第6話 黒と白
黒。
それは夜空を染める静かな支配者。
今や人類はこの地球上に遍く繁栄し、科学技術は日進月歩の発展を遂げている。
もはやこの世界に、人の目の届かぬものなど無いようにすら感じる。
しかし、それは所詮思い上がりに過ぎない。あるいは、天敵を無くした堕落者の傲慢か。
人の知らぬもの、理解の及ばぬものたちは、すぐ傍で音も立てずに笑っているというのに。
人の気配が途絶えた夜闇の中で、二つの影が寄り集っていた。
片方が纏うは漆黒のドレス。この世の夜は全てここから溶け出していったのだと思えるほど深い黒に包まれたその影は、少女の姿を取っていた。
それらは僅かに言葉を交わすと、やがて互いに背を向けて歩き出した。
そしてもう片方の影は、自らの持つ特別な力によって、青く輝く軌跡を描いて飛び去っていった。
◯
「ん……んぅ……」
真っ白。窓辺から差し込んできた陽光が、私の瞼を容赦なく叩きつける。起きろ、朝だぞ、この寝ぼすけめ――。
毎朝思う。なんで私は起きなければいけないのだろうか。家では居ないものとして扱われ、公的な戸籍すら持っていない。もしも私がこのまま消えてしまっても、この世界の誰も気づきやしない。
だから、いいのだ。このまま眠るように終わってしまっても……。
と、そこまで考えた所で意識が覚醒する。
いや、違う。今の私にはやるべき事があるだろう。ふかふかのベッドを抜け出し、朝の支度を整える。
「……そういえば、何か気になる夢を見たような……」
ハッキリとしない記憶は、眠気と共に頭から抜け落ちていった。
◯
「お、おはようございま〜す……」
昨夜のラウンジへ顔を出すと、既に風兎香さんと晴人が集まっていた。
「おはよ〜ましろん。どうどう? よく眠れた?」
「おはよう真白。寝ぼすけだな」
あなたは一言余計だよ。むっと晴人をにらみつけるが、全く意に介している素振りもない。
「おかげさまでよく眠れました。お風呂も広くて綺麗でしたし……安達屋さんは?」
「あだっちーは朝から本部で会議。ここのとこ外異の出現ペースが異常だからね〜。っていうかましろん……」
風兎香さんが私の衣服を確かめて言う。
「もう、せっかく私が用意した服着てくれてないじゃ〜ん!」
「いや、あれは着れませんって……」
昨晩に風兎香さんが「明日の着替えに使って!」と渡してきたバニースーツはそのまま部屋に置いてある。
着替えくらいは家を出た後に僅かな手持ちで買い揃えてあるし。そうじゃなくても、あれを着る度胸はないけれど。
というか納得がいかないのは、今日の風兎香さんの格好がバニーガールではないことだ。バニーを勧める者がバニーにあらず。
その代わりに、警官の制服を女子高生風にアレンジしたような衣装を着ている。
「あ、この服も気になる? 可愛いでしょ〜」
確かに可愛い。これがいわゆるコスプレというやつなのだろうか。初めて見た。
というか、何を着ても様になる風兎香さんのスタイルが羨ましい。顔立ちも整って美人だし、文句のつけようもないな。でも、
「無断で警官の格好をするのは犯罪ですよね?」
「もぉ〜~ましろんは真面目だなぁ〜。私はどうせ外に出ないからいいの。それにこんな格好の警官がホントにいるわけないでしょ」
そう言って、ただでさえ短いミニスカートの裾をつまんで持ち上げてみせる。
「わわっ、晴人もいるんですから!」
慌てて視線をやるが、晴人は気にせず朝食の支度をしていた。
「もっと際どい衣装の時もあるぞ」
晴人が呟く。これより際どいって……。想像しかけてやめておく。風兎香さんの趣味を理解するのは、私にはまだ早いみたいだ。
◯
「ごちそうさまでした」
昨晩に続いて晴人が用意してくれた食事をいただく。パンにかぼちゃのスープとヨーグルト。
定番といえばそうだけど、やっぱり全てが美味しかった。まさかこのヨーグルトも自家製だったりするのだろうか。もしそう言われても信じてしまいそうなほど、私は既に晴人シェフの腕に胃をがっちり掴まれてしまっていた。
「あっ、待って! 私がやるから!」
ごく自然にお皿を片付けようとする晴人を慌てて引き止める。
「ん……いいよ。料理は趣味なんだ。それに、真白はお客さんだし」
「いやいや、流石にお世話になりっぱなしじゃ申し訳ないから! というか掃除でも洗濯でもなんでもやらせて! やらせてください!」
そう、今の私がやるべき事。それは、何よりもまずこの人達に恩返しすることだろう。
「うーん……そうか? まぁ、真白がそう言うなら……」
基本的に無気力そうな晴人の表情に、徐々に活気が沸いてきたように見えた。
「よし、それじゃ、この機会に色々と手伝ってもらうとするか!」
◯
「よしわかった、真白はもう何もしなくていい」
洗い物中にお皿を落として割り、掃除中にお風呂場で滑って頭を打ちそうになり、窓を拭くために水を貯めたバケツを盛大にひっくり返したところでついに晴人先生が匙を投げ出した。
「はい……すみません……」
しゅんとする。恩返しのつもりが、かえって迷惑をかけている気がする。でも洗濯と掃除機がけはできた。晴人に付きっきりで教えてもらってだけど。
私、一人じゃ何もできないんだな。そりゃそうか。普通の人なら、学校で皆と掃除をしたりするのだろう。家で親の手伝いをして覚えるのだろう。
私、どっちも経験してないんだもの。屋敷の家事は全て使用人さんがこなしていた。
「まず俺がやるのを見ていてくれ」
そう言うと、晴人は慣れた手つきでテキパキと窓を拭いていく。料理だけじゃなく家事全般もお手の物なんだな。こういうとこは素直にかっこいいと思う。
「ずっと寮全体の大掃除をしたいと思ってたんだよ。俺達三人だけじゃ手が回らなくて」
そう語る表情はなんだか楽しそうだ。料理が趣味と言っていたけれど、家事そのものが嫌いじゃないんだろう。すごいな。私と歳、同じくらいに見えるんだけどな。
「晴人はさ」
その様子を眺めながら尋ねる。
「どうしてここにいるの? どうして、命がけで外異と戦ってるの?」
そんな疑問が自然と口からこぼれていた。きっと安達屋さんや風兎香さんだって、これまで普通じゃない人生を歩んできたんだろう。でも何故だか晴人には、そんなプライベートなことも遠慮せずに聞ける気がした。
「そうだな……俺のことよりも、まずは真白のことじゃないか?」
掃除の手を止めずに晴人が言う。
「真白はこれからどうするのか。これから何をしたいのか……」
「私は……」
これから、か。私、何がしたいのだろう。いったい何ができるのだろう。
曇った硝子は、向こう側が見通せるように一枚ずつ拭き上げなきゃいけない。




