第47話 ー『会社を育てる』
第47話 ー『会社を育てる』
2026年5月16日(土)——午前8時0分。
丸の内·キサラギ・アセット・マネジメント本社ビル——十階。
丸の内の土曜日の朝は、平日とは違う空気が流れていた。通りは閑散とし、店は閉まり、オフィスワーカーの姿もまばらだ。しかしキサラギ・アセット・マネジメントのビルの中は、むしろいつもより活気があった。
樹は予定より早く到着した。昨夜はよく眠れなかった。澪からのジョイントベンチャー提案書が今日届くということで、頭の中がそれでいっぱいだった。彼は社長椅子に座り、手にブラックコーヒーのカップを持ち、朝日で染まり始めた東京の景色を眺めていた。
扉が開いた。志織がタブレットを手に、温かいプロフェッショナルな微笑みを浮かべて入ってくる。
「おはようございます、如月さん。桜庭澪様からの提案書が届きました。」
樹はコーヒーカップを置いた。「……見せてくれ。」
志織は彼の前の椅子に座り、タブレットを開いて、上部に桜庭デジタルソリューションズのロゴが入った長い書類を表示した。樹はそのタイトルを読んだ。
「ジョイントベンチャー提案書:キサラギ・アセット・マネジメント × 桜庭デジタルソリューションズ株式会社」
「……分厚いな。」
志織は微笑んだ。「……本格的なビジネス提案書です、如月さん。四十七ページです。」
樹は息を吐いた。「……こんな長い書類を読んだことがない。」
「私は全て読みました。」志織は優しい眼差しで樹を見た。「……要約できますよ。」
樹は安堵して頷いた。「……頼む。」
志織は既に用意していた要約を開いた。
「要点はこうです。桜庭澪は、キサラギ・アセット・マネジメントと桜庭デジタルソリューションズの間で合弁会社——JV——の設立を提案しています。主な焦点は、ホスピタリティ産業と不動産向けテクノロジープラットフォームの開発です。桜庭デジタルが技術と開発チームを提供し、キサラギ・アセット・マネジメントが資金、物件、ビジネスネットワークへのアクセスを提供します。」
樹は注意深く聞いていた。
「……何が得られるんだ?」
「利益は五十対五十で分配されます。そして、全ての物件——ホテル、旅館、オフィスビル——に最新技術を導入できます。」
樹はしばらく考えた。「……良さそうだ。」
志織は微笑んだ。「……私もそう思います。」
---
午前9時0分——十階·大会議室。
樹は澪との直接協議のため会議を開くことにした。志織は濃い色の木製のテーブル、人間工学に基づいた椅子、プレゼンテーション用のプロジェクターを備えた大会議室を準備していた。
澪は時間通りに到着した。黒いブレザーに濃い色のペンシルスカート、真剣な表情。樹を見るとそれがわずかに和らいだ。手には、準備してきたプレゼンテーションが入ったノートパソコン。
「おはようございます、如月さん。お時間をいただきありがとうございます。」
樹は立ち上がり、会釈で迎えた。「……もちろん。始めよう。」
澪はノートパソコンをプロジェクターに接続し、壁のスクリーンに最初のスライドが映し出された。両社のロゴが並んだ提案書のタイトルだ。
「詳細に入る前に」澪が言った。「このプロジェクトの背景にあるビジョンを説明したいと思います。」
樹は頷き、椅子に座った。
「私のビジョンはシンプルです。あなたの全ての物件——ホテル、旅館、オフィスビル——を一つの統合プラットフォームで繋ぐテクノロジーエコシステムを創り出すことです。ゲストは一つのアプリで部屋を予約し、スケジュールを管理し、食事を注文し、施設を利用できます。」
樹は頷いた。「……実用的だね。」
「それだけではありません。このプラットフォームはゲストの嗜好データを収集し、よりパーソナライズされた体験を提供できるようにします。例えば、あるゲストがよく海の見える部屋を予約するなら、システムは他の物件でも同様の部屋を推奨します。」
樹は小さく微笑んだ。「……全て考えてあるんだな。」
澪は微笑んだ。滅多に見せない笑顔だ。「……何ヶ月も考えてきました。でも、実現するための資金がなかった。あなたに出会うまでは。」
---
午前10時30分——会議室の中。
澪は印象的な詳細でプレゼンテーションを続けた。会社の構造、資金配分、開発スケジュール、そしてマーケティング戦略。樹は注意深く聞き、時々頷いた。
「……質問がある。」樹が言った。「……経営はどうするんだ?誰がこのプロジェクトを主導するんだ?」
澪は真剣な目で樹を見た。「……私がJVのCEOになります。でも、あなたには会長になってもらいたい。戦略的な監督者として。」
樹は眉をひそめた。「……テクノロジーについては何も知らない。」
「でも、不動産については知っている。快適さについては知っている。人々が何を望んでいるかについては知っている。」澪は微笑んだ。「……それはテクノロジーよりも重要です。」
樹は答えなかった。しかし心の中で、自分が評価されていると感じた。
---
午前11時0分——十階·大会議室。
会議はJVの組織構造についての議論に移った。澪は強固な経営チームの必要性を説明した。CEO、CTO、CFO、そして人事責任者。
「プロフェッショナルを採用します。」澪が言った。「ただ仕事が欲しいだけの人ではなく、本当に有能な人々を。」
樹は頷いた。「……賛成だ。」
「一つ注意すべき点があります。」澪は鋭い目で樹を見た。「契約書を作成し、全ての法的側面が適切に機能するよう、弁護士が必要です。」
樹は微笑んだ。「……もうその人はいる。」
---
午後0時0分——十階·大会議室。
会議室の扉が開き、彩芽が力強い足取りで入ってきた。グレーのブレザーにペンシルスカート、そして何に対しても準備万端の鋭い表情。
「如月さん。お呼びでしょうか?」
樹は澪の隣の椅子を指した。「……彩芽さん、こちらは桜庭澪さんです。ジョイントベンチャーの話をしています。あなたにも参加してほしい。」
彩芽は座り、タブレットを開き、プロフェッショナルな目で澪を見た。
「……桜庭様、初期提案書を拝見しました。いくつか注意すべき点があります。」
澪は眉を上げた。「……どうぞ。」
彩芽はタブレットの書類を開いた。「まず、所有権構造です。五十対五十を提案されていますが、紛争発生時にキサラギ・アセット・マネジメントを保護する条項がありません。デッドロック解決条項を追加することをお勧めします。両社が合意できない場合、第三者が調停役となるものです。」
澪はゆっくりと頷いた。「……合理的ですね。」
「次に、資金配分です。初期投資として三十億円を提案されていますが、資金の用途に関する詳細が明確ではありません。より詳細な予算を見たいと思います。」
澪は微笑んだ。心からの、敬意に満ちた笑顔だ。「……あなたはとても几帳面ですね、神崎さん。」
彩芽は小さく微笑んだ。「……それが私の仕事です。」
---
午後1時0分——会議室の中。
議論は一時間続いた。彩芽は鋭い質問を投げかけ、契約書の細部を注意深く確認した。澪は辛抱強くプロフェッショナルに答えた。
最終的に、彩芽はタブレットを閉じた。
「……大きな問題は見当たりません。ただ、契約書に署名する前にいくつかの条項を修正したいと思います。」
澪は頷いた。「……もちろんです。来週、修正案をお送りします。」
彩芽は樹の方を向いた。「……如月さん、よろしいですか?」
樹は頷いた。「……ああ。君たちの判断を信じる。」
彩芽は微笑んだ。滅多に見せない笑顔だ。「……わかりました。さっそく取りかかります。」
---
午後2時0分——会議室の外。
樹、澪、彩芽、志織は会議室の外に立ち、静かな満足感を共有していた。
「……これは何か大きなものの始まりですね。」澪が言った。
樹は頷いた。「……ああ。でも、君たちなしではできなかった。」
志織は微笑んだ。「……一人でやる必要はありません、如月さん。」
彩芽は頷いた。「……私たちは助けるためにここにいます。」
澪は優しい眼差しで樹を見た。「……一緒に何かを築くためにここにいます。」
---
午後4時0分——十階へ戻る。
樹と志織は十階に戻った。樹は社長椅子に座り、システムの残高を表示するスマホの画面を見つめた。
【残り目標額: 四十七億円】
【残り時間: 0:00:00】
「……もうすぐ終わる。」
志織が隣に立っている。「……最終購入リストをまとめました。」
樹はそのリストを見た。ホテル用の高級厨房機器、追加のセキュリティシステム、そして物流企業への小口投資。
「……全部買おう。」
志織は微笑んだ。「……既に手配しています。」
---
午後6時0分——ブガッティ・ミストラル・ヴィンチェロの中。
樹はブガッティ・ミストラル・ヴィンチェロに座り、色が変わり始めた夕方の空を見つめていた。手には、澪からのメッセージが表示されたスマホ。
「今日はありがとうございました、如月さん。一緒に仕事ができて嬉しいです。」
樹は微笑み、返信した。
「俺もだ、澪さん。」
彼はエンジンを始動し、濃いグリーンのスーパーカーがW16の轟音と共に滑り出した。
窓の外では、街の灯りが一つまた一つと点り始めていた。
---
【次話 第48話——『初めての採用会議』】
樹は初めて採用面接に参加する。彼は面接が苦手だ。正直すぎて、自分の無知について嘘をつくことができない。志織が代わりを務め、樹は会社を運営するために本当に有能な人材が必要だと気づく。新たな原則:「彼らにノーと言える人材が欲しい。」
【第48話へ続く……】




