第32話 信じること × 異変
ヒナとトリプルVが、スライムに向かっていった。
一度は触手を引っ込め、まるで巨大な大福のような格好で鎮座していたスライムだが――二人の接近を感知したのだろう、再びニョキ、ニョキニョキニョキッと触手を生やした。
そして十本の触手のうち五本はヒナの方へ、残りの五本はトリプルVの方へ伸びていった。
トリプルVは先ほどと同じく、右へ左へ機敏に動き回って触手を攪乱。
隙をついては、
「アチョー!」
「ホアチョー!」
攻撃を加えた。
そんな彼の戦いっぷりを「横方向のバトル」と呼ぶのであれば、ヒナのそれは「縦方向のバトル」と呼ぶのがふさわしいだろう。
彼女は猛スピードで迫ってくる触手に対して、自らも駆け寄っていった。
そしてあわや激突というところで、ジャンプ。
ちょうどヒナの腰のあたりをめがけて突っ込んできた触手に足をかけ、それを踏み切り台にして――、
「よいしょ!」
ポーンと高く飛び上がった。
さらに、だ。
さらに、ヒナは空中で体をひねった。
左肩を落とし、腰を軸にして鋭く回転。
迫りくる触手の内側に滑り込み、その背後を取った。
人間離れしたアクロバティックな動きだが――、
(あっ!)
亮はその動きを知っていた。
(だっておれ、「ストライクウィッチーズ」の大ファンだもん!)
(間違いない! あれは坂本さんが得意とした技。宮藤芳佳が見よう見まねで習得した技。そしていろいろあってペリーヌを嫉妬させた技。まさに――左ひねり込み!)
次の瞬間、閃光が走った。
ヒナが、腰に隠し持っていた二本の短刀を抜いたのだ。
彼女が手にしているのは、まるで三日月のように刃が湾曲した刀。
それをいま、ヒナが振るった。
触手の先端部が宙を舞い、ドバッ、ドバドバッと噴き出した体液が虚空に広がった。
――まるでミルキー・ウェイ、天の川のようだった。
(世界一残酷なプラネタリウムだ)
と亮は思った。
◇◆◇◆◇
ヒナとトリプルVは、
「はいよ!」
「よいしょ!」
触手の先端部を斬り落とすたびに、それを後方へと蹴とばした。
透明のぶるぶるが、床をつーっと滑る。
それを回収し、セーフ・ゾーンまで運ぶのが亮の役割である。
触手が伸びてくるのはスライム本体から十五メートル圏内に限られるので、亮に危険が及ぶことはない。
しかしそれにしてもあまりにも蒸し暑くて、
「はあ……はあ……はあ……」
すぐに息が切れた。
◇◆◇◆◇
ヒナとトリプルVは、スライムの触手を相手に五分ほど戦うと、一時撤退。
セーフ・ゾーンに戻って体を休める。
そしてまた五分ほどしたら、
「よし、行くか!」
「あいよ!」
再びスライムに向かっていく。
三ターン。
五ターン。
七ターン――。
彼らはそれを繰り返した。
まさに持久戦だ。
これまでのところ、スライムの触手攻撃はその大半が不発だった。
トリプルVが腹と肩に一発ずつ突きを食らったものの、ダメージはほとんどなかった。
したがって戦いは順調に進んでいるということになるのだろうが――、
(本当に大丈夫なのか?)
セーフ・ゾーンの床に転がって、
「ぜー」
「ぜー」
とあえいでいる二人を見ていると、亮は心配になってきた。
もはや、真の敵はスライムにあらず。
サウナのような温度と湿度が、二人を苦しめていた。
体力が削られる。
そして体力が落ちれば、集中力その他だって低下するだろう。
となると、いつ致命的な一撃を受けるかわからない……。
「おい、トールンバ」
とヒナが言った。
彼女は息を整えながら、
「何を暗い顔をしているんだよ?」
「あ、いえ……」
「なあ、鑑定眼はいまの戦法でいいと言っているんだろ?」
――そうなのだ。
亮の頭の中では、
【推奨:持久戦を継続することを勧めます。少しずつ触手を削っていきましょう。最適解収束率0.729】
だの、
【推奨:いまの戦いを続けてください。千石撫子の言葉を忘れずに。最適解収束率0.814】
だのといった声が響いていた。
ちなみに――「千石撫子の言葉」というのは、「千里の道も一歩から」とか「ちりも積もれば山となる」とか、そういった意味だと思うが、
(なんかこいつ、妙に馴れ馴れしくなっていないか?)
(っていうか、おい!)
(鑑定眼よ、お前はこの世界の能力だろ!?)
(それなのになぜ――なぜお前は「化物語」のOP主題歌を知っているんだ!?)
訳がわからない亮だったが、まあそれはともかくとして、鑑定眼からは「現状を維持してください」というアドバイスが続いていた。
(しかし)
と亮は思う。
(しかし――本当に信じていいのか?)
(鑑定眼を本当に、全面的に信じてしまって大丈夫なのか?)
亮は自信が持てない。
すると、
「おい」
再びヒナである。
彼女は、かすかに唇をほころばせていた。
そして、
「信じろよ」
と言った。
「……え?」
「お前の鑑定眼を信じろって言っているんだよ」
どうやらすべてお見通しのようだった。
「冒険者だったら自分の力を信じて、自分の仲間を信じて、ドンと構えてりゃいいんだよ!」
それだけ言うとそっぽを向いてしまった。
頬が赤らんでいるのは、この暑さのせいだけではあるまい。
たぶん自分がクサいことを言っていることに気づき、恥ずかしくなってしまったのだ。
亮は思わず微笑んだ。
◇◆◇◆◇
それから少しして――最初に異変を口にしたのは、トリプルVだった。
セーフ・ゾーンに戻ってきた彼は、床に転がり込むと、
「……どうもおかしい」
と漏らした。
「体がいつものように動かないんだ」
亮が最初に思ったのは、
(熱射病か!?)
ということだった。
サウナのような場所で動き回っているのだ。
そりゃ熱射病になっても不思議はないだろう。
だから、
「吐き気とかありますか?」
と訊いた。
すると、
「そうじゃないんだ。むしろその逆で……」
とのことだった。
「逆? ああ、下痢ですか?」
「いや、そういう意味ではなくて。上じゃなくて下ですって意味の『逆』ではなくて」
「はあ……」
「体調が悪いわけではないんだ。むしろ――妙に体が動くんだ。動きすぎるんだ」
「動きすぎる?」
「ああ。それに何て言うか……。血が巡っている感じがするというか、そう、頭がやけにすっきりしているんだよ」
「すっきり、ですか……」
「つまりだな。おれぐらいの年になると、どんな時にも頭の片隅に老後、介護、鬱、前立腺、尿酸値、がん、死、遺産相続争いといった不安がこびりついているものだが」
「こびりついているものなんですか……」
「ああ、こびりついているものなんだ。だがしかし――いまはそれがないんだ。不安がないんだよ」
「……あのぉ」
と亮は言った。
「もしかして、ストロング系チューハイとか飲んでいませんよね?」
「何?」
「あ、いえ。つまりお酒を飲んでいませんよね?」
「飲んでいるわけないだろ!」
「ですよね……」
「というかだな、不安がないどころか……おれは感じるんだよ」
「感じる?」
「ああ。――大いなる宇宙の意志を、な」
「……トリプルVさん」
「どうした?」
「おれはトリプルVさんのことが好きですよ。できればこれからもずっと一緒にパーティを組んでいたい。だからこそ言わせていただきますが――」
「いや、違う! 違う違う! そうじゃない! 怪しい宗教に勧誘しようとしているんじゃない!」
「ってことは」
「違う! 水素水を売りつけようともしていない! スカラー波発生装置も売らない!」
「おれ、知っていますよ。そういう人たちってみんな、最初は『売らない』って言うらしいじゃないですか」
「いやいやいや! おれが言いたいのはだな、おれが言いたいのは――クソ! どう言っても怪しくなっちまう!」
トリプルVの体に何が起きているのだろうか?




