第58話 学院祭デート!
カトレアさんが友人たちの元へと去り、周囲のざわめきが少しずつ遠のいていく。
僕は隣に立つエマの顔を盗み見た。彼女はまだ少しだけ唇を尖らせて、僕と繋いでいない方の手でマントの端をいじっている。
「・・・・・・ねえ、エマ」
「なによ。カトレア様の後を追わなくていいの? 今ならまだ追いつけるわよ」
「そんなことしないよ。・・・・・・せっかくだからもっと、行きたいところに行こうよ・・・・・・お祭りを楽しもう」
僕がそう言うと、エマは一瞬だけ目を見開き、それからバツが悪そうに視線を逸らした。
「・・・・・・別に、私は護衛なんだから、ミトが行きたいところについて行くだけよ。・・・・・・でも、そんなに言うなら、あんたの行きたいところに連れて行ってあげてもいいわ」
その言葉を聞いて、僕は小さく笑った。強がっているけれど、エマの耳の端が少しだけ赤くなっている。
僕たちは、温かな余韻を胸に、改めて二人だけの学院祭デートをスタートさせた。
まず僕たちが向かったのは、学院の中央の野外通路にひしめき合う屋台街だった。
シエラがいた薬学科のエリアとは違い、こちらは一般の生徒たちによる平和な出し物が多い。
「ミト、見て! 七色に輝く精霊のわたあめだって!」
エマが指差したのは、風属性の魔法でマナを糸状に紡ぎ出し、そこに光属性の着色を施した、文字通り宝石のように輝くわたあめだった。
「一つください」
僕が手渡されたわたあめは、口に入れた瞬間にパチパチと弾け、イチゴやミント、そして名前も知らない不思議な果実の味が次々と広がっていく。
「わあ・・・・・・! すごい、口の中で味が踊ってるみたい」
「本当だね・・・・・・あ、エマ。頬に少しついてるよ」
「えっ? どこ?」
慌てるエマの頬に手を伸ばそうとして、僕は寸前で踏みとどまった。
地下室にいた頃の僕なら、こんなに自然に笑い合うことさえできなかった。今、こうしてエマの柔らかい肌の温度を感じられそうな距離にいることが、何よりも奇跡のように思える。
「・・・・・・ミト? どうしたの、急に黙って」
「あ、いや・・・・・・。なんでもない。・・・・・・次はあっちの星詠みの天球儀に行ってみない?」
僕は照れ隠しに、エマの手を引いて歩き出した。
「星詠みの天球儀」は、天文魔法科の生徒たちが巨大なドームの中に王国の夜空を再現した出し物だった。
真っ暗な空間の中で、足元から頭上までを埋め尽くす無数の星々。僕たちは並んで座り、ゆっくりと動き続ける星座を眺めていた。
「綺麗ね・・・・・・私、昔、おじいさまの故郷の村で見ていた星空を思い出したわ」
エマの横顔が、魔法で織りなされる星光に淡く照らされる。
「・・・・・・ミト。あなた、昔、素敵な星が見たいって言ってたわよね」
「・・・・・・うん。あの頃は、本当の空がどんなに広いか、想像もつかなかったんだ。でも今は・・・・・・こうしてエマと一緒に、本物よりも綺麗な星空を見てる」
「・・・・・・バカね。本物の空の方が、もっとずっと広いわよ。学院祭が終わったら、みんなでピクニックにでも行きましょう。クレアやシエラ、リサも呼んで」
「・・・・・・そうだね。約束だよ」
ドームを出ると、外はもうすっかり夕暮れ時に差し掛かっていた。
王立学院の白い石造りの校舎が、燃えるような茜色に染まっている。影が長く伸び、祭りの喧騒も、どこか切なさを帯びたトーンへと変化していた。
僕たちはどちらからともなく、ゆっくりと歩調を緩めた。
人混みはまだ絶えないけれど、この夕闇の中では、世界に僕とエマの二人しかいないような、不思議な静寂を感じていた。
「ミト。・・・・・・あんた、最近本当にたくましくなったわね」
並んで歩きながら、エマがポツリと言った。「そうかな? 自分ではあまり変わっていないつもりだけど」
「いいえ、全然違うわ・・・・・・さっきの伯爵夫婦への対応もそうだし、カトレア様と話している時もそう・・・・・・あなたの周りには、自然と人が集まってくる。みんな、あなたが放つオーラに救われたがっているのよ」
エマの言葉には、誇らしさと、そしてわずかな寂しさが混ざっているように聞こえた。
「・・・・・・私、たまに不安になるの。ミトがどんどん遠くへ行ってしまって、いつか私の手が届かないような人になっちゃうんじゃないかって」
「そんなことないよ、エマ」
僕は立ち止まり、エマの正面に立った。
沈みゆく太陽の光が、彼女の銀髪を黄金色に縁取っている。
「僕がどれだけ強くなっても、どれだけ多くの人を救ったとしても・・・・・・僕の心臓が一番激しく動くのは、エマが僕の隣にいてくれる時だけだ・・・・・・エマがいない世界なんて、僕にとってはあの地下室と同じ暗闇なんだよ」
「・・・・・・ミト・・・・・・」
エマの大きな瞳に、夕陽の光が反射して揺れる。
彼女は何かを言いかけ、それから、今までで一番優しい笑顔を見せた。
「・・・・・・やっぱり、あんたには敵わないわね。ほら、もうすぐ日が沈んじゃう。みんなが待っている場所に戻りましょう」
僕たちは手を繋いだまま、黄金色の余韻に浸りながら中庭へと戻っていった。
ノルディアス商会のブースに近づくと、そこにはまだ、明かりを灯して片付けを始めている家族や仲間たちの姿があった。
「おーい! ミト君、エマちゃん! 遅かったわね!」
シエラが大きく手を振っている。またどこかで爆発にでも巻き込まれたのか、彼女の白衣は所々煤けているけれど、その表情は充実感に満ち溢れていた。
「お帰り、二人とも。・・・・・・顔を見れば分かるわ。十分に『栄養補給』はできたようね」
クレアが、相変わらず全てを見透かしたような笑みを浮かべて僕たちを迎え入れる。
その隣では、父様と母様が、今日一日の売上報告書を誇らしげに見せてくれた。
「ミト、見てくれ! こんなに多くの人が、私たちの薬を手に取ってくれたんだ。・・・・・・お前のおかげだ」
「・・・・・・ううん。みんなの力だよ、父様」
学院祭の一日目が終わろうとしている。
かつて「呪われた一族」と蔑まれた僕たちノルディアスの名前は、少しは向上しただろうか。
「楽しかったわね、ミト」
エマが僕の耳元で小さく囁いた。
「うん・・・・・・本当に、楽しかった」
空には一番星が輝き始め、後夜祭のキャンプファイヤーの準備が着々と進んでいる。
きっとこの最高の気分のまま、明日の最終日を迎えられる。僕の心は、最高密度にまで充実していた。




