第25話 告解
タクシーを使って一人で父の書斎にたどり着いた頃には、もうすっかり夜になっていた。
立ち並ぶ本棚はほとんど空白だ。七夜家の仕事に関する書類などが収まっていたはずだが、本部の人達があらかた押収していったのだろう。
「私に宛てた手紙……そんなの残ってるのかな?」
少し不安になる。これだけ調べ尽くされた後なら、怪しいものは持っていかれているんじゃないか。
とりあえず机の上を調べてみるも、残されているのは小さな額縁に入った何かしらの植物の写真だけだった。本部の人達がこれは必要ないと判断したのだろう。
「なんで植物……?」
父が特に花や木々が好きだったという記憶はない。私が好きだった庭園の手入れだって、一度も顔を出してきたことは無かった。
引き出しの中にもほとんど何も残されていない。背後の壁を見ると、七夜家の興隆の歴史を伝える写真たちが飾られていた。
歴代の当主が映っているものや、この邸宅が建てられている最中の写真。よく見るとその中にも一枚だけ、何を意図したのかわからない植物の写真が紛れている。
微かな違和感。堅物で生活感のない部屋を作る父が、意味もなくこんなものを飾っておくとは思えない。よくよく写真を観察すると、小さく黄色い花が映っている。
トマトの花だ。それに気づいた瞬間、ある閃きが頭の中を駆け巡る。
書斎に隣接して作られたバルコニーの戸を開く。予想通り、そこにはいくつかの観葉植物が飾られていた。
昔、まだ私が本当に幼かった頃。使用人さんに手伝ってもらって、初めて植えたミニトマトの苗を父にプレゼントしたことがあった。
まだこの家の中の閉じた生活に疑問を抱かず、心からお父さんのことが大好きだった時。
バルコニーに並ぶ植物はほとんどが造花だったが、いくつか土だけが敷かれているプランターもあった。
その中に、あの日私がプレゼントしたピンク色のものも混じっている。
予感が確信へと変わっていく。はやる気持ちで土を掘り返すと、その中から薄い缶ケースが出てきた。
「あった……!」
さすがに本部の人もここまでは調べなかったみたいだな。書斎に戻って中を確かめると、ケースの中には束になった便箋が入れられていた。
ここに、父が私に伝えようとしたことが綴られている。
胸に手を当て、一つ深呼吸を入れて読み始めた。
娘へ
君がこの手紙を読んでいるということは、私個人、もしくは七夜家に何かがあったということだろう。
その事態に君を巻き込んでしまったことを心苦しく思う。だが、もし君が家を離れて生きていくのだとすれば、全てを知っておかなければならないはずだ。
君の出生に関わる全てのことを。
君には、外異についての基本的な知識は授けてあるはずだ。
考えたことはあるだろうか。なぜ、私達のような限られた一族が持つ血だけが特別とされているのか。どうして、一般の人間が増血剤に頼らなければ行使できない異能を、我々は制限なく発揮することが出来るのか、と。
若かりし頃の私は、その答えを突き止めるのに夢中で研究ばかりしていた。自分が一体何者なのか、調べずにはいられなかったのだ。
皆が使っている増血剤の中に何が含まれているか知っているだろうか。
外異の血だ。
あの薬の製造方法は厳重に秘匿されているから、真実を知るものはほとんどいない。しかし増血剤とは、人間の体に外異の血を取り込むことで、この世の理から外れた異能を行使させる薬に他ならない。
そして、これを読んだ君は気がついたのではないだろうか。外異の血が異能を使う条件であるのなら、私達の中に流れている血もそうなのではないか、と。
往日の私の研究は、全てその仮説を裏付ける結果に終わった。
認めたくないと思うかもしれないが、私達の体を流れる血の中には、外異が持つものと同じ成分が含まれているのだ。私はその事実を知った時、自分が恐ろしくなった。
なぜそうなっているのか、理由まで突き止める事はついにできなかった。しかし、私は次第にこう考えるようになった。この血筋を終わらせたい。次の世代に引き継ぐべきではないと。
無論、私達は外異と戦うことで地位を築いてきた一族だ。後継を望む声は内外から絶えない。そこで私は、秘密裏にある計画を進めることにした。
透華……君のお母さんとは、外異の研究をする中で出会った。私達は自然と結ばれた。君を授かりたいと思ったのは、決して一族の後継を残すためではなかった。しかし、私達の子供として産まれてくる以上、普通の生活を送ることは叶わない。
そこで私達は、互いの研究の成果を合わせ、産まれてくる君から外異の血を取り除こうとした。周りと変わらない普通の子として育てることで、七夜の血筋を終わらせ、君にも幸せになって欲しかったのだ。
試みは成功した。産まれてきた君の血は一般的な赤子となんら変わりがなかった。しかし、代償もまた大きかった。透華は、あれだけ望んでいた君との生活を送ることはできなかった。
私は深い失意に囚われた。そして怖くなった、自分の研究に誤りがあった可能性が。もし君の中に外異の血が残っていて、それが不完全な形で発現してしまえば、周囲にも危害が及びかねない。たったそれだけの理由で、私は君を家に閉じ込め、常に監視する道を選んでしまった。
最低な父親だったと、今となってはそう思う。この手紙が読まれることは無くても、君が十八歳になれば全てを打ち明け、自由な人生を送ってもらうつもりでいた。だがしかし、ここまで君が目を通しているということは、そう上手くはいかなかったのだろう。
透華を失ったあの日から、私は悪夢を見るようになった。私の血の中に潜む何者かが、このままでは終わらない、一族の宿命からは逃れられないと囁く夢だ。
だから私は、君に戦い方を教えた。いつか危険が迫っても、自分の身を守れるようになって欲しいという願いを込めて。信じて貰えないかもしれないが、私の願いはただ、君が終生穏やかに暮らしてくれることだけだ。
私が君から本来あるべき若き日常を取り上げてしまったことは、決して謝って許されることではないだろう。
ただ、君のお母さんは、純粋に君の幸せだけを願っていた。
そのことだけはどうか覚えていてあげて欲しい。
どうかずっと元気で。
父より
最後の便箋と一緒に、古い写真がクリップで留められていた。
若い女性が椅子に腰かけ、大きくなった自分のお腹に手をあてている。妊婦さんだ。写真の裏にメモ書きが残されている。妊娠八ヶ月、透華。
「お母さん」
初めて顔を見た。じゃあ、このお腹の中にいるのが私なのか。
窓ガラスに反射する自分の顔と見比べてみる。ちゃんと似てるかな。写真の中のお母さんは、本当に慈愛に満ちた笑顔を浮かべていて。
自分が今までどれだけ親から想われて生きてきたのか、どれだけ愛されて産まれてきたのか。それを理解していなかった自分が、恥ずかしくなったような気がした。
「私の中の、血……」
私が本来持って産まれるはずだったもの。私には受け継がれなかった、七夜の血に潜んでいたもの。それは一体どこに消えてしまったのだろう。
もしかしたら、その存在と向き合うことこそ、他の誰でもない私に課せられた宿命なのかもしれない……。
『ねぇ、家族ごっこは楽しかった?』
その時、書斎の窓ガラスに映る私の口が、勝手に開いた。




