になりたいのか」


「空を見たい」


答えは早かった。


「風を、穴を通ったあとではなく吸いたい。雪が落ちるところを見たい。母の墓へ行きたい」


「母の名を知っているのか」


「看守が教えた」


「墓はない」


ドルンの顔が止まった。


王は、言ってから後悔した。


「遺体は共同炉へ送られた。病の時期だった」


「お前が命じたか」


「違う」


「ここへ置いたのは」


「父だ」


「扉を閉めているのは」


王は答えなかった。


ドルンが立ち上がった。


天井近くまで頭が届く。


影が王を覆った。


看守たちが槌へ手を伸ばす。


王は制した。


ドルンは一歩だけ近づいた。


鎖が床を引きずる。


「お前は契約をひげにつける」


彼は言った。


「灰角族へ、先に値を決める国だと話したそうだな」


「誰から聞いた」


「食事を運ぶ者は口も運ぶ」


ドルンの指が、王のひげにある鉄輪へ伸びた。


触れる直前で止まる。


「俺との契約は、どこにつけた」


王のひげにはない。


食事は一日も欠かさなかった。病が出れば医師も下ろした。父のように殺してはいない。


そこまで考えて、王の目が足首の鎖へ戻る。


出生を消す命令に、契約の期限はない。


「今、共同記録班が山へ入っている」


王は言った。


「知っている」


「お前が見つかれば、山は割れる」


「俺が大きいからか」


「王位を求める工房が、お前を旗にする。古い法か、血統か。山が二つに割れる。北鉱脈を欲しがる外の国もいる」


「だから、俺がここにいれば平和か」


平和。


史書の中のアルフレッドが、同じ言葉を使っていた。


一人の自由で、より多くの争いを止める。


頁の中では、その一人に名も顔もない。


王の目の前には、ドルンがいる。


「別の場所へ移す」


王は言った。


ドルンの目が細くなる。


「外へ?」


「さらに下だ。記録班が振動を拾った。ここは近すぎる」


「答えは、それか」


「五日だけだ」


言葉が口から出たあと、王はその短さへ縋りかけた。


八十六年のあとへ加える五日なら、短く聞こえる。


短い期限も、足し続ければ永遠になる。


「五日後に、空を見せるか」


ドルンが尋ねた。


「先行措置が維持されれば、考える」


「考えることは約束か」


「違う」


「では、ひげへつけられない」


王は鉄輪を一つ外す。


何も刻まれていない新しい輪。灰角族との契約の次へ、別の契約をつけるために用意していたものだ。


「五日後、ここへ来る」


王は言った。


「来て、どうする」


「答えを出す」


「外へ出す答えでなければ」


「それでも伝える」


ドルンは輪を受け取らなかった。


「答えるだけなら、今日できる」


「できん」


「小さいからか」


王はドルンを見上げた。


「そうだ」


身体ではない。


王の指が、輪を外したあとのひげへ触れる。


ドルンはしばらく王を見下ろし、やがて石床へ座り直す。


「五日後に来い」


「移動は」


「しない」


「記録班が戻れば」


「そのときは、俺が答える」


鎖が床で鳴った。


王は看守へ目を向ける。


二人とも、命令を待っている。


ドルンを眠らせ、さらに深い坑道へ運ぶこともできる。食事へ薬を入れれば、巨体でも抵抗できない。


その命令を口にするより先に、地上から伝声管が鳴った。


三度。


共同記録班からの呼出だった。


「第三検証官が、追加確認を求めております」


坑務長の声が管から届く。


「何の」


「食料搬入量です。閉鎖坑道の人員数と一致しないと」


リトは、振動だけでなく食事も数えていた。


王の手が伝声管を握る。


「坑道救助用の備蓄だと伝えろ」


「既に、保管庫を確認したいと」


ドルンが笑う。


「山は、昨日掘った穴まで隠さないのではなかったか」


自分の言葉が、岩壁の内側から返ってきた。


「古い避難庫が一つある」


王は伝声管へ答えた。


「王家の封印物を保管している。今回の共同記録の範囲外だ。そう記せ」


「検証官が異議を残します」


「残させろ」


記録へ異議があっても、扉が開くわけではない。


文字は真実へ近づく。


だが王が最後の一歩を許さなければ、壁の前で止まる。


王は空の鉄輪を床へ置いた。


「五日後だ」


ドルンは拾わなかった。


「その輪に、俺の名を刻める答えを持ってこい」


王は部屋を出た。


三枚の扉を閉じる。


最後の岩扉へ閂をかけると、ドルンの姿は消えた。


存在まで消えたわけではない。


共同記録班へ戻ると、リトが食料台帳を開いて待っていた。


「第三保守班の人員名簿を要求します」


「解散した班だ」


「解散後も食料が搬入されています」


「緊急備蓄へ回している」


「備蓄庫は」


「王家封印区だ」


「開示を拒否しますか」


「今回の合意範囲に含まれない」


リトの視覚器が、王のひげへ向いた。


空の輪を一本外した跡がある。


「拒否理由を記録します」


「そうしろ」


「内部に人格主体が存在する可能性は」


王は一瞬だけ、答えるのが遅れた。


リトは、その時間も記録するだろう。


「ない」


嘘だった。


カルドランの契約では、事実と違う言葉を刻んだ鉄輪をつけることが最大の恥とされる。


いま口にした嘘は、ひげに残らない。


共同記録班は北鉱脈の新規採掘が停止していると確認し、鉱滓の流出量へ修正値を入れ、濾過石の交換期限を記した。


王家封印区については、オルディアの異議が一行加わる。


その一行にも、生きている者がいるとは書かれない。


検査が終わると、共同記録班は地上へ戻った。


王が見せた坑道の数字が、三国それぞれの記録へ写されていく。


その下では、検査官に存在を悟られぬよう、ドルンへの食事搬入が止められたままだった。


王は、食事の搬入を再開せよと命じる。


殺してはいない。


殺せば、自分が王ではないと言い続けてきた男を、王冠のために殺したことになる。


停戦の残りは、十一日。


十日間先行措置の残りは、五日。


カルドラン王は、契約を守る国の王として共同記録へ印を押した。


その足元には、古い法が王と呼ぶ男がいた。


地図にも、戸籍にも、王のひげにも、ドルンとの契約だけがなかった。

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