第69話 ー『姉妹の尋問』
第69話 ー『姉妹の尋問』
2026年6月1日(月)——午前8時0分。
世田谷·キサラギ家——リビング。
キサラギ家の朝は、いつもより暖かかった。朝の日差しがリビングの窓から差し込み、使い古された木の床の上に光の模様を作り出している。鳥たちが正面の庭でさえずり、遠くでは電車が線路を走る音が聞こえる。
樹は一時間前から起きていた。ここ数週間で初めてぐっすりと眠れた。悪夢もなく、不安もなく、ただ静かで深い眠りだった。彼はリビングのソファに座り、手に緑茶の湯呑みを持ち、穏やかな朝の静けさを楽しんでいた。
台所では千春が朝食の準備をしている。フライパンの音と料理の香りが家中に広がり始めている。樹は一瞬目を閉じ、言葉にできない温かさを感じた。
「……子供の頃に戻ったみたいだ。」
二階の扉が軋みながら開いた。重い足音と軽い足音が交互に階段を降りてくる。樹が目を開けると、美咲と留奈が一緒に降りてきた。美咲はゆったりとした足取りで、留奈は典型的な慌てた足取りだ。
「おはよう、お兄ちゃん!」留奈が興奮した声で叫び、すぐにソファへ走って樹の隣に座った。「もう起きてたんだ!」
樹は微笑んだ。「……おはよう、留奈。君も早いね。」
「もちろん!お兄ちゃんと一緒に朝ごはんを食べ逃したくないし!」
美咲はもっとゆったりと歩き、向かいの椅子に座って好奇心旺盛な表情を浮かべた。その目は樹を頭の先からつま先まで観察し、何か違うものを探しているようだった。
「……お兄ちゃん、よく眠れた?」美咲が何気ないふりをして尋ねた。
「……ああ、とてもよく。」
美咲は頷いたが、その目は観察をやめなかった。「……君の部屋、昔と変わってなかったよ。古いポスターもまだそのままだ。」
樹は眉を上げた。「……俺の部屋に入ったのか?」
「……今朝ね。君が挨拶もせずに出て行かないか確認したかったんだ。」美咲は微笑んだ。完全に無邪気とは言えない笑顔だ。「……まだいたね。」
留奈は美咲の声に込められた疑念の色には気づかなかった。彼女は昨夜から用意していた質問を考えるのに忙しかった。
「……お兄ちゃん!仕事の話をしてよ!本当に何も教えてくれないの?」
樹は静かに息を吐いた。「……言っただろ。不動産と投資の仕事を自営でやってるんだ。」
「……不動産と投資?」留奈は首を傾げ、困惑した表情を浮かべた。「……それって普通の仕事じゃないよね?普通はそれに大きな資本が必要だよ。」
樹は小さく微笑んだ。「……ああ。でも、運が良かったんだ。」
美咲は目を細めた。「……運が良かった?」
「……適切な人に出会ったんだ。それに……たくさん学んだ。」
留奈はその答えに満足しなかった。「……でも、外の車は——」
「……留奈。」美咲が落ち着いた声で妹を遮った。「……お兄ちゃんにまず朝ごはんを食べさせよう。話は後でできる。」
留奈は反論したそうだったが、自分を抑えた。樹はそのやり取りを見て、説明できない何かを感じた。美咲は明らかに疑っていたが、皆の前で詰め寄りたくなかったのだ。
---
午前8時30分——食堂·朝食。
千春が朝食をテーブルに運んだ。ご飯、味噌汁、焼き魚、そして野菜。全員がテーブルに座り、雰囲気はよりリラックスしてきた。留奈は勢いよく食べ始め、美咲はより優雅に食べ、樹は一口一口をゆっくりと味わった。
「……母さん、料理はいつも美味しいね。」樹は心から言った。
千春は誇らしげに微笑んだ。「……気に入ってくれて嬉しいよ。たくさん食べなさい。痩せすぎだよ。」
樹は小さく笑った。「……痩せてないよ、母さん。健康だ。」
「……健康でも痩せてる。」千春は樹の茶碗にご飯を足した。「……食べなさい。」
樹は断らなかった。ただ微笑み、食べ続けた。
テーブルの端に座った正則は、全てを静かに観察していた。「……樹、長く滞在するのか?」
樹は頷いた。「……何日かいるつもりだ、父さん。急いでいる仕事はない。」
正則は頷いた。「……良かった。必要なだけ休め。」
---
午前9時0分——リビング·朝食後。
朝食後、美咲と留奈は素早く動いた。樹が庭や自分の部屋に逃げる前に、二人の妹はリビングのソファで彼を挟み撃ちにした。小春は隅に座り、膝の上に本を置いて静かに観察していたが、その目は明らかに樹に向けられていた。
「……お兄ちゃん。」美咲がリラックスしているように聞こえるが断固とした口調で言った。「……今はお父さんもお母さんもいない。正直に話せるでしょ。」
樹は眉を上げた。「……何について?」
「……仕事のこと。外の車のこと。あの贈り物のこと。」美咲は鋭い目で樹を見た。「……私たちは『不動産と投資』なんて話で誤魔化せる子供じゃない。」
留奈が素早く頷いた。「……そうだよ!私だってそんなにバカじゃない!」
樹は長い息を吐いた。こうなることは予想していた。美咲は賢すぎて何かおかしいことに気づかないはずがない。そして留奈は好奇心旺盛すぎて尋ねずにはいられない。
「……嘘は言ってない。」樹は落ち着いて言った。「……本当に不動産と投資の仕事をしてる。」
「……じゃあ、どうやってあんな車を手に入れたの?」美咲は窓の外、まだ道路の端に停めてあるZeekrを指さした。「……もう調べたよ。あの車はただの車じゃない。Zeekr 9Xだ。あの車の値段は七千五百万円にもなるんだ!」
樹は美咲がもう調べていたことに驚かなかった。妹はいつも几帳面だ。「……買ったわけじゃない。会社の車だ。」
「……会社?何の会社?」
樹はしばらく沈黙した。キサラギ・アセット・マネジメントとは言えなかった。まだだ。家族は彼の資産がどこまで及んでいるかを知る準備ができていない。しかし直接嘘をつくことも避けたかった。
「……投資会社で働いてるんだ。」彼はようやく言った。「……特定の社員に設備を提供しているんだ。」
美咲は鋭い目で樹を見た。「……特定の社員?」
「……ああ。俺は……かなり高いポジションにいる。」
留奈は瞬いた。「……お兄ちゃん、取締役か何かなの?」
樹は小さく微笑んだ。「……まあ、そんなところだ。」
美咲はその答えに完全には納得していないようだったが、攻撃できる明確な隙を見つけられなかった。樹は嘘はついていなかった。ただ全てを話していないだけだ。
「……それなら。」美咲はゆっくりと言った。「……なぜ今まで教えてくれなかったの?」
樹は正直な目で妹を見た。「……準備ができていなかったからだ。新しい自分になり方をまだ学んでいる途中だから。そして……」彼は言葉を止め、適切な言葉を探した。「……君たちに自分が違って見えるのを怖がっていたからだ。」
留奈は沈黙した。美咲も。隅で静かに聞いていた小春でさえ、樹の言葉を考えているようだった。
「……怖がらなくていいよ。」美咲がようやく、より柔らかな声で言った。「……あなたは私たちのお兄ちゃんだ。何があっても。」
樹は胸に温かいものを感じた。「……ありがとう、美咲。」
美咲は微笑んだ。心からの、温かな笑顔だ。「……でも、これで終わりだと思わないで。まだ調べるからね。」
樹は小さく笑った。「……そうだろうね。」
---
午前10時0分——裏庭。
短い尋問の後、樹は裏庭へ逃げた。母が手入れする花々の中に立ち、妹たちのプレッシャーから逃れて、心地よい静けさを味わった。
背後に足音を聞いた。小春が現れ、静かに彼の隣に立った。
「……お兄ちゃん。」
樹は振り返った。「……うん、小春?」
「……心配しなくていいよ。」小春は優しい眼差しで樹を見た。「……美咲と留奈はただ知りたいだけだよ。君のことを嫌いになったりしない。」
樹は微笑んだ。「……分かってる。」
小春はしばらく沈黙し、そして静かな声で言った。「……君は変わった。でも、それは悪いことじゃない。」
樹は末っ子の妹を見た。「……どういう意味だ?」
「……昔はいつも重い荷物を背負っているように見えた。今は……」小春は微笑んだ。心からの、温かな笑顔だ。「……今はもっと軽やかに見える。」
樹は答えなかった。ただ小春を見つめ、胸に温かくも痛む何かを感じた。
「……ありがとう、小春。」
---
午前11時0分——リビング。
樹がリビングに戻ると、千春が台所から彼を呼んだ。「……樹、ちょっと手伝って。」
樹は台所へ歩き、千春は読み解くのが難しい表情で彼を見つめた。
「……さっきの話、聞いてたよ。」
樹は驚かなかった。母はいつも全てを聞いている。「……うん。」
千春は怒っているようには見えなかった。ただ優しい眼差しで樹を見つめた。「……樹、お母さんは君の人生で何が起きているのか分からない。でも、君が嘘をつく子じゃないことは分かっている。」
樹は答えなかった。
「……まだ話す準備ができていないなら、それでいい。お母さんは待つから。」千春は優しく樹の手を握った。「……でも、お願いだから、また姿を消さないで。みんな、君に会いたがってる。」
樹は涙がこぼれそうになった。「……約束するよ、母さん。」
---
【次話 第70話——『母親の勘』】
千春が美容室から帰ると、何か変だと感じる。彼女は樹の動き方、話し方、他人への接し方を見る。何かが変わっている——説明できない何かが。千春はより注意深く息子を観察し始め、樹が単なる新しい仕事以上の何かを隠しているのではないかと疑い始める。
【第70話へ続く……】




