第34話 連携技 × 帰り道
勝利は目前と思われた。
ところが敵もさるもの引っ掻くもの、ダンジョン・ボスの名は伊達ではない。
ヒモ状に姿を変えたスライムは、ふいを突いて、トリプルVの口の中に飛び込んだ。体の内側から食い荒らしてやろうという算段だ。
スライムは、トリプルVの口腔を通過。
喉から食道に入った。
おそらくこの時、彼は自らが逆転の満塁ホームランをかっ飛ばしたと確信し、笑いがとまらなかったことだろう。
だが、ぬか喜びだった。
食道から胃に進んだスライムは、そこで愕然とした。
「何だこれは!?」
と。
「何なんだ、このスーッとする香りつきのオイルは!?」
「なぜこの爺の胃は、こんなオイルで満たされているんだ!?」
と。
オイル?
そう、オイルである。
私たちはこのオイルの正体を知っている。
トリプルVは口臭対策のために、定期的にカプセルを口に放り込んでいた。あのカプセルのミント・オイルが、胃を満たしていたのだ。
――じつは、すべては計算通りに進んでいたのである。
「弱体化したスライムは、一か八かでおれの体内に入り込み、内側から攻撃しようとするだろう」
覚醒したトリプルVは、スライムの動きをそう読んでいた。
そう読み切っていた。
そして、
「これはチャンスだ」
と目を光らせた。
「ボス部屋を縦横無尽に逃げ回られたら厄介だからな。やつをおれの体の中に閉じ込めて一気に決着をつけるぞ」
ミント・オイルには脂質溶解性という性質があり、これはスライムの天敵。一定時間まみれているとスライムを形作る構造が侵され、やがて形を保てず、グシャッと崩れてしまう。
だからトリプルVは口臭対策用のカプセルをザザザッと口の中に流し込み、胃にミント・オイルの海を作って待ち構えていたのだ。
というわけで――、
「こりゃいかん!」
スライムは肝を潰した。
彼は、胃から食道へと慌てて逆戻りし始めた。
だが、
「びゅー!」
頭上から猛烈な風が吹いてきた。
もうすぐ喉というところまできていたスライムだったが、風に押されて逆戻り。
再びミント・オイルの海に落ちてしまった。
「な、何だ? いまの風は何なんだ!?」
この時、トリプルVは床に横になっていた。
そしてその傍らには亮がいた。
彼は、眠れる森の美女にキスをする王子さまのような体勢で――そう! トリプルVの口から体内に、息を送り込んだのだ。
トリプルVやヒナと違って、亮は覚醒しているわけではない。
だがいま自分がやるべきことは、はっきりと理解できていた。
亮は、
「人工呼吸はおれに任せてください!」
と言った。
「今日一日でヒナさん、トリプルVさん、そしてゴブリンと、三人と口づけを交わしたおれですからね。もうキス未経験者とは言わせませんよ。いまのおれは唇の魔術師!」
彼はドンと胸を叩いてみせると、
「逃がさないぞ、スライム! びゅー!」
マウス・トゥ・マウスで息を送り込み、スライムを胃に押し戻してやった。
そしてすかさず、
「ヒナさん!」
「ああ、任せてよ」
亮に代わって、ヒナがトリプルVの脇にしゃがみ込んだ。
「ここからはボクの仕事だ」
彼女は右手の人差し指をピンと伸ばすと、次いで目をつむり、
「うんぎゃーぴーぴー、ぽやんぐーんで、ぷーぷぴー」
魔法の詠唱を始めた。
「ぴーぱーぷー」
人差し指の先端を中心に、あたりの空間が蜃気楼のように揺らめいた。
魔力を指先の一点に集中させているのだ。
ほどなく詠唱が終わり、ヒナはカッと目を開いた。
もともとデカい目がより一層デカくなり、もはや神、または悪魔が憑依したシャーマンといった迫力だ。
ヒナは、
「往生せいや!」
人差し指でトリプルVの腹を突いた。
絶妙な力加減だった。
トリプルVの皮膚や内臓は傷つけず、しかし胃の中のスライムは確実に吹き飛ばすだけの力。
まさに魔力コントロールに優れたヒナならではの超精密技巧といえる。
で――ボン!
くぐもった爆発音が、トリプルVの体の中から響いてきた。
トリプルVは、
「一応言っておくがな」
とヒナと亮に向かって言った。
「いまのは、おれの屁じゃねーからな?」
ヒナはジトッとした目つきになって、
「……せっかくボクの技がきまったのに余韻が台無しだ」
とつぶやいた。
◇◆◇◆◇
ダンジョン・ボスを撃破したということで――カチリ。
ヒョウ柄の宝箱の錠が外れた。
(クリア報酬は一体何だろうか!?)
ヒナが手を伸ばした。
が、
「なあ」
フタを開ける前に振り返り、冗談めかした口調になって、
「これ、開けていいんだよな? またまた『開けないでください』とか、『蹴とばしてください』とか言わないよな?」
亮は
「まさかー」
と笑うが、
(いや、万が一ってことがあるぞ……)
ちょっと不安になってきて、心の中で鑑定眼に声をかけた。
だが返事はなかった。
(さっきは妙に親し気だったくせに、今度は無視か……)
(そうやってコロコロ態度を変えるやつは嫌われるぞ!)
いまだ鑑定眼との距離感をつかめない亮だった。
ヒナが宝箱を開けた。
中身は、ピカピカのキラキラ。
文字通りの金銀財宝だった。
(最深部の宝箱なんだから、聖剣とか、未知なるマジック・アイテムとか、きっとそんなものが入っているに違いないぞ!)
無意識のうちにそう期待していた亮は、
(んー……)
何だか拍子抜け。
(いや、すごい財宝なんだけれどさ)
(たしかにすごい財宝なんだけれどさ)
(ふーん。こういう感じかあ……)
肩透かしを食らった気分だった。
◇◆◇◆◇
「で」
と亮が訊いた。
「どうやって戻るんです?」
「ん?」
トリプルVは
「何を言っているんだ、こいつは」
という顔になり、
「『どう』って?」
と訊き返した。
「ええ、地上にはどうやって戻るのかなと思いまして」
「そりゃまあ、歩いて帰るんだが?」
(あれ……)
どうも雲行きが怪しくなってきた。
「あの」
と亮。
「ダンジョンの最深部なんですから、そのぉ、帰還ポータルとか転移魔方陣とか、そういった便利な仕掛けは……」
「ワハハ!」
トリプルVが破顔した。
「便利な仕掛けか。なるほどなるほど、そりゃいいな。そういう仕掛けがあるのか、お前さんは訊きたいわけだな?」
もう訊くまでもなかった。
だから亮は、
「……いえ、結構です」
と答えた。
ところがトリプルVはメチャクチャ楽しそうに、
「よーし、教えてしんぜよう! その手の便利な仕掛けは――」
「だから結構ですって!」
「ない!」
トリプルVはきっぱりと言い切った。
「そんなものは、ない! ワハハ!」
「性格の悪い爺だ……」
とヒナがつぶやいた。
一方、亮はがっくりきてしまった。
ボスを倒した。クリア報酬の宝もゲットした。あとはトカゲ車に乗って帰るだけ。
そう思っていたのだ。
しかし実際には、
(えー! きた道を引き返すの?)
(ここまで結構歩いたぞ……)
(しかも今度は、この財宝を持って!?)
めまいがしてきた。
そんな亮の背中を、ポンとヒナが叩いた。
「トールンバ、お前の気持ちもわかるけれどさ」
「ええ」
「爺を引っぱたいてやりたいというその気持ちもわかるけれど」
「いえ、そんなことは思っていませんが」
「でもまあ」
とヒナは続けた。
「ゆっくり行こうじゃないの。途中で休憩してメシでも食いながらさ」
「だな」
とトリプルVもうなずいた。
「急ぐ旅ってわけでもないしな」
(……言われてみれば、まあそうか)
と亮は思う。
(そうだよな、急ぐ旅でもない)
(ま、のんびり行きますか!)




