第36話 ー『九時』
第36話 ー『九時』
2026年5月8日(金)——午前8時45分。
丸の内·キサラギ・アセット・マネジメント本社ビル——十階。
樹は社長椅子に座り、自分で淹れたコーヒーを味わっていた。志織はいつも通り早く到着しており、タブレットでスケジュールを整理している。大きなガラス窓からの朝の眺めは昨日と同じだ。遠くに皇居、反対側に東京駅、そしてその上には晴れ渡った青い空。
「……今日もいい日になりそうだ。」樹はコーヒーを一口すする。
外では鳥たちが丸の内の街路樹でさえずっている。中は心地よい静けさだ。システムは現れない。クエストも邪魔しない。ただ静かな朝だけがある。
「……ずっとこんな風に暮らせたらいいのに。」
その瞬間——
九時ちょうど。
ウィンドウが彼の前に現れた。
普通のウィンドウではない。
大きな文字、きらめくエフェクト、そして音——
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【 WEALTH EVENT 09 —— アクティブ 】
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樹は表情を変えずにコーヒーをすすった。
「……もっと派手にできるだろ。」
【皮肉を検出。無視します。】
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【ターゲット: 三百億円】
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【制限時間: 48:00:00】
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樹はその数字を見た。
「……三百億か。」
【はい。三百億です。】
樹は無表情でウィンドウを見つめた。
「……繰り返さなくていい。」
【事実が三百億だから繰り返しています。】
【ホストは四十八時間で三百億円を使うという現実を受け入れる必要があります。】
【これは悲劇ではありません。コメディです。】
樹は瞬いた。
「……何?」
【ホストは一人じゃない。今やホストにはアシスタント、弁護士、そしてホストに興味を持ち始めたスタートアップCEOがいます。これはコメディです。ドラマじゃない。】
樹は長い息を吐いた。
「……意味が分からない。」
【ホストは理解する必要もありません。ただお金を使えばいいんです。】
ウィンドウが変わった。
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【ルール —— ウェルスイベント09】
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【ルール: 】
① 生産資産の購入に制限はありません。
② ホストは企業の購入が許可されています。
③ ホストは不動産の購入が許可されています。
④ ホストは土地の購入が許可されています。
⑤ ホストは車両の購入が許可されています。
⑥ ホストはビジネスネットワークの拡大が許可されています。
⑦ ホストは高級品の購入が許可されています。
⑧ ホストは施設の購入が許可されています。
⑨ ホストはテクノロジーの購入が許可されています。
⑩ ホストはホストが欲しいものなら何でも買えます。
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樹は全てのルールを読んだ。
「……つまり、今は何でも買っていいのか?」
【はい。何でも。】
【競合他社も買えます。】
【向かいのビルも買えます。】
【小さな島も買えます。】
【ただし、システムの説明は禁止です。】
【それが唯一の禁止事項です。】
【そしてそれはホストが既に知っているペナルティです。】
樹は無表情でウィンドウを見つめた。
「……本当に、俺を静かに暮らさせてはくれないんだな。」
【ホストは三百億を使い終われば静かに暮らせます。】
【でもホストは本質的に心配性だから、本当の意味で静かに暮らすことは決してないでしょう。】
樹は瞬いた。
「……心配性じゃない。」
【ホストは全てを心配します。過去も。現在も。未来も。そして昼食に何を食べるかも。】
【これはコメディです。ホストは笑うべきです。】
樹は沈黙した。
そして彼は笑った。心からの、小さな笑い声だった。
「……本当に変なやつだな。」
【ホストも変です。】
【さあ、仕事を始めてください。】
【ホストには四十八時間あります。】
【志織さんがドアの前で待っています。】
樹が振り返ると、志織が戸口に立っていた。タブレットを手に、プロフェッショナルな表情。口元にわずかな微笑みを浮かべて。
「……準備はよろしいですか、如月さん?」
樹は志織を見て、まだきらめくウィンドウを見て、再び志織を見た。
「……どうやら選択肢はなさそうだ。」
志織は微笑んだ。
「……そうですね。」
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午前9時15分——十階·小会議室。
志織は全てを準備していた。資産リスト、潜在的なターゲットリスト、そしてこれからの二日間の詰まったスケジュール。
「如月さん、三百億円の使用について初期計画をまとめました。」
樹はそのリストを見た。不動産。企業。車両。施設。テクノロジー。ホテル。全てがきちんと整理されている。
「……これを十五分でやったのか?」
志織は微笑んだ。「……昨日から準備していました。」
樹は心からの感謝の気持ちで志織を見つめた。
「……君がいなければどうなっていたか分からない。」
「おそらくパニックになって不要なものを買っていたでしょうね。」
樹は笑った。
「……たぶんね。」
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午前10時0分——丸の内ビル街。
樹と志織は丸の内を歩き、潜在的な物件を視察した。志織が通りの向かいのビルを指さした。
「あのビルが先日空きました。八階建て。戦略的な立地。価格は約五十億円です。」
樹はそのビルを見た。「……必要か?」
「拡張のためです。そして長期資産として。」
「……買おう。」
志織はタブレットに記録した。「……既に手配しました。」
樹は瞬いた。「……何?」
「あなたが『必要か』と言った時点で不動産会社に連絡しました。」
樹は感嘆と信じられなさが入り混じった表情で志織を見つめた。
「……本当に早いな。」
「私はあなたのパーソナルアシスタントです。それが仕事です。」
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午前11時0分——丸の内の車両ショールーム。
樹には会社の業務用車両が必要だった。志織は推奨車両のリストをまとめていた。
· トヨタ・センチュリー(公式訪問用):二千五百万円
· レクサスLM(業務用):千八百五十万円
· ロールス・ロイス・スペクター(個人用):六千万円(既に所有)
· メルセデス・マイバッハSクラス(来客用):三千五百万円
· トヨタ・ハイエース(物流用):一千万円
樹はそのリストを見た。
「……車には詳しくない。」
志織は微笑んだ。「……私が選びました。」
「……全部買おう。」
志織はタブレットに記録した。「……既に手配しました。」
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午後0時0分——丸の内のレストラン。
樹と志織は駅近くの小さなレストランで昼食をとった。樹はシンプルなカレーライスを楽しみ、志織はサラダを注文した。
「志織さん。」
「はい?」
「俺はこれをやれると思うか?」
志織は優しい眼差しで樹を見た。
「……もうやっていますよ。」
樹は眉を上げた。「……どういう意味だ?」
「あなたには会社があります。資産があります。あなたを助ける人々がいます。もう始まっているんです。」志織は微笑んだ。「……あとは歩き続けるだけです。」
樹は答えなかった。しかし心の中で、より静けさを感じていた。
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午後1時0分——丸の内のビルへ戻る。
樹と志織はオフィスに戻った。十階で、樹は社長椅子に座り、システムの残高を表示するスマホの画面を見つめた。
【残り目標額: 二百四十八億円】
【残り時間: 44:32:00】
まだやるべきことがたくさんある。
しかし初めて、樹は一人じゃないと感じた。
志織がいる。
冴がいる。
莉々香がいる。
澪がいる。
彩芽がいる。
そして——奇妙ではあるが——常に彼のそばにいるシステムがいる。
樹は微笑んだ。
「……面白い旅になりそうだ。」
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【次話 第37話——『五十億円のオフィス』】
樹は新しいオフィスの建設を始める。冴と志織の助けを借りて、彼は富を示すためではなく、快適に働くためのシンプルで機能的なデザインを選ぶ。冴は樹が他の起業家とは本当に違うと理解し始める。そして樹は、自分を信じてくれるチームという貴重なものを手にし始めていると感じる。
【第37話へ続く……】




