第54話 ー『三十億円、残り六時間』
第54話 ー『三十億円、残り六時間』
2026年5月22日(金)——午前9時0分。
丸の内·キサラギ・アセット・マネジメント本社ビル——十階。
樹は社長椅子に座り、手にブラックコーヒーのカップを持ち、システムの残高を表示するスマホの画面を見つめていた。ここ数週間、これらの数字は見慣れた光景になっていたが、今朝は何かが違った。この旅が終わりに近づいているという意識だ。
【残り目標額: 九十四億円】
【残り時間: 6:00:00】
「……九十四億。六時間。」
樹は小声で呟き、コーヒーを一口すする。苦いが温かい。いつもの朝と同じだ。しかし胸の奥に無視できない重圧があった。
社長室の扉が開いた。志織がタブレットを手に入ってくる。エレガントな白いブレザーに、落ち着かせるプロフェッショナルな微笑み。
「おはようございます、如月さん。本日の残り目標の計画をまとめました。」
樹はコーヒーカップを置いた。「……見せてくれ。」
志織は彼の前の椅子に座り、タブレットを開いて、丹念に準備したリストを表示した。
「残り目標を二つのセッションに分けました。まず、青山での高級ショッピング——ロロ・ピアーナ、ブルネロ・クチネリ、エルメス、シャネル、カルティエ。次に、もし残ったら、システムが推奨する京都の物件を視察します。」
樹は瞬いた。「……京都?」
「ええ。東山区の歴史的物件です。システムが長期的な資産として推奨しています。」志織は小さく微笑んだ。「……そして、休暇にも最適な場所かもしれません。」
樹はしばらく考えた。大人になってから京都に行ったことはない。子供の頃に一度行ったきりで、その記憶も曖昧だ。しかし京都に物件を持つというアイデアには……何か魅力的なものがあった。
「……わかった。青山から始めよう。」
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午前10時0分——東京都港区青山·ロロ・ピアーナ ブティック。
樹はZeekr 9X Mansoryをロロ・ピアーナのブティックの前に停めた。ガラス張りのファサードと温かみのある濃い色の木のインテリアが特徴的なエレガントな店だ。店内には、カシミヤや上質なウールの服が木製の棚にきれいに並べられている。
店員——プロフェッショナルな微笑みを浮かべた中年女性——が入口で彼らを迎えた。
「おはようございます、お客様。ロロ・ピアーナへようこそ。何かお探しでしょうか?」
樹は周囲を見渡した。柔らかな質感の中間色の服——クリーム、グレー、ネイビー、ブラック——がエレガントに掛けられている。派手なロゴもなく、過剰なデザインもない。ただ品質だけが物語っている。
「……カシミヤのジャケットとシャツを見たい。」
店員は頷き、彼をメンズコーナーへ案内した。「こちらは最新コレクションでございます——モンゴリアンカシミヤのジャケット、手縫いの仕上げが施されています。東京の気候に最適です。」
樹は布地に触れた。滑らかで温かく、指先に高級感が伝わってくる。彼は濃いグレーのジャケットを手に取り、鏡の前で試着した。
「……どうだ?」
その隣に立つ志織が頷いた。「……お似合いです。」
「……これください。」
店員は微笑んだ。「……こちらのジャケットは百二十万円でございます。」
樹は驚かなかった。「……これください。他も見せてください。」
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午前10時30分——青山·ブルネロ・クチネリ。
ブルネロ・クチネリのブティックはロロ・ピアーナから数軒先にあった。イタリアの素朴な趣を取り入れたよりモダンなデザインだ。店内には、リネンと上質なウールのアースカラーの服がエレガントに並べられている。
樹が入ると、男性の店員が温かい笑顔で迎えた。
「おはようございます、お客様。ブルネロ・クチネリへようこそ。」
樹は周囲を見渡した。この店には何かが違っていた。よりリラックスした、より有機的な雰囲気。服は快適で自然に見え、フォーマルすぎない。
「……日常着のシャツとパンツを見たい。」
店員は頷き、メンズコーナーへ案内した。「当店のコレクションは、スタイルを損なわずに快適さを追求してデザインされています。こちらはリネンのシャツで、リラックスしたシルエット——東京の気候に最適です。」
樹は布地に触れた。軽く、通気性が良く、手に自然な感触が伝わる。彼はクリーム色のシャツとグレーのパンツを手に取り、試着室で着替えた。
彼が戻ると、志織が頷いた。「……完璧です。」
樹は鏡の中の自分の姿を見た。リラックスしているがエレガントで、過剰ではないが高級感がある。
「……これください。他も見せてください。」
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午前11時0分——青山·エルメス。
青山のエルメス・ブティックはそれ自体が芸術作品だった。日差しを反射するガラス張りのファサード、濃い色の木のインテリア、アイコニックな商品を展示するガラスのショーケース。店内は高級感がありながらも、冷たくはない。
樹が入ると、女性の店員がプロフェッショナルな微笑みで迎えた。
「おはようございます、お客様。エルメスへようこそ。何かお探しでしょうか?」
樹は周囲を見渡した。ネクタイやスカーフは特に必要ではなかったが、エルメスの製品には何か惹かれるものがあった。比類なき品質、時代を超えたデザイン。
「……ネクタイとスカーフを見たい。贈り物と自分用に。」
店員は頷き、アクセサリーコーナーへ案内した。「ネクタイはクラシックなモチーフのシルク製でございます。カシミヤのスカーフは非常に柔らかく——春の気候に最適です。」
樹はシンプルなモチーフのネクタイを数本と、中間色のスカーフを数本選んだ。最も派手なものではなく、最も着心地の良いものを選んだ。
「……全てください。」
店員は微笑んだ。「……合計で三百二十万円でございます。」
樹は黒いカードを取り出した。「……支払います。」
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午前11時30分——青山·シャネル。
青山のシャネル・ブティックはパリのラグジュアリーの象徴だ。エレガントな白黒のファサード、クリスタルシャンデリアとアイコニックなバッグを展示するガラスのショーケースが特徴的なインテリア。樹が入ると、黒いドレスを着た店員が迎えた。
「おはようございます、お客様。シャネルへようこそ。」
樹は自分のために来たわけではなかった。贈り物のために来たのだ。冴、莉々香、澪、そして母のために。彼はショーケースに並ぶクラシックなバッグを見た。
「……クラシックフラップバッグを見たい。黒とクリーム色の。」
店員は頷き、バッグコーナーへ案内した。「こちらがミディアムサイズのクラシックフラップバッグでございます——ゴールドチェーンのラムスキン。こちらがシルバーチェーンのクリーム色です。」
樹は革に触れた。滑らかで柔らかく、高級感が指先に伝わる。彼は冴がこのバッグを持ち、莉々香が持ち、母が持つ姿を想像した。
「……両方ともください。」
店員が瞬いた。「……両方ともでございますか?」
「ええ。黒とクリーム色の。」
「……合計で四百二十万円でございます。」
樹は黒いカードを取り出した。「……支払います。」
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午後0時0分——青山·カルティエ。
青山のカルティエ・ブティックは、ラグジュアリーと芸術が出会う場所だ。完璧な照明の下でジュエリーと時計を展示するガラスのショーケース。樹が入ると、男性の店員が温かい微笑みで迎えた。
「おはようございます、お客様。カルティエへようこそ。」
樹は一つのものを求めて来た。象徴的なカルティエ・ラブブレスレットだ。志織への感謝の気持ちを込めて、彼女に贈ろうと思ったのだ。
「……ラブブレスレットを見たい。ローズゴールドの。」
店員は頷き、ジュエリーコーナーへ案内した。「こちらがローズゴールドのラブブレスレットでございます。ダイヤモンドの彫刻が施されており、非常にエレガントで時代を超えたデザインです。」
樹はそのブレスレットを見た。シンプルでエレガント、そして深い意味を持っている。
「……これください。」
店員は微笑んだ。「……百八十万円でございます。」
樹は黒いカードを取り出した。「……支払います。」
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午後0時30分——カルティエ・ブティックの外。
樹と志織はカルティエ・ブティックの外に立っていた。いくつかのショッピングバッグを手にして。昼の日差しが青山の上に強く輝き、風が街路樹の間をそよぐ。
「志織さん。」
「はい?」
「……これは君にだ。」
樹はショッピングバッグからカルティエの小さな箱を取り出し、志織に差し出した。
志織は瞬いた。「……何ですか?」
「開けてみて。」
志織が箱を開けると、目を見開いた。中にはローズゴールドのカルティエ・ラブブレスレットが、日差しの下で輝いている。
「……如月さん、これは……」
「君にだ。君がしてくれた全てへの感謝の気持ちとして。」
志織はそのブレスレットを見つめ、指で滑らかな金の表面を撫でた。樹は彼女の目に隠しきれない感動を見た。
「……何とお礼を申し上げたらいいのか。」
「何も言わなくていい。君はそれを受けるに値する。」
志織は顔を上げた。樹は彼女の目の端に涙を見た。こぼれ落ちそうで、こぼれ落ちなかった涙だ。
「……ありがとうございます、如月さん。」
樹は微笑んだ。「……こちらこそ、志織さん。」
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午後1時0分——丸の内ビルへ戻る。
樹と志織は買い物袋を抱えてオフィスに戻った。十階で、樹は社長椅子に座り、システムの残高を表示するスマホの画面を見つめた。
【本日の支出: 百二十四億円】
【残り目標額: 〇円】
【残り時間: 5:00:00】
樹は瞬いた。「……終わったのか?」
【いいえ。ホストは百二十四億円を使用しました。しかしシステムは目標を調整しました。現在の残り目標額: 五十億円。】
樹は息を吐いた。「……あと五十億か?」
【はい。京都の物件が推薦リストに追加されました。ホストはその物件を訪問することを推奨されます。】
樹はその物件情報を見た。京都·東山区の歴史的旅館。価格は五十億円。
「……京都か。」
彼の言葉を聞いた志織が眉を上げた。「……京都?」
「ああ。システムが京都の物件を推薦している。」樹は志織を見た。「……行くべきだと思う。」
志織は微笑んだ。温かく、理解に満ちた笑顔だ。「……良い旅になりそうですね、如月さん。」
樹は頷いた。「……手配するよ。」
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午後2時0分——十階·社長室。
樹はスマホを開き、京都行きの新幹線のチケットを検索した。彼はグリーン車の座席を選んだ。必要だからではなく、快適に旅を楽しみたかったからだ。
「志織さん、京都への旅行のスケジュール調整をお願いできるか?」
志織はタブレットにメモした。「……もちろんです。いつ頃ご予定ですか?」
「……明日。」
「かしこまりました。予定を空けておきます。」
樹は頷いた。「……ありがとう、志織さん。」
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午後4時0分——十階·社長室。
樹は窓のそばに立ち、夕日で色が変わり始めた皇居の景色を見つめていた。手には、明日訪れる京都の物件情報が表示されたスマホ。
「……京都。」
彼は小声で呟き、子供の頃のことを思い出した。家族と京都に行き、美しい寺院や庭園を見た日のことを。
「……久しぶりだな。」
樹は小さく微笑み、説明できない期待感を感じていた。
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午後6時0分——Zeekr 9X Mansoryの中。
樹はZeekr 9X Mansoryに座り、色が変わり始めた夕方の空を見つめていた。手には、志織からのメッセージが表示されたスマホ。
「如月さん、明日の京都への旅行の準備は全て整いました。新幹線は午前八時発です。」
樹は微笑み、返信した。
「ありがとう、志織さん。」
彼はエンジンを始動し、大型SUVは心地よい静けさと共に滑り出した。
窓の外では、街の灯りが一つまた一つと点り始めていた。
そして樹は知っていた。明日、新しい旅が始まるのだと。
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【次話 第55話——『京都への逃避行』】
翌日、樹は新幹線で京都へ向かう。ビジネスのためではなく、メディアから逃れるために。志織は仕事で同行する。彼らは京都の高級旅館に到着し、樹は久しぶりに静けさを感じ始める。
【第55話へ続く……】




