第73話 お兄ちゃん、私、決めた!
聖樹連邦ルミナリスでの死闘から十日ほどが過ぎた。王都にあるノルディアス家の屋敷は、かつてないほどの活気に満ち溢れていた。
「父様、東区の工房から上がってきた魔吸石の第一ロット、検品が終わりました! すぐに連邦向けの防護魔導箱にパッキングを!」
「おお、分かった! クレアくん、輸送用の馬車の手配はどうなっている? アルヴェニア王国の国境警備隊には話を通したんだが・・・・・・」
「リサに最適ルートを計算させて、すでにスプレンディアス侯爵家の護衛騎士団と連携済みです。明日の朝一で出発させます!」
リビングでは、父様とクレアが図面や契約書の束を片手に、凄まじい速度で指示を飛ばし合っていた。
聖樹連邦と結んだ「魔吸石・国際循環ロジスティクス」の契約は、ノルディアス商会を一気に環境インフラを担う超重要企業へと押し上げた。
空っぽの魔吸石を大量生産し、連邦へ輸送。連邦で魔毒を吸いきった石を回収し、王都へ持ち帰って僕が処理する。このサイクルを回すための初期投資と実務で、屋敷は嬉しい悲鳴を上げているのだ。
「はい、ミト。お茶が入ったわよ。……少しは休んだら?」
エマが、湯気を立てるティーカップを僕の前のテーブルにコトンと置いた。
「ありがとう、エマ。でも大丈夫だよ。王都分の魔吸石の処理はもう終わったからね」
僕は、先ほどまで真っ黒に濁っていた王都中の魔吸石を、すべて透明な結晶へと戻し終えたところだった。
「あんたが平気でも、私が心配なの。ルミナリスで、あんな無茶をしたんだから」
エマは僕の隣に座ると、そっと僕の肩に自分の肩を寄せてきた。彼女から伝わってくる白銀のマナは、相変わらず温かく、僕の心を凪のように静めてくれる。
「・・・・・・ふふ。エマちゃんは本当にミトのことが大好きねえ」
書類仕事の合間に、母様がニコニコと僕たちを見守っていた。エマは「べ、別にそういうのじゃ・・・・・・!」と顔を赤くしてそっぽを向いたけれど、僕の腕に絡ませた手は離そうとしなかった。
そんな和やかな空気の中、パタパタと軽快な足音を立ててリビングに飛び込んでくる小さな影があった。
僕の妹、ユナだ。
「お兄ちゃん! エマお姉ちゃん!」
ユナは僕たちの間に割り込むようにして座ると、目をキラキラと輝かせて僕を見上げた。
「どうしたの、ユナ。そんなに慌てて」
「あのね、私、決めたの! 私も来年、お兄ちゃんたちと同じ王立学院に入る!」
その突然の宣言に、図面を見ていた父様がブハッとむせ、クレアの手がピタリと止まった。
「ユナ。王立学院は、貴族の跡取りや、特別な魔導の才能がある子が行くところだぞ? お前はまだ魔力の制御も・・・・・・」
父様が心配そうに言うのも無理はない。ノルディアス家の名前は一応名誉回復しているとはいえ、つい最近まで底辺も底辺の扱いだった。僕が特例で入れたのも、エマの後ろ盾があったからだ。
しかし、ユナの表情は真剣そのものだった。
「才能なら、これから作るもん! だって私、この前の学院祭で見たんだよ。お兄ちゃんが、大きくて怖い炎を全部飲み込んじゃったところ。エマお姉ちゃんが、カッコよく剣を振って、みんなを守ってたところ!」
ユナは立ち上がり、エマの真似をするように見えない剣を振るってみせた。
「みんな、お兄ちゃんたちのこと『ノルディアスだ、助かった!』って言ってた。・・・・・・私、ずっとノルディアス家が『ゴミ箱』て呼ばれて、恥ずかしいって思ってた時もあったけど・・・・・・でも今では、お兄ちゃんたちは、王都のヒーローだったんだもん!」
その言葉に、リビングはふっと温かな沈黙に包まれた。
父様は目頭を押さえ、母様は優しく微笑んでいる。かつてあれだけ蔑まれた家名が、今、一番身近な家族の誇りとなっている。それが何より嬉しかった。
エマが、ユナの頭を優しく撫でた。
「・・・・・・ユナちゃん。王立学院は厳しいところよ? 毎日剣の素振り千回、魔導理論の暗記、それに変な先生や先輩たちもいっぱいいるわ」
「平気よ! 私、エマお姉ちゃんみたいに強くなって、お兄ちゃんを守れるようになるの!」
「そう。・・・・・・ふふ、いい覚悟ね。じゃあ、明日から私が直々に剣の稽古をつけてあげる。覚悟しなさいよ?」
「ちょっとエマ。別に剣術だけが、王立学院への道じゃないからね? ユナなら、魔法や会計の道も考えられるわよ・・・・・・ここはひとつ、私がユナの適性を考えておこうかしら」
クレアが口を挟む。
「やったー!」
ユナが無邪気に喜ぶ姿を見て、僕は思わず吹き出してしまった。剣術にせよ学問にせよ、ユナの目には絶対にやり遂げるという決意が宿っていた。
「クレア・・・・・・よろしく頼めるかな?」
僕が声をかけると、クレアは不敵な笑みを浮かべた。
「当然よ。・・・・・・リサとシエラにも協力を仰いで、ユナ専用の『英才教育プログラム』でも構築しようかしら」
「ははは・・・・・・でもシエラの指導が入ったら、大変なことになるような・・・・・・」
正直、魔導薬学科だけには、入って欲しくないかな、兄として。
窓の外では、王都の夜空に星が瞬き始めている。
遠くルミナリスへ向けて出荷される魔吸石を積んだ馬車が、屋敷の門を出発していく音が聞こえた。あの石が戻ってくる頃には、また少し忙しくなるだろう。
でも、今は。
「・・・・・・お兄ちゃん、どうしたの? ニコニコして」
「ううん。なんでもないよ。・・・・・・ただ、この時間がずっと続けばいいなって思っただけ」
僕は、ユナの頭を撫でながら、エマとクレアと視線を交わした。
僕が引き受ける魔毒。世界からそれらを吸い取るたびに、僕の周りにはこんなにも美しくて、穏やかな時間が降り積もっていく。
ノルディアス家の夜は、笑い声と温かな紅茶の香りに包まれながら、ゆっくりと更けていった。




