第27話 ただのお遊び
「晴人!!」
「遅くなってすまない、大丈夫か?」
そう言いつつも、晴人の視線は敵を捉えて離さずにいる。
「ふうん、もう来たんだ。あんなに足止めしておいたのに」
黒い影はくすりと笑った。その目元が全く楽しげにしていない所が、やはり異質に思えた。
「晴人、どうしてここに……?」
体勢を整えながら尋ねる。ここに来ることは誰にも連絡していないのに。
「申し訳ないけど、ずっと真白を尾けさせて貰っていた。こうしていれば、いずれ会えると思っていたから」
晴人は一呼吸置いた後に告げた。
「探したぞ、ルル」
ルル。では、この少女が私の追っていた相手なのか。
父らの意識を奪い、七夜家を乗っ取った黒幕。そして、父の手紙にあった『七夜家の血に潜んでいたもの』というのも、おそらくは……。
「いい加減しつこいよ、『お兄ちゃん』。その出来損ないを庇うのがどういう事だかちゃんとわかってるの?」
お兄ちゃん? 晴人が? ルルは晴人の妹?
事情が飲み込めない。でも、この二人には面識がある。そして私の知らない何かを共有している。それだけは確かなようだ。
「晴人、どうするの? こいつは……ルルはとんでもなく強いよ。戦うにせよ逃げるにせよ、一緒に……」
私がそう聞くと、晴人はゆっくりと視線をこちらに寄越した。この場の雰囲気にそぐわないような穏やかな表情だった。
「真白、君をここまで巻き込んでしまってすまなかった。君に罪は無い。どうか一人の人間として自由に生きて欲しい」
「え……? それってどういう……」
前へと向き直った晴人は、血で造られた鋭い刃をルルに向けた。ルルの大袈裟な溜め息が室内に響く。
「あのね、お兄ちゃん。私は約束を守っているんだよ? お兄ちゃん言ったよね、『人間は絶対に殺すな』って。だから私は一人たりとも殺してない。だったら、お兄ちゃんも私との約束を守るべきじゃないの?」
「でも今、真白を殺そうとしている」
「わかるでしょ? お兄ちゃん」
ルルはやれやれ、と肩をすくめてみせた。
「そいつは人間じゃない。だから殺しても私達の約束には背かない」
「違う。真白は人間だ。手を出すことは俺が許さない」
二人の間に流れる空気が張り詰めた。下手に割って入ればどうなるかわからないほど殺伐とした部屋の中で、私はただ黙って見ている他なかった。
「……ぷっ、あはは、あははは」
やがて、その緊張を吹き飛ばすかのようにルルが笑い始めた。どこか本気で面白がっているのとは違う、乾いた笑い声だった。
「ほら、面白いから笑ってみせたよ? 人間がするみたいに。こんな効率の悪い意思伝達手段……」
ルルは晴人から視線を外すと、窓の外の夜景に目を向けた。
「三千年か。だいぶ早かったね。確かに人間は増えたよ、でも相変わらず愚かだね。こんな生命体から本気で何かを学べると考えてるのは、やっぱりお兄ちゃんだけだと思うな」
「そんなことはない。人間が持つ可能性こそ、俺達に足りなかった最後のピースに成りうるはずだ」
「へぇ……? だとしたら、私が今からその可能性とやらを存分に試してあげることになるねぇ? 可哀想なお兄ちゃんが三千年間も一人ぼっちでずっと縋ってきた、ありもしない幻想をねぇ?」
ルルが再び笑った。目を細めて口角を吊り上げたその表情は、先程よりもよほど真実味のある嗜虐的な笑みだった。
「やっぱりあの時お兄ちゃんを殺さなくて良かったよ! 今まで我慢したぶん一層楽しめそうだから!!」
場の静寂を破り、ルルが黒い触手をデタラメに振り回し始めた。四方八方の壁や床がいとも簡単に崩れていく。
「っ……! 私の家が……!」
父が、先代達が守ってきた屋敷が壊れていく。止めなくては。しかし、暴力の嵐から自分の身を守ることに必死で動くことさえままならない。
「真白、ここからは俺一人でやる。一緒に過ごせて本当に良かった」
私のことを庇いながら、晴人が断固とした声色で言った。
「晴人、何をする気!? なんでそんなこと言うの!? 答えてよ!」
「それから、安達屋さんと風兎香さんにもありがとうと伝えてくれ。外研は本当に温かい居場所だった。皆の幸せをずっと祈っている」
まるで別れの言葉を告げるような晴人の背中を掴もうとする。しかし、足場が崩れて手が届かない。
「人間は絶滅させる。それが私達の採択した総意」
瓦礫と粉塵が舞う中、ルルの冷たい声が妙にハッキリ聞こえた。
「さぁ、蹂躙を始めるよ」
触手たちがルルの影の中へ消えていく。代わりに、ルルが自らの刃で自身の首を切りつけた。
「真体解放」
瞬間、とてつもない衝撃を受けて遥か後方に弾き飛ばされる。
視界が暗転し、自分が今どこにいるのか、自分の体がどうなったのかさえもわからなくなる。
「ぐっ……かはっ……」
意識が断線し、そして再び繋がる。
骨が、内臓が全てやられた。血が脳を優先的に再生してくれたから思考はできる。目も治った。首も動かせる。どうやら屋敷の外まで吹き飛ばされてしまったようだ。
想像もしたくない状況の自分の身体に喝を入れ、どうにか周囲の状況を把握する。
「……何、あれ……」
屋敷が全壊している。その中に入って縮こまっていた巨人が、立ち上がって思いっきり背伸びでもしたように。天井は突き破られ、外壁は面影すら残されていない。その事態を引き起こした元凶は、遥か遠い夜空にいた。
鯨。いつかテレビで見たその存在が真っ先に頭をよぎる。どれほど巨大なのか、全貌すら把握できない。漆黒に染まった鯨が夜空に佇み、眼下の首都を睨みつけている。
そして、その巨体を目掛けて青い軌跡が地上から昇っていく。晴人だ。それでは、あの鯨の正体はルルなのか。
やがて青と黒の影が交差すると、両者は雲の上へと消えていった。戦っているのだ、私の手が及ばない領域で。
身体に力が入らない。晴人とルルを追いたくても、どうすることもできない。
今になってようやく気付かされた気分だった。
これまでの人類と外異との戦いは全て、神様の気まぐれで見過ごされてきた、ただのお遊びでしか無かったんだって。




