第84話 ー『同じ名字』
第84話 ー『同じ名字』
2026年6月16日(火)——午前10時0分。
丸の内·キサラギ・アセット・マネジメント本社ビル——ロビー。
丸の内の朝はいつもより忙しく感じられた。高層ビル群が晴れ渡った青空の下にそびえ立ち、通りは足早に歩くオフィスワーカーたちで埋め尽くされている。キサラギ・アセット・マネジメントのビルのロビーは、プロフェッショナルで整然とした雰囲気が漂っていた。輝く白い大理石、親しみやすい受付係、そして温かな光を放つクリスタルシャンデリア。
夏美はロビーに立ち、手にタブレットを持ち、自分を落ち着けようとしていた。フリーランスのジャーナリストとして大手企業のイベントに参加するのは初めてだ。質問を準備し、会社の背景を調べ、キサラギ・アセット・マネジメントの組織構造を勉強してきた。
しかし、一つだけ準備していなかったことがあった。
会社の名前——キサラギ。幼なじみと同じ名字だ。
「……偶然に違いない。」
夏美は小声で呟き、自分に言い聞かせた。日本にはキサラギという名字の家はたくさんある。樹がこんな大企業に関わっているはずがない。彼がクビになったのはほんの数ヶ月前だ。短期間でこんな会社を築けるはずがない。
一人の若い女性が優雅な足取りで近づいてきた。白いブレザー、きちんと結わえた髪、そして温かいプロフェッショナルな微笑み。志織だ。
「おはようございます、夏美様? 林志織と申します。代表のパーソナルアシスタントです。本日のイベントの取材にお越しいただきありがとうございます。」
夏美は丁寧に一礼した。「……お招きいただきありがとうございます、志織さん。このイベントの取材をとても楽しみにしていました。」
志織は微笑んだ。親しみやすいがプロフェッショナルな笑顔だ。「……どうぞこちらへ。十階のイベント会場へご案内いたします。」
彼らはエレベーターへ向かい、夏美は慎重な足取りで後に続いた。道すがら、彼女は壮麗なビルを見渡した。大理石、ガラス、濃い色の木が創り出すエレガントな雰囲気。これは、彼女が慣れ親しんだフリーランスのジャーナリストの生活とはまったく異なる世界だった。
「……志織さん、お聞きしてもよろしいですか?」
「……はい、どうぞ。」
「……この会社の……オーナーはどなたですか?」
志織は微笑んだ。神秘的だが不審には思われない笑顔だ。「……弊社の代表は、非常に先見性のある若い男性です。ただ、公の場に出ることは滅多にありません。」
夏美は頷いた。その答えに満足はしなかったが、無理に聞くつもりはなかった。
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午前10時30分——十階·イベント会場。
十階のイベント会場は広くエレガントだった。天井までのガラス張りの壁からは壮観な東京の景色が広がる。白い革張りの椅子が小さなステージの前に整然と並べられ、スポットライトがプロフェッショナルでありながら温かい雰囲気を作り出している。
夏美はメディア用に用意された席に座り、膝の上にタブレットを置いて、メモを取る準備をした。周囲には数人の他のジャーナリストが座っており、彼らはこの会社のこと、その拡張戦略、そして滅多に姿を現さない謎の代表について小声で話し合っていた。
「……代表の噂、聞いたか?」隣の男性ジャーナリストがささやいた。「……まだ若いって話だぞ。二十一か二十二だって。」
別のジャーナリストが頷いた。「……元サラリーマンだって聞いた。前の会社をクビになった後、突然億万長者になったらしい。」
夏美はそれらを全て奇妙な気持ちで聞いていた。二十一か二十二歳。元サラリーマン。クビになった。全ての手がかりが樹を思い出させた。
「……まさか。」
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午前11時0分——イベント開始。
イベントが始まり、会社の成長についてのプレゼンテーションが行われた。大阪、名古屋、福岡、札幌、そして沖縄への拡張。物件買収、ホテル、そしてテクノロジー分野への投資。夏美は熱心にメモを取ったが、心はまだ樹にあった。
プレゼンテーションの後、質疑応答の時間があった。ジャーナリストたちは拡張戦略、長期的なビジョン、そして公に姿を現さない代表について質問した。
「……志織さん、代表についてお聞きしてもよろしいでしょうか?」一人のジャーナリストが尋ねた。「……なぜ彼はこのようなイベントに一度も姿を現さないのですか?」
志織は微笑んだ。プロフェッショナルな笑顔を保ったまま。「……代表は表舞台よりも舞台裏で働くことを好まれる方です。重要なのは名声ではなく結果であると信じておられます。」
そのジャーナリストは満足しなかったが、どうすることもできなかった。夏美はその答えをメモしたが、心はまだ樹にあった。
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午後0時0分——イベント会場の外。
イベントが終わり、ジャーナリストたちは会場を後にし始めた。夏美は会場の外に立ち、廊下の窓から東京の景色を見つめていた。まだあの謎の代表のことを考えていた。全ての手がかりが樹を指していた。
廊下の突き当たりのドアが開くのを見た。若い男性がその部屋から出てきた。白いシャツ、薄いグレーのジャケット、そして非常に見覚えのあるくつろいだ表情。
夏美は固まった。
樹だ。
彼は廊下の突き当たりに立ち、彼女が記事で見たことのあるエグゼクティブ・セクレタリー、冴と話している。樹は夏美に気づいていない。彼は何かについて話しているところで、両手をジャケットのポケットに入れ、カフェで会った時と同じ落ち着いた表情を浮かべている。
夏美は動けなかった。足が重く、頭の中で思考が高速で回転していた。樹——彼女の幼なじみ——がここに、このビルに、この会社にいる。
「……樹……」
その名前が、ほとんど聞こえない声で彼女の口から漏れた。
樹が振り返り、自分の名前が呼ばれるのを聞いた。彼の目が夏美と合った。一瞬、誰も動かなかった。誰も話さなかった。ただ、群衆の中で交差する視線だけがあった。
夏美は樹の目に驚きを見た。すぐに、秘密が露見したという認識に変わる驚きだ。
「……夏美……」
樹が小声で呟き、夏美は彼が言葉を探しているのを見た。
夏美は近づいた。足取りは不安定だった。「……樹……君が……この会社のオーナーなの?」
樹は答えなかった。ただ夏美を見つめ、重荷がゆっくりと肩から下りていくのを感じていた。
「……夏美、説明できる。」
夏美は怒っていなかった。失望もしていなかった。ただ……困惑していた。幼なじみで、ずっと普通のサラリーマンだと思っていた彼が、実は大規模な投資会社を率いる億万長者だったのだ。
「……君が……本当に……」
樹は息を吐いた。「……信じられないのは分かってる。でも……全て説明するよ。いつでも、どこでも。」
夏美はしばらく樹を見つめた。そして微笑んだ。心からの、温かな笑顔だった。その目には困惑がまだあったけれど。
「……聞くよ、樹。」
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【次話 第85話——『俺の会社』】
樹はついに夏美に真実の一部を打ち明ける。彼がキサラギ・アセット・マネジメントのオーナーであることを。しかしシステムについては説明しない。夏美は驚く——数字ではなく、樹がそれを隠していたことに。夏美は少し怒るが、樹は自分自身もまだ人生の変化に対処している途中だと説明する。夏美はやがて理解し、二人の絆はより強くなる。
【第85話へ続く……】




