第15話 父に別れを告げたなら
父は悠然と構えたまま私のことを待ち受けている。強化された脚力で、一気に間合いを詰めていく。
「私だって、やれる……!!」
南川さん達の二の舞を演じるわけにはいかない。父は自在に氷を操るが、私達の異能は決して万能の力ではない。全ての攻撃は、血を介して行われる。それがわかっていれば対処することもできるはずだ。
突如、父が素早い動きで片手を振るった。これだ。目を凝らせば、空気中に撒かれた水色の血液の雫たちが急速に凍り始めている。これを浴びれば、私の体も瞬時に凍りついてしまうだろう。私は踏み込む足先の向きを変え、父の側面へと大きく回り込んだ。
「はぁぁーっ!!」
槍先で足を払うが、父は後ろへ下がってかわした。もう一度足元を突こうとするも、急速に出来上がっていく氷の壁が私の攻撃を阻む。
異能の速さ比べだ。空気中に散らばる血液の雫たちを、ありったけの速度で叩き潰していく。少しでも遅れれば、たちまち氷の壁が私を飲み込んでしまうだろう。
父は動かない。呼吸も忘れるほどの集中で、自分の体の動きと槍先にのみ意識を向ける。ただひたすら、槍を打ち込むことだけに没頭していく。
不意に、懐かしい感覚がした。この槍さばきを教えてくれたのは、他でもない父だった。剣術だの柔術だの、武術の類は一通り教えられたけど、一番しっくりきたのが槍だった。
父は言った。自分の体の動きを最もイメージしやすいものを扱えと。そうして私の骨の髄まで染み付いた槍術のイメージは、今、ここに血の力を借りて具現化している。
もしかしたら父は、いつか私が異能を手にすることを予期していたのではないか。だとすれば、なぜ私は今その父と戦っているのだろう……。
「甘い」
氷が組み上がる速度が増していく。壊しきれない。父が指揮棒のように手を振るうと、氷は波涛となって私に押し寄せてくる。しかし、絶対にここで退く訳にはいかない。
「防いで、城壁花!!」
槍から分かたれた私の血が、何層にも折り重なったピンク色の枝葉となって眼前に現れ、迫ってくる氷の壁を束の間だけ押しとどめた。
私の『槍と花』の異能は接近戦しかできない。この間合いをみすみす手放してしまえば、もう二度と勝機は訪れない!
「貫いて、剛力花!!」
強くイメージする。家の庭園に咲いていたサルビアは、力強く花を付けていた。
それと同じように、私の槍も大きく輝きを増していく。普通なら持ち上げられないほど重くなったそれを、力の限り振りかぶる。
「せー……のっ!!」
ラベンダーの城壁を解除するのと同時に、槍を叩きつけるようにして目の前を覆う氷の壁を思いっきり砕き割る。
視界が開けた。父は、更に後方まで退いている。迷うな、前に出ろ! 思考するよりも早く、なりふり構わず駆け出した。父が再度手を振るうと、無数の氷のつぶてがこちらを目掛けて飛んでくる。
「弾けて、炸裂花!!」
血で造られた種子達が槍から放たれ、氷のつぶてを撃ち落としていく。しかし、全てを防ぎきることはできない。一つ一つが鋭く尖った氷たちが、私の頬と腕を切り裂いた。
致命傷にさえならなければいい。そう割り切って、頭や心臓を目がけて飛んでくるものだけを撃ち落とす。全身から流れる血も気にせず、ただ父の姿だけを見据えて走った。槍が届くまであと十歩、五歩、三歩……
「取った――」
気が付けば、すぐ目の前に父の体がある。後はただ、その胸に槍を突き立ててやればいい。
それで、その後は。
その後は、どうなるんだっけ……。
そういえば昔、父に槍の稽古をつけてもらった時。父は娘相手でも全く容赦をしないから、いつも辛くて苦しくて嫌だったけど。
初めて私が一本取った時、いつも無表情な父は、確かに喜んでいたように見えたなあ。
ねぇ、お父さんは一体私のことをどう思ってるの?
私、やっぱりお父さんのこと……。
「――っ!!」
迷った槍先は、父の脇腹を浅く掠めて流れた。
勢い余って突っ込む私の腹に、父が深く拳を叩き込む。
「がっ……!!」
息が詰まる。意識が飛びかけるような一撃。
「やれないと思ったよ、出来損ない」
父は私を大きく投げ飛ばし、冷ややかに吐き捨てた。
「終わりにしよう」
父が片手を上げると、巨大な氷塊が頭上に形成されていく。私のことを押し潰すつもりなのだ。どうにかしなければ。わかっていても、体が動かない。痛みはほとんど感じないけれど、身体中が悲鳴を上げているのがわかる。
『晴人!! 行けぇ!!』
インカムから安達屋さんの声が響く。それと同時に、晴人が目もくらむような勢いで私の眼前へと飛んできた。
「真白!!」
「邪魔を……するな!」
振り下ろされる氷塊を晴人がどうにか弾き飛ばすが、息付く間もなく今度は無数の氷の刃が襲いかかってくる。
「くっ……!」
それを捌き続けた晴人の刃は無残にも折れ、ついには胸元へと深い傷を受けて倒れた。
「晴人!!」
限界だ。安達屋さんの方には、おびただしい数の外異が群がっている。あんなのを一人で引き受けて無事でいられるはずがない。
負ける。このままじゃ……。
「目障りだ。消えろ」
父が晴人に近づいていく。トドメをさす気でいるのだ。それだけはさせない。鉛のような体に鞭を打って、その間へと割って入った。
「何のつもりだ」
「お父さんの狙いは私でしょ!? この人達は関係ない!」
「何故庇う? お前にとってはただの他人だろう」
「他人じゃないよ……この人達は、私のことを仲間だって言ってくれた。外の世界を知らない私のことを、家族みたいに受け入れてくれた。だから、絶対死なせない!!」
そうだ、這いつくばっている場合じゃない。私のために戦ってくれたこの人達を死なせるもんか。そう決意して槍を構え直す。父は私のことを無表情に見つめると、おもむろに片手を天へと掲げた。
「そうか。じゃあ、一人で死ね」
私の足が急速に凍りついていく。しまった、度重なる攻撃の合間に、父の血を身体中に付けられていたのだ。もがいても氷の侵食は止まらない。腰から胴までもが凍りつくと、満足に動くことさえ叶わなくなった。こうも動きを制限されては、抵抗することもままならない。
「これで最後だ」
私の体を包んだまま、氷が天井に向かって上昇し始めた。どうやら、この教会の中の全てが一つの大きな氷塊に閉じ込められていくようだ。
『絶対零度』
きっと父は初めからこのつもりで、教会の至るところに自分の血を撒いていたのだろう。傷つき倒れた晴人も、一人で外異と戦い続けていた安達屋さんも、父の周囲を除いた全ての空間が氷の中へと呑みこまれていく。
やがて全身が凍りついた私は、身じろぎ一つできなくなった。耳元のインカムは圧力を受けて潰れてしまった。これでもう、誰の声も聞こえない。
ただ一人この静止した世界の支配者である父は、氷を足場として立ちながら、私のことを冷たく見下ろしている。その拳が高く振り上げられた。このまま、私の体を粉々に砕くつもりか。
結局私は、父を殺す決心をつけられなかった。
だって、怖かったんだよ。生まれてからずっと、家が私の世界だった。それが無くなってしまったら、どうやって生きていけばいいかわからなかったんだ。
でも、皆は命をかけて私を守ってくれた。どれだけ迷惑をかけても、仲間だって言ってくれた。だから……。
「何!? なんだこれは!?」
分厚い氷の底からピンク色の蔓が一気に這い出し、父の体をきつく拘束した。
「馬鹿な! お前はもう動けないはずだ!」
初めて父が声を荒らげ、動揺した表情を見せた。強くイメージする。教会の全てを包む氷の中に、私の血でできた花が深く根を張っていく様を。
やっぱり親子なのかな。私もはじめからこうするつもりで、戦いながら教会に自分の血を撒いておいたのだ。
蔓が私の体を覆う氷を砕いた。もう動きを遮るものは何もない。花の成長は止まらず、教会のステンドグラスを突き破って私と父を夜空の下へと連れ出した。
月明かりがまばゆく照らす。血が槍の形を象る。父は完全に動けないでいる。
温室で管理され、外の世界を知らずに育った花だって、時に想像以上に強かな成長を遂げるものだ。
「出来損ないに、やられるなんて……!」
「はぁぁーっ!!」
私の槍が、父の胸を貫いた。
異能で出来た氷たちは砕けずに、ただ静かに、元の血液へと戻ってこぼれ落ちていく。
割れたステンドグラスから教会の中を覗くと、皆が氷から抜け出して自由に動けるようになっているのが見えた。父が操っていた外異達も、氷と同じように自然と消滅していく。
私の体も限界を迎えた。意識が途切れていくのに連れて、夜空に大きく咲いた血の花も消えていく。
「お父、さん……」
足場を失って落下していく最中、閉じていく視界の片隅で、父の体が黒い血液となって夜闇に溶けていった気がした。




