第68話 瘴気の巨竜、登場
アルヴェニア王国の国境を越え、馬車で走ること丸一日。
かつて「緑の宝石」と謳われた聖樹連邦ルミナリスの風景は、灰色のものへと変貌していた。
「・・・・・・これが、ルミナリスなの? 街路樹も、草原も・・・・・・全部、色が抜けたみたいに真っ白じゃない」
エマが馬車の窓から外を眺め、悲しげに呟いた。
視界に入るすべてが、細かい灰のような粉塵に覆われている。それは単なる火山の灰ではない。巨竜の放つ強力な毒によって結晶化し、崩壊した成れの果てだ。
「想定以上の侵食スピードね。土壌のマナ伝導率も著しく低下しているみたい。農作物どころか、雑草一本生えないくらいよ」
リサは空中に展開した無数のホログラム・ウィンドウを指先で弾きながら、冷徹に現状を分析する。彼女の周囲には、すでにルミナリス全土のマナ濃度分布図が完成しつつあった。
一方のシエラはというと――
「面白いわね。この毒の性質・・・・・・ねえミト君、あとでこの灰、バケツ三杯分くらい吸ってみてくれない? 透過データのサンプルが欲しいの」
怪しい色の液体が煮え立つフラスコを振りながら、シエラが不穏な笑顔を僕に向ける。
「シエラ、さすがに死灰を直接吸わせるのは・・・・・・」
「あら、ミト君なら大丈夫よ。彼の器はダイヤモンドより硬いんだから。ね? エマちゃん、自慢のパートナーを貸してちょうだいな」
「貸しません! 毒を吸うのは作戦の時だけです!」
エマが僕を背後に隠し、シエラを威嚇する。 馬車はついに、巨竜が目撃されている最前線――霊峰の入り口に到着した。
そこは、ただ灰色の丘が波打ち、空には紫黒色の雷雲が立ち込める異界だった。
「ここからは徒歩よ。馬車じゃ足を取られて動けなくなるわ」
エマが銀の剣を抜き、先頭に立つ。僕も彼女の隣に並び、全身に黄金のマナを薄く展開した。一歩、灰の世界に足を踏み入れる。
「・・・・・・ミト、無理しすぎないでね」
「大丈夫。・・・・・・むしろ、エマの方こそ気をつけてね」
僕は地面に掌を当てた。
僕が地表に触れた瞬間、黄金のマナが広がり、周囲数メートルの灰がサァーッと色を取り戻していく。
「お見事ね」
クレアの賞賛を受けながら、僕たちは死の静寂が支配する山を奥へと進んだ。
進むにつれ、空気が重くなっていく。それは気圧の変化のせいではない。あまりにも巨大な魔力が、この空間そのものを圧迫しているのだ。
「・・・・・・来るわよ。リサ、計測値はどう!?」
エマが叫ぶ。リサは空中のウィンドウを凝視し、珍しく顔を強張らせた。
「マナの波形が垂直に立ち上がっている!!・・・・・・これは、間もなく来るわね」
リサが指差した先。
巨大な影が姿を現した。
見上げるほどの巨体。全身を覆う鱗は、邪悪な宝石のようにドス黒い輝きを放ち、その背中からは、これまた巨大な翼が空に向かって伸びている。
瘴気の巨竜。
「グルゥゥゥゥ・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!」
ドラゴンが咆哮をあげる。
「ひゃはは! 最高だわ! あの竜の喉元に溜まってるのは、高純度の赤魔毒ね! ミト君、あれを飲み干せたら、君は本物の太陽になれるわよ!」
シエラが興奮のあまり、笑いながら、よく分からないことを言う。
「・・・・・・ミト、行きましょう。あの竜の首に、私たちの絆を刻み込んでやるわ!」
「ああ。掃除の時間だ、エマ!」
僕の黄金の輝きと、エマの白銀の閃光が、灰色の世界を切り裂いた。
瘴気の巨竜が、その巨大な顎を開いた。
『――極光の魔毒炎』
どこかから、声が聞こえたような気がした。
「来るわ! 全員、私の後ろへ!!」
エマが叫び、白銀の闘気を爆発させて障壁を張る。
直後、世界が真っ白に染まった。
放出された炎は、まるで空間そのものをドロドロに溶かすような、超高温だったことが分かる。
エマが白銀のシールドを展開している隙に、僕は一歩前へ出た。
「――全部、飲み干してあげるね」
僕は体内の全回路を強制開放した。
――【熱力学的魔毒吸収:超飽和処理】――
ゴーッ! と、大気が鳴動した。
巨竜が吐き出した灼熱の奔流は、僕の掌に触れた瞬間、巨大な渦を巻いて僕の胸元へと吸い込まれていく。炎は僕を僕らに触れることすら許されず、あっけなく姿を消す。
「嘘でしょ・・・・・・あの規模の火力を、一瞬で・・・・・・!?」
さすがのリサも、驚愕の声を上げる。
数秒後。あたりを焼き尽くそうとしていた爆炎は完全に消え去り、全身から神々しい黄金の蒸気を立ち上らせる僕だけが立っていた。
「・・・・・・ミト、準備はいい?」
隣のエマが、剣を構え直す。彼女の瞳には、僕への全幅の信頼が宿っている。
「ああ・・・・・・吸い込んだエネルギー、全部君に預けるよ!」
僕はエマの肩に手を置いた。
先ほど巨竜から奪った膨大な熱と毒。それを僕の体内で練り上げ、エマの銀の剣へと流し込む。
「『黄金の付与――聖光断界』!」
エマが持つ白銀の剣が、太陽を切り取ったような眩い黄金色へと変色した。その刀身からは、巨竜の瘴気さえも焼き払う巨大な光が溢れ出す。
「はあああぁぁぁぁっ!!」
エマが地を蹴った。
音速を超えた彼女の突進に、巨竜は反応すらできなかった。
黄金の光を放つ一閃が、巨竜の巨大な首筋を横一文字に駆け抜ける。
一瞬の静寂。
直後、山のような巨躯から一切の瘴気が抜けて、漆黒だった鱗が白銀色へと変わっていく。
巨竜は、一言の咆哮もあげることなく、静かに、そして崩れ落ちるように灰の大地へと倒れた。
戦いが終わった。
しかし、その勝利の余韻に浸る間もなく、三人の女性たちが倒れた巨竜の死体へと猛ダッシュで駆け寄っていった。
「素晴らしい! 素晴らしいわ! 見て、この断面! 光属性による細胞の瞬時結晶化!これこそが私が求めていた『究極の物理現象』のデータよ!」
リサは、すでに数十枚のホログラム・ウィンドウを展開し、巨竜の体内魔力循環が止まる瞬間のデータを記録している。彼女の指先は、恋文を書く乙女のように速く、正確に、そして力強く動いていた。
「ちょっとリサ、邪魔よ! どいて! このドラゴンの胆嚢が腐る前に摘出しなきゃいけないんだから! 分かるわ・・・・・・ここには、最高峰の毒が残留しているのよ。。あ、この心臓も、最高の薬のベースになるわ!! ひゃはは!」
シエラは、巨大な外科用メスと謎の抽出器を取り出し、返り血さえも愛おしそうに浴びながら、ドラゴンの解体作業を嬉々として始めた。その姿は、もう完全にマッドサイエンティストのそれだ。
「・・・・・・二人とも、少し落ち着きなさい。美しさはさておき、まずは資産としての価値を確認するのが先決よ」
クレアは一人、冷静に手帳を取り出し、巨大な角や鱗の硬度、そして宝石のような眼球の状態を鑑定して、記録し始める。
「・・・・・・この部位は国宝級ね。この左の牙は・・・・・・王都のオークションに出せば、かなり高値になる・・・・・・フフ、商会の利益率の天元突破も夢ではない」
三人はデータ、素材、金というそれぞれの獲物を前に、勝利の余韻よりも収穫の喜びに没頭している。
僕とエマは、そんな欲深い仲間たちの様子を眺めながら、思わず顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。
「・・・・・・ねえミト。私たち、一応は命懸けで戦ったはずなんだけど。・・・・・・あの人たちの前では、ドラゴンもただの高級食材かデータくらいにしか見えないみたいね」
「はは・・・・・・平常運転じゃないか・・・・・・僕たちが狩って、彼女たちがそれを価値に変える。・・・・・・案外、いいバランスなんじゃないかな」
僕は、剣を鞘に納めたエマの手をそっと握った。
彼女の手はまだ少し震えていたけれど、僕の手が触れると、すぐに安心したように力が抜けた。
「・・・・・・そうね。あんなに賑やかなのも、そこまで悪くないかもね」
灰色の空から、死灰ではなく、本物の雪が降り始めた。
しかし、まだこの聖樹連邦の危機は終わっていない。
聖女エリゼ。待っててくれ。必ず、君を止めてみせるから。
僕は、心の中でそう小さく決意する。




