第24話 お父さんの言葉
南川さんのカードや指紋を使ってセキリュティをパスしていく。エレベーターで昇った先のフロアで、南川さんが通路の奥を指さした。
「一番向こう側がお前の父親の病室だ。つってもあらゆる検査で異常なしの健康体だから、設備は簡素なもんだけどな。帰る時は……」
「あの、教会で私と父が話してたの、聞いてたんですね」
話を遮って喋ると、しかめっ面で返事をされた。
「まあな。ただ、それが無かったとしても今頃は気づいていたと思うがな」
私の素性をわかった上で、父と会うのに協力してくれるというのか。
「お前、初めて会った時自分は三月風兎香だとか言いやがって。三月はお前らの木っ端の組織の別人じゃねぇか。あんまり本部の情報力ナメんじゃねぇぞ」
全くもってその通りなのだが、そう言われると下手くそな演技で隠し通せると思っていた自分が恥ずかしくなるのでやめてほしい。
「でも、それならなんで私を放っておいたんですか? 父を探していたなら聞きたいことも沢山あったんじゃ……」
「うるせぇな、どうでもいいだろうがそんな事」
南川さんは顔を逸らすと、父の病室の方を見据えながら続けた。
「いいか、五分だ。その間だけ監視してるカメラもマイクも誤魔化してやる。なにせお前の父親はこの大騒動の中心人物なんだ。事情聴取の列を食い止めるだけでも面倒なんだからさっさと済ませろ」
「あ、ありがとうございます」
「アホか。ガキは礼なんか言わなくていいんだよ」
ぶっきらぼうな口調。でもその裏で、相応の骨を折ってくれているのだろう。
南川さんが私のためにここまでしてくれるとは思わなかった。その理由は、あの時教会で助けられた借りを返すためなのかもしれないし、あるいは単にこの人の優しさに拠るものなのかもしれない。けれど、ここでそれを深く尋ねるのは違う気がした。
「俺はもう行くぞ。帰りは俺がいなくても自由に通れるようにしておいてやる。……もっとも、人に成りすます外異なんてもんが出てきた以上、こんなセキュリティに意味があるのかはわからねぇけどな」
「えっと……南川さんは信じているんですか? 今回の件が、私の父ではなく新種の外異が引き起こしたことだって」
「俺はただ、安達屋の野郎が言ってた仮説について話しただけだ。本部じゃそんなこと考えてる奴はまだほとんど居ねぇ。また無事に父親と面会できる保証なんざねぇから、せいぜい言いたいことは言っておくんだな」
それだけ言うと、南川さんは下りのエレベーターへと乗り込んだ。
「あの……ありがとうございました! 本当に!!」
そのドアが閉まるまで頭を下げる。南川さんはこちらを見ないまま、早く行けと手で合図していた。
◯
指定された病室に入ると、しんとした空気の中を、カーテンの空いた窓から差し込む夕日がまぶしく染めていた。
南川さんが言っていた通り、内装は一般的なものと変わらない。小さな冷蔵庫と、デスクの上に乗ったテレビ。そして白いシーツが敷かれたベッド。その上に、横になった父の姿があった。
いかなる時も整っていた白髪が少し乱れている。家の中で見かけた際に感じられた威厳は、病衣を纏った姿ではいくぶんか落ち着いて感じられた。
「……真白なのか」
先に口を開いたのは向こうだった。驚いているのを見るに、私が来るとは思っていなかったのだろう。
お父さん、少し痩せたかな。最後に見た時より……。
いや、晴人の言葉を信じるのであれば、私が家から逃げ出した時点でもう父の姿をしていたのはルルだったのだ。その意味では、最後にきちんと父と話をしたのはいつだろうか。近年はまともに顔を合わせてコミュニケーションを取ることも無かった。
この人の些細な変化に気づけるほど、私はちゃんと向き合えていなかったんじゃないか。
室内に沈黙が落ちた。お互いに言葉を探している。
「カメラは」
私の口が、気まずさに耐えかねるように言葉を発した。
「カメラとマイクは、切ってくれたって。五分だけなの。本部の人がやってくれて……」
言ってから、違うと思った。入院した父親に娘が真っ先にかける言葉じゃない。普通の家族なら、きっとこうじゃない。だから、間違えた。
「あの南川とかいう男か。私のところへも来た。特別な客が来ると言うから、本部の役員か何かだろうと思っていたが……まさか、娘を連れてくるとはな」
そう言って父は軽く笑った。まだ驚きが抜けていないような表情だった。
「娘が本部と繋がりを持つ日が来るとは。拘束されているのか?」
「そんなことされてないよ……今は外異と戦う組織の一つに入れてもらってるの。信じられないかもしれないけど……」
「とにかく、酷いことはされていないんだな」
「されないよ、そんなこと」
「そうか」
父の身体から少し力が抜けたような気がした。
「そうか……良かった。無事でいてくれて……本当に……」
涙すら流しそうなほど感情の籠もった声音だった。
正直に言えば、それをどう受け止めて良いのかわからなかった。父がこんなに私に関心があるなんて思っていなかったから。でも、もしかしたら、それは私の勘違いだったのかも知れない。
親子の関係を、ここから新しく作り直していけるような気がした。でも、今は……。
「ねぇ、お父さん。教えて、一体何があったの? ルルっていう名前に心当たりはある?」
南川さんから提示された五分という時間制限が頭をよぎる。感傷に浸る暇なんて、今の私にはない。
「ルル……? いや、聞いたことはないが……」
「私の仲間が言っていたの。お父さんや家の皆の意識を奪ったのはそいつだって。そしてお父さんのフリをして、七夜家をめちゃくちゃにしたって」
「ふむ……」
父は少し考え込んでから口を開いた。
「前触れはなかった。家の中で、突如として何者かに襲われた。驕っているつもりはないが、私が不意打ちを許したのは生まれて初めてのことだった。おそらく相手は人間ではない……」
そこまで話し、父はこちらに問いかけた。
「ルルという名前を出したのはどんな人だ」
「雨後晴人っていう人。私とほぼ同い年の男の子で……」
「偽名だな」
「本名はわからないの、謎の多い人だから」
「いいか、真白。そいつには気をつけろ。常に警戒して接するんだ。敵なのか味方なのかわからない」
父は真剣な目をして言った。でも、晴人が敵であるとは私には思えない。
「味方だよ。何度も私を助けてくれたし、良い人だし……でも、何かを隠してる。私はそれを突き止めたいの。そうすれば、七夜家の無実を証明できるかもしれない」
父は私の言葉に少し面食らったようにした後、壁にかかった時計に目をやった。
「この短い時間では全てを伝えられない。もしも、お前がそれを望むのなら……家にある私の書斎を探せ。いつかこういう事態が起こった時のためにと、お前に宛てた手紙を用意してある」
書斎……そういえば詳しく調べていなかった。無意識のうちに父の存在を避けていたのかもしれないと、今になって思う。
「全てを知れば、お前は悲しむかもしれない……私はそれが耐えられなかった。だから、今までずっとお前と向き合う勇気を持てずにいた。今更許してくれなどとは言えないが……」
そう言って父は実の娘を相手に頭を下げた。もう既に、私の中には父への怒りも憎しみもない。ただ、その生真面目さが父らしいなと思った。
「大丈夫だよ、お父さん。私ね、色々と外の世界を知ったの。そして、まだまだたくさん知っていくつもり。だからね……今はただ、私のやることを見ていて欲しい」
もう時間がない。病室から出ようと踵を返すと、大きくなったな、という呟きが聞こえたような気がした。
「襲われて意識を失う直前に、確かにこう聞こえたんだ。『真白を殺す』と。奴の狙いはお前なんだ、真白。私はそれが一番恐ろしいんだ……」
病室のドアに手をかける。最後に振り返り、父に一言告げた。
「私、もう子供じゃないんだよ。だから、安心してね。次に会う時までに、私が全て解決してみせるから」




