第52話 ー『一夜で有名人』
第52話 ー『一夜で有名人』
2026年5月20日(水)——午前6時30分。
東京都港区恵比寿——樹のマンション。
樹はゆっくりと目を開けた。朝の光がカーテンの隙間から差し込み、寝室の木の床の上で踊っている。彼は体を動かしてみた。昨夜の奇妙な感覚は消えていた。体は正常に戻っている。ペナルティは終わったのだ。
「……ようやくだ。」
彼は安堵の息を吐き、ベッドに起き上がって軽く伸びをした。昨夜は悪夢のようだった。システムを暴露しそうになり、ペナルティを受け、パニックに陥るような身体の変化を経験した。しかし今は全てが正常に戻っている。
「……二度とシステムのことは話さない。誰にも。」
彼は洗面所へ歩き、顔を洗い、鏡の中の自分を見つめた。顔は昨日と同じだ。変化はない。体も同じだ。全て正常だ。
「……よし。」
樹はキッチンへ向かい、コーヒーを淹れてソファに座り、静かな朝を楽しんだ。テーブルの上で、スマホが異常な数の通知で震えている。一つや二つではない。数十の通知が画面を埋め尽くしている。
彼は眉をひそめ、スマホを手に取った。
「……何だ?」
樹はロックを解除し、目を見開いた。
スマホは通知で埋め尽くされていた。昔の友人たち、元同僚、知らない番号、そしてニュースアプリからの通知。全てが十二時間足らずの間に届いている。
彼は東都リンクスの元同僚からのメッセージを開いた。
「如月さん! ニュース見ましたか?! バズってますよ!」
樹は大学時代の友人からの別のメッセージを開いた。
「樹! 元気か?! SNSで君の写真を見たよ! 大企業のオーナーなのか?!」
次々と届くメッセージ。全て同じことについてだった。
樹はニュースアプリを開き、トップ画面に大きな見出しの記事が表示された。
「謎の若手資産家・如月樹——21歳、元サラリーマンが短期間で築いた驚異の資産」
樹は無表情でその画面を見つめた。
「……何だ?」
彼はスクロールダウンした。記事は長く、詳細だった。あまりにも詳細だ。樹の写真が各所に掲載されている。ブガッティ・ミストラル・ヴィンチェロの前の樹。Zeekr 9X Mansoryの前の樹。丸の内のビルの前の樹。冴とレストランにいる樹。澪と六本木ヒルズにいる樹。
全てがそこにあった。
「……誰が撮ったんだ?」
樹はさらにスクロールし、情報源の名前を見た。数百万のフォロワーを持つ大手SNSアカウントだ。そのアカウントは樹の写真をこういうキャプションと共に投稿していた。
「この謎の若者は誰だ? 五十億円のブガッティ・ミストラル・ヴィンチェロ、二十億円のZeekr 9X Mansory、丸の内の十階建てビル、横浜のホテル、そして東京中の物件。如月樹、二十一歳、解雇された元サラリーマン。どうして一ヶ月足らずでこれら全てを手に入れたのか?」
樹はそれを何度も読んだ。
「……これは大変だ。」
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午前7時0分——マンションの室内。
樹がまだソファに座り、起きたばかりの全てを消化しようとしていると、スマホが鳴った。莉々香からの着信だ。
樹は少し震える手で電話に出た。
「莉々香?」
「樹! ニュース見た?!」電話の向こうの莉々香の声はパニックしている。あの明るい彼女には珍しいことだ。「バズってるよ! みんなが君のことを話してる! 日本のメディアが君の正体を調べ始めてる!」
樹は長い息を吐いた。「……もう見た。」
「どうやって写真が漏れたのか分からない! 私——」莉々香は言葉を止め、自分を落ち着けようとした。「……樹、気をつけて。メディアが君を追いかけるだろう。パパラッチもついてくるかもしれない。君——」
「莉々香。」
樹は彼女の言葉を、自分の感じているよりも冷静な声で遮った。
「……大丈夫だ。」
しかし心の中では、確信が持てなかった。
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午前7時30分——マンションの室内。
莉々香との電話を切った後、樹は再びスマホを開いた。通知は止まらずに届き続けている。知らない人からのメッセージ、メディアからのインタビューのオファー、SNSでの友達申請。
彼はそれら全てを無視し、新着の冴からのメッセージを開いた。
「如月さん、ニュースを見ました。今朝、オフィスに行きます。どこにも行かないでください。」
樹はそのメッセージを読み、返信した。
「わかった。ここにいる。」
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午前8時30分——丸の内·キサラギ・アセット・マネジメント本社ビル——十階。
樹はいつもとは違う気持ちでオフィスに到着した。ロビーでは数人の通行人が彼の方を見ていた。おそらくニュースで彼のことを知ったのだろう。樹はそれらを無視し、急ぎ足でエレベーターに乗り、十階へ上がった。
志織は既に秘書席に座っており、タブレットを手に、滅多に見せない真剣な表情を浮かべている。
「おはようございます、如月さん。ニュースを見ました。」
樹は息を吐いた。「……俺もだ。」
「PRチームに連絡を取り、この状況に対処する準備を進めています。でも……」志織は言葉を止め、優しい眼差しで樹を見た。「……これは難しくなります。」
樹は社長椅子に座り、天井を見上げた。
「……こんなの望んでいなかった。」
「分かっています。でも、もう起きてしまったことです。」
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午前9時0分——十階·社長室。
冴が速足で到着した。クリーム色のブレザー、滅多に見せない真剣な表情。
「如月さん、ニュースを見ました。メディア関係のコネに連絡を取り、情報統制を試みています。」
樹は頷いた。「……ありがとうございます、冴さん。」
「でも……」冴は言葉を止め、深い眼差しで樹を見た。「……これは簡単ではありません。こういう注目は消せません。人々はあなたのことを話し続けるでしょう。」
樹は答えなかった。ただ椅子に座り、重くなるばかりの重圧を感じていた。
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午前10時0分——十階·社長室。
予告なく、きらめくエフェクトもなく、ウィンドウが彼の前に現れた。ただシンプルなテキストが空中に浮かんだ。
【ペナルティ完了】
樹はそのウィンドウを見つめた。
「……ペナルティ?」
【前回のペナルティが副作用を引き起こしました:公的認知。ホストの知名度は現在、永続的なものとなりました。】
樹は背筋に冷たいものを感じた。
「……永続的?」
【はい。ホストはこの知名度を消すことはできません。メディアはホストについて報道し続けるでしょう。人々はホストを認識するでしょう。パパラッチはホストを追いかけるでしょう。これが秘密保持違反の結果です。】
樹は目を閉じ、ますます重くなる重圧を感じた。
「……こんなの望んでいなかった。」
【システムは分かっています。しかしシステムはそれを取り消せません。ホストは知名度と共に生きることを学ばなければなりません。】
ウィンドウが消えた。
樹は椅子に座り、虚ろな表情で天井を見つめた。
永続的な知名度。
逃れることはできない。
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午前11時0分——十階·社長室。
樹のスマホが鳴った。知らない番号だ。
樹は慎重に電話に出た。
「もしもし?」
「おはようございます、如月様。芸能プロダクションのサンライズプロダクションズと申します。コラボレーションのご提案をさせていただきたく。」
樹は眉をひそめた。「……コラボレーション?」
「ええ。テレビ番組や雑誌へのご出演をご提案しております。現在、あなたは非常に注目されており、一般の方々はあなたのことをもっと知りたいと思っています。」
樹は長い息を吐いた。
「……結構です。」
「しかし——」
「興味がありません。」
電話を切った。
樹は疲れた表情でスマホを見つめた。
「……これはまだ始まりに過ぎない。」
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午後0時0分——十階·社長室。
冴と志織が社長室に座り、樹の知名度への対応策を話し合っていた。
「いくつかのメディアに連絡を取りました。」冴が言った。「過度にプライバシーを侵す記事は書かないことで合意しました。しかし……彼らは依然としてあなたについて報道します。」
樹は頷いた。「……分かっている。」
「それと公式声明を用意しました。」志織が言った。「よろしければ、あなたが不動産とテクノロジー開発に注力する若き起業家であるという声明を発表できます。」
樹はしばらく考えた。「……やろう。」
志織はタブレットにメモした。「……承知しました。」
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午後1時0分——十階·社長室。
莉々香が速足で到着した。白いカジュアルワンピース、頭の上に大きなサングラス、そして顔にはパニックの表情。
「樹! 急いで来たよ!」
樹は彼女を見て小さく微笑んだ。「……来なくても良かったのに。」
「来なきゃ!」莉々香は彼の前の椅子に座った。「メディアに追われる気持ちがよく分かるんだ。手伝うよ!」
樹は胸に温かいものを感じた。
「……ありがとう、莉々香。」
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午後2時0分——十階·社長室。
澪が力強い足取りで到着した。黒いブレザー、真剣な表情。
「ニュースを見ました。問題ですね。」
樹は頷いた。「……ああ。」
「法務チームに連絡し、プライバシー侵害がないか確認しています。しかし……」澪は言葉を止め、鋭い目で樹を見た。「……覚悟してください。この注目は消えません。」
樹は答えなかった。しかし心の中で、澪の言う通りだと分かっていた。
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午後4時0分——十階·社長室。
彩芽がタブレットを手に、プロフェッショナルで断固とした表情で到着した。
「如月さん、プライバシー保護のための書類を準備しました。しかし……」彩芽は言葉を止め、優しい眼差しで樹を見た。「……これは難しいでしょう。」
樹は頷いた。「……分かっている。」
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午後6時0分——ブガッティ・ミストラル・ヴィンチェロの中。
樹はブガッティ・ミストラル・ヴィンチェロに座り、色が変わり始めた夕方の空を見つめていた。手には、志織からのメッセージが表示されたスマホ。
「如月さん、準備は整いました。明日の朝、公式声明を発表します。」
樹は小さく微笑み、返信した。
「ありがとう、志織さん。」
彼はエンジンを始動した。濃いグリーンのスーパーカーがW16の轟音と共に滑り出した。
窓の外では、街の灯りが一つまた一つと点り始めていた。
そして樹は気づいた。自分の人生はもう二度と元には戻らないのだと。
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【次話 第53話——『芸能界からの電話』】
翌日、樹は複数の芸能プロダクションから電話を受ける。莉々香が助けに来る。彼女は樹の顔が既に広く知られていることを説明する。テレビ、雑誌、広告、配信のオファーがある。樹は全てを断る。しかしシステムは警告する。人気は取り消せない。樹は、自分が追い求めていた自由が消え始めていることに気づく。
【第53話へ続く……】




