第62話 クレアって、いったい何者なの?
美術科の騒動を鮮やかに解決し、夜の気配が濃厚になった中庭へと戻ってきた僕とエマ。
ノルディアス商会のブースは、なおも多くの来賓で賑わっていた。けれど、その一角だけ、妙にピリついた、それでいて静謐な圧力を感じる場所があった。
「いいですか、閣下。現在の王国の税制は、淀んだ溜池のような状態です。貨幣が循環せず、一部の豪族の蔵で腐敗している。これでは、ミトがどれほど魔毒を浄化しても、経済面の新たな毒が国を滅ぼします」
涼やかだけれど、しかし氷の礫を放つような声。
見れば、クレアがカウンター越しに、一人の初老の男性を真っ向から見据えていた。その姿を見て、僕もエマも驚きに息を呑む。
その男性は、財務副大臣、ヴォルガ・バーストン卿だ。エマの父さんほどではなかったが、決して、僕を差別したりはしなかった、比較的良識ある大臣だった。
その彼が、今はまるで厳しい家庭教師に叱られているこどものように、必死にメモを取っている。
「し、しかし、クレア殿。急激な減税は騎士団の運営資金を・・・・・・」
「目先の維持費にとらわれ、市場の流動性を殺すのは愚策の極みです。計算の次元が低すぎますわ・・・・・・これをご覧なさい」
クレアは素早く羊皮紙に、複雑な魔導数式を書く。それを見て、うんうんと頷くバーストン卿。
「・・・・・・エ、エマ。あれ、財務副大臣だよね?」
「ええ・・・・・・。王国の予算を握る、文字通りの権力の塊よ。・・・・・・クレア、あんな言い方して大丈夫なの!? 不敬罪でノルディアス家が丸ごと消されるわよ!」
僕たちは慌てて二人の間に割って入った。
「ク、クレア! 失礼だよ! 副大臣閣下、申し訳ありません。うちのクレアが、その・・・・・・少し、祭りの熱気で気が立っているようで・・・・・・」
僕は必死に頭を下げた。エマも隣で、青い顔をして同じように頭を下げる。
「クレア、あなたも! 相手が誰だか分かってるの!? 国家の重鎮よ! 経済の専門家なのよ!」
エマの叱責に、クレアは感情の読めない瞳をこちらに向け、短く溜息をついた。
「エマ、ミト。私はただ、ちょっとアドバイスをしていただけよ」
「アドバイスって・・・・・・! 閣下、本当に申し訳ございません!」
僕は再び謝罪しようとした。
――だが
「・・・・・・いや。待ってくれ、ノルディアスの嫡子よ」
バーストン副大臣が、穏やかに僕を制した。その瞳には怒りではなく、深い感動と、何かに悟ったかのような色が浮かんでいた。
「謝る必要など、どこにもない・・・・・・むしろ、感謝しているのは私の方だ」
副大臣は、僕たちの前で深々と頭を下げた。 その光景に、周囲で見守っていた、部下と思われる役人たちから、どよめきが上がる。
「か、閣下!? なぜそんな小娘にそのような・・・・・・!」
「黙れ! 貴様らは知らんのか。この方こそかつてこのアルヴェニア王国の金融危機を救ったといわれる、伝説の鑑定士クレア様だ!」
副大臣の言葉に、バーストン卿の部下の数人が「えっ?」と声を上げた。
「クレア様だと?」
「そうだ。数十年前までは、王国政府に出入りしていたが、その後、表舞台から姿を消した。風の噂では、あの王都近郊のゴミ処理施設の管理人として、余生を過ごしていると聞いていたが・・・・・・その彼女が、まさかノルディアス家の再興を支えていたとは・・・・・・何を隠そう、私ももう何十年か前、一度だけクレア殿から教えを乞うたことがある。今にして思えば、あのときの講義があったからこそ、今の私はこの地位にまでたどり着いたわけで・・・・・・」
バーストン卿は、クレアが書いたメモを、まるで宝物でも扱うかのように大切に抱えた。
「クレア殿・・・・・・。あなたの教え、確かに頂きました。ミト殿がいるのなら、我々もまた、経済の循環を考えねばなりますまい」
クレアは、褒め称えられても眉一つ動かさず、ただ静かに一礼した。
「・・・・・・ご理解いただけたなら、結構ですわ。でもね、副大臣閣下。今のあなたは、私なんかより、遙かに偉いのよ。自信を持って、明日からまた仕事に励みなさい」
「はい!」
そこには、権力者の姿はなかった。
ただ一人の生徒として、伝説の鑑定士に教えを請う熱心な男性の姿があるだけだった。
呆然と立ち尽くす僕とエマ。
「・・・・・・ねえ、ミト。クレアのことを、抜け目のない鑑定士だとくらいにしか思っていなかったけど・・・・・・」
「・・・・・・僕もだよ。でもさ、外見は幼い割に、妙に大人びているとは思わなかった?」
「ええ・・・・・・クレアって、何者なのかしら?」
「そのうち、しっかりと生い立ちを聞こう」
僕は、改めて自分の周囲にいる女性たちの規格外さを実感した。
魔導解析の鬼であるリサ。
薬の変人たちの極地シエラ。
伝説の鑑定士クレア。
そして、僕を一番近くで守ってくれる最強の騎士、エマ。
(・・・・・・これだけの人が、僕を支えてくれている)
僕の人生は、彼女たちが作り上げてくれていると言っても過言ではない。
「ミト。今日はせっかくだから、夜までエマと遊んできなさい。商会の方は、私たちでなんとかするから」
クレアがそう言ってくれる。
「そうなの? それじゃ、お言葉に甘えて・・・・・・行こう、エマ」
「ええ。あんたの背中は、私が誰にも触れさせないわ」
僕たちは、熱気に沸く商会ブースを背に、夜のとばりが下り始めている学院祭へと歩みを進めた。




