第72話 平和じゃないと、商売もできないわよね
霊峰の頂で聖女エリゼを救い、聖樹連邦ルミナリスに真の青空が戻ってから数時間後。
僕たちは、カシム大使が手配してくれた連邦迎賓館のふかふかなソファで、ようやく一息ついていた。隣には、すっかり毒の呪縛から解放され、本来の透き通るような銀髪を取り戻した元・裏切りの聖女、エリザが少し居心地悪そうに座っている。
「信じられない。私の体が、こんなに軽いなんて。呼吸をするのが苦しくないの」
エリザが自分の掌を見つめながら、ポツリとこぼした。
その言葉に、カシム大使も深く頷き、僕に向かって改めて深々と頭を下げた。
「ミト殿、そしてアルヴェニアの勇者たちよ。貴方たちが成し遂げた奇跡に、我が国は永遠の恩義を感じております・・・・・・しかし、誠に恐縮ながら、まだ問題がすべて解決したわけではありません」
カシム大使の表情が、わずかに曇る。
「此度のミト殿のたぐいまれなる浄化により、我が国の魔毒は一旦完全にリセットされました。しかし、魔毒は日々少しずつ国内に発生し続けます。エリザ以外の聖女たちが処理すると、限界が来ることは先日も見た通りです・・・・・・ミト殿がずっとこの国に留まってくださるわけにもいきません。遠からず、魔毒の処理を誰かに押しつけないといけなくなります・・・・・・」
大使の言葉に、エリザの肩がビクッと跳ねた。そんな彼女の肩を、エマが優しく抱く。
「ああ、そのことなら心配いりませんよ、カシム大使」
僕はエリザを安心させるように微笑み、さきほど霊峰の頂でエリザにしたのと同じ説明をする。
「・・・・・・というわけで、エリザさんの分の魔毒は、僕がずっと引き受けますよ」
「しかし、かといってミト殿にそうしょっちゅう、この聖樹連邦に来て頂くわけにはいかないでしょう?」
「ええ。そのことは考えています。僕だって、アルヴェニア王国で、毎日直接魔毒を吸い込んでいるわけじゃないんですよ。魔吸石という特殊な鉱石に、一旦魔毒を溜めて置いて、そこから僕が定期的に回収する、という方法をとっているんです」
「なんと・・・・・・そんな方法があるんですか」
カシム大使は、驚きと期待で顔を輝かせる。
「はい。その方法だと、石はまた空っぽになって再利用できるんですよ」
「なるほど・・・・・・! その魔吸石に、この連邦で魔毒を吸い取らせて、それを王国のミト殿のところまで運べば・・・・・・」
「そうです。魔毒処理サイクルの完成というわけです」
カシム大使がポンと手を打つ。
「――素晴らしいですわね。ミト様。その件、我がノルディアス商会がお引き受けいたしましょう」
そのとき、部屋の隅で静かに紅茶を飲んでいたクレアが、優雅な足取りでテーブルの中央へと進み出た。いつもとは打って変わって馬鹿丁寧な口調の彼女の瞳は、獲物を完全に捕捉した猛禽類のように輝いている。
「ミト様の仰る通り、魔吸石の運用こそが最も安全かつ効率的です。・・・・・・カシム大使。その連邦への魔吸石の設置、および魔毒が一定量溜まった時点での、アルヴェニア王国への輸送。それらすべてを、我が商会にお任せください」
クレアは空中に魔導ペンを走らせ、鮮やかな光の数式と契約のモデル図を描き出し、説明を開始する。
「輸送網の構築と魔吸石の初期投資は我が商会が負担します。連邦は、月々の魔毒処理委託費を我が商会にお支払いいただくだけ。いかがですか? 一人の少女に重い負担を背負わせ、あげく国家存亡の危機を引き起こすより、遥かに健全かつ安上がりな方法だと思いますけれど」
クレアの完璧なプレゼンテーションに、大使は目を見開き、そして震える手でクレアの手を取った。
「す、素晴らしい・・・・・・! 是非ともその業務をノルディアス商会に委託させてくだされ!」
「クレア! いいわね、その輸送ルート! ついでに、連邦内に成育する貴重な薬草も、密輸できないかしら?」
奥の部屋で巨竜の素材を解体(という名の蹂躙)していたシエラが、血まみれの白衣のまま、そう言う。
「シエラ様。さすがに、国公認で密輸はできませぬぞ・・・・・・」
大使が苦笑する。
「しかし、きちんと正規の手続きを踏んでご購入していただければ、もちろん歓迎です」
「素晴らしいわ! ミト君、パパ上にお願いして、聖樹連邦内の薬草事業者との取引ルートの構築をお願いね!」
シエラは、期待と狂喜に満ちた声で、そう告げる。確かに、魔吸石の運搬と同時に、他の商品の取引は良いかもしれない。
「となると早速、輸送ルートの最適化の計算をしないと・・・・・・ふふ、国境を越えた大規模な魔力循環モデルの構築・・・・・・腕が鳴るわね」
リサもまた、ホログラムの計算窓を凄まじいスピードで叩きながら、不敵な笑みを浮かべている。
「・・・・・・たくっ。うちのメンバーたちは、本当に逞しいわね」
僕の隣で、エマが呆れたようにため息をついた。しかし、その顔はどこか誇らしげだ。
「でも、これで安心ね。ミトが無理してここへ通う必要もないし、エリザも自分の人生を送れる。クレアの言う通り、商売で世界が平和になるなら、それに越したことはないわ」
「うん・・・・・・でもやっぱり、エマと一緒にこれからも仕事ができるのが、僕にとっては一番嬉しいよ」
僕がエマの手をそっと握ると、彼女は少しだけ頬を赤くして、僕の肩に頭を預けてきた。
エリザが、呆然としたまま僕たちを見回していた。
「ありがとう。ミト、エマ、それにみんな・・・・・・私、これからは普通の人間として、この国で生きていくわ。まだ何をしたいのか分からないけれど。そうだ、あなたたちの商会の手伝いでもしましょうか?」
「本当!? なら、魔吸石の連邦の管理責任者として、破格の待遇で雇用するわよ!」
クレアがすぐに食いつき、エリザが穏やかに笑う。
こうして、巨竜被害に端を発した聖樹連邦の魔毒問題は、ノルディアス商会の新規事業という形で意外な決着を見たのだった。




